5月31日 名曲100選 日本のフォーク・ニューミュージック篇・37 旅でもしようか
「旅でもしようか」は大塚博堂3枚目のシングル「季節の中に埋もれて」のB面に収録された曲です。
TBSラジオのテーマソングであり、後にNHKのキャンペーンソングにも使われ、大塚博堂の故郷である別府駅の列車の入線時に流れる音楽にも使われています。
生活に少し疲れたら、旅でもしようか・・・という、リフレッシュソングです。
カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団: グリーグ:《ペール・ギュント》第1組曲&第2組曲/シベリウス:交響詩《フィンランディア》 他 (SHM-CD)
ロストロポーヴィチ(vc)小澤征爾指揮ロンドン交響楽団: ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番/プロコフィエフ:交響的協奏曲
アルゲリッチ(p)シャイー指揮ベルリン放送交響楽団: チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 (SHM-CD)
ブルガーゴーズマン(S)ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団: ワーグナー:管弦楽曲集、ヴェーゼンドンクの5つの詩
アルゲリッチ(p)アバド指揮ロンドン交響楽団: ショパン: ピアノ協奏曲第1番/リスト: ピアノ協奏曲第1番 (生産限定盤)(UHQCD)(特典:なし)
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「旅でもしようか」は大塚博堂3枚目のシングル「季節の中に埋もれて」のB面に収録された曲です。
TBSラジオのテーマソングであり、後にNHKのキャンペーンソングにも使われ、大塚博堂の故郷である別府駅の列車の入線時に流れる音楽にも使われています。
生活に少し疲れたら、旅でもしようか・・・という、リフレッシュソングです。
交響曲変ロ長調op.20は、19世紀末に作曲されたショーソン唯一の交響曲です。
ショーソンはフランクの弟子のひとりで、サン=サーンスが作ったフランス国民音楽協会にも参加しましたが、1899年にわずか44歳で自転車事故で死去しました。師匠のフランクも乗車していた辻馬車が馬が引いた列車と衝突する交通事故が間接要因となって亡くなっていますし、ラヴェルもタクシー乗車中に交通事故にあってそれが死の要因のひとつだったようで、フランスの作曲家と交通事故は切っても切れないものがあったのでしょうかね。
ショーソンの交響曲は、フランク楽派の主流だった、舞曲楽章を持たない3楽章制でできています。
第1楽章は Lentoの沈鬱な導入部とAllegro vivoの輝かしい主部へと入って行きます。
第2楽章は緩徐楽章
第3楽章はAnime の快活な楽章です。
そして、これは知る人ぞ知る話なのですが、第3楽章の途中のメロディが、童謡の「ぞうさん」にそっくりの部分があるんです。
細かい動きが終わって曲調が変化した後、管楽器の合奏になるのですが、ここでは代表してフルートの譜面を貼り付けておきます。
「ぞうさん」は團伊玖磨が作曲した童謡で、リズムは異なりますが変ロ長調にするとレーシラ、レーシラ、レーミファラ(ぞうさん ぞうさん おはなが の部分)が全く一緒。
まあ、それはさておいて、なかなかの名曲なのですが日本では知名度が低くて残念な曲のひとつです。
ブラームスは、ドイツ音楽の三大B(他の2人のBはバッハとベートーヴェン)と言われる程の作曲家ですが、管弦楽のための曲はその割りに非常に少ない作曲家です。交響曲が4曲、協奏曲が4曲、その他の管弦楽曲は5曲しかありません(自ら編曲したハンガリー舞曲の1番、3番。10番は除く)。
大学祝典序曲、悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲、セレナード第1番、第2番です。
その内、セレナードは第1番が演奏時間50分という長い曲で、第2番がヴァイオリンが登場しないという変わった編成なので、あまり演奏される機会がありませんが、他の3曲は頻繁に演奏されます。
中でも大学祝典序曲は手頃な演奏時間と明るく親しみやすい曲のため人気が高い曲です。
ブラームスは1879年にブレスラウ大学から名誉博士号を授与され、その返礼として作曲したのが「大学祝典序曲」です。
4つの学生歌を引用し、自ら作曲した主題と合わせて展開していきます。
冒頭はブラームス自身による主題で展開し、続いてトランペットによって奏でられるのが「僕らは立派な学び舎を建てた」です。(Soloと書いてあるところから)
続いて「祖国の父」はヴァイオリンによって提示されます(練習記号Lの3小節目から)
