今日の音楽 3月31日 グリース
「グリース」は1978年12月に日本で公開されました。
ジョン・トラボルタ扮する不良少年ダニーと、オリヴィア・ニュートン=ジョン扮するお嬢さんサンディの恋の行方を描いたミュージカル。サンディがうぶなお嬢さんから大人の女性へと変わっていく様子が描かれています。
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「グリース」は1978年12月に日本で公開されました。
ジョン・トラボルタ扮する不良少年ダニーと、オリヴィア・ニュートン=ジョン扮するお嬢さんサンディの恋の行方を描いたミュージカル。サンディがうぶなお嬢さんから大人の女性へと変わっていく様子が描かれています。
「グッバイ・ガール」は1978年11月に日本で公開されました。
パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調op.6は1819年3月29日に初演されました。
19世紀のヴァイオリンの奇才パガニーニが出版した最初のヴァイオリン協奏曲。二重フラジオレット、スピカート、ダブルストップなど技術上難しい奏法がちりばめられており、屈指の難曲として知られています。
チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番ニ長調op.11は1871年3月28日にロシア音楽協会四重奏団の演奏でモスクワで初演されました。
チャイコフスキーの室内楽というと、あまりぱっとしない印象ですが、この曲だけは別格。友人のニコライ・ルビンシュテインの要請で、ルビンシュテインが創設したモスクワ音楽院の教師となり、ルビンシュテインに勧められて開催した自作のコンサートのために作曲されたものです。
音楽としては、弦楽四重奏というスタイルを借りたシンフォニーという雰囲気の曲です。かなりドラマチックな曲でロシアの雰囲気を強く持った作品になっています。特に第2楽章が有名で、単独で色々な形で演奏されます。テンポの指定がアンダンテ・カンタービレなのですが、この速度指定が曲名として一人歩きをしているほどの有名曲です。
映画「キタキツネ物語」は1978年7月に公開されました。
厳しい北海道の自然の中で生きるキタキツネの生態を捉えた日本映画初の動物ドキュメンタリー映画。キタキツネのブームが誕生しました。
その後、キタキツネは寄生虫エキノコックスを持っていることがあり人間にも害がある事がわかり可愛いからといって安易に触れないようにという事も言われるようになりました。また、キタキツネに対する人間の干渉も増え、多くの野生動物同様都市部にも定住するようになるという弊害も出ています。
私も、登別温泉の奥にある倶多楽湖近辺でキタキツネに遭遇した事があります。音楽は佐藤勝とタケカワユキヒデで、町田義人、ゴダイゴ、朱里エイコが歌を担当していました。主題歌は町田義人の歌った「赤い狩人」でした。
「サタディ・ナイト・フィーヴァー」は1978年の日本での興行成績第6位でした。
1970年代のアメリカ社会を舞台に、行き場のない青春のエネルギーをディスコで踊る事で晴らしていたジョン・トラボルタ演じるトニーが、ディスコで会った女性によって大人へと脱皮していくというストーリー。ディスコブームに拍車をかけると同時に、ファッションや「フィーバー」という言葉など若者文化に大きな影響を与えた映画です。
音楽は様々なディスコ音楽が使われていますが、中でもビージーズの歌った歌はシングルカットされると全てがヒット作となっています。「愛はきらめきの中に」「ステイン・アライブ」「恋のナイトフィーバー」の3曲がシングル化されて全て全米1位となっています。また、サウンド・トラックは24週連続1位となりグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞しています。
ドヴォルザークの交響曲第6番ニ長調op.60は1881年3月25日にチェフ指揮チェコ・フィルの演奏で初演されました。
