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2013年2月28日 (木)

今日の音楽 2月28日 交響曲第3番(ニールセン)

ニールセンの交響曲第3番は1912年2月28日にニールセン自身の指揮でコペンハーゲン宮廷劇場管弦楽団によって初演されました。

ブルックナーの田園交響曲に続いて、ニールセンの田園交響曲です(笑)。
何回も書いていますが、ニールセンて日本では人気低いですよね。なぜでしょうか。特に日本人が理解できないほど民族色が強すぎるわけでもなく、極度に前衛的でも無いんですが、同じ北欧のグリーグやシベリウスに比べると非常に知名度が低いのが残念です。グリーグには「ペール・ギュント」、シベリウスには「フィンランディア」という圧倒的に有名な曲があるからですかね。

この曲は、正式な編成では第2楽章にソプラノとバリトンのヴォカリーズ が入りますが、クラリネットとトロンボーンで代用可となっています。「広がりの交響曲」というタイトルがつけられていますが、第1楽章の発想記号がAllegro espansivoであることが由来で楽曲全体に対しての意味は無いそうです。第2楽章が牧歌的な曲になっていてニールセンの田園交響曲と称される理由になっています。第3楽章はスケルツォのような楽章ですがテンポはAllegrettoでゆっくり気味。第4楽章は堂々としたブラームスの交響曲第1番を思わせる楽章です。

バーンスタイン指揮デンマーク王立管弦楽団です。

2013年2月27日 (水)

今日の音楽 2月27日 Rainy Blue

シンガー・ソングライターの徳永英明は1961年2月27日に福岡県柳川市で生まれました。

歌手をめざして「スター誕生」などにも出場しましたがスカウトされず、俳優養成学校でデビューのきっかけを待ちました。1985年のマリンブルー音楽祭でグランプリを受賞して翌年「Rainy Blue」で歌手デビューを果たしました。1987年に「富士フィルム」のCMソングとなった4枚目のシングル「輝きながら」が大ヒットし、これが収録されたアルバム「BIRDS」はオリコンの第1位になりました。その後は「風のエオリア」、「最後の言い訳」、「夢を信じて」、「壊れかけのRadio」などヒットを連発しましたが、1993年には声帯ポリープ、2001年にはもやもや病など不幸に見舞われましたが、2002年には克服し2005年以降は、女性歌手の歌をカバーした「VOCALIST」で新境地を開いています。

「Rainy Blue」はデビュー曲で、私が最も好きな曲です。内容は失恋ソングです。

2013年2月26日 (火)

今日の音楽 2月26日 交響曲第6番(ブルックナー)

ブルックナーの交響曲第6番イ長調は、1899年2月26日に、マーラー指揮ウィーンフィルの演奏で初演されました。

力強い第5番とブルックナーの交響曲の中では最も美しいと言われる第7番にはさまれて、ちょっとマイナーな存在の第6番ですが、ブルックナーの田園交響曲と呼ばれるようにスイス旅行へ出かけてモンブランを楽しんだ気持ちが、伸び伸びとした作品を生んだといわれています。

ブルックナーといえばG.P.(General pause=全休止)が特徴です。曲の途中で一小節間全ての楽器が音を出さない指定があるわけです。私がブルックナーの交響曲がちょっと苦手というのは、分厚い金管楽器の音とこのブルックナー休止と言われる全休止が理由です。勿論、ブルックナー程の作曲家ですからこの全休止には大きな意味が
あるのですが、やっぱり流れが止まる(わざと止めてる)のは紛れも無い事実です。
ところがこの6番には全く全休止がありません。ブルックナーらしくないと言われるのもこれが原因のひとつでしょうが、やっぱりブルックナーの交響曲の中で最も伸び伸びとしているように感じるのは、そのあたりに理由があるのかもしれませんね。

第1楽章が3つの主題を持つソナタ形式で堂々とした音楽。第2楽章もAdagioの緩徐楽章ではありますが、エレジー、コンソレーション、葬送行進曲風の3つの主題を持つ楽章。第3楽章は幻想的なスケルツォ。終楽章も3つの主題をもつソナタ形式になっています。

クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団で、第1楽章前半です。

2013年2月25日 (月)

今日の音楽 2月25日 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は1877年2月25日にニコライ・ルビンシュタインの指揮によってモスクワで初演されました。

ダンテ神曲 の地獄篇にある詩を題材にした曲で「宿命に逆らいながら真実の愛を求め続ける」というチャイコフスキーの理想を見出して作品にしたものです。ただ、チャイコフスキー自身は、一時の情熱に任せて作ってしまったつまらない作品という評価を下していたようです。導入部と3つの部分を持っていて、編成自体も大きく、和声の使い方も大胆な作品です。

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルです。

2013年2月24日 (日)

今日の音楽 2月24日 シェルブールの雨傘

フランスの作曲家ミシェル・ルグランは1932年2月24日にパリで生まれました。

音楽一家に生まれたルグランは、パリ音楽院ナディア・ブーランジェにピアノを学び映画音楽の作曲家、ジャズピアニストなどで活躍しています。

ロシュフォールの恋人たち 」「華麗なる賭け」「ビリー・ホリディ物語」「ネヴァー・セイ・ネヴァー・アゲイン」など数多くの映画を手がけていますが、ジャック・ドゥミ監督 の「シェルブールの雨傘」は、映画の音楽としては特筆される作品です。

「シェルブールの雨傘」はミュージカル映画なのですが、セリフが全く無くセリフはレシタティーヴォ風になっていて全編音楽になっています。戦争によって引き裂かれた恋人同士を描いた作品になっていて、カトリーヌ・ドヌーブニーノ・カステルヌーヴォ などの出演者は全て吹き替えられています。ドヌーブ演じるジェヌヴィエーヴの吹き替えはダニエル・リカーリ でした。

2013年2月23日 (土)

今日の音楽 2月23日 王宮の花火の音楽

作曲家ヘンデルは1685年2月23日にドイツのハレで生まれました。

1710年にハノーファー選帝候の宮廷楽長になりましたが1712年にそのままの地位でロンドンに移住し、生涯の3分の2はイギリスで過ごしました。同時代に活躍したバッハ(バッハは同じ年の3月生まれ)がカンタータなどの教会音楽を中心に活躍したのに比べて、ヘンデルは歌劇や劇場用オラトリオなど劇場用の音楽で本領を発揮しました。2人は生涯会うことが無かったと言われています。

「王宮の花火の音楽」は1748年のオーストリア継承戦争終結のために行われたアーヘンの和約 を記念して作曲され1749年に祝典の中で初演されました。
オリジナルは、管楽器と打楽器のみという編成で、これは当時のイギリス国王ジョージ2世 の意向だったそうで、オーボエ24本、ホルン9本、トランペット9本、ティンパニ3対、ファゴット12本という編成でしたが、ヘンデル自体は弦楽器の使用を望んでいたため後に改訂して、弦楽合奏とコントラファゴットを加えて管楽器を減らす編成の版を作っています。

全部で5つの楽章からできていて、アラ・ホーンパイプからの引用があるなど水上の音楽とは密接な関係にある曲です。

アンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団で、序曲です。

2013年2月22日 (金)

今日の音楽 2月22日 序奏とアレグロ(ラヴェル)

ラヴェル作曲の序奏とアレグロは、1907年2月22日にパリのフランス写真協会主催の音楽会で初演されました。

エラール社が作ったダブルペダルつきのハープの普及のために委嘱されて作曲したハープとフルート、クラリネットと弦楽四重奏のための七重奏曲です。これとほぼ同時期にプレイエル社の半音階ハープのためにドビュッシーが作曲したのが「神聖な舞曲と世俗的な舞曲 」で、こちらの方はハープと弦楽合奏による曲です。結局、ハープ戦争ではエラール社が勝ち残ったようですが・・・

単一楽章のソナタ形式の作品ですが、ハープのカデンツァがあったりで小編成のハープ協奏曲のような雰囲気を持つ作品です。

アカデミー室内アンサンブルによる演奏です。

2013年2月21日 (木)

