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2018年1月31日 (水)

今日の音楽 1月31日 町人貴族 Der Bürger als Edelmann

リヒャルト・シュトラウスのの組曲「町人貴族」op.60は1920年1月31日にウィーンで初演されました。

「町人貴族」はモリエール原作の戯曲で、シュトラウスの歌劇「エレクトラ」「ナクソス島のアリアドネ」「バラの騎士」「影のない女」などの台本を書いたホフマンスタールが改作上演した際に作曲された付随音楽の抜粋です。前17曲の中から9曲を選んで組曲としています。

第1幕への序曲、メヌエット、剣術の先生、仕立て屋の入場と踊り、リュリのメヌエット、クレオントの登場、間奏曲、宴会、クーラントの順ですが、クーラントを最後にすると盛り上がりに欠けるため、クーラントをリュリのメヌエットの次に演奏して宴会で終わるというのが通常の演奏となっています。

小劇場用での初演だったこともあり、編成は小さい2管編成。打楽器の種類は多いものの弦楽器も室内楽の編成になっています。

2018年1月30日 (火)

今日の音楽 1月30日 ディナミーデン Dynamiden

ヨゼフ・シュトラウスのワルツ「ディナミーデン」op.173は、1865年1月30日に催された工業舞踏会で初演されました。

副題は「秘めたる引力」。ロマン派音楽の楽風を取り入れた作品で、この曲の旋律の一部をリヒャルト・シュトラウスが「ばらの騎士」のワルツに借用しています。
ディナミーデンとは「分子と原子が引き合う力」という意味の機械工学の第一人者レッテンバッハーの造語です。急速な工業発展の時代に、目に見えない神秘的な何かへの関心が深まっていた世相が反映された曲名です。

2018年1月29日 (月)

今日の音楽 1月29日 ヨー・ヨー Yo-Yo 

ヨー・ヨー Yo-Yo  オズモンズ 1971年Billboard 年間ランキング第51位(最高位 3位)

オズモンズは、アラン、ウェイン、メリル、ジェイとダニーという兄弟によるグループです。オズモンド家はこの他に長男のヴァール、次男のトムと八男のジミー、そして紅一点の長女マリーという9人兄弟。ジミーは、グループには属していませんでしたがソロで少しだけ活動するジャリタレ、マリーはソロ及びダニーとのデュエットで大ヒットを飛ばす、という音楽一家。
1959年の結成時は「オズモンド・ブラザーズ」というグループ名で活動していましたが、その後「オズモンズ」に改名。楽器演奏も本格的でハーモニーも抜群という、ジャクソン5と人気を2分する兄弟グループで、特にイギリスなどでは非常に人気が高かったようです。日本ではカルピスのCMで活躍していました。
ダニーやマリーの曲は別途取り上げる事として、
個人的に好きなオズモンズの曲
①レット・ミー・イン  Let Me in 1973年  Billboard最高位36位  バラード調の曲
②クレイジー・ホース Crazy Horses 1972年 Billboard最高位 14位 ダニーのキーボードワークがとても恰好いい曲です
③ゴーイング・ホーム Going Home  1973年 Billboard最高位36位 とても調子のよりロックです
④ヨー・ヨー Yo-Yo  1971年  Billboard最高位3位 

2018年1月28日 (日)

今日の音楽 1月28日 ミスター・ボージャングルズ

ミスター・ボージャングルズ Mr. Bojangles ニティ・グリティ・ダート・バンド  1971年Billboard 年間チャート第44位

ニティ・グリティ・ダート・バンドは1966年にカリフォルニアのロング・ビーチで結成されたバンドで、カントリー系グッド・オールド・アメリカンズ・バンドです。ジェフ・ハンナとジミー・ファデンは結成時からのメンバーで、その他のメンバーは幾度と無く入れ替わっています。

クラリネットやら洗濯板やら、通常のロックバンドとは全く違う泥臭い音楽を続けるバンドですが特に1970年代前半にヒット曲が集中しました。

「ミスター・ボージャングルズ」は、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが1968年に発表した曲で、その後多くの歌手にカバーされています。最大のヒットがニティ・グリティ・ダート・バンドによるもので全米第9位になりました。その他ではハリー・ベラフォンテ、サミー・デイヴィスJr、ジョン・デンバー、ハリー・ニルソンなどがカバーしています。

2018年1月27日 (土)

今日の音楽 1月27日 悲しきジプシー

悲しきジプシー Gypsys, Tramps and Thieves  シェール 1971年Billboard年間チャート第39位

父親がアルメニア人で、母親がチェロキー・インディアンの血を引いていると言う事で、そのエキゾチックな風貌を十分に利用して音楽界で長く活躍している女性ボーカリストです。ビルボードのチャートに最も長い期間top5にアルバムをチャートインし続けた歌手でもあります。また、女優としても「マスク」「イーストウィックの魔女たち」などの出演し、中でも「月の輝く夜には」ではアカデミー主演女優賞を獲得しています。

「悲しきジプシー」は1971年に全米1位になった曲。原題は「ジプシー、浮浪者、泥棒」。アメリカのジプシーの悲しみを歌った曲です。

あんまり詳しくは知りませんが次の3曲はよく聴きました。3曲とも全米第1位になっています。

①悲しき恋占い(ダーク・レディ) Dark Lady 1974年
②ハーフ・ブリード   Half Bried 1973年
③悲しきジプシー  Gypsy,Tramps&Thieves

2018年1月26日 (金)

今日の音楽 1月26日 ノックは3回

ノックは3回 Knock Three Times トニー・オーランド&ザ・ドーン   Billboard 1971年年間チャート第10位

スタジオ歌手として活動していたトニー・オーランドは1970年に「恋するキャンディダ」でデビュー。全米3位になった事を受けて、テルマ・ホプキンスとジョイス・ヴィンセント・ウィルソンをバックコーラスにしてドーンを結成。1971年に「ノックは3回」が全米1位となり、1973年の「幸せの黄色いリボン」が世界的にヒットし年間ランキング1位も獲得しました。