ドヴォルザークの交響曲というと、第7番以降が頻繁に(特にアマチュアでは)演奏されますが第6番以前は滅多に演奏されません。国内版のスコアすら発売されていません。
では、曲の出来が悪いかというと、ドヴォルザークがチェコの作曲家で国民楽派独自の音楽を作曲していかなければ価値が無い、と定義しなければ、なかなかの曲だと思います。特にボヘミア風を強く打ち出した第3楽章を除けば、ブラームスやベートーヴェンの世界を意識したものなのですが、なかなかの曲です。演奏効果は高いです。
宇宙戦艦ヤマト シリーズ第2作、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は1978年の興行収入第5位作品です。
第1作の1年後、ガミラスの次の敵は白色彗星帝国でした。波動砲を打ち込んで破壊したかに思われた白色彗星の中から出てきたのは巨大な宇宙都市。激しい戦いと波動砲の発射でエネルギーを使い果たしたヤマトには戦う力は既に残っておらず宇宙都市内部に潜入して動力炉を破壊したものの、さらにその内部から超巨大戦艦が出現し、艦長の古代進は乗組員を全て退艦させて巨大戦艦に向けて自爆攻撃を仕掛けるというのがストーリー。
自爆へ向かうヤマトのバックで歌われるエンディング・テーマの「ヤマトより愛をこめて」は沢田研二が歌い、ヒットしています。
モーツァルトのセレナード第10番変ロ長調「グラン・パルティータ」K.361(370a)は1784年3月23日にシュタードラーのクラリネットとウィーン宮廷楽団のメンバーによる演奏でブルク劇場で初演されました。
当時ウィーンで流行していた管楽合奏のために作曲されたもので、通常の八重奏曲(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2人)に加えてバセットホルン2本、ホルンがさらに2本、コントラバス1本を加え「13楽器のためのセレナード」と呼ばれています。7つの楽章からできている大規模な曲です。
コントラバスの代わりにコントラファゴットを使用して管楽器のみで演奏される事もありますが、途中ピッツィカートもあるために正式にはコントラバスが用いられるのが正しいようです。
以前この曲の第1楽章だけ演奏した事があります。それまではとっても上がり症だったのですが、ここでコントラバス1本で管楽器の中に入って演奏したことで全く上がらなくなりました。今では演奏会はとっても楽しんで演奏できるようになった、ターニング・ポイントになる演奏だったので、私にとってはとても重要な曲のひとつです。ステージに出た時には足がブルブルと震えていたのですが、演奏が始まってからは不思議と震えは止まって、きちんと演奏できたと思います。
1978年の興行成績第4位は「野性の証明」でした。
森村誠一の「証明シリーズ」2つめの映画化作品で、オーディションで選ばれた薬師丸ひろ子が東北の寒村での大虐殺事件の生き残りの少女を演じて、映画デビューをした作品。
お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ、のセリフがCMで流されて注目を浴びました。薬師丸演じる頼子を引き取って育てる元自衛隊の特殊工作員を高倉健が演じ、事件の真相に迫っていく内容でした。
音楽は大野雄二が担当し、主題歌は元グループサウンズ ズー・ニー・ブーの町田義人が歌った「戦士の休息」。角川映画の主題歌では個人的に最も好きな曲です。
未知との遭遇は1978年の日本での興行収入第2位でした。
1978年は、ルーカスとスピルバーグというハリウッドを代表する映画監督が日本で競演した年でした。「未知との遭遇」は「スター・ウォーズ」と異なり、ごくごく普通の人間が怪奇現象に直面し、やがて地球外生物との接触をはかるというストーリー。
たった5つの音によって、UFOとのコンタクトに成功し、最後にはクライマックスの壮大な「第三者接近遭遇」シーンで圧倒されてしまいます。
音楽は、この2つのSF映画共通の作曲家、ジョン・ウィリアムズ。特にこの映画の音楽は上記の5つの音をモチーフにしたドラマチックな音楽でした。スター・ウォーズと異なり展開がゆっくりとし、戦闘シーンも無かったのですが、一部SFファンからは、未知との遭遇の方が高い評価を得ていました。
