デュトワ指揮 モントリオール・シンフォニエッタ: ストラヴィンスキー:バレエ《ミューズの神を率いるアポロ》、協奏曲《ダンバートン・オークス》、協奏的舞曲、《バーゼル協奏曲》
カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団: グリーグ:《ペール・ギュント》第1組曲&第2組曲/シベリウス:交響詩《フィンランディア》 他 (SHM-CD)
ロストロポーヴィチ(vc)小澤征爾指揮ロンドン交響楽団: ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番/プロコフィエフ:交響的協奏曲
アルゲリッチ(p)シャイー指揮ベルリン放送交響楽団: チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 (SHM-CD)
ブルガーゴーズマン(S)ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団: ワーグナー:管弦楽曲集、ヴェーゼンドンクの5つの詩
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アメリカの軽音楽の作曲家ルロイ・アンダーソンは1908年6月29日にマサチューセッツ州ケンブリッジで生まれました。
教会オルガニストの母親の影響で幼少の頃から様々な楽器を嗜んでいたアンダーソンはハーバード大学で作曲をピストン 、和声をエネスコ などに学ぶと共にニュー・イングランド音楽院にも通ってピアノやコントラバスを学びました。卒業後、大学で教鞭をとりながらコントラバスやオルガン奏者としてバンドや教会、合唱団の指揮などの活動をしていました。
1938年にボストン交響楽団のマネージャーからハーバード大学の学生歌の編曲を依頼され、それがアーサー・フィードラー の目にとまり自作の曲を作るように要請されます。「ジャズ・レガート」、「ジャズ・ピチカート」で成功をおさめましたが、その後軍隊に入隊、1946年の除隊後に発表した「シンコペイテッド・クロック」がビルボードのヒットチャートの第11位になる大ヒットとなり、アメリカの軽音楽の巨匠と呼ばれるようにまでなったわけです。
アンダーソンの曲は、ジャズやタンゴなどの影響を受けると共に、スコットランド民謡などの民族音楽的な旋律と融合した音楽が特徴で、ユーモアやペーソスが感じられる丹念に作り上げられた冗談音楽とも言われています。
タイプライターは1950年に作曲され忙しいオフィスの様子をユーモアたっぷりに描かれた作品で、実際にタイプライターが楽器として使用されタイプを打つ音と改行レバーを戻す音を演奏します。紙の端まで来たことを知らせるベルの音は他の打楽器で演奏します。
今まで取り上げた曲
メヌエット(パデレフスキー)
トランペット吹きの休日
花
1712年6月28日は、フランスの啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーの誕生日です。
ルソーは百科全書派に数えられる思想家です。「人間不平等起源論」や「社会契約論」で知られていますが、本人も百科事典のような人で、哲学以外にも言語学、教育学、文明論などのほかに、音楽や植物学でも活躍しました。
音楽の方はどちらかといえば音楽理論家で音をより数学的に表現する記譜法を発案するなどしていますが、作品の方はあまり残されていないようです。
唯一世界中で知られているのが、日本では「むすんでひらいて」で知られる曲です。
原曲はオペラ「村の占い師」のパントマイム劇に用いられた曲だそうです。このメロディは欧米でも日本でも様々な歌に使われています。
イギリスの男性デュオ ピーターとゴードンのデビューシングル「愛なき世界」は1964年6月27日にビルボードチャート第1位になりました。
ビートルズのレノン&マッカートニーの作詞作曲(実際にはポール・マッカートニーが一人で書いた)ですが、ビートルズ自体は録音していない曲で、ピーターとゴードンのデビューシングルでした。
