今日の音楽 9月30日 弦楽四重奏曲第2番(シューベルト) ; Music for today Sep.30 String quartet No.2(Schubert)
シューベルトの弦楽四重奏曲第2番ハ長調D32は1812年9月30日に完成しました。
シューベルトの初期の弦楽四重奏曲の多くは出版される事なく、紛失状態になっていましたが1950年代にはいって見つかり、1954年に出版されました。1955年12月23日にエオリアン弦楽四重奏団の演奏で初演されています。
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シューベルトの弦楽四重奏曲第2番ハ長調D32は1812年9月30日に完成しました。
シューベルトの初期の弦楽四重奏曲の多くは出版される事なく、紛失状態になっていましたが1950年代にはいって見つかり、1954年に出版されました。1955年12月23日にエオリアン弦楽四重奏団の演奏で初演されています。
俳優の林隆三は1943年9月29日に東京都新宿区で生まれました。
俳優座養成所を卒業後、テレビドラマ「天下御免」で人気を博し1974年に映画「妹」の主演、1977年には「竹山ひとり旅」で日本アカデミー賞主演男優賞を獲得しました。
その後は多くのテレビドラマ、映画に出演。「早春物語」は角川映画で赤川次郎原作澤井信一郎監督の作品です。主題歌は主演の原田知世です。林隆三は原田知世の前に現れた中年男役。実は母親を捨てた元恋人という設定でした。
映画監督森谷司郎は1931年9月28日に東京で生まれました。
早稲田大学卒業後東宝に入社し助監督をつとめながら1966年に「ゼロファイター大空戦」で監督デビュー。「悪いやつほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」といった黒澤監督作品の助手をつとめた経験から完璧主義で評価を高めていきました。
1970年代に「八甲田山」「日本沈没」という大ヒットを作り出しましたが、その後はこれを超える評価を得る作品を作る事はできませんでした。
青函トンネル工事に執念を燃やす国鉄技師を描いた「海峡」は、実際の青函トンネルの先進導坑完成の前年1982年の作品です。主題歌は南こうせつでした。
ウェーベルンのピアノのための変奏曲op.27は1937年9月27日にシュタドレンの演奏で初演されました。
ウェーベルンの作品では独奏ピアノのための曲は極端に少ないのですが、その中でも最も演奏される機会が多いのがピアノのための変奏曲です。
セリー主題に基づく厳格な十二音技法による作品で3つの楽章からできています。第1楽章は主題とその逆行形を同時に演奏する鏡像構造になっています。第2楽章は反行カノン、第3楽章は6つの部分からなる変奏になっています。
カントリー歌手のリン・アンダーソンは1947年9月26日にノースダコタ州で生まれました。
1970年代から80年代にかけてアメリカのカントリー界で活躍した歌手です。1966年にデビューして1970年には全米3位となるヒット曲「ローズ・ガーデン」をリリースしました。とても明るくポップな曲で、これぞカントリー音楽という感じがする曲です。
俳優のマイケル・ダグラスは1944年9月25日にニュージャージーで生まれました。
俳優カーク・ダグラスの子として生まれ、演劇、映画製作などを学んだ後映画界には助監督としてデビューしました。後に俳優に転向し「コーマ」「ロマンシング・ストーン」などに出演。1975年には「カッコーの巣の上で」のプロデューサーとしてアカデミー作品賞等を受賞し、1987年には「ウォール街」でアカデミー主演男優賞を受賞しました。
ミュージカル「コーラス・ライン」では劇中のプロデューサー ザックを好演しています。「コーラス・ライン」はミュージカルの舞台裏としてダンサーのオーディションのみにスポットライトを当てた異色作品でした。オーディション合格者によるフィナーレの「ワン」は圧巻でした。
作曲家納所弁次郎は慶応元年9月24日(西暦1865年11月12日)に築地で生まれました。
音楽教育のかたわら言文一致の唱歌を提唱し多くの曲を作曲しました。「兎と亀」「おつきさま」などがありますが、最も有名なのは「桃太郎」でしょう。
作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニは1835年9月23日に亡くなりました。
ベッリーニはロッシーニ、ドニゼッティと共に19世紀前半を代表するオペラ作曲家です。音楽を学ぶ前から作曲をしたという天才で、ショパン、ベルリオーズ、ワーグナーといった作曲家も彼を絶賛しています。