トニー・オーランド&ドーンの個人的推薦曲
①幸せの黄色いリボン Tie a Yellow Ribon Round the Old Oak Tree  1973年 全米1位、年間1位  ポップス界の歴史に残る名曲のひとつ。軽快でいて、ワクワクして最後はペーソスを感じる歌詞とぴったりのサウンドで世界中を魅了しました。カバーも多く、日本ではこの曲を元に1977年に山田洋次監督が映画化した「幸福の黄色いハンカチ」も大ヒット。記念すべき第1回日本アカデミー賞、キネマ旬報賞など主な映画のタイトルを総なめにしています。
②嘆きのジプシー・ローズ Say, Has anybody Seen My Sweet Gypsy Rose 1973年 全米第3位 
③ノックは3回 Knock Tree Times 1971年
④イチゴ畑のサリーちゃん Who's in the Strawberry Patch with Sally 1973年 全米27位
⑤恋のシーソー・ゲーム He don't Love You(Like I Love You) 1975年 全米1位

2018年1月25日 (木)

今日の音楽 1月25日 無邪気ないたずら

ヨハン・シュトラウス二世の ポルカ「無邪気ないたずら」op.202は1858年1月25日に初演されました。

題名とぴったりの可愛らしいポルカ・フランセーズです。トリルを多用して無邪気さを表現しているようです。

2018年1月24日 (水)

今日の音楽 1月24日 故郷へ帰りたい

故郷へ帰りたい ジョン・デンバー Take Me Home, Country Roads  Billboard 1971年年間チャート第8位

ニューメキシコ生まれのドイツ系で高校時代に音楽活動を開始し1966年に自主制作したアルバムに収録されていた「悲しみのジェット・プレーン」がピーター・ポール&マリーのアルバムに収録され、シングルが全米1位になり注目されるようになりました。

1969年10月に「Rhymes & Reasons」でデビューし、親しみ易い曲調と情感あふれる歌詞によって、本人のヒットも数多く、カバーも非常に多いシンガー・ソングライターとして1970年代のカントリー界に君臨しました。

「故郷に帰りたい」は全米2位の大ヒットとなり、それをカバーしたオリビア・ニュートン=ジョンの「カントリー・ロード」も日本のオリコン洋楽チャートの1位になり、その後ジブリアニメ「耳をすませば」の主題歌としても使われています。

全く個人的なジョン・デンバーの推薦曲
①我が友カリプソ Calypso  1975年  全米2位 I'm Sorry のB面ですが2位になった曲。迫力のある曲です。
②フライ・アウェイ Fly Away  1975年 全米13位 オリビア・ニュートン=ジョンがバックコーラスを務めました。
③アイム・ソーリー I'm Sorry  1975年 全米1位 AB面とも素晴らしい曲です
④緑の風にアニー Annie's Song 1974年 全米1位 アニーはジョンの当時の奥様アニー・マーテル・デンバーの事ですが、歌詞にはAnnieの名前は出てきません。
⑤ロッキー・マウンテン・ハイ Rocky Mountain High  1972年 全米9位 ジョン・デンバーが愛したロッキー山脈を歌った歌
⑥バック・ホーム・アゲイン Back Home Again 1974年 全米第5位 故郷へ帰りたいと同じ望郷を歌った曲
⑦スイート・サレンダー Sweet Surrender  1974年 全米第13位
⑧故郷へ帰りたい Take Me Home, Country Road 1971年 全米第2位 
⑨太陽を背に受けて Sunshine on My Shoulders 1973年 全米第1位 映画「サンシャイン」に使われた曲で、映画ではクリフ・デ・ヤングが歌っていました
⑩フォロー・ミー Follow Me 1970年 チャート入りなし 後にオリビア・ニュートン=ジョンが歌って日本でのみシングル化されました。

2018年1月23日 (火)

今日の音楽 1月23日 嘆きのインディアン

嘆きのインディアン  ポール・リヴィア&ザ・レイダース Indian Reservation   Billboard 1971年年間チャート6位

インディアンの一族チェロキー族がインディアン居留地に強制移民させられた悲しみを歌った曲。
ポール・リヴィアのソロ曲なのですが、なぜかレイダース名義だったそうです。

今日の音楽 1月22日 傷心の日々

傷心の日々 ビージーズ How Can You Mend a Broken Heart  Billboard 1971年年間チャート第5位

ビージーズはマン島生まれのイギリス人ギブ三兄弟を中心に結成されたボーカル・グループです。
1963年にオーストラリアからレコード・デビューして1972年から完全にバリー、ロビン、モーリスの三兄弟のみのトリオとなりました。

ビージーズは前期と後期では全くサウンドが異なっています。世界的に大ブレークしたのは1975年以降のディスコ・ミュージックでしたが、個人的にはファルセットを多用した後期のビージーズは好きではありません。前期のメロディを大切にした時代の音楽の方が好きなのですが・・・

以前に自分が始めて買ったレコードはフォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」と書いた事がありますが、親が始めて買ってきた洋楽レコードがビージーズの「マサチューセッツ/ホリディ」でした。

「傷心の日々」は1971年の全米1位になった曲でしたが、日本では「カントリー・ウーマン」という曲のB面でした。原題は「どうすれば傷ついた心は治せるんだい?」という意味です。この曲も結構ファルセットが効いていますが、後期の曲のようにず~とファルセットではなくリードボーカルはロビンの通常の声で、バリーがファルセットで歌っています。