今日の音楽 2月21日 シルヴィア

フランスの作曲家レオ・ドリーブは1836年2月21日に生まれています。

オペラ歌手だった祖父と才能あるアマチュア音楽家だった母の血を引いたドリーブはコンセル・バトワールアダンに師事して作曲を学びました。その後は、バレエ音楽や歌劇といった舞台音楽を中心に作曲活動をしてフランスバレエ音楽の父と言われる作曲家となりました。最も有名なバレエ「コッペリア」や歌劇「ラクメ」が代表作ですが、バレエ「シルヴィア」も知られています。

「シルヴィア」はイタリアの詩人トルクァート・タッソー の「アミンタ」という戯曲。それを3幕5場のバレエとして作曲したものです。初演は1876年6月14日パリオペラ座。神話の世界を描いた作品でシルヴィアは狩の女神。シルヴィアに恋する純朴な羊飼いのアミンタとの愛の成就を描いた作品です。

中でも最も知られるのが第3幕のピツィカートです。陽気でかわいらしいメロディが弦のピツィカートを中心に奏でられます。

有名な「ピツィカート」です。

2013年2月20日 (水)

今日の音楽 2月20日 サークル・ゲーム

カナダの歌手バフィ・セントメリーは1941年2月20日に生まれています。歌手としてよりもヲングライターとしての事跡の方が有名なのですが、アメリカ原住民の血を引いていて、映画「いちご白書」のテーマ曲「サークル・ゲーム」を歌った事で知られています。

「いちご白書」は、コロンビア大学での学園紛争の体験が書かれたジェームズ・クネンのよるノンフィクション作品を映画化したもので、「いちご白書」という言葉は学園紛争から団塊の世代の青春時代を表す言葉として、荒井由実の「いちご白書をもう一度」でも歌われたアメリカン・ニューシネマを代表する映画のひとつです。

主題歌は、ジョニ・ミッチェルが作詞・作曲した曲です。

2013年2月19日 (火)

今日の音楽 2月19日 交響曲第6番(シベリウス)

シベリウス作曲交響曲第6番ニ短調は1923年2月19日にシベリウス指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団で初演されました。

交響曲第5番から第7番までは、ほぼ同じ時期1914年に着想されています。第5番がせいたん50周年の記念行事のための作品という事で優先され、その後第一次大戦による中断があったため完成したのは1923年でした。第6番は、作曲中に、シベリウスを金銭的にも精神的にも援助してきたカルペラン男爵が亡くなった事もあって、教会旋法対位法を多用した作品となりました。

演奏時間は30分ほどで、基本的には伝統的な4つの楽章でできていますが、中身は自由な形式の作品です。第1番、第2番という親しまれている作品の次に人気の高く、作品としての評価が高い第5番と第7番の間に挟まれて若干人気の薄い作品ではありますが、交響曲としての完成度の高さやシベリウスらしさという点でシベリウスファンには大変人気の高い曲です。

バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックで全曲です。

2013年2月18日 (月)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会 終わりました

昨日、私の所属するパイオニア交響楽団第24回定期演奏会が無事?終わりました。

とにかくアンコール(チャイコフスキーの弦楽セレナーデから第3楽章のエレジー)を加えて2時間20分程度という長丁場にお付き合いいただいたお客様に感謝いたします。

実のところ、今回は指揮の黒岩英臣氏の目指す音楽と我々の演奏技術のギャップが大きくて1ヶ月程前までは、とっても恐ろしくて舞台の上で演奏するレベルでは無かったのですが、久々の黒岩氏の一喝もあって自分たちの力以上の何かを表現できたのではないかと思います。黒岩氏は常日頃から、情熱をもって音楽を表現する事、折角足を運んで頂いたお客様にアマチュアだからこそできる何かを感じて頂ける音楽づくりを言い続けていらっしゃいます。勿論、我々が練習の時に手を抜いているわけではないのですが、感情表現や音楽表現をするにも技術が必要で、その技術が追いつかないというのが本当のところでは無いかと思います。常識とかセオリーにこだわって殻を抜け出せないでいるところを、その一喝で開き直ってちょっとした裏技を捻り出して、その殻を脱する事が出来て初めて指揮者の求めるものに近づく事ができるような気がします。