33歳で腸疾患で早逝したために、残された作品は多くはありませんが、それでも10曲以上のオペラを作曲しました。「カプレーテとモンテッキ」(ロミオとジュリエットを題材としたもの)、「夢遊病の女」「ノルマ」「清教徒」などが有名です。
「海賊」も代表作のひとつで1827年に初演されています。この曲、ドラマチックなアリアを含む名曲ですが、めったに上演されません。理由は・・・難しすぎるから・・・だそうです。ヴェルディも「海賊」というオペラを作曲していますが、全く内容の異なるものです。
終幕の狂乱の場「無邪気なほほえみもて」です。
ミュージシャンの石井竜也は1959年9月22日に茨城県北茨城市で生まれました。
現在は音楽のみならず様々な分野でプロデューサー、アーチストとして活躍していますが、美術学校卒業後はソロ歌手や、カールスモーキー石井として活動していた米米CLUBでボーカルをつとめていました。「君がいるだけで」は1992年の米米CLUB最大のヒット曲で日本レコード対象を受賞しています。
俳優松田優作は1949年9月21日に下関で生まれました。
松田優作は、刑事ドラマ「太陽にほえろ」のGパン刑事役で脚光を浴び、個性派俳優として数々のドラマ、映画に出演しましたが、膀胱癌によって40歳で早逝しました。
「探偵物語」は赤川次郎の原作を元に作られた1983年の映画。共演の薬師丸ひろ子が主題歌も歌っていました。
シンガー・ソングライターの小田和正と1947年9月20日に横浜で生まれました。
小田和正は中学受験の塾通いの途中で出会った鈴木康博と同じ聖光学院に入学し、バンド活動を開始しました。その後オフ・コースを結成して1989年まで活動。解散後は、小田はソロ歌手として多くのヒット曲を生み出しました。
「ラブ・ストーリーは突然に」は1991年に「Oh!Yeah! 」との両A面として発売された曲でテレビドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌に使われ270万枚というシングルCDとしては最高の売上を記録しました。
シェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番は1927年9月19日にウィーンで初演されました。
弦楽四重奏曲第3番は、第2番から20年を隔てた1927年に完成されました。当時は世界恐慌、ナチスの台頭という不安な社会情勢の中で作曲され、その空気感が反映されています。12音技法を使い、緊張と弛緩の繰り返しという不安定な曲想になっています。
エルガーの行進曲「威風堂々」第5番は1930年9月18日にエルガー自身の指揮ロンドン交響楽団の演奏でロンドンで初演されました。
エルガーが完成させた最後の「威風堂々」です。第1番から第4番までが1901年から1907年までの間に作曲されていますが、この曲は晩年の1930年のものであり、勢いはだいぶ失われているように感じます。主要部の活発な行進曲と中間部のゆったりとした行進曲というのは同じ構成ですが、主要部が若干甘い旋律であったり、中間部があまりメロディックでは無いという事もあって、それまでの曲とは趣が違っています。
オーケストレーションは円熟味が加わってシンフォニックなものになっていますので、第1番の印象を求めなければ、良い作品だと思います。
ディーリアスの交響詩「夏の歌」は1931年9月17日に、ヘンリー・ウッドの指揮でロンドンで初演されました。
ディーリアスはイギリス出身の作曲家ですが、イギリスの音楽の系譜には属さない孤高の作曲家です。北欧に興味を持ちグリーグを敬愛したディーリアスの作品は、特に管弦楽の分野で独特の作風を生み出しています。
この交響詩「夏の歌」は晩年の作品で、梅毒に冒されて失明してしまった後のものです。永年彼に寄り添った友人のフェンビーの助けによって口述筆記で作られたもので、ヒースが生い茂る崖から海を見渡している光景を思いながら作られました。高音の弦楽器が雲ひとつない空を表し、ヴァイオリンによる動きある音型は波の静かなうねりを、フルートは滑空するかもめを表現したものである、とディーリアス自身がフェンビーに語っています。
ショスタコーヴィチの交響詩「十月革命」op.131は、1967年9月16日にマクシム・ショスタコーヴィチ指揮ソヴィエト国立交響楽団の演奏でモスクワ音楽院で初演されました。
十月革命は1917年10月25日に起こったロシア革命のひとつで当時の首都ペトログラードで起こった労働者や兵士の武装蜂起を発端としたボルシェヴィキ革命です。ショスタコーヴィチはこの十月革命50周年を記念して作られた典型的な社会主義リアリズムの曲。かなりけばけばしい作品で現在演奏される事はあまり多くないようです。