本当に個人的な、好きなビージーズの曲
①若葉の頃 First of May  1969 全米37位  1971年に映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌として採用されたり、日本ではドラマの主題歌に使われたりと、何回かチャートを賑わしました。
②マイ・ワールド My World  1972年 全米16位 まあ、ザッツ・コーラス・グループという曲です。
③マサチューセッツ Massachusetts  1967年 全米11位  これが原点です
④ラン・トゥ・ミー Run to Me  1972年 全米16位 この曲以降しばらくスランプ状態。ディスコブームに乗って「ジャイブ・トーキン」を出すまで3年ほど全米100位前後を行き来。
⑤愛はきらめきの中に 1977年 全米1位 「サタディ・ナイト・フィーバー」にも採用されました
⑥傷心の日々 How Can Yoiu Mend a Broken Heart 1971年 全米1位
⑦ホリディ Holiday 1967年 全米16位 (日本では「マサチューセッツ」のB面)
⑧ニューヨーク炭鉱の悲劇 New York Mining Disaster 1941 1967年 ウェールズのボタ山崩壊事故に発想を得て作曲されたもので、ニューヨーク炭鉱は架空の名前です。
⑨イン・ザ・モーニング  In the Morning  1971年 小さな恋のメロディの主題歌のひとつで日本のみシングル化
⑩メロディ・フェア Melody Fair 1971年 イン・ザ・モーニング同様、小さな恋のメロディの主題歌で日本だけでシングル発売

という事で、ディスコミュージックは殆ど入れてません。別にディスコ・ミュージックが嫌いなわけではないのですが、ビージーズの曲は好きでなかったので。

2018年1月21日 (日)

今日の音楽 1月21日 喜びの世界

スリー・ドッグ・ナイト 喜びの世界 Joy to the World  Billboard 1971年間ヒットチャート 1位

スリー・ドッグ・ナイトは、ダニー・ハットン、チャック・ネグロン、コリー・ウェルズという3人のボーカルを擁したロック・バンドで、当初は4人のバック・ミュージシャンをスカウトして7人組のバンドとしてスタートしています。

ロック・バンドと言っても、ポップス的な要素が強く、ソフト・ロックバンドとも分類されています。1969年の3枚目のシングル「ワン」が全米5位のヒットとなり、1970年「ママ・トールド・ミー」、1971年「喜びの世界」と毎年全米1位の曲を輩出しました。1975年にチャック・ネグロンがコカイン不法所持の容疑で逮捕されてからバンドは巧くいかなくなり、1976年にダニー・ハットンが脱退して一時解散。1981年に再結成されましたがメンバーチェンジが相次いで、以前の輝きは取り戻せていません。

個人的なスリー・ドッグ・ナイトのお勧め曲
①オールド・ファッションド・ラヴ・ソング An Old Fashioned Love Song 1971年 全米4位 ポール・ウィリアムズの作品
②ピース・オヴ・エイプリル Pieces of April    1972年  全米19位  
③喜びの世界  Joy to the World   1971年 全米1位
④ブラック・アンド・ホワイト Black and White  1972年 全米1位
⑤ショウ・マスト・ゴー・オン The Show Must Go on  1974年 全米4位 レオ・セイヤーの楽曲

2018年1月20日 (土)

今日の音楽 1月20日 スノー・バード

アン・マレー スノー・バード Snow Bird  Billboard 1970年間ヒットチャート42位

アン・マレーは1945年カナダ生まれの女性歌手で、デビュー前に他の世界も経験する事が必要と高校で体育の教師をしていました。実は、カーペンターズ、オリヴィア・ニュートン=ジョンと共に聴きまくった女性歌手で、その温かい歌いっぷりで息の長い人気を保った歌手です。詳しい話はまた後日致します。
スノー・バードは彼女の最初の大ヒット曲。それまで出した5曲のシングルはそれ程売れませんでしたが、これをきっかけに多くのヒットを出し、カナダで最も成功した歌手のひとりとしても知られています。

個人的にお勧めのアン・マレーの曲
①辛い別れ You Needed Me  1978年 カナダの歌手として始めて全米1位になった曲。日本でもドラマの主題歌として採用されました。
②ダニーの歌 Danny's Song  1972年 ケニー・ロギンズ作詞作曲 全米7位
③二人だけの世界 United We Stand 1972年 グレン・キャンベルとのデュエット曲 
④ラヴ・ソング A Love Song 1973年 これもケニー・ロギンスの作品。 全米12位
⑤スノー・バード Snow Bird 1970年 全米8位
⑥サンディ・サンライズ Sunday Sunrise 1975年 ブレンダ・リーのカバー曲
⑦ノーボディ・ラヴズ・ミー・ライク・ユー・ドゥ Nobody Loves Me Like You Do  1984年 全米カントリーチャート1位
⑧ユー・ウォント・シー・ミー You Want See Me  1974年 全米8位 ビートルズの曲
⑨ホワット・アバウト・ミー What About Me  1968年、1973年 デビュー曲でしたがヒットせず。人気が出た後アルバム「ダニーの歌」に再収録され、シングルも再発売して全米64位。日本公演の時のオープニング曲でした。
⑩デイ・ドリーム・ビリーヴァー Daydream Believer 1980年 全米12位 モンキーズのヒット曲をカバー

2018年1月19日 (金)

今日の音楽 1月19日 ヴィーナス

ショッキング・ブルー ヴィーナス Billboard 1970年間ヒットチャート 33位

ショッキング・ブルーはオランダ出身のロックバンドで、途中から加わったマリスカ・ヴェレスがヴォーカルになってから大ヒットを産むようになりました。1969年に発売した「ヴィーナス」は全米1位になり、日本でも翌年にオリコンの2位を記録しました。そのほか「悲しき鉄道員」はアメリカでは売れませんでしたが日本では2位、本国オランダでは1位になりました。