3つ目は「あそこの山から来るのは何」。文化放送の大学受験口座のテーマ曲として我々の世代では非常にポピュラーな曲です。ファゴットによって提示されます。(4分の2拍子になったところからです)最後は「いざ、楽しまん」という学生歌。この曲は日本でも結構知られた曲で、「我が行く道は遥けき彼方・・」という歌詞がついて歌われていました。これは管楽器によって提示されコーダにも使われています。
「エビータ」は1976年にリリースされたロック・オペラ・コンセプト・アルバムを起源として1978年に上演を開始したミュージカル。1996年にはマドンナ主演で映画化されました。
作曲はアンドルー・ロイド・ウェバー。カレン・カーペンター、オリビア・ニュートン=ジョンなどにカバーされています。
アルゼンチンのペロン大統領が政権を獲得する前後の時代を舞台に、国民に絶大な人気を誇ったペロンの2度目の妻エバ・ペロンの生い立ち、権力、慈善事業、死などを描いたフィクション。
「泣かないでアルジェンティーナ」は第2幕でペロンが大統領選に圧勝した後、エヴァが官邸のバルコニーから熱心な支援者に向かって「以前は名声や栄光を求めていたけれども、今はこの国の人々のためになりたい」と歌う曲です。
プーランクはドビュッシーに倣って、晩年に木管楽器のためのソナタを作曲しています。1956年から1962年までの間にフルート、クラリネット、オーボエのためのソナタを作曲しました。
その中でもフルート・ソナタは20世紀のフルート・ソナタの最高傑作とも言われている作品です。作品はフルートの名手ジャン=ピエール・ランパルのアドバイスを受けながら1957年3月に完成し6月18日にストラスブール音楽祭でランパルのフルートとプーランクのピアノで初演されました。
3楽章構成で12分程度の短い曲です。
第1楽章は、速度はAllegroですが、メロディ自体はメランコリックな雰囲気を持つ曲です。冒頭の4個の32分音符が印象的で、楽章のあちこちに出てきます。
第2楽章は高雅な哀しみをたたえた美しい楽章です。
第3楽章はそれまでの2つの楽章からガラッと趣を変え動きの激しい楽章になっています。第1楽章の4個の音符が再び出て来ての回想もあります。
1969年にデビューしたイギリスのロックバンド 「イエス」はかなり多くの回数のメンバーチェンジをし、途中活動停止をはさんで現在も活動しているバンドです。
中でもキーボード奏者リック・ウェイクマンが加入していた1971年から74年頃が全盛期と言われていて「こわれもの」「危機」という代表的なアルバムが作られています。
「こわれもの」からシングルカットされた「ラウンド・アバウト」はイエス最大のヒット曲で、イエスの代名詞となる曲です。冒頭のギターの導入部は、ギター弾く人たちの多くがコピーして弾いてました。
歌劇「ポギーとベス」はガーシュウィンが1935年に作曲した3幕9場のオペラです。
ミュージカルの先駆となるもので、ジャズや黒人音楽の要素を用いて作曲されています。原作はエドワード・デュボーズ・ヘイワードの小説「ポギー」。
舞台はアフリカ系住民の居住区キャットフィッシュ・ロウ。足の不自由な乞食ポギーが思いを寄せる給仕女のベスの内縁の夫クラウンが殺人を犯して逃走し、これをきっかけに二人は一緒に暮らす事となります。やがてクラウンが戻りポギーの部屋へ忍び込み乱闘となってポギーはクラウンを殺してしまいますがポギーの殺人は発覚せず1週間の拘留で解放されます。帰ってきたポギーは、ベスが、麻薬の売人とニューヨークへ行ってしまった事を知り、ベスを見つけるために不自由な足をおして数千キロ離れたニューヨークを目指して旅立ちます。
「サマータイム」は第1幕冒頭で生まれたばかりの赤ん坊にクララが歌うブルース調の子守歌。歌の前半はアメリカの黒人たちの過酷な生活が歌われ、後半は子供の成長を祈る内容になっています。
オペラのアリアとしだけでなく、ジャズ、ブルースのスタンダードとして多くの歌手に歌われた曲でビリー・ホリディ、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルドなど2600を超えるカバーが存在していると言われています。
「空と君のあいだに」は中島みゆきの31作目のシングルで、「浅い眠りに」に続く2作目のミリオン・セラーヒットです。
安達祐美主演の日本テレビ系ドラマ「家なき子」の主題歌で、主人公相沢すずについて回る犬リュウの目線で歌った歌です。中島みゆきは、犬の気持ちで見れば、犬が見えているは「空」と「君」しかいないと語っていたそうです。
※You Tubeはありません。
アイヴズの交響曲第2番は1897年から1901年にかけて作曲された曲です。
アイヴズの音楽はアメリカ現代音楽の先駆けとして認知されていますが、存命中は殆ど評価されることがありませんでした。アイヴズ自身も作曲は趣味と言ってもいい領域で、本業は保険会社の副社長まで務めたビジネスマンでした。それでも当時アメリカで受け入れられにくかった不協和音の多用など実験的な音楽によって新しい音楽の流れを模索し続けました。
