今日の音楽 10月31日 竹取物語
1987年の日本での映画興行成績第6位は竹取物語でした。
日本最古の物語と言われる「竹取物語」のかぐや姫を月からやってきた宇宙人という設定に置き換えたSF作品でした。監督は市川昆、かぐや姫を演じたのは沢口靖子。
主題歌は元シカゴのヴォーカリストのピーター・セテラでした。
デュトワ指揮 モントリオール・シンフォニエッタ: ストラヴィンスキー:バレエ《ミューズの神を率いるアポロ》、協奏曲《ダンバートン・オークス》、協奏的舞曲、《バーゼル協奏曲》
カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団: グリーグ:《ペール・ギュント》第1組曲&第2組曲/シベリウス:交響詩《フィンランディア》 他 (SHM-CD)
ロストロポーヴィチ(vc)小澤征爾指揮ロンドン交響楽団: ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番/プロコフィエフ:交響的協奏曲
アルゲリッチ(p)シャイー指揮ベルリン放送交響楽団: チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 (SHM-CD)
ブルガーゴーズマン(S)ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団: ワーグナー:管弦楽曲集、ヴェーゼンドンクの5つの詩
アルゲリッチ(p)アバド指揮ロンドン交響楽団: ショパン: ピアノ協奏曲第1番/リスト: ピアノ協奏曲第1番 (生産限定盤)(UHQCD)(特典:なし)
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1987年の日本での映画興行成績第6位は竹取物語でした。
日本最古の物語と言われる「竹取物語」のかぐや姫を月からやってきた宇宙人という設定に置き換えたSF作品でした。監督は市川昆、かぐや姫を演じたのは沢口靖子。
主題歌は元シカゴのヴォーカリストのピーター・セテラでした。
コープランドのバレエ「アパラチアの春」は1944年10月30日にワシントンD.C.のアメリカ議会図書館で初演されました。
当初は13人編成の室内オーケストラ編成によるバレエ音楽。1800年代ペンシルベニア州で開拓民たちが新しいファームハウスを建てた時の祝典がバレエの内容になっています。
その後、8つの部分からなるオーケストラ組曲に書き換えられました。
コープランドの曲はどれも非常に聴きやすい曲なので、アメリカ音楽を堪能するには絶好の作曲家だと思います。
サムホエア・アウト・ゼア Somewhere out there リンダ・ロンシュタット&ジェームズ・イングラム 1987年Billboard年間ランキング第38位 最高位2位
この曲は、アメリカ合衆国のアニメーション映画「アメリカ物語」の主題歌。「アメリカ物語」はスピルバーグが製作総指揮を手がけた初めての作品です。音楽は後に「タイタニック」でアカデミー賞を受賞するジェームズ・ホーナーが担当しています。
リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲op.64は1915年10月28日にシュトラウス自身の指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏でベルリンで初演されました。
リヒャルト・シュトラウスは4曲の交響曲を作曲していますが、絶対音楽として作曲された第1番・第2番は共に10代の作品でリヒャルト・シュトラウスの音楽が確立される以前のものという事もあって、演奏される事は多くはありません。
頻繁に演奏されるのは後の2曲の標題つきの交響曲。交響曲と言っても、交響曲の形式を有しているわけではないので、長大な交響詩と考える事もできる、シュトラウス得意分野の作品です。
アルプス交響曲は、10代の頃に登山をしたドイツ・アルプスのツークシュピッツェの体験が元になっていて、当初は4楽章形式の交響曲とする構想もあったようです。作品はアルプスの夜から始まり、日の出、登山、アルプスの自然、嵐、下山、日没、そして夜という1日を表現しています。
