脚本家の向田邦子は1981年8月22日に51歳で旅行中の飛行機事故で亡くなりました。
向田邦子が脚本家として輝いたのはわずか10年程度。その間に記憶に残る数々のドラマの脚本を手がけました。1964年に「七人の孫」の脚本メンバーの一員としてデビューしましたが、本格的に脚本家として活躍するのか1970年の森繁久弥主演の「だいこんの花」。1971年の「時間ですよ」にも参加し、1974年の「寺内貫太郎一家」では単独で脚本を担当しました。1980年には「源氏物語」「阿修羅のごとく」「あ・うん」などで第17回キャラクシー賞選奨を受賞し、また短編連作「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞しました。
これからの活躍が期待される中1981年台湾旅行中に遠東航空機台北-高雄便が離陸14分後に空中分解で墜落し乗客乗員110名全員が死亡する事故で亡くなってしまいました。
「時間ですよ」は番組中、出演メンバーが挿入歌を歌うシーンがあり、ここから「涙から明日へ」「水色の恋」「赤い風船」「街の灯り」などのヒット曲も生まれています。
1974年から75年にかけて放送された時間ですよ 昭和元年の挿入歌、谷口世津の「わたし」です。
1698年8月21日は、ストラディバリと並び称せられるヴァイオリンの名工 バルトロメオ・ジュゼッペ・アントニオ・グァルネリ (別称 グァルネリ・デル・ジェス=イエスのジュゼッペという意味)の誕生日です。実は、グァルネリというヴァイオリンはイタリアのクレモナのグァルネリ一家の製作したヴァイオリンの総称なのですが、このジュゼッペの作ったグァルネリが最も優れたものとして、現在でも超高値が着けられています。勿論、他のグァルネリも簡単に手に入れられる価格ではありませんけど・・・
ジュゼッペのヴァイオリンを使用した名ヴァイオリニストはクライスラー、ハイフェッツ、シェリング、スーク、メニューイン、アッカルド、スターン、現役ではズッカーマン、キョンファ、五嶋みどりなど数多くいますが、中でもパガニーニの使用したグァルネリはリブロンという商人の、このヴァイオリンを使って欲しいという申し出を受けて演奏会で使用。その演奏に感動したリブロンは、一生涯貸与する事を約束したというものです。非常に大きな音が出るため、パガニーニは、このヴァイオリンに「カノン=大砲」という名前をつけたそうです。この楽器はパガニーニの死後ジェノヴァ市に寄贈され今でも演奏家に貸し出しているそうです。
そのパガニーニの作曲した曲は、後の作曲家が数多く変奏曲の主題などに使っていますが、パガニーニ自身も、他の作曲家の主題を使った変奏曲を多く書いています。中でも同時代のロッシーニのオペラアリアは「タンクレディ」「モーゼ」と「シンデレラ」を扱っています。
ロッシーニのオペラ「シンデレラ」の「悲しみは去りゆけ(ノン・ピウ・メスタ)」はオペラの最後に歌われる有名なアリアで、パガニーニはこれをヴァイオリン独奏とオーケストラの曲にしました。オペラの最後の曲ですから勿論非常に劇的な曲ですが、これをどう料理して、どう演奏するか・・・聴いてみてください。
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作曲家の林哲司は1949年8月20日に静岡県富士市で生まれました。
林は1973年にシンガー・ソングライターとしてデビューしましたが、あまり売れませんでした。 その後作曲・編曲を中心に活動し1980年に入ると上田正樹の「悲しい色やね」、中森明菜の「北ウィング」、杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語」などヒット曲を連発し、J-POP界を代表する作曲家となりました。
杏里「悲しみがとまらない」、イルカ「もう海には帰れない」、稲垣潤一「1ダースの言い訳」、河合奈保子「デビュー」、菊池桃子「卒業-Graduation」「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」、原田知世「愛情物語」「天国に一番近い島」など多くのヒットを生んでいます。
その中から、稲垣潤一の「1ダースの言い訳」です。
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アイルランドの作曲家ジェームズ・ライマン・モロイは1837年8月19日に生まれています。
モロイは詩人としても活躍し「The Old cottage clock」「Bantry Bay」などのオペラを作曲していますが、現在は殆ど演奏されず、唯一残されているのが「なつかしい愛の歌(Love's Old Sweet Song)」です。
