3月13日 名曲100選 声楽曲篇・28 荒城の月
「荒城の月」は1901年に発表された日本の歌曲です。
旧制中学の唱歌の懸賞の応募作品として、土井晩翠の詩に、東京音楽学校の瀧廉太郎が曲をつけたもので、七五調(今様形式)の歌詞に、日本のこれまでのヨナ抜き音階(ドから4つ目のファと7つ目のシを使わない五音音階)ではなく西洋の音階を使って、初めて日本と西洋の融合を図った歴史的な曲です。
当初は無伴奏で「中学唱歌集」に収録されましたが、瀧の死後1917年に山田耕筰が原曲のロ短調から短三度上のニ短調に移調しピアノ伴奏をつけ、メロディにも改変を施し全8小節だったものを、テンポを半分にして16小節へと変更しています。
例えば、「春高楼の花の宴」の「え」の音は原曲では(ニ短調に移調した場合)ソ#になっていますが、山田耕筰は#を取って、ただのソの音にしています。これはソが半音上がるのはジプシー音楽の音階の特徴なので、外国人は日本の旋律ではなく、ハンガリー民謡を連想してしまうという事だったのでは無いかと推察されます。
晩翠の詩は、徳川の時代が終わり明治の世になり、城は荒れてしまったがそこには、いつの時代も変わらない悠久の月が照っているという想いを込めたものです。特定の城を歌った詩ではありませんが、仙台出身の晩翠がモデルにしたと思われる東北の城、仙台の青葉城、会津若松の鶴ヶ城、盛岡藩の九戸城には歌碑が立っています。作曲した瀧廉太郎は、少年時代に過ごした富山城や大分県竹田市の岡城から曲想を得たと言われています。
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