この曲は4管編成という非常に大きな編成になっており、実際の演奏では割愛される事が多いですがホルン12本、トランペット、トロンボーン各2本というバンダや、ウィンドマシーン、サンダーマシーンという特殊楽器(効果音)も指定されていたりハープが4本だったり、完全な形でステージで演奏される事は滅多にありません。私も一度だけ演奏会で聴きましたが、バンダ無し、ハープ2本でした。
1987年の邦楽年間ランキング第6位は中森明菜の「難破船」でした。
「難破船」は加藤登紀子が作詞作曲して、1984年発売のアルバム「最後のダンスパーティ」に収録された曲。それを中森明菜が19枚目のシングルとして1987年にリリースしオリコン1位となった曲です。
加藤登紀子が、この曲は中森明菜の雰囲気にぴったりだと思い、自分が暫く歌う事をやめるので歌って欲しいと切望してこの曲を送ったという逸話があります。曲自体は全体的には抑えられた曲でクライマックスに向かって劇的に高まっていく展開になっています。
ショスタコーヴィチのバレエ「黄金時代」op.22は1930年10月26日にレニングラードで初演されました。
ソ連国立劇場が現代の生活に基づいたバレエの台本のコンクールを開催し、入賞作のイヴァノフスキーの「ディナミアーダ」に手を入れて完成されたもの。
西側の某国で開催された工業博覧会「黄金時代」が舞台。招待されたソ連のサッカーチームが主人公で、ファシストたちの陰謀が西側の共産党員によって暴かれるというプロパガンダ的な作品ですが、ミュージックホールの馬鹿げた踊りなどショスタコーヴィチの嗜虐的精神も盛り込まれています。
この中から序奏、アダージョ、ポルカ、踊りの4曲を組曲としたop.22aはバレエ初演より先行して1930年3月19日に初演されています。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ長調op.23は、1875年10月25日にハンス・フォン・ビューローのピアノ、ラングの指揮でボストンで初演されました。
ホルンから始まる有名な序奏から始まり、朗々とした第1主題・・・チャイコフスキーの真骨頂であるメロディの魅力に溢れるチャイコフスキーの代表作であると共に、ピアノ協奏曲の代表的な作品のひとつは、誕生の段階では順風満帆ではありませんでした。
友人でありモスクワ音楽院の院長だったニコライ・ルビンシテインのために作曲を始めたものの草稿の段階でニコライから「この作品は陳腐で不細工で役に立たない。貧弱で演奏不能。根本的に書き直す必要がある」という風にぼろ糞に言われてしまいました。チャイコフスキーはそれでもこの曲を完成させ、ハンス・フォン・ビューローに献呈し、ビューローはこの作品を独創的で高貴であると評してアメリカで初演。勿論チャイコフスキー自身は初演は聴いていませんでした。
ロシアでの初演はその一週間後、サンクトペテルブルクでコスのピアノで行われ、これらの成功からルビンシテイン自身もこの曲を認め、タネーエフのピアノ、ニコライの指揮でモスクワ初演が行われています。ニコライはその後この曲を認めて自分のレパートリーとしたそうです。
20世紀半ばになると、ホロヴィッツとトスカニーニの名盤もあり、第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したヴァン・クライバーンの登場でピークを迎えました。クライバーンのレコードはアメリカBillboardのポップアルバムチャートで7週連続第1位となり1位を獲得した唯一のクラシック作品として歴史にも残っています。
今日からネタは1987年に入ります。
1987年の日本での映画興行収入第3位は「プラトーン」でした。
ベトナム戦争を描いたオリバー・ストーン監督作品。ベトナム帰還兵のオリバー・ストーンの実体験に基づくもので、米軍による無抵抗なベトナム民間人に対する虐殺・放火・強姦や、米兵の麻薬汚染、仲間割れによる殺人、同士討ちなどを赤裸々に描いたもの。アカデミー作品賞・監督賞など4部門を受賞しました。