交響曲第2番はアイヴズの特徴のひとつである、多くの楽曲からの引用に溢れた作品です。5つの楽章からできていて、
第1楽章はAndante Moderato ゆったりとしたロマン派音楽っぽいメロディから始まります。1つめの引用アメリカの愛唱歌「コロンビア 大洋の至宝」が金管によってゆったりと顔を出します。
第2楽章はAllegro テンポは早まりますが冒頭は後期ロマン派音楽の雰囲気を保持しますが後半は大胆な和声が使われて行きます。
第3楽章はAdagio cantabile チェロやヴァイオリンのソロを活用した緩徐楽章です。
第4楽章はLento maestoso マーラーっぽい音楽から始まる短い楽章。この楽章にも「コロンビア 大洋の至宝」が顔を出します。
第5楽章は第4楽章から切れ目なく演奏されます。この楽章は引用が滅茶苦茶多い楽章。フォスターの「草競馬」、「ロング・ロング・アゴー」などが引用され、最後は壮大な不協和音で閉じられます。
肩の凝らない楽しい曲です。
「パリのアメリカ人」はジョージ・ガーシュウィンが作曲した管弦楽曲です。
ニューヨーク・フィルの委嘱を受けて1928年に発表された曲で、ガーシュウィンが1920年代に過ごしたパリの様子を描いた標題音楽です。
大規模な編成になっていて、木管はコントラファゴットを欠く3管編成にアルト・テナー・バリトンの3本のサックスが使用されます。金管は4本のホルン、トランペットとトロンボーンは3本ずつでチューバが加わります。
また、数多くの打楽器が使われています。ティンパニ、グロッケンシュピール、シロフォン、小太鼓、大太鼓、トライアングル、シンバルに加えてトムトム、ウッドブロック、チェレスタ、更に4種類のタクシーのクラクションが使われています。
パリを訪れた軽快な足取りから始まり、けたたましく鳴るタクシーのクラクションに気分も次第に高まって行きます。
中間部は憂いを秘めたブルーノートを使ったバラード。
再びパリの喧騒に戻りますが、最後は中間部のメロディがクライマックスを築いて曲を終えます。
ラプソディ・イン・ブルーと並ぶガーシュウィンの代表作であり20世紀初めのアメリカ音楽の代表作のひとつです。
「アラビアのロレンス」は1962年公開のイギリス映画。実在のイギリス軍人トマス・エドワード・ロレンスの半生を描いた戦争映画。
イギリス陸軍のエジプト基地勤務のロレンスがアラブ人のオスマン帝国からの独立戦争を手助けしたものの、アラブ独立後はアラブからもイギリスからも疎まれ、英雄として昇進するものの失意の内に事故死してしまいます。
ロレンスはピーター・オトゥールが演じ、監督はデヴィッド・リーン。
音楽はモーリス・ジャールが担当。アカデミー作曲賞を受賞しています。冒頭のティンパニや中間部のメロディなど非ヨーロッパ的な雰囲気をもつテーマ曲です。
フォーレのシシリエンヌは、元々劇音楽「ペレアスとメリザンデ」の中の曲を、独奏楽器とピアノ用に編曲して演奏されるようになったものです。
シシリエンヌ(シチリアーナ)はルネサンス末期から初期バロック時代に多く作られた舞曲で、ゆったりとした8分の6拍子か8分の12拍子で作られました。古いシチリアーナで最も有名な曲はレスピーギがリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲に使った16世紀イタリアのリュート曲でしょう。
フォーレのシシリエンヌは劇付随音楽の5曲目。第2幕でペレアスとメリザンドが泉のほとりで戯れる場面の前奏曲として演奏されるト短調、8分の6拍子のA-B-A-C-A-コーダというロンド形式の曲。ハープの分散和音に乗って独奏フルートが旋律を演奏するAパートがよく知られています。
室内楽曲として演奏される場合は、伴奏はハープかピアノでフルート独奏以外にヴァイオリンやチェロなどで独奏されます。
a-haは1982年に結成されたノルウェー出身の3人組のバンドです。
「テイク・オン・ミー」は1984年にデビューシングルとして発売されノルウェー国内では3位となるヒットになりましたが、海外では注目されませんでした。翌年アレンジし直して再リリースすると、全米1位の大ヒットを記録しました。
その後、この曲を超える世界的なヒット曲はありませんが、1987年には映画「007 リビング・デイライツ」の主題歌を担当し1994年にはノルウェーで開催されたリレハンメル・パラリンピックのテーマ曲を提供しました。
それ以降はそれぞれがソロ活動に専念していましたが1998年に活動を再開。2010年にバンド活動を休止するまで活躍しました。
「テイク・オン・ミー」はアップ・テンポでありながら、キーボードサウンドを有効に使って、自然に体が動いてしまうようなポップな曲になっています。