2018年1月18日 (木)

今日の音楽 1月18日 レット・イット・ビー

ビートルズ レット・イット・ビー Let it be  Billboard 1970年間ヒットチャート 9位

まあ、ビートルズについてはここで説明する必要は無いと思いますが、私の場合アフター・ザ・ビートルズ世代なので、ビートルズ解散後にビートルズを熱心に聴いたわけです。

何故ビートルズが、これだけ全世界で受け入れられたのか、私にもわかりません。演奏が非常に巧いとか歌が非常に巧いとか判り易い理由があるわけでは無いのですが、一言で言えば音楽的に優れていた事でしょうか。古いスタイルのロックン・ロールから、プログレッシヴなロック音楽、雄大なバラードなど音楽の幅は非常に広く、それが方向性の違いを生んで解散の要因のひとつになったのでしょう。

レット・イット・ビーはビートルズ最後のオリジナルアルバム「レット・イット・ビー」に収録されていた曲で、イギリスでは解散前の最後のシングルにもなった曲です。(アメリカや日本ではザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードが発売されています)
ビートルズが分裂しつつあることを悲観したポールが、亡き母が降りてきて語った「あるがままをあるがままに受け入れなさい」という言葉を元に作詞作曲したもの。特に日本での人気が高い曲で日本ではビートルズ歴代1位の売上になりました。(本国イギリスではベスト10にも入っていません)

私の好きなビートルズ曲
①レット・イット・ビー
②ゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンド~ハー・マジェスティ
③ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
④オール・マイ・ラヴィング
⑤フール・オン・ザ・ヒル
⑥ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
⑦ヒア・カムズ・ザ・サン
⑧マクスウェルズ・シルバー・ハンマー
⑨エリナー・リグビー
⑩アクロス・ザ・ユニバース

2018年1月17日 (水)

今日の音楽 1月17日 エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ

ダイアナ・ロス エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ Billboard 1970年間ヒットチャート第6位

1961年3人組のコーラス・グループ ザ・スプリームスのリード・ボーカルとしてデビューし「ストップ・イン・ザ・ネイム・オヴ・ラヴ」「恋はあせらず」など数々のヒット曲を産みました。1967年からはダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとグループ名を変更。1970年にはグループを脱退してソロ活動をスタートし大成功。黒人女性歌手の中で最も成功した歌手となって行きます。映画「ビリー・ホリディ物語」「マホガニー物語」にも主演し、マーヴィン・ゲイ、ライオネル・リッチーなど数多くの歌手とのデュエットも成功しています。

ダイアナ・ロスといえば、勿論歌も巧いのですが、何と言っても大きな、良く通る声ですね。「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」はダイアナ・ロスのソロ・デビュー曲でいきなり全米1位となっています。元々は1967年にマーヴィン・ゲイとタミー・テレルが発表して全米19位になった曲。ダイアナ・ロスの良く通る声を最大限に発揮するアレンジとなっています。

私の好きなダイアナ・ロスの曲
①マホガニーのテーマ Theme from Mahogany(Do you know where you're going to)  1975年  全米1位
②イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー If we hold on together  1988年 日本でのみ大ヒット
③ユー・アー・エヴリシング You are everything  1974年 マーヴィン・ゲイとのデュエット
④タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング Touch me in the Morning 1973年 全米1位
⑤エイント・ノ・マウンテン・ハイ・イナフ

2018年1月16日 (火)

今日の音楽 1月16日 明日に架ける橋

これからしばらくは、私の音楽の原点のひとつである1970年代の洋楽の名曲を(個人的見解です)ご紹介していきます。

今日はサイモン&ガーファンクル 明日に架ける橋 1970年Billboard 年間ヒットチャート1位

サイモン&ガーファンクルは小学校時代からの親友だったポール・サイモンとアート・ガーファンクルによるデュオで1964年にデビューし、1970年に音楽性の違いが原因で活動を休止しました。元々が親友であり音楽を離れたところでは親交は続いていて、その後も再結成を繰り返しています。

「明日に架ける橋」は、個人的にも最も好きな洋楽のひとつです。困難な状況に陥った時の応援ソングで膨大な数のアーチストにカバーされています。

サイモン&ガーファンクルの個人的推薦曲
①明日に架ける橋
②ボクサー
③アメリカ
④サウンド・オブ・サイレンス
⑤アイ・アム・ア・ロック

2018年1月15日 (月)

今日の音楽 1月15日 ブラック・アンド・ホワイト

洋楽にはまり始めていた中学生の時、周りの友人たちの間でも洋楽がブーム。ギターを持つ仲間も増え始め、自分も安いギターを買ってもらって爪弾き始めていました。当時電子鍵盤楽器としてシンセサイザーによる音楽も出始めましたが、まだ高価で非常に大きなものでした。

1960年代のロックン・ロールから、様々なロック音楽が台頭していきます。その中でポップ・ロックと言われる分野で活躍したのがスリー・ドッグ・ナイトです。非常に軽いポップな音楽を提供するロック・ミュージシャンでボーカル3人とミュージシャン4人というグループで、1968年デビュー。1969年に3枚目のシングル「ワン」が全米5位になり、1970年「ママ・トールド・ミー」、1971年「喜びの世界」が1位となって地位を確立。1972年にヒットした「ブラック・アンド・ホワイト」をクラスで文化祭で演奏しようという事になって、勿論エレキは使えないしドラムセットも無いので、我々が使える楽器で演奏した思い出の曲です。

2018年1月14日 (日)

今日の音楽 1月14日 幻想小曲集op.73(シューマン)