主演はチャーリー・シーン。音楽はジョルジュ・ドルリューが担当しましたが、エンディングでかかるバーバーの「弦楽のためのアダージョ」が非常に印象的でした。
元々洋画の映画音楽はクラシック音楽が使われている事が多いし、ヴォーン=ウィリアムズやバーンスタイン、ミヨー、ショスタコーヴィチなどは映画のために作曲した音楽が現在はクラシック音楽作品として演奏されていますので、濃密な関係があると思います。
プラトーンのように従来から存在するクラシックの名曲を映画に使ったものも数多くあります。代表的なところでは「ベニスに死す」のマーラーの交響曲第5番第4楽章、「恋人たち」のブラームスの弦楽六重奏曲第1番、「2001年宇宙への旅」のリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、「ベイブ」のサン=サーンスの交響曲第3番等々、印象に残るものだけでもたくさんあります。
その中で、個人的には、このプラトーンの「バーバーのアダージョ」と「未来惑星ザルドス」のベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が好きです。
1986年の邦楽ランキング第45位は杉山清貴の「さよならのオーシャン」でした。
1980年にきゅうてぃぱんちょすというグループ名で第19回ポプコンに入賞(グランプリは伊丹哲也とside by sideの街が泣いていた)し1983年に「杉山清貴&オメガトライブ」に名前を変更して「Summer Suspicion」でデビューし、「君のハートはマリンブルー」や「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」などのヒットをとばして1985年末に解散。
その後のソロ活動の第1弾シングルが「さよならのオーシャン」でした。その後も「最後のHoly Night」、「風のLONELY WAY」などのヒットを重ねました。
ヴィーナス Venus バナナラマ 1986年Billboard年間ランキング第38位 最高位1位
元々はオランダのロックグループ ショッキング・ブルーが歌い、1969年2月7日にBillboardの1位に輝いた曲。日本でも1970年にオリコンの洋楽ランキングで12週連続1位になった曲のカバー曲です。
バナナラマはイングランド出身の3人組のガール・グループで1893年にデビューしています。
この曲は日本でも長山洋子がカバーしてヒットしています。
映画「紳士同盟」は1986年12月に公開されました。
紳士同盟は、小林信彦の小説「紳士同盟」のモチーフである詐欺行為とキャラクターを借用して翻案した作品です。
主役の薬師丸ひろ子演ずる樹里野悦子は人が良く何度も詐欺被害に会っています。それに加えて妻が借金をした挙句店の売上を持って他の男と駆け落ちした家具屋の主人(尾藤イサオ)、美人局に遭って大金を支払う羽目になったバーのオーナー(伊武雅刀)、闇金の取立てに逃げ回るジャーナリスト(内藤剛志)に初老の詐欺師(小林桂樹)と内縁の妻(夏樹陽子)の6名で、樹里野に援助交際を迫るおぼっちゃま(時任三郎)をカモにして壮大な詐欺を実行するというのがストーリーです。
主題歌は薬師丸ひろ子が歌う「紳士同盟」。AパートとBパートが全く趣の異なる曲になっていて、薬師丸ひろ子の歌の表現力が際立つ曲です。
ブラームスの弦楽六重奏曲第1番変ロ長調op.18は1860年10月20日にハノーヴァーで初演されました。
ブラームスの最も得意とした分野は室内楽曲とも言われています。ベートーヴェンの呪縛で弦楽四重奏曲は40歳になるまで作曲しませんでしたがベートーヴェンが作曲していなかった弦楽六重奏曲は若い時に作曲してます。
特に、この弦楽六重奏曲第1番は、第2楽章がルイ・マル監督の映画「恋人たち」で使用された非常にロマンティックなメロディを持つ曲として知られています。ブラームスの室内楽曲は交響曲に匹敵するほどのしっかりとした構成を持ちながら、メロディックな要素も持ち合わせていてどの曲も充実した音楽になっています。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47(1905年改訂版)は1905年10月19日にハリールのヴァイオリン、リヒャルト・シュトラウスの指揮でベルリンで初演されました。