1978年の日本での興行成績第1位の映画は「スター・ウォーズ」でした。
ジョージ・ルーカスは、このスター・ウォーズを9つからなる作品として構想していました。
本来であれば第1作~第3作の、帝国が成立した経緯やダース・ベイダー誕生の原因などから映画化がスタートするのが本来の姿なのですが、第1作が商業的に成功しなければ後が続かないという判断から、重たいテーマの第1から第3作を避けて、冒険活劇の要素が強い第4作から世に出した事が順序が入れ替わった理由のようです。
この第4作目の興行からしばらくの間は「スター・ウォーズ」というタイトルは、この第4作目を指していました。現在では「スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望」というタイトルになっています。
とにかく、このスター・ウォーズから多くの人気キャラクターが誕生しました。主役のルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)、ハン・ソロ船長(ハリソン・フォード)、レイア・オーガナ姫(キャリー・フィッシャー)、オビワン・ケノービー(アレック・ギネス)は勿論のこと、ヨーダ、チューバッカ、R2D2、C-3PO、ダース・ベイダーなどのスターが生まれ、「フォース」「ライト・セーバー」「ドロイド」「X翼機」「ミレニアム・ファルコン号」「テス・スター」「ジャヴァ・ザ・ハット」などキャラクターやオブジェクト、言葉が生まれています。
音楽は、ジョン・ウィリアムズ。1965年代から「宇宙家族ロビンソン」「タイムトンネル」などのテレビの音楽をしており、1971年には「屋根の上のヴァイオリン弾き」でアカデミー編曲賞を受賞。その後、「ポセイドン・アドヴェンチャー」「タワーリング・インフェルノ」などの音楽で注目され、1975年に「ジョーズ」でアカデミー作曲賞を受賞しました。
そして1977年「スター・ウォーズ」とその後のシリーズ、「未知との遭遇」、1978年「スーパーマン」、1981年「レイダース」とその後のシリーズ、1982年「E.T.」といった具合に大ヒット映画を数多く担当しています。代表的なものだけでも「イーストウィックの魔女たち」「7月4日に生まれて」「ホーム・アローン」「推定無罪」「JFK」「フック」「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」「A.I.」「ハリー・ポッターと賢者の石」・・・
多分、古今東西の映画音楽の作曲家ではナンバーワンと言っても過言ではありません。アカデミー賞のノミネート回数は48回、受賞は5回。日本にも久石譲というスーパー映画音楽作曲家がいますが、遥かに凌ぐ作曲家です。
映画「007 私を愛したスパイ」は1977年12月に公開されました。
007シリーズの10作目の作品で、ジェームズ・ボンドはロジャー・ムーア。共演は後にリンゴ・スターの妻となったバーバラ・バック。
音楽は「スティング」や「追憶」を担当したマーヴィン・ハムリッシュが担当し、主題歌はカーリー・サイモンが歌った「Nobody Does it Better」で全米2位となる大ヒットとなりました。これはその後全米1位になったデュラン・デュランの「美しき獲物たち」に次いで、ポール・マッカートニーの「死ぬのは奴らだ」と並ぶ007史上トップ3となるヒット曲です。
シェーンベルクの弦楽六重奏曲「浄められた夜」op.4は1902年3月18日にロゼー弦楽四重奏団、イェリネク、フランツ・シュミットというメンバーでウィーンで初演されました。
デーメルの詩「浄夜」に基づき月下の男女の語らいが題材となった弦楽六重奏曲。無調音楽から十二音技法へと進むシェーンベルクがまだ無調音楽へ進む以前の初期の作品で半音階を多用してはいますが非常に美しい響きの曲となっています。
デーメルの詩に対応した5つの部分から構成された単一楽章の曲で、後に弦楽合奏にも編曲しています。
