今日の音楽 12月31日 ポセイドン・アドベンチャー
1973年の映画では、日本での興行収入は1位日本沈没、2位人間革命で、第3位は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。
デュトワ指揮 モントリオール・シンフォニエッタ: ストラヴィンスキー:バレエ《ミューズの神を率いるアポロ》、協奏曲《ダンバートン・オークス》、協奏的舞曲、《バーゼル協奏曲》
カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団: グリーグ:《ペール・ギュント》第1組曲&第2組曲/シベリウス:交響詩《フィンランディア》 他 (SHM-CD)
ロストロポーヴィチ(vc)小澤征爾指揮ロンドン交響楽団: ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番/プロコフィエフ:交響的協奏曲
アルゲリッチ(p)シャイー指揮ベルリン放送交響楽団: チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 (SHM-CD)
ブルガーゴーズマン(S)ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団: ワーグナー:管弦楽曲集、ヴェーゼンドンクの5つの詩
« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »
1973年の映画では、日本での興行収入は1位日本沈没、2位人間革命で、第3位は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。
1972年最後をかざったミュージカル映画「ラ・マンチャの男」です。
ストーリーは、セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」の物語をベースに宗教裁判にかけられるセルバンテスの心の動きを描いたもの。口ばかりで気が小さいセルバンテスが牢獄の中でドン・キホーテを演じることで、ドン・キホーテの愚直で武骨だが勇気があり男気のある性格に勇気付けられ宗教裁判に向かうというストーリー。
タイトル曲の「ラ・マンチャの男」、「ドルシネア」「見果てぬ夢」などが良く知られたナンバーでした。映画では、セルバンテス=ドン・キホーテをピーター・オトゥール、アルドンサ=ドルシネア姫をソフィア・ローレン、従者=サンチョ・パンサをジェームズ・ココが演じていました。
ブラームスの弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op.88は1882年12月29日にフランクフルトで初演されました。
ブラームスの室内楽曲はどれも人気が高いのですが、弦楽五重奏曲は少し認知度が低いかもしれません。そもそも弦楽五重奏曲は殆どの曲が通常の弦楽四重奏曲にヴィオラかチェロを1本加えた編成なのですが、弦楽四重奏という完成された編成に楽器を加えるのですからバランス的には結構難しく名曲が少ない分野です。ベートーヴェンですら1曲しか作曲していません。木管を加えた五重奏の場合、木管楽器をソロとして弦楽四重奏との協奏という形を基本に作曲できるので、モーツァルトやブラームス、ウェーバーなどのクラリネット五重奏など傑作があります。
ブラームスはヴィオラを加えた編成にしていますが、この第1番の弦楽五重奏曲はこの上なく美しい音楽です。円熟期に入ったブラームスの作品で、彼自身もこの曲の出来には自信を持っていたようです。ブラームスらしい古典的な手法の中に個性を入れた曲ではありませんが、美しさと明るさを持った曲想は、ブラームスらしいのかもしれません。
バーンスタイのミュージカル「オン・ザ・タウン」は1944年12月28日にブロードウェイのアルフィー劇場で初演されました。
「オン・ザ・タウン」という作品名よりも、映画化された時の邦題「踊る大紐育」の方が日本では有名なミュージカルはダンスとストーリーの大規模な統合が高く評価されるヒットミュージカルです。
ストーリーはニューヨークで24時間の上陸許可を与えられた3人の海軍水兵が僅かな滞在の間に素敵な女性たちと冒険を繰り広げ、やがて出港していくというストーリー。映画ではバーンスタインの先鋭的な音楽が大衆に受けないという懸念があったため、他の作曲家の作品に大部分が差し替えられてしまったため、ミュージカルでしかバーンスタインの世界は聞くことができません。