皮肉な事に、イギリスではビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を蹴落としてナンバーワンになり、アメリカでも第1位に輝いた曲です。
ピーターとゴードンは、ロンドン出身のピーター・アッシャーとスコットランド出身のゴードン・ウォーラーがロンドンのウェストミンスター・スクールで出会って結成したデュオで、1964年から1968年にかけて活動しました。
「愛なき世界」は、さわやかなメロディラインが特徴の曲ですが、結構音が飛んで歌うのは簡単ではない曲です。
アニメーター、アニメーション映画監督の森田宏幸は1964年6月26日に福岡で生まれています。
高校卒業後アニメーション会社に入社し、「陽あたり良好!」でアニメーターデビューをしました。その後フリーとなって「AKIRA」や「魔女の宅急便」で動画を、「MEMORIES」、「パーフェクト・ブルー」などで原画を担当しました。
スタジオ・ジブリ作品の「となりの山田くん」などに参加したことがきっかけになって「猫の恩返し」の監督を任されました。
「猫の恩返し」は、「耳をすませば」の主人公月島雫が書いた物語という設定で、「耳をすませば」に登場するバロンと女子高生吉岡ハルを主人公とする冒険活劇です。
テーマ曲「風になる」はつじあやのが作詞作曲し歌も歌っています。
今まで取り上げた曲
楽劇「ワルキューレ」
交響曲第9番(マーラー)
禿山の一夜
ドイツの作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマンは1767年6月25日に亡くなりました。
名前は知られているけれど、あんまり作品は聴かない作曲家のひとりですが、バロック時代と古典派の中間世代の作曲家です。我々が良く知っている多作家といえばヨハン・セバツチャン・バッハで生涯1100余りの作品が確認されていますが、テレマンは確認されているだけで3600曲もの作品があり、未確認のものを含めると4000曲を超える作品を作曲したと考えられており、ギネスにも最も多くのクラシック音楽作品を作曲した作曲家として掲載されています。
そのテレマンの作品の中で最も重要な位置を占めるのが「ターフェル・ムジーク」です。これは宮廷の宴席で好まれて演奏された室内楽を集めた作品集で、全部で3つの作品集があります。それぞれの作品集には
第1曲 序曲(管弦楽組曲)・・・徐-徐-急-急の4つの曲からできている、
第2曲 四重奏曲・・・3つの楽器とヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音。実際には5つの楽器で演奏されます、
第3曲 協奏曲・・・合奏協奏曲です
第4曲 トリオ・ソナタ・・・これも2つの楽器とヴィオラ・ダ・ガンバ+通奏低音の4つの楽器
第5曲 ソナタ・・・独奏楽器とヴィオラ・ダ・ガンバ+通奏低音の3つの楽器
第6曲 フィナーレ・・・管弦楽曲
があり、各曲とも複数楽章なので、全部演奏すると1時間近い時間がかかります。
第2集第1番の序曲(管弦楽組曲)です。
今まで取り上げた曲
交響曲第2番「讃歌」(メンデルスゾーン)
うつろな愛
火の鳥
イギリスのギタリスト ジェフ・ベックは1944年6月24日に生まれています。
ジミ・ペイジ、エリック・クラプトン と並ぶ三大ギタリストのひとりであるジェフ・ベックは1965年にクラプトン脱退後のヤード・バーズに加入しましたが、1966年には脱退。その後ジェフ・ベック・グループと呼ばれるバンドを結成しました。人の入れ替わりが激しく1970年代初めには空中分解。ベック・ボガード・アンド・アピスを結成しましたが、それもすぐに解散・・・というように音楽性の点でもその他の点でも、自我が強く結局グループを組んでも長続きせず。1975年以降は基本的にはソロでの活動となりました。
ロックやブルースをメインとしてフュージョン系の音楽を経てテクノへと進化していきました。
「哀しみの恋人達」は1975年に発売した「ブロウ・バイ・ブロウ」の中の曲で、スティーヴィー・ワンダーが作った曲。元々はスティーヴィーの大ヒット曲「迷信」をジェフの為に作ったのですが、スティーヴィー自身が気に入ってしまい自分で発売して大ヒット。「哀しみの恋人達」は、そのお詫びの気持ちをこめて贈られたといわれています。