シューマンの幻想小曲集op.73は1850年1月14日に初演されました。

シューマンには幻想小曲集というタイトルの曲が4つあります。1つはピアノ独奏のための曲で作品番号12の曲。他にピアノ三重奏の作品番号88、ピアノ独奏用で作品番号111です。

元々はクラリネットとピアノのために作曲されたものですが出版の際にチェロやヴァイオリン用に編曲されたものも出版されています。
シューマンは楽器の特性に熟知していたわけではなく、様々な曲にその欠点が見出せますがそれを凌駕する高い音楽性を持っているために広く愛されています。この曲もクラリネットは息継ぎが難しい曲となっています。

第1曲「静かに、感情を込めて」 
第2曲「活発に、軽やかに」
第3曲「急速に、燃えるように」
の3曲の小品からなっていて、曲毎にテンポを上げて華やかなフィナーレへ向かうという構成になっています。

2018年1月13日 (土)

今日の音楽 1月13日 水色の恋

中学生の中ごろからは殆ど洋楽に傾倒してはいましたが、勿論日本の音楽も全く聞かないわけではありませんでした。1971年は、邦楽の大きな転換点でした。この年小柳ルミ子、南沙織、天地真理という後に新三人娘と呼ばれる歌手がデビュー。特に南沙織、天地真理はアイドル歌手という世界を確立し、それが現在まで繋がっているわけです。

天地真理は国立音楽大学附属高校の声楽科を卒業し、ドラマ「時間ですよ」の隣のまりちゃん役でデビュー。堺正章扮する銭湯「松の湯」の従業員との掛け合いで人気を得て「水色の恋」でデビューしました。声楽を学んでいた事もあって、喋る声と歌う声が全く違う発声の歌手でした。

私は、現在ではこの3人の中では南沙織の音楽が最も好きですが、当時は天地真理派。天地真理はシングルも勿論売れたのですが、現在のアイドルでは考えられないアルバムが売れる歌手でした。デビューアルバムは年間1位、デビューから5枚のアルバムが全てオリコンチャートの3位以内でした。

シングルも5枚が第1位を獲得しています。(これは松田聖子に破られるまで女性ソロ歌手のトップでした)
私の好きな曲は
①水色の恋
②ひとりじゃないの
③虹をわたって
④想いでのセレナーデ
⑤空いっぱいの幸せ

「水色の恋」は天地真理のデビュー曲でオリコン3位の曲。実はデビューアルバムの中で、ポール・モーリアの演奏でヒットした「恋はみずいろ」が入っていました。

2018年1月12日 (金)

今日の音楽 1月12日 愛にさよならを

中学時代の後半は聴く音楽の殆どが洋楽でした。日本では、フォークからグループサウンズへと若者の音楽が移っていき、グループサウンズのブームが終わると歌謡曲の時代になった事もあり、若者は邦楽への興味を持たなくなって、嗜好が洋楽に向かっていたという時代背景がありました。

そんな背景で、ラジオでも全米トップ40というビルボードの週間チャートを紹介する番組が登場し、またギターがブームとなって、それまで大人から見ると「うるさい」とか「不良っぽい」というイメージを持たれていたロックが次第に認められて来ています。

この時代の自分は、全米トップ40を聞き、ロック、カントリー、ソウルなど様々な音楽と接する事が出来るようになりました。そんな中で、最も好きだったのがカーペンターズでした。まあ、硬派の人たちから見ると軟弱な音楽と思われていたみたいですが。。。

実際に買ったアルバムは1970年の2枚目ノアルバム「遥かなる影」から1975年の「緑の地平線」までの5枚でしたが、カレンが無くなってから「愛の軌跡」と「レインボウ・コネクション」は買いました。

私の個人的に好きな曲ベスト10は
①青春の輝き I Need to Be in Love  1976年
②イエスタディ・ワンス・モア Yesterday Once More 1973年
③遥かなる影 Close to You  1970年
④遠い初恋 Make Believe It's Your First Time 1983年
⑤アイ・キャント・メイク・ミュージック I Can't Make Music (シングル化なし)
⑥愛は虹の色 Desperado  (シングルなし)
⑦ソリテア Solitaire  1975年
⑧星空に愛を Calling Occupants of Interplanetary Craft 1977年
⑨愛にさよならを Goodbye to Love  1972年
⑩スーパー・スター Superstar 1971年
次点 動物と子供たちの詩、雨の日と月曜日は、ア・ソング・フォー・ユー

2018年1月11日 (木)

今日の音楽 1月11日 サンライズ・サンセット

初めて見た映画といえば、小学校の講堂で見た「竜の子太郎」だったと記憶していますが、個人で見たのは四日市の映画館(小学校1~3年の秋まで親の転勤で鈴鹿に住んでいた)は、東宝のSF映画「サンダ対ガイラ」でした。

そして、初めて親以外の人と見に行った映画がミュージカル映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」でした。中学校2年の冬、クラスメート3~4人で日比谷にあった有楽座という大きなロードショー館に行って見ました。その頃の日比谷はロードショーを上映する大型の映画館が多くある映画の街と呼ばれる町でした。

当時覚えている範囲では、みゆき座では「小さな恋のメロディ」、スカラ座では「哀しみの終わる時」をやっていました。

「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ウクライナにあるアナテフカという小さな村に住むユダヤ人たちをテヴィエ一家を中心に描いたミュージカル。1964年から1972年まで3242回という当時は最長のロングラン公演を果たしたミュージカルを映画化したものです。

話の骨幹は『ユダヤの厳しい戒律』と『新しい流れ』の間で揺れ動くユダヤ人たちを、屋根の上でバランスを取りながらヴァイオリンを弾くヴァイオリン弾きに例えて表現したもの。それと並行して、ロシア人によるユダヤ虐待を描いたものでした。その中で主題歌としてヒットした曲が「サンライズ・サンセット」です。