19世紀前半のオペラの巨匠マイアベーアはユダヤ系ドイツ人でしたが、ドイツ時代は芽が出ず、サリエリの勧めでイタリアへ赴き成功を収め、フランスへ進出してオペラ作曲家としての地位を確実なものとしました。
代表作の殆どがフランス時代の作品という事もあって、マイアベーアはフランス・オペラの最初の大作曲家でありフランス・グランド・オペラ最大の作曲家と位置づけられています。
「アフリカの女」は5幕2場の上演時間4時間を超える長大な作品です。ポルトガルの航海士で喜望峰を発見したヴァスコ・ダ・ガマをモデルにして作られましたが、初演前にガマが亡くなってしまったため、タイトルを「アフリカの女」に変更して初演されました。
ヒロインのアフリカの奴隷セリカが実は女王だったというのは、ヴェルディのアイーダと良く似た設定ですが、セリカのヴァスコに対する深い愛とセリカを愛するアフリカ奴隷のネルスコ、ヴァスコを愛する艦隊の提督の娘イネスの複雑な関係の中で、愛の行方がどうなるか、というのがストーリーの骨子です。
「おお、パラダイス」は第4幕でヴァスコが歌うアリアで、アフリカ人に捕らえられたヴァスコが毒の香を放つマンスニールの木の下で幻惑されて歌う曲です。
「黄昏迄(たそがれまで)」は、さだまさしの6枚目のソロアルバム「うつろひ」に収録された曲です。このアルバムから7年後に発売されたシングル「風に立つライオン」のカプリング曲としてCD発売されました。
2013年にさだまさしのデビュー40周年&ソロコンサート4000回を記念して発売するベスト盤のための人気投票では第9位に入った曲です。(ちなみに1位は主人公、この投票はさだのコアファン中心の投票なので、一般の人対象になると、やっぱり「関白宣言」とか「案山子」がトップのようです)
「黄昏」は日没直後の夕焼けの名残が残る時間帯のことで、人生の盛りが過ぎて衰えていく時期の事。
さだまさしの「黄昏迄」は、人生の終わり直前まで一緒に過ごしていきたい、年老いたら世界中を船で回ろうと約束していたが、その前に亡くなってしまった彼女を懐かしんで歌う曲です。Aパートは静かに語るようなメロディで、Bパートはダイナミックに歌われるメロディになっています。
この曲の素敵なところは、上記の対比とダイナミックなBパートの魅力以外に、故服部克久のオーケストラアレンジと、故羽田健太郎のキラキラしたピアノがあるのでは無いでしょうか。
シューマンの交響曲第2番ハ長調op.61は1846年に作曲されました。2番目に完成した交響曲が改訂されて出版されたのが一番最後だったために第4番となったため、3番目に作曲されたにも関わらず第2番となりました。
シューマンの交響曲の例にもれず、やたらに音符が多く、一所懸命弾いても全く聞こえないところもあるのですが、コントラバスにとっては長い休みもあるし、結構目立つところもあるので今練習している第3番「ライン」に比べると少しはマシかなとは思います。
ちなみに、3小節以上の連続休みは、第3番が第1楽章3、第2楽章1、第3楽章1、第4楽章ナシ、第5楽章ナシで、合計5ヶ所しかありませんが、第2番は第1楽章3 第2楽章14 第3楽章1 第4楽章 5 合計23ヶ所。「ライン」がそれだけ弾きっ放しの過酷な曲だということがわかります。
まあ、余談はさて置き交響曲第2番の中身についてです。オーソドックスな4楽章形式です。
第1楽章は、長大な序奏があります。シューマンは第3番「ライン」以外の第1楽章は全て序奏つきになっていますが、第1番の38小節、第4番の28小節に比べて49小節もあり、しかもゆっくりしたテンポの6拍子なので時間は非常に長い序奏です。しかも弦楽器は不気味に四分音符の半音の動きの上を金管楽器が静かに統一動機を奏でる、というとってもわかりにくい序奏です。天才と狂気両方を持つシューマンならではの音楽かもしれません。ようやく突入した第1主題は、静けさとは打って変わった跳躍系のメロディ。この交響曲、基本的には跳躍系の音楽なんです。第2主題も第1主題と区別の付きにくいものです。コーダでは序奏にあった金管の動機が出て来て楽章を閉じます。
第2楽章はスケルツォ。交響曲のスケルツォも本来は舞踏系の音楽なのですが、このスケルツォは滅茶苦茶忙しくて踊れません。第1番と同様2つのトリオを持っています。両方とも穏やかな雰囲気のトリオです。
第3楽章は緩徐楽章。祈りの音楽的な雰囲気を持っています。
第4楽章は、これも跳躍系の音楽。序奏はわずか4小節で主題に入ります。今度は長いコーダがついています。賛歌のような壮麗な終わり方で、最後はティンパニの連打でブレーキがかかって終わります。
フランスの作曲家シャブリエは、フォーレと同じくサン=サーンスらの国民音楽協会の時代とドビュッシーらの印象派の時代の架け橋となった作曲家のひとりです。シャブリエは幼少の頃から音楽の才能を見出されていましたが、父親の強い勧めで法律を学び役人としてのキャリアを開始しました。その間フォーレ、ダンディなどの音楽家やマネ、モネ、セザンヌらの画家と親交を深めていきました。