石坂浩二の金田一耕助シリーズ3作目の「獄門島」は1977年8月に公開されました。
「斧琴菊」の三種の神器、「手毬唄」に次いで、今回は俳句を判じ物にしたストーリーです。
終戦直後が舞台で、戦死した戦友鬼頭千万太の死の報せを持って、また千万太が死の間際に「おれが帰らないと3人の妹が殺される」という言葉が気になり瀬戸内海に浮かぶ獄門島へ金田一耕助が訪れたところからストーリーが始まります。結局芭蕉などの俳句になぞらえて3人の妹は殺されてしまいますが、動機は鬼頭家の跡継ぎに狂った父と、その妾の3人姉妹を継がせるわけにはいかないという思いからの殺人。
ちょっと現代人には理解しがたい動機ではありました。
犯人は複数人で、映画では犯人のひとりが女性に変更されていましたが、殺人のトリックは今までの2作品より優れており、映画自体の出来も、3人娘の気持ち悪さはあったものの一番だったと思います。
音楽は、獄門島以降の横溝シリーズを担当する事になる田辺信一。歌謡曲も作曲していますが、どちらかといえば編曲の方が多かったです。
マスネの歌劇「タイス」は1894年3月16日にパリ・オペラ座で初演されました。
原作はアナトール・フランスの小説「舞姫タイス」。高級娼婦タイスをキリスト教に改宗させようとする修道僧アタナエルの信念が、彼女への欲望だったと気づかされるというようなストーリーですが、何よりも有名なのが第2幕の第1場と第2場の間奏曲。タイスの瞑想曲というタイトルが付けられて愛され、演奏されています。
ヴァイオリンの独奏と管弦楽伴奏による甘美なメロディの曲で、ヴァイオリンとピアノ伴奏の他に様々な楽器によって演奏されます。ヴァイオリン用のソロピースの中でも最も人気の高い曲のひとつでしょう。
ライザ・ミネリ主演の映画「ニューヨーク・ニューヨーク」は1977年8月に日本で公開されました。
第二次大戦後間もなくのニューヨークを舞台にした復員したサックス奏者ジミーと歌手フランシーヌのラヴ・ストーリー。「ニューヨーク・ニューヨーク」は劇中にライザ・ミネリ扮するフランシーヌが歌う曲で、翌年にフランク・シナトラがシングル発売して大ヒットとなりました。
今ではニューヨークの非公式市歌とも言われているそうです。
シューマンのマンフレッド序曲op.115は1852年3月14日にライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されました。
「マンフレッド」はバイロンの詩劇。ニーチェの超人思想にも影響を与えたという万能もどきの力を獲得した人間マンフレッドが「死」の問題に立ち向かうという話で、シューマンは劇音楽を作曲しています。その他ではチャイコフスキーも交響曲の題材として扱っています。
シューマンの劇音楽は序曲と15の音楽から構成されていますが、序曲は単独でも演奏されます。この曲は演奏した事があるはずですが、あんまり印象に残っていません。かなり暗くて鬱積するような曲で、あんまりアマチュア向きでは無かったと感じたような覚えがあります。
ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・フランセーズ「鍛冶屋のポルカ」op.269は1869年3月13日にブリューメンザールの舞踏会で初演されました。
金庫メーカーのヴェルトハイム紹介が耐火金庫2万個の製造を記念して催す舞踏会・花火大会のために依頼され、ヨーゼフは金庫を作った鍛冶屋を讃えて実際の金床を用いるポルカを作曲しました。原題はFeuerfest!で、本来の意味は「抜群の耐火性」というこの会社のうたい文句でした。
この曲の演奏時にはユニークな演出がこらされている事もあって、指揮者が指揮をしながら叩いたり、金床を叩く打楽器奏者が鍛冶屋の格好をしたりととても楽しめる曲です。
金床は2つの音程を持つため、2個必要で、勿論オーケストラが持っている事は無いのでレンタルをするわけです。金床を使う有名な曲は他にヴェルディの歌劇「トロバトーレ」のアンヴィル・コーラス。こちらの方は演奏した事がありますが、やっぱりこういう色物が入ると楽しいですよ。