今まで取り上げた曲
バスルームから愛をこめて
ピアノ五重奏曲(ブラームス)
ゆうこ
アメリカの振付師、映画監督のボブ・フォッシーは1927年6月23日にシカゴで生まれました。
1950年代には、MGMミュージカルでダンサー兼振付師として活躍し、その後ブロードウェイで演出や振付を手がけ1968年の「スイート・チャリティ」の舞台の映画化で監督としてデビューしました。
1972年には「キャバレー」でアカデミー監督賞を受賞。同じ年に他の作品でトニー賞やエミー賞を獲得し、同じ年にこれだけの賞を獲得した監督として197名を知らしめています。
1979年には「オール・ザット・ジャズ」でカンヌ国際映画祭のパルムドール を受賞。1987年にシカゴで亡くなっています。
オール・ザット・ジャズはボブ・フォッシーの自伝的作品で意識の流れを表現したミュージカル作品としては異例の作品でした。
序曲です。
イタリア・バロックの作曲家フランチェスコ・マンフレディーニは1684年6月22日に生まれました。
作品の殆どが死後棄却されてしまい現在ではわずかな作品しか残されていません。
最も知られているのが、12の協奏曲集op.3の第12番である「クリスマス協奏曲」です。クリスマス協奏曲といえばコレルリの作品が最も有名ですが、バロック時代の多くの作曲家がこのキリスト教の最大のお祭りのために曲を書いています。
マンフレディーニの作品は、合奏協奏曲や器楽曲を得意とした彼らしい作品で2本のヴァイオリンのための協奏曲ですが、ヴァイオリンの高音があまり目立たない聴き易い作品です。第1楽章に、クリスマス協奏曲に無くてはならないパストラーレが置かれているのも珍しい作品です。
スロヴァキア室内管弦楽団の演奏です。
作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフは1908年6月21日に64歳で亡くなりました。
リムスキー=コルサコフの曲で最も有名な曲は、「熊蜂の飛行」でしょう。ヴァイオリンの難曲としても知られていますが、プーシキンの原作に基づいて作曲された「サルタン皇帝」の中の曲で、主人公のグヴィドン王子が魔法の力で自らの姿を蜂に変えて悪役の姉妹を襲うという場面で使われる曲です。
冒頭からフルートと弱音器つきのヴァイオリンが奏でる蜂の羽音は十六分音符の連続ですが、テンポはvivace。指定では四分音符180です。という事は、1分間に720個の十六分音符ですから、1秒間に12個の音。これ、テンポ通り弾くのはスゴイ事です。
指揮者はもっと大変で、だいたいスコア(総譜)の見開き2ページの間に8小節。2秒間で3小節ですので5.6秒で譜めくり。指揮しているんだか譜面めくっているんだかわからないなっちゃいますね。
そんな大騒ぎの曲ですが、羽音を演奏する木管楽器とヴァイオリン以外は、涼しい顔で演奏します。他の弦楽器は殆どピチカートでリズム刻むだけ。これだけ落差がある曲も珍しいです。
イギリスのロックバンド デュラン・デュランのギタリスト ジョン・テイラーは1960年6月20日に生まれました。
1978年結成時にはギターを担当していたジョン・テイラーは、半年後にベーシストのサイモン・コーリー脱退によって、ベースに転向し結局現在まで途中脱退も無い唯一のメンバーとして活躍しています。ニュー・ロマンティックというグラムロックから続くイギリスのロックシーンの立役者でした。
ジェームズ・ボンドシリーズ第14作で、ロジャ・ムーアがボンドを演じた最後の作品となった「007美しき獲物たち」では、今までと趣を変えて、主題歌にデュラン・デュランを起用しビルボード第1位という007のテーマの中では最大のヒットとなりました。
今まで取り上げた曲
セイ・ユー・セイ・ミー
演奏会用序曲「コケイン」(エルガー)
パリの喜び(オッフェンバック、ロザンタール編曲)
女優のキャスリン・ターナーは1954年6月19日にミズーリ州で生まれました。
キャスリン・ターナーは、ブロードウェイなどの舞台、映画、TVなど幅広く活躍する女優です。1984年には「ロマンシング・ストーン秘宝の谷」、1985年には「男と女の名誉」で2年連続ゴールデングローブ主演女優賞を獲得しています。