今回は、多分自分の演奏生活の中では2番目にしんどい演奏会でした。(1番しんどかったのは7年程前に高校のOBオケで芥川の交響管絃楽のための音楽を前プロにして、サンサーンスの交響曲第3番とブラームスの交響曲第1番というダブルメインのようなプログラムをやった時)
ただ、1812年という管楽器と鳴り物が目立つ影で、実は低弦もとっても目立つ曲、ピーターと狼というセリフとのタイミングが難しくて油断ができない曲、悲愴というコントラバスで始まりコントラバスで終わるという緊張感あふれる曲という性格の異なる3つの曲で肉体的にも精神的にもクタクタになりました。ただ、やれる事はやったという気持ちでいっぱいです。

パイオニア交響楽団の演奏会も前回初めて入場者数が1000人を超えて、今回も1000人超えを果たす事ができました。ようやくアマチュア・オーケストラとして一本立ちできるようなオーケストラになってきたような気がします。次は7月にパイオニア・ミューズ・コンサートとして、一昨年震災で中止になった合奏団主催の演奏会のやり直しがあるので、定期演奏会は1年以上間が開いてしまうのですが、また是非足を運んでいただきたく思います。

今日の音楽 2月18日 女は世界の奴隷か

故ジョン・レノンの妻であり、芸術家のオノ・ヨーコは1933年2月18日に東京で生まれています。

父親の仕事の関係で20歳でアメリカに渡りサラ・ローレンス大学で音楽や詩を学んだ後前衛芸術家として活動している時にジョン・レノンと出会い、その後結婚しています。ビートルズの解散の一因がオノ・ヨーコにあるという話もあるためビートルズ・ファンからは疎まれる存在のようですが、音楽的に衝突も多く方向性もメンバー間ではかなり異なって来ていたので、彼女がいなくても時間の問題だったような気はします。

ジョン・レノンがレコーディングやコンサート・ツアーのたびに結成したプラスティック・オノ・バンドの中心としても活動しています。プラスティック・オノ・バンドのファーストアルバムはライブでしたがリハーサル時間が全く取れずほとんどぶっつけ本番で出演した際のものなので大半がカバー曲でした。

オノ・ヨーコとの出会いで、女性の地位改善に目覚めたジョン・レノンが1972年に発表したのがジョン・レノンとプラスティック・オノ・バンド名義で発売した「女は世界の奴隷か」です。原題はWoman is the Nigger of the worldでニグロという言葉が入っているため人種差別という事でアメリカでは放送禁止になったのですが、実際は黒人からの評判は良かったそうです。

 

2013年2月17日 (日)

今日の音楽 2月17日 M

作曲家の奥居香は1967年2月17日に生まれています。

広島生まれの東京育ちで、高校時代にオーディションで選ばれた5人で「赤坂小町」というバンドを結成。その後プリンセス・プリンセスと改称し、女性ロックバンドの代表格として大活躍をしました。1996年にバンドは解散し、俳優の岸谷五朗と結婚しソロや作曲家として活動を続けています。

2012年には、震災復興のために1年間限定でプリンセス・プリンセスを再結成し、大晦日の紅白歌合戦まで活動しました。

「M」は1988年に発売された4枚目のアルバムに収録された曲で、「Diamonds」のB面としてシングル発売もされ、プリンセス・プリンセスの代表曲のひとつとなるバラードです。

2013年2月16日 (土)

今日の音楽 2月16日 ウェルテル

マスネの歌劇「ウェルテル」は1892年2月16日にウィーンで初演されました。

原作は勿論ゲーテによる書簡体小説の「若きウェルテルの悩み」。1885年に着手し87年に完成しましたが、初演を依頼したオペラコミック座の支配人から陰鬱すぎるという理由で断られ、さらにその年の暮れにオペラコミック座が火事で消失しお蔵入りになってしまいました。