ヴァイオリン協奏曲といえば、特にロマン派以降はヴァイオリンのヴィルトーゾの技巧を披露するための曲が多いこともあり、また決して大きな音とは言えないヴァイオリン1本でオーケストラと共演するという事もあって、オーケストラは控えめで、時として伴奏として目立たずなんていう事もあって、ピアノ協奏曲や管楽器の協奏曲に比べると、オーケストラは退屈な曲が多いものです。
かと言って、ロマン派以降でも本来の意味でヴァイオリンとオーケストラが協奏する曲も無いわけではありません。その代表がブラームスのニ長調の協奏曲であり、このシベリウスのニ短調の協奏曲だと思います。
シベリウス自身は若い頃はヴァイオリニストを目指していたのですが、あがり症のため断念した事もあり、ヴァイオリンを得意としていたため曲中には難しい技巧を取り入れてはいますが、全体の流れとしてはシンフォニックな曲になっています。
シベリウスらしい曲想の第1楽章や、ティンパニなどに刻まれるリズムに乗って開始される非常にリズミックな第3楽章も良いですが、個人的には第2楽章がお奨め。緩徐楽章ではありますが、冒頭から静けさよりも厳粛な雰囲気を醸し、ドラマチックに展開していく素敵な楽章です。
マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調は1904年10月18日にマーラー自身の指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の演奏で初演されました。
交響曲第1番以来の声楽のない交響曲ですが、「亡き子をしのぶ歌」や「リュッケルトの詩による5つの歌曲」、「少年鼓手」などから動機が引用されており声楽との結びつきは失っていません。
5楽章からなる曲で、暗の第1楽章から明の終楽章に到達する比較的明快な曲のため人気が高い曲です。
第1楽章は葬送行進曲で非常に暗い始まりです。2つの中間部を持つ小ロンド形式となっています。
第2楽章は荒々しい曲想のソナタ形式
第3楽章は自由のソナタ形式のスケルツォ楽章で、全曲の中で最も長い楽章になっています。
第4楽章はヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」に使われて有名になったハープと弦楽器のみで演奏されるAdagietto。この曲の聴き所のひとつです。
第5楽想は牧歌的な木管楽器のメロディから始まりやがて激しさを増していくクライマックスの楽章。
全部で70分もかかる曲ですが、飽きない曲です。
ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番ホ短調「クロイツェル・ソナタ」は1924年10月17日にプラハで初演されました。
トルストイの同名の小説に触発されて作曲された作品で、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」とは直接は関係ありません。15分程度の短い曲で物語を展開通り音楽化しています。妻の不倫を知って苦悩する場面から始まるため第1楽章が緩徐楽章になっており、終楽章で最後に妻を殺害するという急速な展開になっています。
1986年の邦楽年間ランキング第19位は斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」でした。
基本的にはアイドルは取り上げないのですが、斉藤由貴のCDいっぱい持っていたので。歌は決して巧いとは言えませんが、曲が好きでしたし気持ちがこもった歌でした。
「悲しみよこんにちは」は「卒業」「白い炎」「初戀」「情熱」に続く5枚目のシングル。アニメ「めぞん一刻」の初代オープニングテーマとして使われた元気になる曲でした。
作曲が玉置浩二で、玉置は自分自身が「悲しみにさよなら」という曲を歌っているので、ちょっと面白いですね。