「白いドレスの女」、「ローズ家の戦争」、「シリアル・ママ」など主演作は多数ありますが、何と言っても「ロマンシング・ストーン 秘宝の谷」と「ナイルの宝石」での女流作家ジョーン・ワイルダー役です。知的で、滑稽で、ワイルドな女性を演じ切っていました。
音楽はアラン・シルヴェストリで、彼は、この作品以降のロバート・ゼメキス監督(バック・トゥ・ザ・フューチャーなど)作品の全てを担当しています。その他では「フォレスト・ガンプ一期一会」などヒット作が多いですね。
今まで取り上げた曲
あのすばらしい愛をもう一度
右から二番目の星
エニグマ変奏曲(エルガー)
ポール・マッカートニーは1942年6月18日にリヴァプールで生まれました。
まあ、ビートルズのお話はここではしませんが・・・・
解散後1971年にはウィングズを結成し、「アイルランドに平和を」をスタートにヒットを連発し10年間活動。その後はソロ活動を中心に最後のアフターザビートルズのミュージシャンとして活動をしています。
ポールの作品は多彩で、政治色の強いスタート作から始まり、ほのぼのとした「メアリーの子羊」、歌詞の一部に卑猥な表現があるとしてBBCから放送禁止とされた「ハイ・ハイ・ハイ」、ウィングスとして初の全米ナンバーワンシングルとなりスタンダードナンバーにもなった「マイ・ラヴ」、ドラマチックな「007/死ぬのは奴らだ」など次々とヒットを連発しました。
バンド・オン・ザ・ランは1974年に発売されたウィングスとして8枚目のシングル、2枚目の全米ナンバーワン曲です。スローテンポのアコースティックな雰囲気から始まり、アップテンポのロック調に変わり、中間部では再びアコースティックな軽いノリの曲というように3部構成の傑作です。
歌手、作曲家の出門英は1990年6月17日に結腸癌から肺癌に転移して亡くなっています。
日活の第6期ニューフェースに合格し、1962年から俳優業と並行して歌手活動を開始。1968年からは後に妻となるイタリア人のロザンナ・ザンボンとデュオを組みヒデとロザンナで活動を始めました。
「愛の奇跡」がヒットしスターの仲間入りを果たし、その後も「愛は傷つきやすく」をヒットさせると共に、小柳ルミ子に「星の砂」を提供するなど作曲家としても活躍しました。
オシドリ夫婦として知られていましたが、48歳の若さで亡くなってしまいました。
今まで取り上げた曲
哀しみのマンディ
歌劇「ファウスト」
シバの女王のワルツ(グノー)
フランスの作曲家モーリス・デュリュフレは1986年6月16日に亡くなりました。
パリ音楽院でデュカスなどに作曲を、ジグーにオルガンを学び、オルガン奏者として世に出ました。1947年にレクイエムを作曲しそれが代表作となりましたが1975年に交通事故にあいその後は演奏活動も作曲活動も続けられなくなりました。享年84歳という長寿であったにもかかわらず作品数が少ない理由のひとつです。
レクイエムは大オーケストラ伴奏、室内オーケストラ伴奏、オルガン伴奏という3つの版が存在しています。グレゴリオ聖歌やルネッサンス音楽の影響が強い曲です。
シテ島管弦楽団の演奏です。
今まで取り上げた曲
南極交響曲
妖精の踊り(ポッパー)
酒・女・歌
シンガー・ソングライターのハリー・ニルソンは1941年6月15日に生まれています。
銀行員として勤務する傍ら音楽活動をしていましたが、次第に多くのプロデューサーなどに認められるようになり1966年にアルバムを発表。甘く哀愁のこもった歌声から「七色の声をもつボーカリスト」と評され、一時期はポール・マッカートニーに代わってビートルズに加入するという噂も流れたりしました。
映画「真夜中のカーボーイ」の挿入歌「うわさの男」がヒットして、1972年には「ウィザウト・ユー」が全米1位になりましたが、その後薬とアルコールに溺れ喉を痛めるなど往年の勢いを失い、1990年代にカムバックをめざしましたが糖尿病で失意の内に亡くなりました。
ソングライターとしての評価も高く、スリー・ドッグ・ナイトのヒット曲「One」などカバーされてヒットした曲もあります。