劇場版の「宇宙戦艦ヤマト」は1977年夏に公開されました。
「宇宙戦艦ヤマト」は1974年にテレビ放映されましたが、一部のSFファンから高い評価を得たものの低視聴率と制作費が予算を大幅にオーバーしたことで1年の予定が半年で打ち切りとなりました。これがブレイクしたのは1975年の再放送で、この時は関東では20%をこえる視聴率を獲得して一大ブームとなったわけです。
このテレビ放映版を再編集して1977年に公開されたのが劇場版の宇宙戦艦ヤマトです。この映画も成功して、この後続編が次々と作られると共に、後のアニメに大きな影響を与えました。
音楽監督は宮川泰、主題歌を歌ったのはささきいさおでした。ここで使われた音楽は後に組曲などに再編されて発売もされています。
1年の予定が半年になってしまった影響は、ストーリーにも大きな影響を与えていて、目的地のイスカンダル星に到着するまで25話を要したにもかかわらず、地球への帰路は1話に集約されており後半の物足りなさは否めません。
大林宣彦の初の劇場用映画「HOUSE」は1977年夏に公開されました。
学生時代から8mmの自主映画を撮影し、CMディレクターとしてハリウッド・スターなどを起用して「ブロンソンのマンダム」「ソフィア・ローレンのホンダ・ロードパル」「カトリーヌ・ドヌーブのカネカ・フォンテーヌ」など多くのCMを手がけて日本のCMを飛躍的に進化させた大林が初めて手がけた商業映画が、ホラー・ファンタジー映画「HOUSE」でした。
実写とアニメの合成、特撮を使ったポップな映像など、この後の日本映画への強い影響を与えた作品で、池上季実子、大場久美子、神保美喜など七人の女子高生が演劇部の合宿で行った池上扮するオシャレのおばの家が人喰いハウスだったという話。
内容は若干陳腐な印象は否定できませんでしたが、様々な映像効果を駆使し、今までにない邦画だったという強い印象が衝撃的でした。
この後大林は尾道三部作などを作り日本の映画製作の第一人者に上っていくわけです。
音楽は小林亜星とゴダイゴ。ハウスのテーマはコミカルでファンタジックなこの作品を象徴する素敵な曲でした。
チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」op.32は1976年3月10日にニコライ・ルビンシュテインの指揮で初演されました。
フランチェスカ・ダ・リミニは13世紀イタリアのラヴェンナの領主の娘で実在の人物です。政略結婚の悲劇を扱った物語で、ダンテの「神曲」地獄篇にも登場します。
チャイコフスキーは、この「神曲」の中の詩を元に25分という長大な交響詩を作曲しました。フランチェスカの過酷な運命を暗示する重苦しい第1部、フランチェスカと夫の弟パウロとの禁断の愛と破局を幻想的に描いた第2部、夫に殺され地獄に落ちた2人を激しいリズムで表現した第3部からなる幻想曲になっています。
初演は概ね好評でしたが、チャイコフスキー自身は「神曲」を読んで刺激され一時的な気持ちの高揚感の中で書いたつまらない作品と言っているようです。(再録)
そうは言ってもチャイコフスキーらしいドラマチックな展開をもつ作品です。
「大陸横断超特急」は1977年4月に日本公開されました。
シカゴ駅に猛スピードで列車が衝突するラストシーンの迫力が話題になったサスペンス映画。
何度も列車から放り出される主人公ジョージ・コードウェルを演じたのがジーン・ワイルダー、殺された美術史家の秘書のヒロインを演じたのがジル・クレイバーグというコメディ映画を得意とする2人の共演という事もあって、シリアスなストーリーですが、コメディ・タッチの映画でした。
最後のシーンは14秒間に50万ドルの費用がかかったそうです。
音楽はヘンリー・マンシーニ。「ピンク・パンサー」とか「ティファニーで朝食を」など、こういうコミカルな映画の音楽は独壇場ですね。
スター誕生は1977年3月に日本で公開されました。
ジェネット・ゲイナー主演の1937年の映画「スタア誕生」は1954年にシュディ・ガーランド主演でリメイクされていますが、この映画は2回目のリメイク映画となります。