こういう類の、海外の民謡や唱歌が学校の音楽の教科書から消えていって今の人は殆ど知らないんでしょうね。アメリカの民謡でカンザス州の州歌にもなっている「峠の我が家」とか「アイルランド民謡の「春の日は花と輝く」とか・・・なんだか、たまに聴くと懐かしく聞こえます。
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1849年8月18日は、フランスの作曲家ゴダールの誕生日です。
ゴダールは速筆で、実に多くの作品を作曲を作曲しました。しかし、現代では殆どの作品が忘れられ、サロン小品の作曲家として名前が残る程度です。 歌劇「ジョスラン」の子守歌が、「ジョスランの子守歌」として唯一知られていると言っても過言では無いでしょうか。数多い子守歌の中でも叙情的な曲として知られている曲です。
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イタリアの詩人で台本作家のダ・ポンテは1838年8月17日に亡くなっています。
ダ・ポンテは聖職者としてヴェネツィアで暮らしていましたが、放蕩生活を送ったため追放されウィーンに移住。サリエリの口利きでヨーゼフ2世に仕え数々の作曲家のオペラに台本を提供しました。
中でも、彼の成功作はモーツァルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」と「コジ・ファン・トゥッテ」の3つの作品の台本です。
「コジ・ファン・トゥッテ」は、モーツァルトがヨーゼフ2世の元で作曲した最後のオペラで、意味は「女はみんなこうしたもの」。哲学者の「女は心変わりするもの」という言葉に対抗して変装してお互いの恋人に言い寄り裏切られるが、最後に2人の女性が謝って元の鞘に収まるというオペラ・ブッファです。
序曲は、モーツァルトの五大歌劇の中では最も人気が無い曲です。シンコペーションによるフォルテと弱音の早いパッセージの繰り返しで、とても単調なんですよね。
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歌手のマドンナは1958年8月16日にミシガン州で生まれました。
1982年にデビューして1984年に「ライク・ア・バージン」がヒットしてワールドワイドなスターになりました。その後女優や映画監督などでも活躍し史上最も成功した女性アーチストと言われています。
「パパ・ドント・プリーチ」は1986年のヒット曲で「父と娘だけの中流家庭に育った娘が未婚、未成年で妊娠し出産してしまう」という社会問題に触れた曲で「パパ説教をしないで」と歌う曲です。
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1890年8月15日はフランスの作曲家イベールの誕生日です。 イベールはパリに生まれて52歳の若さでパリで亡くなった、生粋のパリジャン。その音楽は非常に軽妙洒脱。エスプリに富んだ作品が多く残されています。 唯一「寄港地」が演奏会でも取り上げられる事が多いようですが、今日は交響組曲「パリ」を取り上げます。 「パリ」はパリの生活観をそのまま音楽にした作品で、絵画的なというよりも動画的な雰囲気を持つ作品です。 チャップリンのモノクロ映画のバック音楽のような雰囲気といえば判り易いかもしれませんね。交響的組曲といっても、全く交響的では無いというのがホントのところ。6つの曲からできています。 第1曲は地下鉄。鐘とトランペットによる発車の合図と、コントラバス、ピアノの低音による電車の疾走する音を表現しています。 第2曲は「郊外」。最もチャップリンの映画っぽい音楽。 第3曲は「パリのイスラム寺院」。オーボエがアラビア風の音楽を奏でます。 第4曲は「ブローニュの森のレストラン」。最もオシャレでイベールっぽい曲です。 第5曲が「定期船イル・ド・フランス」。メロディらしいものが無く、ピアノで船の機械音を表現しています。 第6曲は「旅芸人」。いかにも、という感じのトランペットのメロディから入り楽しさいっぱいの曲です。 どの曲も長くて3分程度。全曲でも15分ぐらいの短い曲ですのでこういう暑い日は何も考えずに聴いてみるには良い曲でしょう。
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イギリスのソプラノ歌手のサラ・ブライトマンは1960年8月14日に生まれています。
ジャズと演技を学び、1981年に「キャッツ」でミュージカル・デビュー。「キャッツ」の作曲家のアンドルー・ロイド・ウェッバーと結婚、1986年に「オペラ座の怪人」で一躍世界に知られる存在となりました。