パパ・ドント・プリーチ Papa Don't Preach マドンナ 1986年Billboard年間ランキング29位 最高位1位
父親と二人で幸せな家庭で過ごしてきた娘が、ひとりの青年に出会い未婚・未成年で妊娠してしまうという、当時アメリカ社会が抱えていた問題を、父親に「説教しないで」と歌ってクローズアップした曲。
これまでセクシー路線を進んできたマドンナがイメージを変えた曲です。
映画「トップ・ガン」は1986年12月に日本で公開されました。
トム・クルーズが一躍トップスターの仲間入りをしたヒット作で、ヴァル・キルマーやメグ・ライアンなどもこの作品がスターへの足がかりとなった作品です。
アメリカの海軍戦闘機兵器学校を舞台に、トム・クルーズ扮する若きパイロットの成長とケリー・マクギリス扮する女性教官のロマンスを絡ませて描く作品。
音楽はハロルド・フォルター・メイヤーが担当しケニー・ロギンスやチープ・トリックなどの曲が使われています。主題歌はベルリンが歌った「愛は吐息のように」で、Billboardのシングルチャートでも1位となり、アカデミー歌曲賞、ゴールデングローブ主題歌賞を受賞しました。
1986年の邦楽ランキング第16位はTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」でした。
夏のバンドといえばTUBE、という印象を決定付けた3枚目のシングル。TUBEはCBSソニーがBeingの長戸大幸のプロデュースでチェッカーズなどのアイドルバンドに対抗してデビューしたバンドで、シーズン・イン・ザ・サンはキリンビールのCMソングに起用され3万枚を超えるヒットとなりました。
本作以降の夏のシングルは作詞亜蘭知子、作曲織田哲郎のコンビが1988年まで続きました。
マルティヌーの交響曲第3番は1945年10月12日にクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団の演奏で初演されました。
チェコの作曲家マルティヌーがクーセヴィツキーのボストン交響楽団での活動20周年を記念して作曲した曲です。第2楽章ではチャイコフスキーの交響曲第5番が引用されるなど、マルティヌーらしい不協和音に彩られた音楽ではありますが、比較的聴きやすい曲です。
グレイテスト・ラブ・オブ・オール Greatest Love of All ホイットニー・ヒューストン 1986年Billboard年間ランキング11位 最高位1位
「そよ風の贈り物」からのシングルカットのひとつ。作曲マイケル・マッサー、作詞リンダ・クリード。1974年にリンダが乳がんと診断された時に家族に向けて自己の誇り、自己愛をつづった曲で、映画「アリ/ザ・グレイテスト」の中でジョージ・ベンソンが歌ったのが最初だそうです。ホイットニー・ヒューストンが母親から「歌うのが難しい曲。これを歌えたら一人前」と言われていた曲です。
高校のOBオーケストラによる1986年の演奏会のメイン曲はブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」でした。
高校に入って、それまであまりクラシック音楽を聴いていなかったにもかかわらず管弦楽部に入ってしまい、大学卒業後も断続的に演奏活動を続けて来たわけですが、活動の中心が人数の少ない高校のOBオーケストラだった事もあって、比較的編成の少ない曲ばかり演奏していました。
高校で管弦楽部に入ると、むさぼるようにクラシック音楽を聴くようになりましたが、その頃はパソコンも無く勿論ネットなんていうものは全く無かったので、専ら音楽を聴くのはレコードを買うかNHK-FMを聴くかでした。録音の機器も、まだカセットテープが出るか出ないかの頃なので聴けるのは夜限定。レコードだって少ない小遣いの中ではそうそう買えません。なので、クラシック好きの友人宅で聴かせてもらう事もありました。