1880年にミュンヘンで観たワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に刺激を受けて音楽の道に専念することを決意しました。その時は既に39歳。また、晩年は麻痺に苦しんで53歳の若さで病没していますので、作曲家としては実働14年という短さでしたが、その間に数は少ないもののオペラを含めて傑作を世に出しています。
その中でもナンバーワンの人気を誇るのが「スペイン」です。1882年に妻とともに4ヶ月間滞在したスペインの印象を作曲した7分程度の短い曲ですが、沸き立つようなリズムや歌のようなメロディ、色彩感豊かなオーケストレーション、全ての「明るさ」を兼ね備えた名曲です。
最初は弦のピッツィカートから始まる躊躇ったようなリズムから始まりますが、直ぐにミュートつきのトランペットなどによる軽妙な主題が始まります。
この主題は曲全体を支配しながら、数々の美しかったり、楽しかったり、ダイナミックだったりというメロディを導き出しています。
最後はトライアングルの連打の中で華々しく曲を終えます。
この曲を元にワルトトイフェルがワルツ「スペイン」という曲を作曲していますので、そちらも聞いてみると面白いです。
こちらはワルトトイフェルのワルツ「スペイン」です。
「イーストウィックの魔女たち」は1987年製作のホラーコメディ。
アメリカの片田舎イーストウィックに住む3人の熟年未亡人、彫刻家アレキサンドラ(シェール)、音楽教師ジェーン(スーザン・サランドン)、ジャーナリストのスーキー(ミシェル・ファイファー)の元にデイル(ジャック・ニコルソン)が現れ豪邸を買って共同生活が始まります。デイルの正体は悪魔。デイルが仕掛けたタウン誌編集長夫人への嫌がらせがやがて殺人事件へ発展し、デイルを疑った3人は彼の呪いをかけますが失敗しデイルに逆襲され消滅させられますが・・・
というストーリーです。
原作は20世紀アメリカを代表する作家のひとりアップダイク、監督はジョージ・ミラー。音楽はジョン・ウィリアムズが担当して、奇妙で恐ろしい世界を的確に表現した「悪魔の踊り」は、ジョン・ウィリアムズの多彩な才能のひとつを垣間見た感じがします。
「忠実な羊飼い」は長い間ヴィヴァルディの作曲とされてきましたが、20世紀後半になってフランスのニコラ・シェドヴィルの作曲ということが判明しています。シェドヴィルはオーボエ奏者でもあり、また、ミュゼットというキーの無いオーボエの奏者であり製作者でした。そのためにミュゼットを普及させるために、ヴィヴァルディの名を借りてミュゼットを流行させようという目論みがあったとも考えられています。
「忠実な羊飼い」op.13は6曲からなるソナタ集です。現在はフルートやブロックフルーテと通奏低音で演奏される事が多い曲です。
ソナタ第1番は5つの楽章からなる曲で、シェドヴィルのオリジナルの曲です。
第2番は4つの楽章からなり、第2楽章にヴィヴァルディの「ラ・ストラヴァガンツァ」第7番から借用されています。
第3番は5つの楽章からなり、第2楽章はヴィヴァルディの「6つのヴァイオリン協奏曲」op.6の第2番から借用されています。
第4番は4つの楽章からなり、第2楽章にはヴィヴァルディ名義で出版されたドイツの作曲家メックのヴァイオリン協奏曲などから借用されています。
第5番は6つの楽章からなり、第2楽章は第4番同様メックのヴァイオリン協奏曲から借用されています。
第6番は4つの楽章からなり、第4楽章はヴィヴァルディの「ラ・ストラヴァガンツァ」の第6番の第3楽章を編曲したものです。
中でも、第2番の第1楽章プレリュードは、以前NHK-FMの「朝のバロック」のテーマ音楽として使われて知られた曲です。
我が愛の至上(Best of My Love)は、1974年発表のイーグルス8枚目のシングルで、初の全米ナンバーワンヒット曲です。
イーグルスは12弦のアコースティック・ギターのグレン・フライを中心としたウェストコースト・サウンドで、全員が歌えるコーラスというのも特徴のひとつでした。この後イーグルスはメンバーの入れ替えなどもあってロック色が強くなっていき、ホテル・カリフォルニアの大ヒットに繋がっていきます。これぞウェストコースト・サウンドという響きの名曲です。
モーツァルト最後のオペラ「魔笛」は、モーツァルトの数あるオペラの中でも最高傑作と言われる作品です。
モーツァルトの友人であり、オペラの興行主・歌手のシカネーダーが、当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトを援助するためにシカネーダー自身が台本を書いて作曲を依頼し1791年に完成したものです。