後に踊りの音楽5曲を抜粋したのが、このオン・ザ・タウンからの5つのダンスです。その他にも「オン・ザ・タウンからの3つのダンス・エピソード」という曲も作られています。
1972年、ゴッド・ファザーに続くマフィアの世界を描いた映画「バラキ」が公開されました。
同じマフィアを描いた映画でも、ゴッド・ファーザーは架空のコルレオーネ一家の葛藤に主眼を置いたものでしたが、バラキは実在のジョゼフ・ヴァラキの証言を元にマフィアの内幕を暴露したシリアスは作品でした。
その為に、ヴァラキに裏切られたヴィト・ジュノヴェーゼとヴァラキが亡くなるのを待ってクランクインしましたが、マフィアからの妨害はあったようでニューヨークからローマへロケ地を変わらざるを得なかったそうです。
音楽はリズ・オルトラーニが担当し、「世界残酷物語」の主題歌「モア」同様、残酷な内容の映画にとろけるような美しいメロディの音楽をつけています。
1972年のB級映画ではありますが「脱出」の挿入曲「デュエリング・バンジョー」はアメリカで大ヒットしています。
サバイバルをテーマとしたサスペンスでダム建設で湖底に沈む過疎の村の原住民たちと4人組の訪問者との事件、葛藤を描いたもの。
冒険が始まる前の村の子供とのギターとバンジョーの掛け合いで心の交流があったかと思われるが、実際には村人には訪問者への警戒心や嫌悪感しかなかった事がわかるのがこのデュエリング・バンジョーでした。不思議な事にこの曲ヒットチャートの上位まで上がっています。
この年アカデミー監督賞、主演女優賞など8つのアカデミー賞を受賞したのが「キャバレー」です。
「キャバレー」の大元はブロードウェイ・ミュージカル「キャバレー」ですが、ミュージカルで使われていた曲は数曲で他の曲はこの映画のためにミュージカルの作曲作詞コンビであるジョン・カンダーとフレッド・エブのコンビで新たに作曲・作詞されています。
主役のサリーを演じたのは、ジュディ・ガーランドの娘ライザ・ミネリ。ナチスが台頭してきたワイマル共和制時代のベルリンが舞台でスターを夢見るサリーの恋と苦悩を描いた作品ですが、最後にナチスの影がひたひたと近づいてきます。
タイトル曲にもなった「キャバレー」はライザ・ミネリがキャバレーの舞台で歌い踊るナンバーです。パンチのあるライザ・ミネリの歌唱力を存分に聴く事ができるナンバーです。
1972年、見た映画で印象の残った作品のひとつに「死刑台のメロディ」がありました。
1920年のサッコ・ヴァンゼッティ事件という実話を扱った映画です。イタリア移民であり無政府主義者のニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティへの偏見による冤罪事件を扱っており、現在でも行政側が冤罪を認めていますが司法側は冤罪とは認めていないそうです。
この事件は世界的にもアメリカ司法に対する抗議や二人の助命嘆願などの運動が起こり世紀の冤罪事件と言われるもので、これを正面から扱った映画になっています。
ジョン・バエズの歌う「Here's to You」は同じ歌詞を何度も何度も繰り返し歌う単純な曲ですがとても心に響く音楽です。
1972年の日本での興行収入、洋画での2位は「007/ダイアモンドは永遠に」でした。
1960年代から70年代前半にかけては、日本では洋画の興行収入トップ5に必ず登場するのが007/ジェームズ・ボンドシリーズでした。
「007 ダイアモンドは永遠に」はシリーズ7作目でショーン・コネリーがボンドを演じた最後の作品です。(このシリーズには含まれない ネバーセイ・ネバーアゲインは除く)
映画と同様に、主題歌も大ヒットするのが恒例の事ですが、主題歌は必ずしも音楽担当のジョン・バリーのものではありませんでした。この作品の主題歌はシャーリー・バッシーが歌った「ダイアモンドは永遠に」で、これはジョン・バリーの作品となっています。
実力派歌手のシャーリー・バッシーの歌にエコーをエフェクトとしてたっぷり使って広がり感や不気味さを演出しています。
本当は自分のお金で見る映画2作目になるはずだった映画が「恋人たちのメロディ」でした。