そんな中で、高校当時ブームを迎えていたのが、後期ロマン派の長大な交響曲のブーム。マーラーとブルックナーでした。この2人の作曲家は作風はかなり異なっていますが、当時は単純に思索的なマーラーと金管楽器を多用するブルックナーと認識していましたが、そんな単純なものでない事は年を経るに従ってわかっていきます。それでも当時は自分としてはブルックナーよりマーラーでした。当然こんな大曲を自分で演奏するようになるとは全く考えていなかったのですが、初めて演奏する機会が訪れたのが、ブルックナーの交響曲第4番でした。
ブルックナーの交響曲の中では比較的短く(それでも1時間以上かかる)、分かり易いので人気があるのですが、逆にアマオケ団員によく存在する「知ったか族」などからは内容が浅いなどと嫌う人間も少なくない曲です。
ブルックナーの交響曲のお決まりで、いくつもの改訂稿が存在していますが、第4番では特に第3楽章のスケルツォが初稿(1874年版)とそれ以降では全く異なった曲になっています。この時の演奏がどこ版を使用したかは覚えていませんがノヴァーク版第2稿だったような気がします。
ブルックナー特有の原始霧の中からホルンの音が湧き出てくる第1楽章冒頭は数多の交響曲の中でも、これから始まる交響曲に対する期待を抱かせる意味でも傑作のひとつだと思うのですが。とは言ってもこの冒頭が素晴らしすぎてその後はイマイチではありますが。
私は実のところブルックナーの曲はあまり好きでは無いのですが、理由は金管楽器の音の多さとスケルツォ楽章のしつっこさ、それからブルックナー終止と言われている、曲の途中でやたらに曲が止まる事。それでも、楽しく演奏できたような記憶はあります。
映画「天空の城ラピュタ」は1986年8月に公開されました。
スタジオジブリとしての初のアニメーション映画。「風の谷のナウシカ」でアニメーターとしての確固たる地位を築いた宮崎駿が次に手がけたのが小学校時代に考えていた架空の作品を元にしたアニメーションでした。
産業革命期のヨーロッパ世界を元にした架空世界が描かれ、見習い機械工の少年パズーが、天空の王国ラピュタの宗家の末裔であるシータと出会い、飛行石を守りながらラピュタを目指す話。1988年から今年の8月までに17回テレビ放映もされていますが、未だに視聴率は15%程度稼ぐというお化けアニメです。
音楽は勿論久石譲が担当し、主題歌は井上あずみが歌う「君をのせて」。サウンドトラックには収録されていましたが、シングル化されたのは1年半後で、井上あずみが歌う「君をのせて」と杉並児童合唱団が歌う合唱版の「君をのせて」が収録されていました。作詞は宮崎駿。
個人的にジブリ作品の主題歌の中で最も好きな曲です。
ニールセンの序曲「ヘリオス」op.17は1903年10月8日にスヴェンセンの指揮で初演されました。
デンマークを代表する作曲家ニールセンがギリシャ旅行でエーゲ海の日ノ出に感激して作曲されたと言われている曲で、ギリシャ神話の太陽神であり、ギリシャ語で「太陽」を意味する「ヘリオス」というタイトルをつけたものです。
今まで演奏した曲の中には、「難しかった」とか「あまり弾けなかった」という場所を持つ曲がいくつかあります。また、その「難しさ」は勿論演奏した年齢によっても変化していきます。高校時代にあれ程難しいと思っていた曲を数十年ぶりに弾くと難なく弾けるという事も何回も経験しました。
その中で、自分が演奏した曲の中で、演奏技術が向上した現在でも手も足も出そうもない曲というのが2曲あります。1曲はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第4楽章、嵐の真っ只中のところは指が痛い程度ですが、その後の嵐が去っていくところは多分手も足も出ません。ただし、ここはハッキリ言って効果音みたいなものなので、多少音程が狂っててもドンマイですが・・・もうひとつが、この「ヘリオス」という曲のフーガ風の最後の盛り上がりのところ。凄い速いテンポで速くて高いフレーズを弾かなければならないのですが、これがフーガ風のメロディで丸聞こえ。チェロとユニゾンだからチェロに任せるしかないと諦めてしまうほど超難しいフレーズでした。
まあエキストラで出演した演奏会だったので、練習も3回程度だったので、自分のオーケストラで半年も練習すればもう少しまともの弾けるのでしょうが・・・