ニルソンの究極のバラード「リメンバー」は「シュミルソン二世」というアルバムに収録されていた曲で映画「ユー・ガット・メール」にも使用されたとても素敵な曲です。
今まで取り上げた曲
抒情小曲集(グリーグ)
かっこう(ダカン)
十字軍の兵士シーグル(グリーグ)
映画音楽の作曲家ヘンリー・マンシーニは1994年6月14日に膵臓癌と肝臓癌で亡くなりました。
父親がフルート奏者だったため、幼い頃からフルートの英才教育を受け、ジュリアード音楽院 で作曲を学んだ後グレン・ミラー楽団にアレンジャー兼ピアニストとして採用されました。
1952年にユニバーサル映画社に入社し音楽監督ジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとして次第に頭角を現し、「グレンミラー物語」などで認められるようになりました。
1961年に「ティファニーで朝食を」のテーマ曲「ムーン・リバー」が大ヒットし、その後は「ハタリ」(子象の行進)、「酒とバラの日々」、「シャレード」、「ピンクの豹」とヒットを連発し映画音楽の作曲家の第一人者の地位を確固たるものにしました。
人柄も温厚で、多くの作曲家や俳優と親交があり、後進の指導にも非常に熱心でした。
1994年に膵臓と肝臓の癌で死去しています。
「ムーン・リバー」は映画の中でオードリー・ヘプバーンが歌ってアカデミー主題歌賞を獲得しています。カバーしたミュージシャンの数は数え切れないほどで、特にアンディ・ウィリアムズのものは、サウンドトラックを凌駕する大ヒットになりました。
ヴェルディの歌劇「シチリアの夕べの祈り」は1855年6月13日にパリ・オペラ座で初演されました。
1282年に実際にあったシチリア島民によるフランス人虐殺事件「シチリアの晩祷」を題材としたオペラで全5幕からなる作品です。現在は通常短い版で演奏されますが原典版が4時間を超える「ドン・カルロ」を除けば、3時間10分というヴェルディ最長クラスのオペラです。
序曲も人気が高く、「運命の力」「ナブッコ」と並んで演奏される機会の多い曲ですが、ヴェルディの序曲の中では群を抜いて演奏が難しくなっています。
アバド指揮ベルリンフィルの演奏です。
今まで取り上げた曲
ピアノ協奏曲第17番(モーツァルト)
バレエ「ペトルーシュカ」
ペトルーシュカからの3楽章
俳優のグレゴリー・ペックは2003年6月12日に亡くなりました。
カリフォルニア大学バークレー校で医学を学んでいましたが演劇に興味を覚え、卒業後にニューヨークで俳優養成学校で学んでブロードウェイの劇場でデビューしました。1944年には映画デビューをして「子鹿物語」、「紳士協定」、「ローマの休日」、「ナヴァロンの要塞」など数々のヒット作に主演し1962年の「アラバマ物語」でアカデミー主演男優賞を受賞しています。
1978年に公開された「ブラジルから来た少年」は「ローズマリーの赤ちゃん」などで知られるアイラ・レヴィン原作のSFで、ヒットラーのクローンを再生させようとする科学者と、それを阻止しようとするユダヤ人の葛藤を描いた作品。グレゴリー・ペックは科学者ヨーゼフ・メンゲレに扮しています。
音楽は、ジェリー・ゴールドスミスでウィンナワルツ風の音楽やワーグナー風の音楽を作曲して使っています。
「ブラジルから来た少年」の組曲です。
今まで取り上げた曲
宗谷岬
弦楽四重奏曲(フォーレ)
大いなる西部
女優の沢口靖子は1965年6月11日に大阪の堺で生まれました。
1984年に第1回の「東宝シンデレラ」のグランプリに輝き「刑事物語3 潮騒の詩」で映画デビュー。続く「ゴジラ」で日本アカデミー新人賞を獲得し、1985年のNHK朝のテレビドラマ「澪つくし」でヒロインを演じて人気・知名度を定着させました。まあ、この頃は決してお上手な女優さんでは無かったのですが、だんだんと女優の風格が出て来ました。
沢口靖子が1999年から主演しているテレビ朝日系「科捜研の女」シリーズは2013年の1月から3月までのシリーズで第12シリーズとなる長寿作品です。沢口靖子演じる榊マリ子が、京都府警の科学捜査研究所の技官として数々の事件を解決するドラマで、本格的で粘り強い科学捜査が売り物です。視聴率も当初は1桁になる事もありましたが、現在では12~3%を維持し続ける長寿シリーズのひとつになっています。
