11月30日 名曲100選 日本のフォーク・ニューミュージック篇・13 悲しくてやりきれない
1967年に解散したアマチュアのアングラグループ、ザ・フォーク・クルセダーズが解散を記念して300枚制作した自主制作アルバム「ハレンチ」はラジオなどで取り上げられて、それに目をつけたレコード会社から再結成、プロデビューを打診されました。加藤和彦は反対しましたが北山修が説得し1年限定という条件で再結成。プロデビューにあたって加藤和彦と北山修に加えてはしだのりひこをメンバーに加えて活動を開始しました。
「帰ってきたヨッパライ」が1968年に開始されたオリコンの初のミリオンヒットになり、爆発的な人気を獲得しました。
そのフォーク・クルセダーズが唯一レコーディングしたアルバムが「紀元貮阡年」から最初にシングル化されたのが「悲しくてやりきれない」でした。(帰ってきたヨッパライも収録されていますが、こちらはアルバム制作前のアマチュア時代に作られプロになってからシングル化されたものです)実は、このレコードこそ、私が自分の小遣いで買った始めてのレコードだった思い出の曲です。B面はコミカルな「コブのない駱駝」でした。
本来「帰ってきたヨッパライ」に続くシングルであった「イムジン河」が発売自粛になったため、急遽加藤和彦が缶詰にさせられて3時間で作った曲に作詞家のサトウハチローが詞をつけたもので、本当に悲しくてヤリキレナイ気持ちを歌ったものです。
フォーク・クルセダーズはこのほか「ゲ・ゲ・ゲの鬼太郎」「さすらいのヨッパライ」「青年は荒野をめざす」などのヒット曲を排出し、当初の約束通り1968年10月17日大阪でのさよならコンサートを最後に解散しました。