曲は日の出から日の入までの様子を表現した、なかなか良い曲です。
1986年の邦楽年間ランキング第5位は渡辺美里の「My Revolution」でした。
高校時代からバンドを組んでいた渡辺美里はミス・セブンティーン・コンテストで最優秀歌唱賞を受賞して1985年にデビュー。4枚目のシングル「My Revolution」は当時はまだ無名に近かった小室哲哉作曲によるもの。作曲家として認められたいと考えていた小室が力を入れた曲でした。
この曲はオリコンの1位となって、これから現在まで続く渡辺美里の音楽活動の礎となった曲です。
セイ・ユー・セイ・ミー Say You. Say Me ライオネル・リッチー 1986年Billboard年間ランキング第2位 最高位1位
ライオネル・リッチー自身の作詞作曲による曲で、映画「ホワイトナイツ/白夜」のために作曲されたものです。但し、ライオネル・リッチーが所属していたモータウン・レコードが、「ホワイトナイツ/白夜」のサウンド・トラック・アルバムへの収録を許可せずに、映画公開と同時期に自社からリリースしています。
サウンド・トラック盤に収録されていないにもかかわらず、映画音楽としての評価は高く、アカデミー歌曲賞とゴールデングローブ主題歌賞の両方を受賞しています。まあ1980年代は全てアカデミー歌曲賞を受賞した曲がゴールデングローブ主題歌賞を取っています(1980年「フェーム」1981年「ミスターアーサー」の「ニューヨーク・シティ・セレナード」、1982年「愛と青春の旅だち」、1983年「フラッシュダンス」、1984年「ウーマン・イン・レッド」の「心の愛」、1986年「トップガン」の「愛は吐息のように」、1987年「ダーティ・ダンシング」の「タイム・オブ・マイ・ライフ」、1988年「ワーキング・ガール」の「レット・ザ・リヴァー・ラン」、1989年「リトル・マーメイド」の「アンダー・ザ・シー」)ので珍しい事ではありませんが。
ちなみに1979年はアカデミー賞が「ノーマ・レイ」の「流れのままに」、ゴールデングローブが「ローズ」、1990年はアカデミー賞が「ディック・トレイシー」、ゴールデングローブが「ヤングガンⅡ」が受賞しているので1980年代は特筆すべき年代だったという事でしょう。
グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」は1762年10月5日にウィーンのブルク劇場で初演されました。
ギリシア神話に基づく話で、死んでしまった妻エウリディーチェを連れ戻すために黄泉の国へ向かいオルフェオが、神々の憐れみによって、何があってもエウリディーチェを振り返って見ない事を条件にエウリディーチェを連れ戻す事を許されます。恐怖や誘惑など様々な試練を乗り越えてエウリディーチェを連れて地上へ向かうものの、自分を一切振り返らないオリフェオに不審をいだいてエウリディーチェが途中で歩みを止めてしまい、オルフェオはエウリディーチェの方を振り向くと同時にエウリディーチェは倒れて息絶えてしまいます。
オルフェオは嘆き自殺を決意しますが、その時愛の神が現れエウリディーチェは再び息を吹き返す。というストーリーです。元のギリシア神話ではエウリディーチェは生き返りませんので、これはハッピーエンドにするために脚色されたものです。
日本でも、日本書紀に記されたイザナギとイザナミで似たような話がありますが、日本の場合はイザナギが腐敗してしまった妻イザナミの姿を見てしまい、地上へ逃げ帰って黄泉の国と地上の境目黄泉比良坂の出口を大岩で塞いで難を逃れますが、イザナミが恨みから「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと、イザナギは「それならば私は1日1500人の子を産ませよう」と応じ、これによって人間には寿命ができたという話になっています。
閑話休題。グルックのオペラの中で最も有名なのが第2幕第2場で天国の野原で精霊たちが踊る場面の音楽「精霊の踊り」です。クライスラーがヴァイオリン用に編曲したり、フルート独奏の定番曲としても知られています。