古代エジプトで、王子タミーノが悪魔ザラストロに娘パミーナをさらわれた夜の女王の依頼を受けてザラストロの神殿へ救出に向かいます。そこでザラストロが本当は悪者ではなく夜の女王こそが悪人である事を知り、数々の試練の後タミーナとパミーノは結ばれるというのが骨格のストーリー。そこに鳥刺しのパパゲーノと恋人のパパゲーナが絡んでいきます。
「俺は鳥刺し」は第1幕の冒頭直後パパゲーノがパンフルートを吹きながら自己紹介の歌を歌う楽しいアリアです。
「空に星があるように」は1966年発売の荒木一郎の自作のデビュー曲です。
荒木一郎は母親が女優だったこともあって9歳から舞台俳優として活動していましたが、高校時代からジャズに傾倒しバンドを組んだりして活動していました。高校卒業後文学座に入り俳優としてデビューし、自分がDJをつとめたラジオ番組用に作ったテーマ曲が大ヒットし、レコード大賞の新人賞を受賞。その曲が「空に星があるように」でした。
空の星、浜辺の砂程度のちっぽけな夢が時がたつにつれて失われていく・・でもそれは誰にもあるような事という内容の歌詞で、メロディ同様力の入らない自然な歌がウケたのでしょう。
「アンタール」op.9は、リムスキー=コルサコフが1868年に作曲した交響曲です。この曲1875年と1897年に改訂されていて1897年の第3版は交響組曲とされました。現在演奏されるのは第3版ですが、交響曲第2番として扱われることが多いようです。
4つの楽章からできていますが、「シェエラザード」同様東洋趣味に溢れた曲で、実際には交響曲の形式を踏襲していません。
もしかして、「シェエラザード」と同じく交響組曲として発表すれば、もっと人気出たかもしれませんね。
「アンタール」は6世紀アラビアの詩人。現世をはかなんでパルミラの廃墟に隠遁していたアンタールはある日、一頭のカモシカを襲う巨大な鳥から助けました。カモシカの正体はパルミラの妖精の女王キュル・ナザールで、彼は夢の中で女王の宮殿に招待され、お礼として「人生の3つの喜び」を贈ると約束されます。
第1楽章は、廃墟の描写からはじまり、鳥を撃退して女王を助け、夢の中で宮殿に招待されるストーリーを表現しています。
第2楽章は復讐の喜び。Allegroの激しい楽章です。
第3楽章は権力の喜び。行進曲風のAllegroの楽章です。
第4楽章は愛の喜び。Allegrettoの愛の喜びから、やがてテンポを落とし、人生に再度疲れ果てたアンタールが女王との愛の喜びの中で死んでいってしまいます。
ワーグナーのジークフリート牧歌は1870年に作曲されました。この曲、原題は「誕生日の交響的な祝賀として彼女のリヒャルトが彼のコジマに贈る、フィーディーの鳥の歌とオレンジ色の日の出をともなうトリプシェン牧歌」という長~いタイトル。
コジマは、リストの娘でハンス・フォン・ビューローの妻でしたが、ワーグナーと不倫の末同棲し長女イゾルデ、次女エーファを出産。1869年には長男ジークフリートを出産しました。
コジマの誕生日が12月25日だったので、ワーグナーはコジマの誕生祝いとクリスマス・プレゼントを兼ねて作曲したのが、このジークフリート牧歌です。またこの作品は長男ジークフリートを産んでくれたコジマへの労いもあったと言われています。
元々、ワーグナー邸のコジマの寝室脇の曲がり階段で演奏する事を想定していたので非常に小編成で弦楽器もひとりずつで演奏できるようになっています。
さらに、この曲には後に楽劇「ニーベルンクの指環」のジークフリートの動機が共通素材として使用されています。
早朝の目覚まし音楽のため、大きな盛り上がりは作っていませんので、演奏中若干眠くなりますが非常に美しい音楽ではあります。
最小編成は初演時の十三重奏ですが、小編成オーケストラで演奏する事も少なくありません。
映画「脱出」は1972年に公開されたサスペンス・アドヴェンチャー映画。監督はジョン・ブアマンで、ジョン・ヴォイト、バート・レイノルズなどが出演しています。一応アカデミー賞にノミネートされましたが日本ではほぼB級映画扱いでした。
ダム建設によって湖底に沈む渓流で最初で最後の川下を楽しもうとやってきた4人の男は上流の過疎の町まで車でやって来るが、よそ者に対して警戒心が強くなかなか打ち解けない。
翌日カヌーで川を下っている最中に誤って現地の人を殺害してしまい死体を隠してしまいます。その後徐々にひとりずつ悲劇が襲って行きます。
その上流の過疎の町で現地の少年のバンジョーと4人組のひとりドリューのギターが競い合うように弾いた曲が「デュエリング・バンジョー」です。ここで友好的な雰囲気が醸し出されますが、演奏が終わった後ドリューが握手を求めても少年は無視。結局打ち解けることはできませんでした。
この何の変哲もないバンジョーとギターの曲がBillboard週間チャートで最高位2位のヒット曲となったのですが、原因は?