前2作は映画業界でしたが、今回は音楽業界に変更し役名も変わっています。
スター歌手を夢見て場末で歌うエスター(バーブラ・ストライザンド)を見出した人気ロック歌手ジョン(クリス・クリストファソン)は、ジョンのステージで歌って一夜でスターになり結婚するが、ジョンの人気は凋落し、やがて立場は逆転。二人の間に溝が広がっていくが、もう一度やり直そうとするエスターを置いて、ジョンは死へ旅だっていく。その哀しみの中で、エスターは歌いスターへの道を確立していくというストーリー。
主題歌は「エヴァー・グリーン」(スター誕生愛のテーマ)で、バーブラ・ストライザンドが作曲、ポール・ウィリアムズが作詞でバーブラが歌いました。アカデミー歌曲賞とグラミー賞最優秀楽曲賞の両方を獲得しヒットチャートでは6週間1位、年間チャートでも第4位というスーパーヒット曲となりました。淡々としたメロディから入り、次第に盛り上がって行く巣晴らしい曲です。
「ダウンタウン物語」は1977年1月に日本で公開されました。
禁酒法時代のニュウーヨークのダウンタウンを舞台に2つのギャング団の構想を描いたミュージカル作品。ごくありふれたストーリーなのですが、この映画の特筆すべき事は出演者が全て子供。勿論ギャングも子供、キャバレーの歌姫も14歳のジョディ・フォスターが演じています。機関銃も、弾丸が出るのではなくて、パイ投げのパイが弾がわり。
という、一風変わったミュージカル作品でした。
「悪魔の手毬唄」は1977年の日本での興行成績第18位でした。
「悪魔の手毬唄」は石坂浩二が金田一耕助に扮した横溝正史原作の第2弾。
ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」やアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」が、「マザー・グース」になぞらえた殺人だったように、村に伝承される「手毬唄」になぞらえた殺人が次々に起こるというもの。ただし、ここで使われている手毬唄はこの小説のために創作されたものです。
ヒロイン役は仁科明子(現・亜希子)、内容は犯人と被害者の入れ替わり、忌まわしい近親の結婚の排除が重要な鍵となります。映画化は1961年に続いて2回目でした。
音楽は、村井邦彦が担当し、主題曲は「哀しみのバラード」という曲でした。原作は非常に人気の高い作品でしたが、映画としての出来は石坂金田一シリーズとしてはイマイチでしたかねぇ。
ロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」は1958年3月5日にセゴビアのギター独奏、ホルダ指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏で初演されました。
アランフェス協奏曲の作曲から15年後、ギター奏者セゴビアの依頼で作曲されたギターと管弦楽のための協奏的作品です。協奏曲の枠にとらわれない自由な4楽章の組曲になっています。
17世紀スペインの作曲家・ギタリストであったガスパル・サンスの作品から6曲を選んで幻想曲として完成させました。「貴紳」は「宮廷に仕える紳士」という意味で、サンスとセゴビアの事を指すといわれています。
6つの舞曲は 第1楽章のビリャーノとリチェルカーレ、第2楽章のエスパニョレータとナポリ騎兵隊のファンファーレ、第3楽章のたいまつの踊り、第4楽章のカナリオです。とても優しく(演奏がという意味ではありません)清々しい曲です。
リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番変ホ長調op.11は、1885年3月4日にマイニンゲンの宮廷劇場でハンス・フォン・ビューローの指揮宮廷劇場管弦楽団の首席ホルン奏者ラインホスの独奏で初演されました。
リヒャルト・シュトラウスは生涯ホルン協奏曲を2曲作曲しています。協奏曲の作曲家少ないシュトラウスが2曲もホルン協奏曲を作曲した理由は、父親のフランツがホルン奏者だったためでした。