テヴィエの長女ツァイテルの結婚式で歌われた曲で、小さかった女の子が成長し独り立ちしていく姿を祝福する内容の歌です。

2018年1月10日 (水)

今日の音楽 1月10日 スーパースター

小学校高学年の時は音楽と言えばグループサウンズばかりを聞いていましたが、それも下火になって中学校に入ってから海外のポップスを聞くようになりました。

記憶が前後してしまっているので、正しく時系列での記述ができませんが、最初にクラスメートから聞かされて買ったレコードが、マイクカーブ・コングリゲーションというコーラスグループの「戦略大作戦」。特にお気に入りだったのがそのB面の「ジンジャー・ブレッド・マン」という曲。

続いて別のクラスメートから進められたのがカーペンターズの「スーパー・スター」でした。当時はソフト・ロックという分野で呼ばれていたジャンルに属するもので、リチャードとカレンの兄妹を中心とした爽やかなコーラスを歌う日本には全く無い音楽の世界に衝撃を受けたものです。

結局、「カーペンターズ」に嵌った私は日本公演も3回行きましたし、レコードも買い続けてファン・クラブに入ったり・・・自分の生涯の中で欠かす事のできないアーチストのひとりとなりました。

カーペンターズはビートルズの「涙の乗車券」のカバーでデビューし、2曲目のバート・バカラック作曲の「遥かなる影」で全米第1位になるとともに、年間第2位(1位はサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」)、グラミー賞の最優秀新人賞、最優秀ボーカル・グループ賞を受賞しトップ・スターへの昇りつめました。その後「愛のプレリュード」、「ふたりの誓い」に続いて発売された(アメリカでは遥かなる影の後に「メリー・クリスマス・ダーリン」がシングル化されています)のが「スーパー・スター」。レオン・ラッセル作詞作曲の曲で、日本でも初めてオリコンのトップ10入りを果たし、カーペンターズが認知されてきたきっかけの曲です。

2018年1月 9日 (火)

今日の音楽 1月9日 行進曲スペアミント

中学校に入って、運動会で隊列行進があったのですが、その時の行進曲2曲。両方ともメジャーな曲ではなくて、曲名もわかりませんでした。

後で調べて1曲だけわかりました。チュリーヌという作曲家が作曲した「スペアミント」という曲。関西吹奏楽コンクールの課題曲になった事もある曲だったようです。

とてもメロディックな曲でした。You Tubeも完全なものは無かった・・・

2018年1月 8日 (月)

今日の音楽 1月8日 ピアノ五重奏曲(シューマン)

今日は久々に初演ネタで。

シューマンのピアノ五重奏曲は1843年1月8日にライプツィヒで初演されました。

シューマンの室内楽の年1842年に作曲されたもので、わずか数週間で書き上げられました。妻のクララに献呈されています。シューマンの室内楽作品の中でも最も人気の高い作品です。

典型的な4つの楽章による曲で、第1楽章がソナタ形式、第2楽章が葬送行進曲風の行進曲、第3楽章がスケルツォ、終楽章は自由なソナタ形式で、2重フーガが用いられています。

2018年1月 7日 (日)

今日の音楽 1月7日 ヘイ・ジュード

ステレオを買った時にオマケでもらったビートルズの「リヴォルバー」は、うるさい音楽を嫌っていた親の影響もあってか、お蔵入りになっていて、実際に私がビートルズの音楽に触れたのは、小学校高学年の1968年に発売されたオリジナル・シングルの「ヘイ・ジュード」でした。当時の友人の家で初めて聴かされた曲で、当時の自分にとっては非常に新鮮な曲でした。
というのも、当時日本でヒットする曲はだいたい3分弱。ところがこれは7分という長い曲で、しかも後半は同じメロディの繰り返し。と言ってもその繰り返しがどんどん変化していくのが面白い曲です。

2018年1月 6日 (土)

今日の音楽 1月6日 スラヴ舞曲第2集第2番

今日は久々の初演ネタです。

ドヴォルザークのスラヴ舞曲第2集op.72の第1番、第2番、第7番の管弦楽版は1887年1月6日にプラハで初演されました。

ブラームスはドヴォルザークの才能を高く評価し、出版社にドヴォルザークを紹介するなど支援をしてきました。またドヴォルザーク自身もブラームスを深く尊敬し、初期の作風にはブラームスの影響が色濃く出ていました。
出版社のジムロック社は、ブラームスの「ハンガリー舞曲集」の成功を受けて、ドヴォルザークにもスラヴ系の舞曲の作曲を依頼し1878年に8曲のスラヴ舞曲集というピアノ連弾用の曲を作曲しました。これが作品番号46のスラヴ舞曲集第1集でした。これは大人気となり、すぐに管弦楽に編曲し、こちらも大好評。
ジムロック社はこの成功を受けて続編の作曲を依頼して1886年に完成したのが作品番号72のスラヴ舞曲集第2集でした。これもすぐに管弦楽に編曲され、翌年1月に第1,2,7番の3曲が初演されました。
第2集は、チェコの舞曲中心だった第1集と違い、スラヴ地域全体の舞曲を取り入れています。
第2番は、スラヴ舞曲集全体の中で特に有名な曲で、様々な形に編曲されたり、CMやドラマなどでも使われています。8分の3拍子でドゥムカという舞曲になっています。非常にメランコリックな曲です。

2018年1月 5日 (金)