「恋人たちのメロディ」はクロード・ルルーシュ監督のラヴ・コメディ。クロード・ルルーシュの映画といえば1966年の「男と女」以来「パリのめぐりあい」「白い恋人たち」などで組んだフランシス・レイの音楽が欠かせない存在ですが、この映画にはフランシス・レイ自身が出演しているという話題性もあり、前売り券を買ったのですが、結局見に行けませんでした。(あまり興行が芳しくなくて早めに終わっちゃったという理由もありますが)
それでもこの曲の音楽は、アコーディオンをフィーチャーした美しい曲です。
パイオニア交響楽団第31回定期演奏会
映画自体の日本での評価は高くなかったものの、映画音楽がアカデミー作曲賞を受賞したのが「おもいでの夏」でした。
映画は思春期の少年のひと夏の経験を描いた作品。戦火を逃れてナンタケット島へ家族で疎開してきた少年ハーミーが、島に住む人妻ドロシーに恋心をいだき、ドロシーの夫の戦死の電報が来た夜に初体験を行ったが、翌日ドロシーは別れの手紙を残して去っていった、という話。
ミシェル・ルグランが作曲した主題歌は、アカデミー作曲賞を受賞し、映画音楽のスタンダードナンバーとなりました。
せつない哀愁に満ちた音楽で、短調で始まり、同じメロディが長調に転調されクライマックスを迎えますが再び短調になって静かに終わる曲です。
1971年の洋画の興行収入ランキングの1位は「ある愛の詩」2位「エルヴィス・オン・ステージ」3位「チャイコフスキー」で、それに次いだのが「小さな恋のメロディ」でした。
この映画は子供たちのプチ・ロマンスを通して子供の大人に対する独立戦争を描いた映画ですが、本国イギリスやアメリカでは全くヒットせず、日本や南米で大ヒットという作品でした。特に日本での人気は凄まじく、全編をわたって流されるビージーズの音楽も、テーマ曲「メロディ・フェア」や「若葉の頃」を中心に大ヒットしています。
サン=サーンスの交響曲第1番変ホ長調op.2は1853年12月18日にパリで初演されました。
ここからは、しばらく映画音楽を振り返ってみようと思います。
1980年、大学も卒業し社会人になってこの年の唯一の演奏会は、普門館で行われた高校の創立60周年式典の現役生との合同演奏会でした。
1曲目がフィンランディアで、これは現役生だったと思いますが(覚えてない)、その前に高校の校歌と前身の府立第5高等女学校の校歌を演奏した事は覚えてます。
メイン曲が、シューベルトの交響曲第8番(当時は9番だったのかな?)「ザ・グレイト」で、OBに現役生の数人が加わっての合同演奏でした。
シューベルトの交響曲第8番の「グレイト」という愛称は第6番ハ長調と区別するための「大ハ長調」という意味合いで出版社が名づけたもので、「偉大な交響曲」という意味合いではなかったようですが、この曲自体も「ザ・グレイト」の名にふさわしい曲でしょう。
シューベルトの多くの曲と同じで、この曲もウィーン楽友協会へ送ったものの、わずかな謝礼だけで「演奏困難」として演奏されず、シューベルトの死後シューマンが自筆譜を発見して初演される事になった曲です。
まあ、演奏困難というほど難しい曲ではありませんが、多分同じ事の繰り返しが多く冗長で50分以上もかかる曲なので、聴く側も困難だったという事かもしれません。第1楽章の提示部がやたらに長かったり、第2楽章がA-B-A-B-Aというしつこい形式だったり、第3楽章のスケルツォもトリオを2回もつ長い曲・・・という事で、もっと削ぎ落とせば適度な長さの曲になったとは思いますが、多分、そうなるとこの曲の良さが失われるのかなとも思います。
演奏困難では無い・・・と書きましたが、終楽章を筆頭に結構難しい曲です。途中飽きる事もありますが、最後の展開は、このしつこさが病みつきになるという魅力を持つ、そんな曲です。
もう1曲邦楽のヒット曲 クリスタル・キングの「大都会」です。
ムッシュ吉崎のパンチあるヴォーカルと田中昌之の驚異のハイトーンのツインボーカルで知られるクリスタル・キングですが元々はバンド。メンバーは入れ替えが激しく、この2人の印象しか残っていませんが、「大都会」「蜃気楼」「瀬戸内行進曲」などのヒットを残しています。
「大都会」では、メインパートを吉崎が歌いサビを田中が歌うという分担になっていました。
サビ部分のあまりにも高い音の連続のため、近年この歌を元通りに披露することができなくなっています。
1980年の邦楽のヒット曲といえば、もんた&ブラザーズのダンシング・オールナイトと久保田早紀の異邦人でした。
中学生の頃から自作の曲を書き溜めていた久保田早紀は1979年に短大を卒業し、その中から「白い朝」という曲を選んでデビューしました。最終的に歌詞・曲ともに大幅にアレンジされて「異邦人-シルクロードのテーマ」として発売され、徐々に人気が出て翌年に大ヒットとなったわけです。