10年以上続く「科捜研の女」シリーズで最も印象に残ったテーマ曲2006年に放映された第7シリーズのテーマ、Garnet Crowの「まぼろし」です。
作曲家中村八大は1992年6月10日に61歳で亡くなりました。
1931年に中国の青島で生まれ、戦後福岡の久留米に引き揚げて来ました。早稲田大学在籍時よりジャズバンドのピアニストとして活動し1950年代終わりごろからは作曲家として活躍をはじめ、作詞家の永六輔とのコンビでは数々の名曲を世に送り出しています。「黒い花びら」で第1回の日本レコード大賞を受賞し1961年に「上を向いて歩こう」が世界的なヒットとなりました。永六輔とのコンビによる主なヒット曲は、「帰ろかな」(北島三郎)、「夢で逢いましょう」(坂本スミ子)、「おさななじみ」(デューク・エイセス)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)などがありますが、特に坂本九の和製ヒット曲の多くはこのコンビが手がけています。
永六輔以外の作詞家と組んだ作品も少なくはありませんが、その代表的な曲が、坂本九の「明日があるさ」です。作詞は青島幸男 。好きな女の子に気持ちを打ち明けたいけど打ち明けられない男のもどかしさと共に、それでも「明日があるさ」と歌う応援ソングです。
多くの歌手にカバーされていて、2001年にはウルフルズがヒットさせました。
ウルフルズのリバイバル版です。
ロンドン交響楽団の第1回の演奏会は1904年6月9日、ロンドンのロイヤル・クイーンズ・ホールでリヒター指揮で行われました。
ロンドン交響楽団の前身はクイーンズ・ホール管弦楽団で、そのメンバーを中心にイギリス初の独立採算・自主運営のオーケストラとして発足しました。ロイヤルフィルと並んで女王陛下のオーケストラと呼ばれ、名誉総裁にエリザベス二世が就いています。
初代の首席指揮者はリヒターで、その後はエルガーが就任。その後ニキシュ、ビーチャム、メンゲルベルク、クリップス、モントゥー、ケルテス、プレヴィン、アバド、マイケル・ティルソン・トーマス、コリン・デイヴィスなど錚々たるメンバーが名を連ね、現在はゲルギエフが就任しています。
総裁も、ベームやバーンスタインを経て、現在はコリン・デイヴィス。クラシック音楽だけでなく、映画音楽などでも活躍し「スターウォーズ」や邦画の「水の旅人」などで知られています。
第1回定期演奏会のプログラムは、ロンドン交響楽団のサイトにもチラシ?が掲載されているのですが、何の曲やったかわからないので、ロンドン交響楽団が始めて初演を行った曲がエルガーの「威風堂々」第3番を取り上げました。
「威風堂々」といえば第1番を指しますが、全部で6曲あります。それぞれ別々の時期に作曲され直接の関連性は無いのですが、演奏される回数は第1番が90%以上、残りの5曲あわせても10%に満たないでしょうね。第3番は唯一短調の曲ですが抑揚が激しくドラマチックという点では他の5曲を凌ぐ作品です。ただ、エルガー得意の中間部がちょっとメロディックでない点が人気薄の原因かもしれません。
作曲家ロベルト・シューマンは1810年6月8日に生まれました。
シューマンという作曲家はロマン派を代表する作曲家なのですが、なかなか位置づけの難しい作曲家ですね。ショパンは、ピアノの詩人と言われる程ピアノ曲での代表的存在ですし、ウェーバーはドイツオペラの中興、シューベルトはリートの世界では右に出る者がいない・・・。シューマンはというと、元々はショパンのようなピアニストであり作曲家だったのですが過度の練習で手を痛めて演奏活動が出来なくなった事もあって、ショパンほどピアノ曲に偏ることなく様々な分野(オペラは無いけど)で作曲を手がけています。
1840年代に入ると、それまでピアノ曲中心だったシューマンの作品が、急にオーケストラ曲に集中するようになります。交響曲第1番が1941年に作曲され、それがトップを飾ったわけですが、同じ時期に作曲されたのが「序曲、スケルツォとフィナーレ」です。
元々は組曲として作曲されたのですが、その後小交響曲と名前を変え、現在の題名に落ち着いています。