この第1番は原題はヴァルトホルンと管弦楽のための協奏曲となっています。ヴァルトホルンとは、森のホルンという意味で特定の楽器の種類の名ではないようです。まだ18歳だったシュトラウスの作品で、古典的な手法が目立ち、まだシュトラウスの世界が確立される以前の作品です。第2番はこれから60年の時間を経て作曲されたものなので、趣はかなり異なっています。
第1楽章の冒頭からホルン独奏で奏される主題がよく知られており、3つの楽章は切れ目なく演奏されます。
ハイドンの交響曲第101番に長調Hob.Ⅰ-101は1974年3月3日にロンドンで初演されました。
第2楽章の伴奏のリズムが時計の振り子の規則正しさを思わせることから「時計」という愛称で呼ばれていますが、勿論ハイドンがつけた標題ではありません。特に我々の世代では文化放送でやっていた「百万人の英語」のテーマ曲として、この第2楽章が使われていた事から、同じ文化放送の「大学受験ラジオ講座」で使われていたブラームスの「大学祝典序曲」と並んで馴染みの深い曲になっています。
この第2楽章は、かなり単純な変奏曲となっています。第2楽章があまりに有名なため、なかなか他の楽章は印象が薄くなってしまっていますが、ハイドンの最晩年の交響曲なので規模も大きくかっちりとした構成になっている曲です。
1977年の日本での映画興行収入第8位は「ロッキー」でした。
売れない俳優だったシルヴェスター・スタローンが自ら書いた脚本を売り込み、主演し、B級シネマ出身の監督アヴィルドセンが監督した低予算映画でしたが、アメリカ人の大好きなサクセス・ストーリーに仕上げたシンプルな作品であった事もあって、大ヒット。アカデミー作品賞を受賞しています。
内容は、売れないボクサーのロッキーが、王者アポロのタイトルマッチ相手の代役として「イタリアの種馬」というロッキーのニックネームだけで選ばれ、これを機に奮闘努力してタイトルマッチでは負けはしましたがチャンピオンを追い詰めるというアメリカン・ドリームを実現したストーリー。スタローンもアヴィルドセンもこの映画によってアメリカン・ドリームを掴んだわけです。
音楽の担当はビル・コンティ。1974年に「ハリーとトント」の音楽を担当しましたが、「ロッキー」の音楽、特にフィラデルフィアの町中でトレーニングして、最後にフィラデルフィア美術館の階段(この映画のヒットによって、ロッキーステップと呼ばれるようになったそうです)を駆け上がるシーンのロッキー・マーチは多くの映画音楽の中でも最も有名な曲のひとつとなりました。ビル・コンティはこの後ロッキー・シリーズや同じアヴィルドセン作品の「ベスト・キッド」シリーズの他、「グリニッジ・ヴィレッジの青春」「結婚しない女」「グロリア」「007/ユア・アイズ・オンリー」など数々の映画を担当しています。
1977年の日本での映画興行収入第5位は「八つ墓村」でした。
「八つ墓村」は、横溝正史ブームに乗っかる形で松竹映画によって製作された作品。
1970年代にはATGの「本陣殺人事件」、東宝の「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「獄門島」など数多くの映画が製作されました。
「八つ墓村」は岡山県津山で実際にあった津山三十人殺し(津山事件)をモチーフとして作られた小説で、渥美清の金田一耕助はイメージとはかなりかけ離れたものであったにも係わらず大ヒットした映画でした。
戦国時代に村に財宝とともに逃げ込んできた尼子氏の落武者8人を、財宝に目が眩んだ村人が惨殺するという歴史的背景を創作し、その祟りを受けた田治見要蔵が狂った上に日本刀と猟銃で村人を惨殺する際に鉢巻に蝋燭を挿すいでたち、更に不気味な双子の大叔母、そして最終舞台は鍾乳洞という、ビジュアルを駆使して作り上げたものです。
主人公である辰弥は萩原健一が、辰弥を森家に迎えに行く妖艶な未亡人を小川真由美が演じました。
音楽は芥川也寸志で特に鍾乳洞での場面で演奏される「道行のテーマ」は幻想的な鍾乳洞の映像と相まって、日本映画史上でも屈指の映画音楽のひとつだと思います。