作曲家 池辺晋一郎は1943年9月15日に茨城県水戸市で生まれました。
テレビでオヤジギャグばかり言っている池辺晋一郎ですが、実は日本を代表する作曲家のひとりです。
映画音楽やテレビ音楽は数知れず、日本音楽コンクール優勝やエミー賞受賞など華々しい経歴の持ち主でもあります。特に合唱曲の作品も夥しい数にのぼっています。
「六つの子守歌」は別役実の詩によるもので「風の子守歌」「空と海の子守歌」「いつもの子守歌」「思い出の子守歌」「おさかなの子守歌」「眠っちゃいけない子守歌」の6曲。「風の子守歌」はNHKの「みんなの歌」でも取り上げられている曲です。
エルガーの夜の歌op.15-1管弦楽編曲版は1901年9月14日にヘンリー・ウッド指揮のプロムナード・コンサートで初演されました。
元々はエルガーがヴァイオリンとピアノのための2つの小品として作曲した「夜の歌」「朝の歌」を管弦楽用に編曲したものです。小編成の管弦楽のためのもので、エルガーらしい美しい旋律を基にした小品です。
シューベルトの弦楽四重奏曲第8番変ロ長調 D112は1814年9月13日に完成しています。
この曲はシューベルトにしては珍しく一気に書き上げられた作品です。書き始めが9月5日でほぼ1週間ほどで完成しました。シューベルトにしては速筆な作品ですが、意欲的な面を持ち合わせています。半音階的な進行を見せる主題や序奏の陰陽などに、その姿勢が垣間見られます。
作曲家ジャン=フィリップ・ラモーは1764年9月12日に亡くなりました。
ラモーはフランス・バロック音楽を代表する作曲家のひとりで、特にオペラの分野で顕著な活躍をしています。また、音楽理論家としても知られています。
ラモーはクラヴサン(チェンバロ)のために多くの曲集を作曲しました。クラヴサン曲集の第12曲が有名なタンブーランです。タンブーランはフランスの民族楽器の太鼓で、この音を模した舞曲のことです。
シューマンの歌曲集「ミルテの花」op.25 は1840年9月11日に完成しました。
ゲーテ、ハイネ、リュッケルト、バイロンなどロマン派を代表する詩人の作品を取り上げた連作歌曲です。
9月11日は実は、5年越しの恋が実ってようやくこぎつけたクララ・ヴィークとの結婚式の前日です。シューマンは結婚式当日の12日に、純潔の象徴であるミルテ(銀梅花)・・・結婚式などの飾りによく使われるので「祝いの木」とも呼ばれる・・・の花で飾ってこの歌曲集をクララに手渡したと伝えられています。
特にストーリー性はありませんが、第1曲「献呈」(リュッケルト詩)に始まり、11、12曲の「花嫁の歌」(リュッケルト詩)、24曲君は花のように(ハイネ詩)など愛に満ちた作品集です。
作曲家矢代秋雄は1929年9月10日に東京都の大森で生まれました。
若い頃から天才として期待され東京音楽学校作曲科、芸大研究科卒業後パリ国立高等音楽院で学び優秀な成績で卒業しました。帰国後は芸大の作曲家の教授として後進の指導につき池辺晋一郎、西村朗などを輩出しています。
作品も完成度が高かったものの1976年に46歳の若さで亡くなったために、数は決して多くありません。チェロ協奏曲は代表作のひとつでNHK交響楽団の委嘱で1960年に作曲したものです。4つの部分が切れ目無く演奏されます。
エルガーの「子どもの魔法の杖」第2組曲op.1Bは1908年9月9日に初演されました。
「子どもの魔法の杖」は少年の頃に家族で上演する劇のために作曲し書き溜めておいた劇付随音楽を40年の時を経て、それを基に作曲された2つの組曲です。エルガーは、この曲を最初の作品と位置づけて作品番号1を付しています。
第2組曲はエルガーの古くからの友人であるヒューバード・レスターに捧げられたもので行進曲、小さい鐘、蛾と蝶、泉の踊り、飼いならされた熊、野生の熊たち の6曲からなるもので、非常に可愛らしい作品です。
ニールセンの小組曲は1888年9月8日にチボリ・ホールで初演されました。
ニールセンがコペンハーゲンの音楽院を卒業した直後の作品でロマン派音楽の匂いが強い作品です。弦楽合奏のために作曲されたもので前奏曲、間奏曲とアンダンテ・コン・モートの3曲からなる15分程度の曲です。
歌手山本コウタローは1948年9月7日に東京都千代田区で生まれました。