その後1890年に、ウィーンで初演された歌劇「マノン」が大成功し、宮廷歌劇場が既に完成していた「ウェルテル」に興味を示し初演の運びとなったわけです。

この曲の中では「手紙の歌」と「オシアンの歌」が人気が高いアリアとして単独で取り上げられる機会が多い曲です。

オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目覚めさすのか」。パヴァロッティのテノール、ファブリティース指揮ナショナルフィルです。

2013年2月15日 (金)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会に向けて・9

いよいよ、演奏会も2日後に迫って来ました。明日はG.P.(ゲネプロ)という通し練習を行って、本番の日は、実際に演奏会を行うステージで午前中にステージ・リハーサル、午後本番を迎えるわけです。
アマチュアの場合ほとんどが、実際の会場で練習できるのは当日のみ、良くて前日夜からなので、そのホールの音響をチェックして演奏に反映するわけです。残響が多いホールでは、短い音はより短く弾かなければならないし、逆の場合は、スタッカートでもあまり短くしないで演奏するという事もありますし、ホールによっては低音が聴こえにくいところもあるなどバランスにも若干の変更を加えたりします。ただ、ステージ・リハーサルはお客さんがいないところでやるので、お客さんが入ったらまた音響が変わるのでそれも考え合わせるのですが。

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第4楽章は、他の交響曲の終楽章とは全く趣の違った曲です。この曲が結構キライという人が多いのは、絶望的な最後を迎えて爽快感も何も残らないからというのが理由のひとつのようです。われわれ演奏する側も同じで、せっかく演奏してもスッキリしないので好き嫌いが分かれる曲です。

終楽章の冒頭の速度は、一応Adagio Lamentosoとなっているのですが、実はこれには異説があります。というのも元々の自筆譜ではAndante LamentosoになっていたものがAndanteがペンで消されてAdagioに書き換えられているからです。この書き換えの筆跡はチャイコフスキー自身では無く後に再演をした際の指揮者のものである事がわかっていますので、Andanteが正しい!と結論が出れば良いのですが、初演の際のプログラムにはAdagio と掲載されていて、この変更は練習の際にチャイコフスキーが変更したものを、後に再演の指揮者が書き込んだ、と主張する人もいるのでやっかいです。従って、現在でも多数派ではないものの速めのAndanteで演奏する指揮者もいます。今回の演奏会ではAdagioですけどね。

この楽章の独断的な聞きどころは次の2つです。
①フルートという楽器は、煌びやかな伸びのある音という印象がありますが、低音部分は音量は出せないものの柔らかく豊かな音色が特徴です。ファゴットという楽器は、第1楽章冒頭のソロにような野太い音の印象が強いですが、高音域に行くと音量は出せないものの芯のある硬い独特の音色が特徴です。第4楽章冒頭では、弦楽器の合奏のクレッシェンドのピークから1拍遅れて3本のフルートとファゴットが同音のFis(ファ♯)を吹きます。
この音色効果を是非楽しんでもらいたいと思います。
②もうひとつが、弦楽器が奏でる第1主題。実は冒頭では、この主題のメロディを弾いている楽器はひとつもありません。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが弾いている音を交互にひとつずつ拾っていくと主題のメロディになるわけです。これが再現部になると第1ヴァイオリンが主題を演奏するのですが、聴こえ方が違っているのがわかりますか?対向配置(ステージ向かって左に第1ヴァイオリン、右に第2ヴァイオリンを配列するオーケストラの配置)だと、よくわかるのですが。。。

勿論、この楽章の最後まで残るのはチェロとコントラバスだけ。心臓の鼓動が止まる事を暗示しているとも言われているpizzなども聞いて頂きたいのですが、弾く方としては心臓の鼓動を表現するというのはどうも・・・