1990年にウェッバーと離婚後はソロ歌手としての活動に専念。NHKの紅白に出演したり、バルセロナオリンピックの閉会式ではホセ・カレーラスとデュエットしたり、クラシック音楽に近い路線のクラシック・クロスオーバーと言われるジャンルで大活躍をしています。
1996年にはイタリアのテノール歌手ボチェッリとの共演した「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」が大ヒットしています。ポップス的な発声法とソプラノ的発声法両方で歌うことができ、非常に高い音域でたっぷりとした声を出せるという素晴らしい美声の持ち主です。
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映画監督のアルフレッド・ヒッチコックは1899年8月13日に生まれています。
サスペンス映画の重鎮ヒッチコックはロンドンに生まれ写真技術に興味を持ったことから、やがて映画の道へ進んでいきます。映画監督としてある程度の成功を収めてハリウッドに渡り最初の作品「レベッカ」でアカデミー作品賞を受賞。二作目の「海外特派員」も成功し1963年の「鳥」までは出す作品がことごとく高い評価を得てきました。
ヒッチコックの映画では、あまり多くを音楽に頼らなかったため映画音楽との結びつきはあまり大きくなかったのですが、TV番組のヒッチコック劇場でグノーの「あやつり人形の葬送行進曲」を使っていた事は知られています。音楽がストーリーの大きな要素となっていたのが「知りすぎていた男」の「ケ・セラ・セラ」です。映画の中で母親役のドリス・デイが歌って、その後数々の歌手にカバーされた曲です。
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医者の家に生まれ、外科医をめざして慶応医学部に入学しましたが、趣味として続けていた作曲活動を続けるために中退。電子音楽を含む現代音楽の活動を始めました。
クラシックの現代音楽や、電子音楽を作曲すると共に、合唱曲や、「お葬式」などの映画音楽、「草燃える」などのTVドラマの音楽などを作曲しています。 そんな中で異色の作品が「走れ超特急」。東海道新幹線が開通した時に作られた曲で、「おかあさんといっしょ」などで取り上げられています。新幹線のスピード感を表すと同時に、走行音を実際に使用して本業の現代音楽の片りんをうかがわせています。
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作曲家 古関裕而は1909年8月11日に福島で生まれました。
父親は呉服商でしたが音楽好きで、大正時代ではまだ珍しい蓄音機を持っていたという環境の下、古関裕爾は音楽の中で育ち殆ど独学で音楽への道を志しました。家業を継ぐために福島商業学校に入学。この学校は音楽家が多かったようで学業よりも作曲に夢中で、在学中に呉服店が倒産したこともあって、卒業する頃日本でも有数の福島ハーモニカ・ソサエティというハーモニカバンドに入団。卒業後は銀行に勤めましたが、並行して管弦楽法の勉強も開始し、1929年に作曲した管弦楽のための舞踏組曲「竹取物語」がイギリスの出版社のコンクールで入賞し、コロンビアレコードと専属契約を結びました。
その後は作曲家として、放送音楽、映画音楽、校歌、流行歌など数多くの作品を作曲して日本の音楽の礎を築いたひとりとされています。 まあ、何と言っても、昨年上半期の朝ドラ「エール」の主人公古山裕一のモデルになった事で、再び脚光を浴びたのが記憶に新しい所です。
代表的な作品としては、 映画音楽・・・長崎の鐘 、モスラ 放送音楽・・・スポーツショウ行進曲(NHKのスポーツ中継のテーマ)、ひるのいこい 流行歌・・・若鷲の歌(予科練の歌)、イヨマンテの夜、君の名は、高原列車は行く その他・・・紺碧の空(早大応援歌)、六甲おろし(タイガース応援歌)、闘魂こめて 、東京オリンピックマーチ などがあります。
夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権)の大会歌「栄冠は君に輝く」は作詞が加賀大介で、学校制度の変更によってそれまでの中等学校野球選手権が高等学校野球選手権に変わった1948年を機に作られ現在も使われています。
古関の生誕地の福島駅では新幹線の発車メロディとして使われています。
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1942年8月20日は、アメリカブラックミュージックを代表する音楽家のひとり、アイザック・ヘイズの誕生日です。