この頃はまだ、シューマン自身管弦楽の色々な形を試していた時期で、交響曲1番を皮切りにピアノと管弦楽のための幻想曲(後にピアノ協奏曲となる作品)など様々な試みがされていて、この曲もその一貫で作曲されたものと言われています。形式的には、緩徐楽章を除いた3つの楽章からなる交響曲ですが、形式的には自由な形式になっています。
全体的には、明るい楽想でリズミックな曲になっていて、シューマン自身は3つの部分は切り離して演奏してもかまわないとしていますが、今では殆ど全曲を通して演奏されます。本当はもう少し評価されても良い凝縮度の高い作品なんですが、名前が堅苦しいためか、あんまり聴くことが多くない曲です。交響曲のように肩に力が入っていない分、とても伸び伸びとした曲で、シューマンのオーケストラ作品の中ではもっと評価されても良い曲のような気がするのですが・・・
コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でフィナーレです。
今まで取り上げた曲
ウィ・アー・オール・アローン
カルミナ・ブラーナ
子供の情景
イギリス出身の女優ジェシカ・タンディは1909年6月7日に生まれました。
演劇を学び舞台女優としてスタートし1947年にはブロードウェイで「欲望という名の電車」でトニー賞を受賞。その後晩年の1978年と82年にも受賞しています。
映画にも数多く出演していますが、若い頃はバイプレイヤーとしての出演が多く、「旅愁」、「鳥」「結婚しない族」「ガープの世界」などに出演しています。
「ニューヨーク東八番街の奇跡」では主演を果たし、1989年には「ドライビング Miss デイジー」で史上最高齢(80歳)でアカデミー主演女優賞を獲得しました。
転機になったのが「コクーン」です。SFファンタジー作品で、異性人と養老院で暮らす老人たちとの交流を描いた作品でした。好評でpart 2が作られています。
コクーンの音楽はジェームズ・ホーナーが担当しています。
ジェシカ・タンディは1994年に卵巣癌で85歳で亡くなっています。
シェーンベルクの未完のオペラ「モーゼとアロン」の舞台初演は1957年6月6日チューリッヒで行われました。
十二音技法によって書かれひとつのセリー(音列)を基礎として作曲されたオペラです。全3幕の予定でしたが第3幕はシェーンベルクによって台本が書かれたのみで、オーケストレーションは第2幕まで完成しています。演奏が非常に難しく、特に第2幕第3場の「黄金の子牛の踊り」は難曲中の難曲です。
ストーリーは旧約聖書の「出エジプト記」をベースにした話です。
ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団で「黄金の子牛の踊り」です。
今まで取り上げた曲
ガイーヌ
スパルタカス
交響曲第5番(マーラー)
ドイツ・ロマン派の作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーは1826年6月5日に亡くなっています。
ウェーバーと言えば、モーツァルトの甥っ子になるわけですが、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派を継いだ正統的なドイツのロマン派初期の作曲家です。とりわけ、オペラの分野では、モーツァルト以降廃れていたドイツのオペラを蘇らせ、「魔弾の射手」の大成功でドイツ国民オペラを確立し、後のワーグナーへ繋がっていく重要な位置を占める作曲家です。
残念ながら、結核で40歳で亡くなってしまったために作品数はそれ程多くはありません。それでも2曲の交響曲や、クラリネット協奏曲などの協奏曲が残されています。
ウェーバーのオペラは6曲あり現在では全曲演奏されることが多くはありませんが、序曲は非常に人気が高く「魔弾の射手」と「オベロン」をはじめ、「オイリアンテ」「アブ・ハッサン」がよく取り上げられます。
「アブ・ハッサン」は「千夜一夜物語」を題材にした1幕もののオペラで、序曲はバグダッドの町の喧騒を生き生きと表現した3分ほどの短い曲です。