今日の音楽 2月15日 モナ・リザ

ジャズ歌手のナット・キング・コールは1965年2月15日に肺癌で亡くなりました。

アラバマ州モンゴメリーで生まれ、教会オルガン奏者の母から音楽を学んで1930年代からジャズ・ピアニストとして活躍。50年代からはポピュラー音楽に軸足を移し歌手として「スターダスト」、「トゥ・ヤング」など後にスタンダード曲となる数多くの曲をヒットさせました。

娘のナタリー・コールも、ポップス歌手として大活躍しています。

1950年に大ヒットした「モナリザ」はレイ・エヴァンスとジェイ・リヴィングストンが作曲した「キャプテン・カレー」という映画の主題歌です。

2013年2月14日 (木)

今日の音楽 2月14日 加速度円舞曲

ヨハン・シュトラウス二世の加速度円舞曲は1860年2月14日にゾフィエンザールの技術者舞踏会で初演されました。

シュトラウスの最も忙しかった時期で、舞踏会前日の朝5時手元にあったメニューの裏に走り書きで30分ほどで作られたという逸話がある曲です。ゆったりとしたテンポで始まり、やがてアッチェレランドをしていくユーモアにあふれた曲です。

マゼール指揮ウィーン・フィルです。

2013年2月13日 (水)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会に向けて・8

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第3楽章は8分の12拍子のスケルツォ風音楽と4分の4拍子の行進曲が混ざり合った楽章です。同じ場所で8分の12拍子の楽器と4分の4拍子の楽器が混在しているのですが、実際は1小節の間に三連符が12個で符割がされているので、混乱することはありませんが。

昔から3楽章が終わると、あまりの迫力に拍手が出てしまうという事がある程の楽章なのですが、実は意外にオーケストレーションが薄い楽章です。例えば、この楽章の始まりは弦楽器の三連符によるメロディなのですが、ここは実際にメロディを弾いているのが1stヴァイオリンの半分。残り半分は和音でなぞっています。ヴィオラもこのメロディに参加しているのですが、これも半分ずつに分かれて、しかも3つ音を弾いたら3つ分休みというパートと3つ分休んだら3つ音を弾くという、物凄く演奏しにくいスタートなんです。行進曲で華々しく演奏される部分を除くと、弦楽器は全て半分ずつとなる部分が多くて、通常の管弦楽の弦五部が、弦十部に分かれてしまう事もオーケストレーションが薄いと感じる原因のひとつです。

また、古今東西、あちらこちらで使われているベートーヴェンの「運命の動機」が途中で登場します。金管楽器です。「悲愴」が運命を語っている曲と言われる根拠のひとつです。

この楽章ではティンパニ以外にトライアングル、大太鼓、シンバルといった打楽器が使われていますが、特にシンバルが効果的に使われていると感じます。拍の頭ではなくて、1拍めで終わるフレーズに対して、その次の2拍めにシンバルがジャ~ンと鳴らされる事で、その後いったん音量を落としても高揚感が失われないという効果があるわけです。

最後は、フォルテ4つになったり3つになったり(こうなると音量というよりは、雰囲気で差をつけるしか無いのですが)しながら、怒涛のように終わるのです。・・・・が、これだけ迫力ある終わりなので全楽器で演奏すると思うでしょう?実は、最期の3小節は高音しか出ない楽器はお休みです。一番高い音がト音記号の下線のソ。この音が出せないフルート、ピッコロ、オーボエはお休みなんですよ。

今日の音楽 2月13日 ブリュンヒルデの自己犠牲

今年はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年という事で、さまざまな演奏会でワーグナーが取り上げられる事でしょうが、1883年2月13日はワーグナーの命日です。

ワーグナーの最高傑作といえば、楽劇「ニーベルングの指環」でしょう。なにしろ上演に4日間15時間という長編で、26年の年月をかけて完成した、本当の意味で一生を賭けた作品ですから。その15時間の最後を飾る曲が、第3夜「神々の黄昏」のフィナーレになる「ブリュンヒルデの自己犠牲」です。