父親が仕事でイランに赴任していて、現地の曲のカセットテープをよく買ってきた事も、この「異邦人」のオリエンタルな雰囲気の要因ともなったのでしょう。
私は、仕事の関係で行った仙台でのハウンド・ドッグのコンサートの前座として出演した久保田早紀の生演奏を聴いた事があります。その時はレコードのようなアップテンポではなくて、バラード風に歌った「異邦人」でしたが、それも素敵でした。
ブルッフの交響曲第3番ホ長調op.51は、1882年12月13日にダムロッシュ指揮のニューヨーク交響楽協会の演奏で初演されました。
ブルッフといえば、ヴァイオリン協奏曲やスコットランド幻想曲といったヴァイオリンの名曲で知られていますが、自らヴァイオリンを演奏するわけではない純粋なロマン派の作曲家でした。ブルッフはブラームスを尊敬しており、リストやワーグナーなどの新ドイツ楽派への敵意をむき出しにしていたようで、それも彼の評価にマイナスになったようです。
旋律の美しさを前面に出すスタイルは、時には時代遅れと取られることもあり、評価がイマイチというのもそこに理由があるようです。
交響曲第3番はダムロッシュの依頼で作曲されています。1870年頃のスケッチを利用したという事もあって、ブルッフ自身が出来に満足できず改訂を加えて1887年に出版されました。おおらかな旋律の美しさが前面にでていて、ブルッフらしい曲です。
ロスト・イン・ラヴ Lost in Love エア・サプライ 1980年Billboard年間ランキング15位 最高位3位
エア・サプライはオーストラリアのメルボルン出身のバンドで、国内で数曲のヒット曲を出した後に世界進出をして1980年の「ロスト・イン・ラブ」が大ヒット。その後も「シーサイド・ラブ」、「渚の誓い」などのヒットを生んでいます。
ハイトーンボイスのバラードを中心としたグループで、「ロスト・イン・ラブ」も歌いだしは普通の音域ですが、やがて1オクターブ高い音域へと移っていき、曲を盛り上げています。
ローズ Rose ベット・ミドラー 1980年Billboard年間ランキング 10位 最高位 2位
ベット・ミドラーは舞台女優からブロードウェイに建つようになり、1972年にアルバム・デビューしシングル「おどろよベイビー」もヒットしグラミー賞の新人賞を受賞しました。
1979年の映画「ローズ」ではジャニス・ジョプリンをモデルにした主人公を演じてアカデミー主演女優賞にもノミネートされ、主題歌の「ローズ」でグラミー賞を受賞するなど映画に歌にと大活躍を続けました。2017年にもブロードウェイのミュージカル「ハロー・ドーリー」で主演しトニー賞を受賞するなど今でも活躍を続けています。
「ローズ」は、女性ソングライターのアマンダ・マクブルームの作品で、アップテンポの曲が多かったベット・ミドラーが語るように歌う歌はその後多くの歌手にカバーされています。
大学4年の演奏会の中プロはコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲でした。
「ハーリ・ヤーノシュ」はハンガリーの伝説の大ぼら吹き。「七つの頭の龍を退治した」とか「ナポレオンを破って捕虜にした」とか「オーストリア皇帝の娘から求愛されたが断った」というような荒唐無稽の冒険談を語った様子を歌劇にしたもの。これを管弦楽用の組曲にしたものは今でも人気が高い曲です。
「前奏曲、おとぎ話は始まる」「ウィーンの音楽時計」「歌」「戦争とナポレオンの敗北」「間奏曲」「皇帝と廷臣たちの入場」の6曲で、内第2曲と第4曲は管楽器だけで演奏されます。
という事で6曲中4曲しか出番が無い曲なのですが、演奏していてとても楽しい曲です。第1曲は、くしゃみを表す全奏から始まります。ハンガリーでは話の前にくしゃみをすると、それは本当の話であるという意味だそうです。くしゃみの後、ハーリが私が若い頃・・・というように語りを始めるのですが、それはコントラバスのみでメロディを演奏するところから始まって行きます。第2曲の「ウィーンの音楽時計」はとても軽快な曲。時計を表すリズムに乗って演奏されます。第3曲「歌」はヴィオラのソロによる歌から始まります。第4曲は勇ましい戦争の音楽、第5曲はハンガリーの民族楽器ツィンバロンが活躍します。第6曲はわくわくする派手な曲。