歌手の梓みちよは1943年6月4日に博多で生まれました。
宝塚音楽学校に入学しましたが、在学中にオーディションに合格して中退し歌手デビュー。1963年にNHKのTV番組「夢であいましょう」の今月の歌で取り上げられた「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットしレコード大賞獲得、紅白歌合戦にも出演を果たし一流歌手の仲間入りをしました。
その後はしばらく低迷していましたが、大人へのイメージチェンジをはかり胡坐をかいて歌った「二人でお酒を」が1974年にヒットしてカムバックを果たしています。
「こんにちは赤ちゃん」は、作詞永六輔作曲中村八大 の黄金コンビの作品で、元々は中村八大の赤ん坊を見た永六輔が、父親の心情で作った詩でしたが、梓みちよが歌うためにママに置き換えられました。
今まで取り上げた曲
シャボン玉ホリデー
交響曲第8番(ショスタコーヴィチ)
交響曲第5番(ショスタコーヴィチ)
モーツァルトの作品を整理し目録を出版したケッヘルは1877年6月3日に亡くなりました。
ケッヘルは時系列で並べた番号をつけたのですが、その後の研究などで作曲の順番が入れ替わったりしたため、5回の改訂が加えられています。ただし、第3版以降の番号の付け方がわかりにくかったため、今でも初版の番号が使われています。但し、最新の第6版の番号も K.297(300a)というように併記する場合もあります。
ケッヘルの本業は鉱物学者と植物学者で音楽は本業では無かったのですが、これが後世に残るのですから大したものです。
さて、本当は日付の「63」とか「603」とかを紹介しようと思ったのですが、あまり知られていない曲のようなので、無視して136にしました(笑)
モーツァルトはディヴェルティメント(喜遊曲)を20曲作曲していますが最も有名なのが、2作目のK.136ニ長調です。元々はヴァイオリン2本、ヴィオラ1本とバスという弦楽四重奏で書かれていますが、弦楽合奏で演奏される事も多い作品です。16歳の作品で瑞々しく若々しい作品ではありますが、メヌエットの無い3楽章の作品なので正式にはディヴェルティメントとは言い難いようです。
今まで取り上げた曲
ポルカ「雷鳴と電光」
ワルツ「ウィーンの森の物語」
ワルツ「ウィーン気質」
現代クラシック・ギター奏法の父といわれる、アンドレス・セゴビアは1987年6月2日にマドリッドで亡くなっています。
4歳からクラシックギターに触れ、16歳の時にはじめての演奏会を開き生涯ギター演奏の研鑽を積み重ね94歳で亡くなるまでに多くの門下生を育て多大な功績を残しています。
彼のために作曲された曲も数多くヴラ=ロボス、ルーセル 、カステルヌオーヴォ=テデスコなどがあげられます。ポンセもその一人で、「ラ・フォリアの主題による変奏曲とフーガ」などセゴビアの演奏技術を考慮した作品を多く作曲しています。「南のソナチネ」のそのひとつ。ポンセの曲はそういう意味で技巧的にも難しいため、なかなか簡単には弾けないようです。
今まで取り上げた曲
歌劇「ルル」(ベルク)
弦楽セレナーデ(エルガー)
ハネケンのフックトオン
女優マリリン・モンローは1926年6月1日に生まれています。
マリリン・モンローについては「帰らざる河」 にちょこっと書いていますので、省略。
1959年の「お熱いのがお好き」は、ビリー・ワイルダーが監督したコメディ映画でトニー・カーティス が主演、ジャック・レモンが共演しています。
禁酒法時代のシカゴで聖バレンタインデーの虐殺(アル・カポネが首謀者と言われている)を目撃したためにマフィアに追われるミュージシャンのジョー(カーティス)とジェリー(レモン)がシカゴを逃げ出すために仕事を探すが、募集していたのはフロリダへ行く女性だけの楽団のみ。やむを得ず、二人は女装してこの楽団にもぐりこむが、そこで出会ったウクレレ弾きのシュガー(モンロー)に恋してしまい、その恋にマフィアが絡むドタバタ劇・・という内容で、その中でモンローが歌う「アイ・ワナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」はモンローの代名詞的なセクシーで可愛らしい雰囲気の曲です。