ワーグナーの楽劇は、オペラと異なり途切れなく演奏されるものでアリアというものは存在していません。とは言っても長大な作品をいつもそのまま演奏できるわけではありませんので、演奏会やガラコンサートなどでは抜粋して一部分を演奏するというスタイルを取っています。前奏曲や間奏曲にあたるオーケストラだけの曲もありますし、アリアにあたる声楽を伴う曲もあります。

有名なところでは
「ラインの黄金」 ワルハラ城への神々の入場(フィナーレの曲)
「ワルキューレ」 ワルキューレの騎行(第3幕への間奏曲)
                        ヴォータンの告別と魔の炎の音楽(第3幕フィナーレ)
「ジークフリート」 森のささやき(第2幕第2場)
「神々の黄昏」  夜明けとジークフリートのラインへの旅(第1幕への間奏曲)
                        ジークフリートの葬送行進曲(第3幕第3場への間奏曲)
                        ブリュンヒルデの自己犠牲(第3幕終曲)
などがあります。

「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、神々の長ヴォータンの娘であり、ワルキューレの1人であり、ジークフリートの妻であったブリュンヒルデが、ラインの乙女たちに指環を返すために火の中に飛び込み、その火の炎が天上まで届きヴァルハラ城が炎上し神々の時代の終焉を迎えるというシーンでの曲です。最後にふさわしくドラマチックであり、「愛の救済の動機」が厳かに奏でらるとても素敵な曲です。

エヴァ・マルトンのソプラノです。

2013年2月12日 (火)

今日の音楽 2月12日 スケーターズ・ワルツ

フランスの作曲家ワルトトイフェルは1915年2月12日にパリで亡くなりました。

ワルトトイフェルはアルザス地方出身ですが、アルザスはドイツ語圏でワルトトイフェル自身もドイツ系の人でした。父親は有名なオーケストラの統率者で、兄も人気の音楽家という音楽一家に育ちましたが、ワルトトイフェル自身は、世に名前が出たのが40歳を過ぎてからという晩成型の作曲家だったようです。

彼の代表作といえば「スケーターズ・ワルツ」です。当時パリの上流階級の間ではワルツに劣らずスケートが流行していたために作られたワルツです。

屋外を髣髴とさせるホルンの角笛のような響きの後4つのワルツが演奏され、第1のワルツが戻って終曲を迎えます。

トスカニーニ指揮NBC交響楽団です。

2013年2月11日 (月)

今日の音楽 2月11日 マシュ・ケ・ナダ

ボサノバの帝王セルジオ・メンデスは1941年2月11日に、ブラジルのリオデジャネイロ近郊で生まれています。

幼少のころから音楽学校でクラシックのピアノを学んで音楽の基礎を身につけましたがクラシックの世界には入らず、ジャズの影響からボサノバの世界に身をおきました。アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルト などと国内外で活躍を始めました。

1965年からは活動の場をアメリカに移して世界的なボサノバブームの推進役を務めていますが、特に1966年に発売したアルバムの中の「マシュ・ケ・ナダ」は世界中で大ヒットしました。

原曲はジョルジ・ベンジョール で、セルジオ・メンデスとブラジル66として女声コーラス入りでの録音が大ヒットしたわけです。「マシュ・ケ・ナダ」はブラジルのポルトガル語スラングで「やなこった」というような意味だそうですが、スペイン語で「マシュ・ケ・ナダ」は最高という意味だそうです。

2013年2月10日 (日)

今日の音楽 2月10日 愛は面影の中に

アメリカのシンガー・ソングライター ロバート・フラックは1937年2月10日にノース・カロライナ州で生まれました。

父はピアニスト、母はオルガニストの音楽一家に生まれハワード大学でクラシック、声楽を学びました。卒業後は音楽教師やナイトクラブでの演奏を行っていましたが1969年にアトランティックレコードからデビューしました。

1972年に映画「恐怖のメロディ」に使われた「愛は面影の中に(First time ever I saw your face)」が大ヒットし、グラミー賞の最優秀レコード賞を獲得。翌年は、「やさしく歌って(Killing me softly with his song)」で2年連続の最優秀レコード賞に輝きました。これは、彼女とU2のみという記録だそうです。