というように、とても楽しい曲なのですが、なかなかアマチュアオーケストラは演奏する機会がありません。これはツィンバロンがネックになっています。そんな珍しくて楽しい曲を演奏できたのはラッキーでした。
所属するパイオニア交響楽団の第31回定期演奏会は、何と!まだ松の内の2019年1月6日(日)にティアラ江東 大ホールで行われます。
ピアノを中心としたイージー・リスニング音楽の草分け的存在がカーメン・キャバレロでした。
ピアノ中心のイージー・リスニングはこのあと、ロジャー・ウィリアムズ、ロニー・アルドリッチ、フェランテとタイシャーのピアノデュオからリチャード・クレイダーマン、アンドレ・ギャニオンなどへと繋がっています。
カーメン・キャバレロの代表作はショパンの英雄ポロネーズをアレンジした「ショパンのポロネーズ」ですが、彼を一躍有名にしたのが1956年の映画「愛情物語」の中で、ショパンのノクターン第2番をアレンジしたトゥ・ラヴ・アゲインでしょう。「愛情物語」は20世紀前半に活躍したピアニスト エディ・デューチンの伝記映画で、タイロン・パワーが主演していました。
所属するパイオニア交響楽団の第31回定期演奏会は、何と!まだ松の内の2019年1月6日(日)にティアラ江東 大ホールで行われます。
1979年は、高校の演奏会への賛助出演も前年を最後に終了し、高校OBの演奏会にも都合で参加できず、大学オーケストラのみの活動でした。
作曲はロシア五人組のひとり、ボロディン。この頃のロシア音楽は、チャイコフスキーを中心とした西洋音楽を積極的に取り入れる作曲家と、ロシア五人組を中心とするロシアの風土に根ざしたロシア音楽の確立をめざす作曲家たちがしのぎをけずっていましたが、特に五人組はヨーロッパへの意識を遠ざけるためなのか、ロシアでも東の方の音楽に興味を抱き、オリエンタル嗜好がかなり強かったようです。
「中央アジアの草原にて」はコーカサスの草原でのロシア人と東洋人の交流が描かれている優れた描写音楽です。但し、この曲私が今まで演奏した中で最もつまらない曲のひとつ。100%頭打ちと言ってもよいぐらいで、半分以上がピチカート。二度とやりたくない曲のひとつです。
1979年の邦楽では、ゴダイゴのブレイクが上げられます。
ゴダイゴは元グループサウンズのゴールデンカップスで活躍していたミッキー吉野を中心に1975年に結成されました。アメリカ人などもメンバーに加わった国際色豊かなバンドで英語の歌詞のアルバムを出すなど一部のファンからは高い人気を得ていました。
一般の人の間でブレークしたのが1978年のテレビ「西遊記」の主題歌「モンキー・マジック」とエンディング・テーマ「ガンダーラ」でした。特に当時のロック音楽のターゲットではなかった低年齢層に支持され、その後ユニセフ児童年協賛曲の「ビューティフル・ネーム」、映画「銀河鉄道999」の主題歌「銀河鉄道999」、「西遊記Ⅱ」のエンディング「ホーリー・アンド・ブライト」などヒットを連発しました。
音楽性豊かなミッキー吉野や、母親の系譜が鈴木ヴァイオリンの創業者やススキメソードの創始者というタケカワユキヒデというメンバーに恵まれ、一時は活動を休止しましたが、現在も活動を続けています。
1979年の邦楽では、まず、さだまさしの「関白宣言」のヒットがありました。
「帰去来」「風見鶏」「私花集(アンソロジイ)」」「夢供養」とさだまさしがソロ活動を開始してからレコードを買い続けてきた私にとって、この「関白宣言」のヒットは複雑な気持ちでした。
前作の「天までとどけ」からシングルレコードはオリジナル・アルバムに収録されていないオリジナル・シングルとして発売し始めたさだまさしの2枚目のシングルが「関白宣言」でした。まずは、このタイトルが女性の地位向上を掲げる人たちの怒りに触れ、歌詞の内容も理解せずにひたすら抗議する、という事があって注目を浴び、さだまさしが世相にまで登場する歌手となってしまったわけです。挙句の果てに紅白歌合戦にまで出演し、もう超メジャー歌手になってしまったのが複雑な思いの要因でした。
「関白宣言」というタイトルになっており、前半部分では花婿が前時代的な横暴さで亭主関白を宣言するので、物事の本質をきちんと判断できない、うわべだけで判断してしまう人は「とんでもない!」となるわけですが、最後まで聴けば、男の不器用な愛情表現や相手への深い依存心を歌っているわけで、女性蔑視とは全く異なる内容という事がわかると思うのですが。