今日の音楽 1月5日 バラ色の雲

ビートルズの人気から、日本にもロックバンドのブームが訪れました。1965年に発売されたザ・スパイダースの「フリ・フリ」が最初のグループ・サウンズ(以下GS)のレコードと言われています。
GSは、日本のロックバンドの草分けを担う一面もありますが、性格にはロックバンドたり得るものは一部で、フォークグループの延長(アコギをエレキに持ち替えた)や、歌謡バンドの側面が強いものもあるため、日本独自のGSという名称で呼ばれています。
その後ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「青い瞳」、ザ・サベージ「いつまでもいつまでも」と続き1966年ビートルズの来日公演以降、こうしたGSグループが数多く誕生しました。
GSは1968年ごろにピークを迎え1969年にはメンバーの脱退などが始まって急激に人気を落としていきました。
当時は沢田研二らの「タイガース」、田辺昭知らの「スパイダース」、ショーケンの「テンプターズ」、ブルーコメッツ、ワイルドワンズ、などが人気が高く、特にスパイダースはメンバー全員が現在でも様々な分野(プロダクション社長、俳優、音楽プロデューサー、ライターなど)で活躍しています。(昨年かまやつひろしさんがご逝去されました。
私のお気に入りはヴィレッジ・シンガーズ。古くから活動していましたが、小松久と林ゆたかを残してメンバーががらりと変わった新生ヴィレッジ・シンガーズとして1967年「バラ色の雲」で再デビューし躍動感あるポップ調の曲がヒット。その後「好きだから」「亜麻色の髪の乙女」「虹の中のレモン」「星が降るまで」などが次々とヒットしました。その後はGSブームの衰退もあり次第にムード歌謡へと方向が変わっていき1971年に解散しました。

2018年1月 4日 (木)

パイオニア交響楽団第30回定期演奏会のご案内・5

パイオニア交響楽団第30回定期演奏会 
1月8日(祝) 午後2:00開演
新宿文化センター 大ホール
ピアノ 黒岩悠   指揮 黒岩英臣
レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」より ワルツ「舞踏会の妖精たち」
シューマン ピアノ協奏曲
ラフマニノフ 交響曲第2番

ラフマニノフの交響曲第2番の第3楽章は三部形式の緩徐楽章です。ラフマニノフらしい非常に美しいメロディの楽章になっています。ヴィオラによる三連符をベースに奏でられるヴァイオリンによる流麗なメロディからはじまり、クラリネットのソロによるノクターン風の静かな旋律が次に流れていきます。22小節にわたるこのクラリネットのメロディはクラリネット奏者の醍醐味とも言えましょう。そこに他の木管楽器が重なって冒頭の弦楽器のメロディも加わっていきます。クライマックスではメロディと三連符の綾なす音楽がうねります。
中間部は第1楽章のモットーが変形してあらわれ、クライマックスを形成した後静寂へと進み全休止。再現部ではヴァイオリンのソロが用いられ静かに消え入るように終わります。

第4楽章はソナタ形式の総括的な楽章です。第1主題はメロディよりもリズムによるエネルギッシュさを感じる旋律で管楽器による行進曲風の部分を挟んで主題が繰り返され、ホ長調からニ長調に転調。第2主題は甘美なメロディですが力強さを併せ持つものです。途中第3楽章の旋律がわずかに浮かび上がりますが、すぐに元に戻っていきます。展開部は第1主題を変形してクライマックスに向けて、高揚していきます。第2主題が雄大に演奏されてコーダへと突入。第1主題のリズムを中心にラフマニノフ終止で終わります。

全ての楽章に優美なメロディが散りばめられていますが、それを単なる優美さのみでなくて、様々なスタイルで表現していくのがラフマニノフらしい曲です。

チケットプレゼント受付中 こちら です。

今日の音楽 1月4日 コブのない駱駝

小学校高学年の1967年から1969年にかけて、日本では空前のグループ・サウンズでした。
1960年代半ばからビートルズやヴェンチャーズの影響によるエレキギター・ブームと、五つの赤い風船などのフォークソングがクロスオーバーしながら発展して生まれた音楽でした。この間、フォークとGS(グループサウンズ)の境目は曖昧で、GSにもフォーク系のサウンドのものもありました。
フォークグループの草分けが五つの赤い風船ですが、1967年から1年限定で結成された異色のグループがフォーク・クルセダーズでした。加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人のグループで最初はアンダーグラウンドで活動していた人間の集まりでした。
「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットして1968年に開始されたオリコンの最初のミリオン・ヒットでした。
私が始めて自分の小遣いで買ったレコードが、このフォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」でした。そしてそのB面が「コブのない駱駝」という、駄洒落だらけの音楽。
こういう音楽があるんだ・・・と、新しい世界が開けた1曲でした。

2018年1月 3日 (水)

今日の音楽 1月3日 エリナー・リグビー

小学校4年の時、父親の転勤で3年間住んでいた三重県から東京に戻ってきて、今まで聴いていたレコードプレーヤーを、いよいよステレオに買い換えてもらいました。
買ったのは勿論秋葉原。当時は東京で電気製品を安く買えるのは秋葉原しかありませんでしたから。
その時にオマケでもらったのが当時大流行していたビートルズのアルバム「リボルバー」でした。
最も、その当時はロックンロールなんてうるさいだけの音楽だと思ってましたが。
「リボルバー」はビートルズ7枚目のアルバム。勿論全米でも全英でも1位になった1966年夏に発売されたものです。非常に凝った曲づくりをしたために、当時の技術ではライブでは再現できず、このアルバムの作品はライブでは取り上げられる事が無かったそうです。
曲は「エリナー・リグビー」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」「イエロー・サブマリン」「グッド・ディ・サンシャイン」「トゥモロー・ネバー・ノウズ」など。シングル化されたのは「エリナー・リグビー」(イエロー・サブマリンと両A面)のみでした。
ストリングスをフィーチャーしたクラシック風の曲で、エリナー・リグビーという身寄りの無い老女と、誰からも相手にされないマッケンジー神父という架空の人物を悲劇的に描いた物語風の曲。実際にリヴァプールのセント・ピーターズ教会の共同墓地に実在のエリナー・リグビーという人物の墓がある事がわかり、ビートルズ・ファンの聖地となっていますが、偶然の事で全く関係ないそうです。ストリングスはポールからヴィヴァルディ風にというリクエストでジョージ・マーティンがアレンジしたものです。
歌詞も音楽もドラマチックな内容だった事もあり多くのアーチストにカバーされています。