楽しい曲ではありますが・・・1972年は「ゴッドファザー」「キャバレー」といった大作があってアカデミー賞はノミネート止まりでした。
「フルートとピアノのためのカルメン幻想曲」は19世紀から20世紀にかけて活動したフルート奏者であり作曲家のフランソワ・ボルンが、ビゼーのカルメンを基に編曲したフルートとピアノのための幻想曲です。
ボルンについては、フランス生まれとかベルギー生まれとか言われていて、詳しい資料が残っていないようです。(音楽辞典などにも掲載が無い音楽家らしいです)
まずはピアノのみで前奏のいわゆる「運命の動機」が演奏された後、フルートにメロディが移ってカルメン殺害直前のメロディ、つなぎの音楽の後再び、今度はフルートによって「運命の動機」が奏でられます。その後ミカエラとホセの二重唱、ピアノによる村の青年たちの歌を経て、ハバネラになります。ハバネラはピアノが終始ハバネラのリズムを刻みますが、フルートは2つの変奏を行って演奏技術を誇示します。それが終わるとジプシーの歌、闘牛士の歌が登場し、最後はオリジナルのコーダで終わります。
なかなかこれだけの短い時間でフルートのテクニックを見せて、しかも有名なメロディで飽きさせないという曲は多くは無いので、よく知られていない作曲家のものですが、演奏される事も少なくないようです。
元来ロックバンドにしてもフォーク・グループにしても、仲間が集まってバンドを組んで活動を始めるというのが通常のパターンでした。
ザ・モンキーズは、イギリスのビートルズがアメリカでも熱狂的な人気グループになった事を目の当たりにした映画会社がアメリカ国内でもスターグループを生み出し「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ」のようなヒット映画を生み出そうという考えで1965年にオーディションを行い誕生したバンドです。
ロック・ファンからは「寄せ集め」、「作られたグループ」というレッテルが貼られてアイドル扱いされてはいましたが、徹底的なメディ戦略によってブームが起こり多くのヒット曲を生む事になり、彼らの目論見はある意味では成功したと思われます。
1966年に「恋の終列車」でデビューしたザ・モンキーズの5枚目のシングルであり「アイム・ア・ビリーヴァー」に次ぐヒット曲となったのが、1967年発売の「デイ・ドリーム」です。
作詞作曲は元キングストン・トリオのジョン・シュチュワート。
多くのアーティストによってカバーされていますが、日本では忌野清志郎(らしき人)が率いるザ・タイマーズが日本語でカバーした「デイ・ドリーム・ビリーバー」がヒットしています。
ヴェルディは1869年に開通したスエズ運河の開通祝賀行事の一環としてカイロに建設されたオペラ劇場の開場式典用に、エジプトの総督イスマーイール・パシャから新作の作曲の依頼を受けましたが、「自分は普段から臨時機会用の音楽を書くことは慣れていない」と言って断りました。結局式典には「リゴレット」が上演されたわけですが、その後パシャからエジプトを舞台にした新作オペラの依頼があり、それを受けた作曲したのが「アイーダ」です。壮大なスペクタクル作品で、野外劇場で上演されることも多い歌劇です。
内容は、古代エジプト時代にエジプトとエチオピア2つの国に引き裂かれた男女(エジプトの司令官ラダメスと王女アムネリスに仕える奴隷=実はエチオピアの女王)の悲恋を描いたもの。
その中で最も有名な曲(アリアではありませんが)が、第2幕第2場でエチオピア遠征で勝利したラダメスが軍勢を率いて凱旋する場面の音楽が、凱旋行進曲です。
この凱旋行進曲は単独で演奏される機会も非常に多い曲です。
冒頭はバンダのトランペットによるファンファーレで始まり、オーケストラとバンダの掛け合いが暫く続きます。この間に舞台上に観衆が集まってきて、勝利を讃える合唱が始まります。合唱が終わるとアイーダ・トランペットによる行進曲が演奏されます。行進曲だけを演奏する場合は、この後にあるバレエ音楽は飛ばして、行進曲が再現されて終わります。
アイーダ・トランペットはエジプト風トランペットとも言われ、管が巻かれていない直管のものなので非常に長く扱いづらいものです。
私が演奏した時は、一度は普通のトランペットで演奏し、もう一度はアイーダ・トランペットは他団体から借用して演奏しました。上記のように非常に長く見栄えが良いので、演奏効果は格段に高くなりますが、演奏の質は・・・わかりません。