まあ、さだのシングルの中で最も売れた曲ではありますが、さだまさしファンの間での人気はそれ程高くなく、この後もさだまさしらしい、人生の応援歌や他人に対する優しさ・尊敬を歌い続けたので、大衆路線転換にはならなくて良かったです。
なお、この14年後に、この歌の後日談「関白失脚」を発表しました。
愛のオルゴール Music Box Dancer フランク・ミルズ楽団 1979年Billboard年間ランキング49位 最高位4位
カナダのピアニスト フランク・ミルズは大学卒業後サラリーマンになったものの子供の頃からの音楽の夢を捨てきれずロック・バンドを結成してヒット曲を産みましたが、限界を感じたためにバンドを解散して独立。
1974年に発売したファースト・アルバムに収録されていた「愛のオルゴール」をプロモーションに使い1978年にDJ向けにシングルカットしたものが気に入られカナダ、アメリカなどで大ヒットしました。日本では、日本語の歌詞をつけたものを高田みずえが「潮騒のメロディ」として発売し大ヒットしました。
曲は原題のとおり、短い音符を次々と奏でて爽やかなメロディを作っています。
Y.M.C.A. ヴィレッジ・ピープル 1979年Billboard年間ランキング第8位 最高位2位
ヴィレッジ・ピープルは1977年にニューヨークで結成されたグループ。ゲイのイメージを表面に出して音楽活動を行った最初のグループとも言われており、ディスコブームに乗ってヒットを連発しました。
西城秀樹が「ヤングマン」としてカバーしたY.M.C.Aは当時ゲイの巣窟と言われておりゲイを指すスラングでもあります。曲自体がゲイを題材にしたもので、様々なキーワードが歌詞の中に含まれているようです。
今年は西城秀樹さんのご逝去と、読売巨人に入団したヤングマン投手のおかげで、また脚光を浴びたようです。
1978年の高校OB演奏会のメイン曲は、交響曲第104番「ロンドン」でした。
ハイドンが晩年ロンドンで作曲したロンドン交響曲のひとつで、「ロンドン」の愛称もそこから付けられたものです。
非常にスケールの大きい曲で、個人的には2007年に現在所属のオーケストラで再演させていただきました。
第1楽章は、ニ短調による重々しい序奏で始まります。それは直ぐに儚げな弦楽器の旋律とヴァイオリンの合いの手によるメロディに変わり、これが繰り返され非常に長い序奏は終わり、いきなりイ長調に転調した軽快な主題に入ります。主部はシンコペーションの多用などの特徴を持っています。
第2楽章は、ハイドンらしい可愛らしい緩徐楽章。変奏曲の形式になっています。
第3楽章はメヌエット。なかなか勇壮なメヌエットで、中間部は息の長いメロディをもって演奏されます。
終楽章はとっても元気な楽章。
交響曲自体がとってもしっかりとした構成をもっていて、もうベートーヴェンの世界へ踏み出している曲です。演奏していてもとても楽しい曲のひとつです。
高校OBのオーケストラの演奏会2曲目はシューベルトの交響曲第5番でした。
この曲はフルート1本、オーボエ2本、ファゴット2本、ホルン2本と弦楽合奏という小規模な編成になっています。ハトヴィヒ家の私的なコンサートで演奏される事を目的に作曲されたもので、おそらくこのオーケストラの編成に合わせたものと考えられます。
とは言っても、初期ロマン派時代の古典派的音楽という雰囲気を持つ曲で、とても軽やかで心地よい音楽となっています。
この年の最後の演奏会は、高校のOB演奏会でした。1曲目はモーツァルトの歌劇「劇場支配人」序曲でした。
モーツァルトの序曲といえば圧倒的に有名なのが「フィガロの結婚」と「魔笛」ですが、その他のオペラの序曲はそれ程演奏される事が多くはありません。「後宮からの誘拐」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」などオペラとしては上演機会がある程度あるのですが、序曲だけ演奏される事はあまり無いのは、まだ古典派の時代のオペラの序曲はオペラの付属品の域を脱していないという事なのでしょう。
その中で「劇場支配人」の序曲はその中でも演奏栄えする曲だと思います。「フィガロの結婚」と同じように、激速のテンポでトゥッティで演奏される主題から始まりますが、ハ長調なので比較的とっつき易い曲です、と言ってもかなり難しい曲で、Prestoというテンポにもかかわらず32分音符が出てきます。これもこの演奏会以来弾いていませんが、もう指が回らないかもしれません。。。。