一橋大学在学中にフォーク・グループ「ソルティ・シュガー」に参加し1970年にコミックソングの代表格「走れコウタロー」を発売してレコード大賞の新人賞を獲得しましたが、翌年に解散。1972年に大学卒業後ソロ活動を経て1974年に山本コウタローとウィークエンドを結成しました。デビュー曲の「岬めぐり」がヒットして1978年まで活動しました。「岬めぐり」は特定の地名は出てきませんが、冒頭のギターのスリー・フィンガーというテクニック(親指、人差し指、中指で速く和音を演奏する)がギター小僧たちの定番となり、明るいフォークソングらしい親しみ易い曲ということもあり、今でも愛される歌です。
漫画家の永井豪は1945年9月6日に石川県輪島市で生まれました。
石ノ森章太郎のアシスタントを経て漫画家としてデビューし、少年ジャンプ連載の「ハレンチ学園」でのセクシャルな内容が物議を醸して一躍有名漫画家となりました。その後バイオレンスとギャグを中心とする路線を確立した後ヒーロー物の「デビルマン」を発表。以後「マジンガーZ」、「どろろんえん魔くん」、「キューティ・ハニー」などのキャラクター物で時代を代表する漫画家になって行きました。
「マジンガーZ」は、人間が巨大ロポットに乗り込んで操縦し戦うという所謂「巨大ロボットアニメ」の初の作品で、後の「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」など数多くの傑作を生む礎となった作品です。アニメの主題歌を多く歌っている水木一郎の歌う主題歌も70万枚の売上を記録する大ヒットとなりました。
プーランクの2台のピアノのための協奏曲は1932年9月5日にプーランクとジャック・フェヴリエのピアノ、デフォー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団の演奏で初演されました。
プーランクは5曲の協奏曲を作曲していますが、全て鍵盤楽器のための協奏曲です。この2台のピアノのための協奏曲は3曲目にあたる曲でエドモンド・ポリニャック公妃(19世紀末から20世紀にかけてラヴェル、ストラヴィンスキーなど多くの作曲家の支援をした人物)の委嘱で作曲したもの。プーランクらしい美しい旋律とエスプリの利いた作品です。
ウェーベルンの9つの楽器のための協奏曲op.24は1935年9月4日にプラハで初演されました。
フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ヴァイオリン、ヴィオラとピアノのための曲で3つの楽章で出来ています。厳格な12音技法による曲でシンメトリックな音列を駆使しています。
1968年の結成時から現在に至るまでアメリカのロックバンド グランド・ファンク・レイルロードのドラマー、ヴォーカルとして活躍し続けているドン・ブリュワーは1948年9月3日にミシガン州フリントで生まれました。
グランド・ファンク・レイルロードはドン・ブリュワーとマーク・ファーナーが結成したヘヴィ・ロックのバンドです。1977年から1980年までと1983年から1996年まで2度の活動停止期間がありますが、マーク・ファーナーは1999年にバンドを去りましたがドン・ブリュワーは現在もメンバーとして活動しています。
1972年には「アメリカン・バンド」で全米1位になりました。2枚目のナンバー1シングルがリトル・エヴァのヒット曲をカヴァーした「ロコモーション」です。レイルロードのロコモーションですから、これはぴったり・・・。この曲が彼らの最大ヒット曲となりました。
9月は秋なのですが、温暖化が進んで春・秋が短くなっているこのごろは、厳しい残暑と秋の長雨そして台風というあまり有り難くない時期になってきています。
9月の曲は結構ありますが、太田裕美の「九月の雨」を選びました。作詞は松本隆、作曲は筒美京平。九月の雨は、「冷たくて」「静けさが」「優しくて」と歌っていますが、この曲がヒットした1977年から39年たった今では9月の雨は夏の延長線上。ジメジメと蒸し暑い雨、そして大型化した台風といった感じで当時とは随分違っていますね。
作詞家のハル・デヴィッドは2012年9月1日に心臓発作で91歳で亡くなりました。
ハルは1921年にニューヨークで生まれブルックリンで育ちました。作詞家としては1940年代にデビューし、特に作曲家バート・バカラックとの共作では数々の名曲を送り出しています。
映画「明日に向かって撃て」の主題歌「雨に濡れても」をはじめ、ディオンヌ・ワーウィックやカーペンターズなどに楽曲提供をして「恋にさようなら(I'll never fall in love again)」「ウォーク・オン・バイ」「ベイビー・イッツ・ユー」「小さな願い(I say a little prayer)」などがあります。サン・ホセへの道は代表作のひとつで、ボサノバ・テイストの軽快な曲です。