2018年1月 2日 (火)

パイオニア交響楽団第30回定期演奏会のご案内・4

パイオニア交響楽団第30回定期演奏会 
1月8日(祝) 午後2:00開演
新宿文化センター 大ホール
ピアノ 黒岩悠   指揮 黒岩英臣
レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」より ワルツ「舞踏会の妖精たち」
シューマン ピアノ協奏曲
ラフマニノフ 交響曲第2番

ラフマニノフの交響曲第2番は1時間弱という長大な曲です。チャイコフスキーの系統を引く音楽であるという事は間違いありませんが、ユニゾンによるメロディの厚みを特徴とするチャイコフスキーと違って、メロディの裏では、様々な楽器が色々な事をやらされるので、合奏が非常に難しい曲です。特に弦楽器の内声(2nd violinとviola)の動きに気をつけて聞いてみると、その真価というか工夫というか、ちょっとゴチャゴチャしすぎというか・・・面白さがわかると思います。

第1楽章は、チェロとコントラバスによる全曲を通して使われるモットーから始まります。そして大きなうねりの繰り返しとなる長い序奏部があります。ここでは弦楽器と木管楽器が少しずつずれながら動機を演奏して序奏内でのクライマックスを作っていきます。

第1主題は木管の導入の後にヴァイオリンで演奏されますが非常に短い主題です。しかも主題の途中に2回もリタルダンドがあるという変わった主題提示です。目立たないですが、この提示部の間35小節の間ずっとヴィオラが刻みを弾いているのですが(コントラバスは変拍子的なピチカートで体力的には楽です)ホントご苦労さまです。それが終わると直ぐに、テンポを上げていきなり低音楽器から今までと全く無関係な三連符をともなうフレーズが静けさを破ります。その後はこの三連符を重要なファクターとして動きのあるパートを過ぎて、第1楽章の最も美しいメロディが出てクライマックスを形成して主題部を終わります。

展開部はヴァイオリンのソロのモットー動機の変形メロディが出て、クラリネットへと受け継がれていきます。クライマックスを形成して再現部に入り第1主題、第2主題、序奏でのヴァイオリンの動機が展開され、コーダは第1主題の断片によって暗い短調のまま閉じられます。

第2楽章はスケルツォ楽章でA-B-A-C-A-B-A-codaという構成になっています。
Aの部分はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」に由来する主題をホルンが奏でるリズミカルな部分になります。
クラリネットのソロからテンポを落としBの部分に入ります。ここは一転してメロディックな部分になります。
Aの部分に戻った後は、スケルツォの終止があり、Cの中間部に入ります。ここでは全く曲調が変わり落ち着きの無い音楽に入ります。多分この部分がこの曲できちんと聞かせるのが一番難しい部分でしょう。
行進曲風になって、またスケルツォに戻ります。コーダでは金管のコラール風の旋律が表れて静かに楽章を閉じます。

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今日の音楽 1月2日 鉄腕アトム

いつの時代も子供の音楽の定番は、「おかあさんといっしょ」かアニメソング。
私の時代は、まだアニメ(当時はアニメーションという言葉がまだ無かったため、漫画でした)は白黒でした。その中でも最も人気があり、自分自身もずっと見ていたのが「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。
鉄腕アトムが描く近未来は、子供の夢でしたが、AIの発達などで徐々にその近未来に近づいてはいますね。
鉄腕アトムの主題歌のほか、「ロボット・マーチ」「ウランちゃんの歌」などが収録されていた「朝日ソノラマ」を買ってもらって、まだプレーヤーから直接音が出るレコード・プレーヤーで飽きるほど聴いていました。
その他では「宇宙少年ソラン」「エイトマン」などを見ていました。音楽として好きだったのは他に「宇宙エース」「ワンダー・スリー」。
やがて、円谷氏のSFもの「ウルトラQ」が誕生し新たな時代が生まれます。

2018年1月 1日 (月)

今日の音楽 1月1日 森の水車

今日から新装開店の今日の音楽です。
今までは、その日に亡くなった音楽家やその日が誕生日の音楽家、その日に完成した作品、初演された作品を取り上げていましたが、今回からは、それに捉われず、自分の音楽史を中心に進めようと思います。

1957年生まれ。両親とも音楽との係わり合いは殆どありませんでしたが、私自身は小さい頃から音楽が大好きだったようです。音楽との出会いは勿論幼稚園などでの歌やアニメの主題歌などでしたが、殆ど覚えていないので、そこは割愛。

子供の情操教育の一貫か、クラシック音楽の全集を買ってもらいました。家庭用のもので、交響曲とか協奏曲とかの大曲ではなくて、ピアノの小品とか声楽曲、「ユモレスク」とか「アンダンテ・カンタービレ」のような名の知れた小品を集めた全集で全部で10枚ぐらいのEP盤でした。(EP盤はサイズはシングルレコードと同じで、回転数が33回転のもの)

その中で最もお気に入りは描写音楽のレコード。ヨナーソンの「かっこうワルツ」、ブラーアーの「口笛吹きと子犬」、オルトの「時計屋の店」など子供にわかり易い曲ばかりのレコードでした。その中の1曲はアイレンベルクの「森の水車」。夜が明けて、水車が動き出すという単純なものでした。原曲はピアノ曲ですが、オーケストラにアレンジされていました。

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