1963年のマルチン・ルター・キング牧師によるワシントン大行進で最高潮に達した黒人差別撤廃運動は音楽の世界にも波及。1971年には、ついに黒人としては初のアカデミー主題歌賞を獲得したのが、黒人警官シャフトの活躍を描いた「黒いジャガー」のシャフトのテーマでした。
私が中学校3年の時、アメリカン・ポップスを貪るように聴いていた頃の曲で、今まで聴いた事の無いようなファンキーな映画音楽でした。この後、モータウンレコードなどによるソウルブームへと突入します。
アイザック・ヘイズはその後、自ら映画にも出演、ニューヨーク1997では、悪の親玉役を迫力満点に演じていました。2008年8月10日、自宅で脳梗塞で死去しています。
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1875年8月9日は、作曲家ケテルビーの誕生日です。
西洋人から見た東洋の音楽は、我々東洋人が聞くと??というものが多いのですが、それは現在のような情報社会では無かった19世紀以前ではやむを得ない事。情報が無い分、西洋人は、東洋を神秘的な地域として考え、そこに憧れみたいな物を抱いていたのでしょう。
プッチーニの「蝶々夫人」や「トゥーランドット」はその代表例ですが、その他にもクライスラーの「中国の太鼓」やケテルビーの「中国寺院の庭にて」などという作品があります。
「中国寺院の庭にて」も、必ずしも中国の音楽とは言いがたいのですが、中国風の雰囲気はうまく表現しています。それだけではなく、ケテルビーの作品の中では、かなりダイナミックな作品で、「ペルシアの市場にて」同様合唱もついている作品です。勿論中国を表現する上で欠かせない銅鑼も登場しますよ。
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作曲家ヴィクター・ヤングは1899年8月8日にシカゴで生まれました。 ヤングは最初はコンサート・ヴァイオリニストとして音楽のキャリアをスタートさせましたが、ポピュラー音楽に転向し多くのポピュラー・ミュージックを作曲しました。
1930年代中頃からは映画音楽に専念するためにハリウッドに移りました。「シェーン」や「80日間世界一周」などの作曲をしています。
「ラヴ・レター」は同名の映画の主題歌で、アカデミー歌曲賞にノミネートされています。
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1893年8月7日は、イタリアの作曲家カタラーニの命日。カタラーニはプッチーニとほぼ同年代のオペラ作曲家でしたが、残念な事に39歳という若さで早逝してしまい、また、プッチーニが当代一の人気作曲家だったためにその陰に隠れてしまった不運の作曲家でもあります。 作品自体も少なく、「ローレライ」「ワリー」といったオペラのアリアが歌われるぐらいで、なかなか全曲上演される機会が少ないようです。その中でも、「ワリー」の中の「さようなら、ふるさとの家よ」(私は遠くへ行きましょう)は、映画「ディーヴァ」の中でも歌われ、非常にドラマチックな音楽で、いかにもヴェリズモ・オペラのアリアという存在感を残している作品です。「ワリー」が日本に限らず、欧米でもなかなか上演されない理由は、人気云々よりも内容によるものが大きいようです。 ストーリーは、スイスのチロル地方のワリーという娘とハーゲンバッハの恋物語。親に認められず無理矢理他の男と結婚させられそうになったワリーは、ハーゲンバッハとの駆け落ちを決意します。その時に歌われるのがこの歌。ハーゲンバッハとの逃避行を選んだワリーですが、ハーゲンバッハの愛に疑いを抱き、彼を谷底に突き落とし自らはアルプス深く死への道を選びます。怪我が癒えたハーゲンバッハがワリーを追いかけ、追いついて大きな声でワリーに呼びかけ、初めてワリーも真の愛に気がつくのも束の間、先ほどの大声が雪崩を呼び、ハーゲンバッハは雪崩に巻き込まれ、絶望したワリーも雪崩に身を投げる・・・という、三流駆け落ちドラマっぽい内容なのですが、このアルプスの自然や雪崩を演出するのはかなり困難。というわけで、殆ど上演されないんですね。 これが、ヴェルディなどの人気作曲家の作品だったら、大金をかけてでも何とかするとは思いますけど・・・・
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2007年8月6日は、日本の作曲家松村禎三の命日です。