やまがたすみこは1973年にデビューしたフォーク歌手です。その後シティ・ポップス系の曲を多く取り上げるようになっていきました。1978年に結婚して第一線を退くまでに8枚のオリジナル・アルバム、12枚のシングルレコードを発売しました。
透明感と力感を相持った歌唱力あるフォーク歌手だったので、結婚後もCMソングやサウンドロゴ、様々なアーティストのサポート・ヴォーカルなどで活躍しています。
「風を見たよ」は3枚目のアルバム「Melodies Come From My Heart」に収録され1974年2月にシングル発売された曲です。NHKの「あなたのメロディ」から生まれた曲です。「あなたのメロディ」は視聴者からオリジナル曲を譜面で公募し、応募曲の中で優れたものを毎週数曲プロ歌手の歌唱で発表し、その中から週間の優秀曲を決定するという1963年から1985年まで続いたテレビ番組。北島三郎の「与作」、トワ・エ・モアの「空よ」なども生まれています。
ストリングス、対旋律の活用など当時としては聴き応えのある曲でした。
シベリウスの交響曲第1番ホ短調op.39は、1899年に作曲されました。シベリウスはこの曲以前に民俗叙事詩「カレワラ」に基づく声楽つきにクレルヴォ交響曲を作曲していますが、純器楽の交響曲としては初めての作品となります。
まだ、この第1番と有名な第2番はチャイコフスキーなどロマン派の影響が大きく、また交響詩風な雰囲気を持っています。
形式的には従来の交響曲の形を持った4楽章の構成になっています。
第1楽章は、ティンパニのロールに乗っかったクラリネットの暗い旋律の序奏から始まります。この序奏の旋律は第4楽章の序奏にも、今度はコントラバス以外の弦楽器のユニゾンで出てきます。主部に入ると突然第2ヴァイオリンが刻みを始め第1ヴァイオリン、ヴィオラとチェロが、メロディの断片のような第1主題を奏でます。第2主題はオーボエによって、これもメロディっぽくない旋律で提示されます。幻想的な展開部の後、再現部を経てコーダは金管が重々しく和音を響かせた後、中高弦楽器のピツィカートの強打で楽章を終えます。
第2楽章は弱音器をつけたヴァイオリンとチェロの穏やかなメロディから始まる緩徐楽章です。第2主題は少しテンポを速めてファゴットによって演奏されます。後半は副主題によってクライマックスを迎え中間部はホルンのソロが朗々と歌うメロディからはじまるフィンランドの森を想わせる部分です。
第3楽章はスケルツォ。ティンパニがスケルツォ主題を叩き、弦楽器、木管とホルンの掛け合いによって荒々しく提示されます。トリオは打って変わって牧歌的なメロディになります。
第4楽章は、幻想曲風にという指示がある楽章。第1楽章の序奏主題を使った序奏の後、これも短い第1主題が提示されますが、第2主題はシベリウスらしい美しいメロディがヴァイオリンによって提示されます。この主題は長いメロディになっていて、やがてそのままクライマックスを迎えます。やがて第1主題の展開部から再現部に入り、今度は第2主題で本当のクライマックスを築きますが、最後は弦のピツィカートで静かに終わります。
あまり演奏会で取り上げられる曲ではありませんが、私は大学の時に演奏しました。それまでの曲ではダントツに難しかった・・・
交響管絃楽のための音楽は1950年に芥川也寸志が作曲した曲です。
NHKの放送25周年事業の懸賞募集管弦楽曲の応募作として作曲し、團伊玖磨の交響曲第1番とともに入賞し、芥川の出世作となりました。
演奏時間は10分弱、3管編成の曲で、2つの楽章から出来ています。
第1楽章は、Andantinoのゆっくりとした楽章です。スネアドラム、チェロ、ファゴットで刻まれる単調なリズムの上に、木管楽器が断片的に軽い主題を演奏していきます。中間部は哀愁たっぷりのメロディがコール・アングレによって演奏され徐々に他の楽器に広がって行きます。
第2楽章は、一変したAllegroの激しいリズムの音楽です。シンバルの一撃のあと3つの主題が登場し、変拍子も交えてクライマックスに向かいます。最後は全休止のあと低音によって3つめの主題、2つめの主題の順に登場し終わりを迎えます。
とにかく、芥川らしいリズムを特徴とした音楽です。