ドヴォルザークの交響曲第1番ハ短調op.7「ズロニツェの鐘」は1936年10月4日にサックス指揮ブルノ国立劇場管弦楽団の演奏で、ブルノで初演されました。
ドヴォルザークが1865年に作曲し、ドイツのコンクールに応募した第1番の交響曲は、入選せずスコアも紛失されてしまい生前には演奏も出版もされていませんでした。1923年にドヴォルザークの遺品の中からスコアが発見されこの年に初演されましたが、遺族から出版の許可が出たのは1961年になってからでした。
標題の「ズロニツェの鐘」はドヴォルザーク自身がつけたもので、ズロニツェはプラハの西方にある町。ドヴォルザークが家業の肉屋を継ぐために少年時代に修行をし、また彼がはじめて音楽を学んだ町でもありました。音楽時代は、7番以降のような国民音楽的な要素は少なく、シューマン的な雰囲気のする曲です。
1986年の日本での映画興行収入第12位は「愛と哀しみの果て」でした。
1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの自伝的作品「アフリカの日々」の映画化。監督はシドニー・ポラック、主演はメリル・ストリープとロバート・レッドフォード。作品賞、監督賞、脚色賞、作曲賞など7つの部門でアカデミー賞を受賞。メリル・ストリープは主演女優賞にノミネートされましたが「パウンティフルへの旅」のジェラルディン・ペイジが受賞しています。
私は、この映画は実は見ていませんが、ジョン・バリーの主題曲が好きです。
1986年の邦楽ヒットランキング第1位は、石井明美の「CHA-CHA-CHA」でした。
テレビドラマ「男女7人夏物語」の主題歌で、イタリアのダンスグループ フィンツィ・コンティーニが1985年に発売した曲のカバーであり、石井明美のデビュー曲でもあります。
元々チャチャチャはキューバ起源のリズム及びダンスで、日本では「おもちゃのチャチャチャ」がとっても有名(笑)。
ビゼーの劇音楽「アルルの女」は1872年10月1日にパリのボードビル劇場で初演されました。
ドーデの短編小説に基づく戯曲のために作曲された全27曲の付随音楽で、南フランスを舞台に、アルルの女に心を奪われた豪農の息子の悲劇を描いた作品です。
元々の劇付随音楽は劇場の契約の関係で非常に小さい編成のオーケストラしか使えなかったために作曲には苦労したといわれています。そういう制約があったために初演は不評でしたが、6年後に再演された時には高い評価を得ましたが、その時には既にビゼーは亡くなっていました。
現在は、2つの組曲が知られています。第1組曲は、ビゼー自身が通常編成のオーケストラに書き直して初演の1ヵ月後に演奏されたものです。
第2組曲はビゼーの死後、友人のギローによって完成されたものですが、4曲の内1曲は全く別の歌劇から持ってきたもので、その他の曲もオリジナルのままではありません。
また、劇自体は悲劇ですが、組曲は悲劇的な要素は殆ど無く、ストーリーとは全く別の音楽として鑑賞する音楽となっています。
第1組曲は①前奏曲 第2組曲のファランドールでもテーマとして使われるプロヴァンス民謡「3人の王の行列」に基づく第1部、フレデリの弟の動機に基づく第2部、フレデリの恋の悩みを表す第3部からできています。②メヌエット 劇音楽第17曲の間奏曲を改編したもの③アダージェット 劇音楽第19曲のメドロラマから④カリヨン 第18曲導入部と第19曲から構成されています。カリヨンの音を模した金管楽器の伴奏が効果的な曲です。
第2組曲①パストラーレ 第7曲を再構成したもの。田園曲というには、かなり堂々とした音楽。中間部はフルートとピッコロを駆使した軽いメロディの音楽です②間奏曲 第15曲を再編成。全奏による前奏・後奏を挟んでサキソフォーンによるメロディは歌曲としても知られています。③メヌエット ハープ伴奏によるフルート独奏で、アルルの女の組曲の中では最も有名な曲ですが、実はビゼーの歌劇「美しいパースの娘」の中の曲を転用したものです。④ファランドール 21曲のファランドールと「3人の王の行列」が絡み合う曲。ファランドールではプロヴァンス太鼓が効果的に使われています。