松村の代表作は、遠藤周作の「沈黙」のオペラですが、私はまだ未聴です。なので、1968年に作曲された管弦楽のための前奏曲を取り上げます。何故この曲にしたのか、というと、私が始めて邦人作品を生演奏で聴いたのがこの曲だからです。非常に緊張感溢れる曲ですが、師匠の伊福部朗氏の影響もかなり感じさせる、ドラマチックな曲で、中盤から後半にかけてのクライマックスは映画音楽を髣髴とさせる展開になっています。
松村は、映画音楽も多く手がけていますが、特に熊井啓監督作品の多く(忍ぶ川、朝焼けの詩、千利休本覚坊遺聞など)の作品の曲を書いています。そんなところも、師匠の伊福部同様のドラマチックな音楽づくりになっているのかもしれません。
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イギリスの俳優アレック・ギネスは2000年8月5日に亡くなりました。
謹厳実直な、いかにもイギリスの俳優という雰囲気を持つアレック・ギネスですが、実はバイセクシャルであった事が本人によって語られています。
そんな事とは無関係に、頑固だが思いやりのある爺さんを演じさせたらこの人の右に出る者はいないでしょう。「戦場にかける橋」でも、そんなタイプの軍人役で本来の主役ウィリアム・ホールデンを向こうに回してアカデミー主演男優賞を獲得しました。
「戦場にかける橋」の主題歌、クワイ河マーチは、アルフォードの作曲した「ボギー大佐」という行進曲。口笛によるメロディが印象的です。
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童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンは1875年8月4日に肝臓癌で亡くなりました。
アンデルセンといえば、世界中に知られるデンマークの童話作家。人魚姫、みにくいアヒルの子、雪の女王など数多い童話を遺した作家です。当然、音楽家にも多くの素材が取り上げれらています。
私が子供のころテレビ放映されていた「アンデルセン物語」はキャンティとズッコという2人のちょっと間抜けな妖精を狂言まわしに使ったアニメでした。
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1926年8月3日は、アメリカのポップスシンガー、トニー・ベネットの誕生日です。 イタリア系のアメリカ人で、合衆国最高の男性シンガーと言われる存在だそうです。とにかく声量の大きさと、通る声で知られており、フランク・シナトラに「金を払ってでも聴きに行きたいのはトニー・ベネットだけだ」と言わしめた存在でした。
そのトニー・ベネット最大のヒット曲が「霧のサンフランシスコ」です。原題は"I left my heart in St. Francisco"。サンフランシスコを去るけれど、心は残してきてしまった・・という歌です。「思い出のサンフランシスコ」という邦題でも知られている永遠のスタンダードナンバーのひとつで、歌詞自体も非常にわかりやすい英語のため、英語の教材としても使われる名曲です。
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ドイツ後期ロマン派のオペラ作曲家レズニチェクは1945年8月2日に亡くなっています。
父親はオーストリア=ハンガリー帝国の将軍という裕福な家に生まれ、ライプツィヒ音楽院で音楽を学びその後ヨーロッパ各地で指揮者を歴任
レズニチェクの作風はシニカルで、パロディ的な作品が多いため、純音楽を好む音楽家からは酷評される事が多くしばしば騒動に巻き込まれたそうです。交響曲第2番「皮肉」とか、リヒャルト・シュトラウスの英雄の生涯のパロディ交響詩「シュレーミル」や序曲「ティル・オイレンシュピーゲルの生き様」などがあります。
レズニチェクの代表作は歌劇「ドンナ・ディアナ」の序曲。各国のテレビ番組のテーマ曲に転用されて親しまれています。
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1923年8月1日は、中田喜直の誕生日です。
早春賦の作曲で知られる中田章の三男として音楽一家に生まれた喜直は、ジャズピアニストを目指しましたが、手が小さかった為にピアニストの道を諦め、作曲家の道を歩みます。
NHKのラジオ番組とのかかわりから歌曲を多く作曲し、その後フェリス女学院短期大学の音楽講師に就任し、そのかかわりから女声合唱のための曲も多く作曲しました。
「かわいいかくれんぼ」「めだかの学校」などの童謡から、「小さい秋みつけた」「雪の降る町を」などの唱歌も多く遺されていますが、中でも「夏の思い出」は合唱曲としても定番になっている曲ですね。
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