殆ど抑揚の無い静かなメロディの繰り返しなのですが、クラシックの声楽を学んだ確かな歌唱テクニックと詩情豊かな歌い方が相まってブラック・ミュージックの傑作作品のひとつだと思います。

2013年2月 9日 (土)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会に向けて・7

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第2楽章は4分の5拍子という珍しい拍子です。これはスラブの音楽に見られるワルツで、4分の2拍子と4分の3拍子の混合という形です。

音楽的には優雅なワルツの旋律の間に、憂鬱が垣間見えるという感じ。特に中間部はロ短調に転調して暗い陰鬱な曲になっています。

この楽章コントラバスはワルツお決まりのpizzが多いのですが、かなり忙しい楽章です。普通のワルツのように頭だけ打っていれば良いわけではなくて、途中で妙な拍にpizzがあったり、突然arcoに変わって二分音符ひとつだけ弾いて、またpizzになるというのが何回も出てきて優雅なメロディの裏でドタバタとしています。暇があったらワルツのメロディが繰り返された後はコントラバスを見ていてください。ドタバタしてますから・・・

コントラバスにとっては、ひたすらリズム楽器に徹する楽章で、音域も狭いので一見簡単そうなのですが、そんな苦労がある楽章です。しかもリズム形もどんな理由があるのかわかりませんが、変化に富んでいて・・・ただ、あまりこういう変化は有難くはないのですが。

今日の音楽 2月9日 イッツ・トゥー・レイト

アメリカのシンガー・ソングライター キャロル・キングは1942年2月9日に生まれました。

大学在学中にポール・サイモンからデモ・テープの作り方を教わり、1958年に売り込みに成功してデビューしましたが4曲のシングルは売れずに頓挫。1960年代には、夫の作詞家ジェリー・ゴフィンとのコンビでロコ・モーション など数々のヒット曲を作曲。1970年代に入って本格的にシンガー・ソングライターの活動を開始し1971年に発売された2枚目のアルバム「つづれおり」が全米アルバムチャートで15週連続のナンバーワンという大ヒットになり、グラミー賞の4部門を獲得、世界で延べ2200万枚というセールを記録し70年代を代表する歌手となりました。

「イッツ・トゥ・レイト」は「つづれおり」からシングルカットされた曲で5週連続のナンバーワンとなった曲。なにか物憂げな、それでいてポップな曲でした。その後も歌手として、ライターとして活躍を続けています。ジェームズ・テイラーの「君のともだち」、カーペンターズの「小さな愛の願い」も彼女の曲です。

2013年2月 8日 (金)

今日の音楽 2月8日 シーモンの涙

アメリカのミュージシャン、ダン・シールズ(イングランド・ダン)は1948年2月8日に生まれました。

ジョン・フォード・コーリーとのデュエットでシールズ&クロフツでデビューしましたが、鳴かず飛ばず。1972年のデビューから5年目にようやく「秋風の恋」が200万枚を超えるヒットで日の目を見たのですが、実は日本では2枚目のアルバムの「シーモンの涙」が大ヒットしており、本国よりも先に名を知られる存在になっていたんですね。

イングランド・ダンは実はちょっと珍しいアーチストです。弟のジム・シールズも歌手なのですが、こちらもシールズ&クロフツというデュオで活躍し、「僕のダイアモンド・ガール」「ハミング・バード」など数々のヒット曲を生んでいます。兄弟がそれぞれ異なるデュオで活躍したというのは珍しい事ですね。

「シーモンの涙」は落ち込んでいる女の子シーモンを励ますために男が歌う歌。終始応援歌という感じの曲なんですよ。

2013年2月 7日 (木)

今日の音楽 2月7日 劇場支配人

モーツァルトの「劇場支配人」は1786年2月7日にシェーンブル宮殿で初演されました。

正式には歌劇でもなく、ジングシュピールでもない音楽つきの喜劇なのですが、便宜上歌劇と言われています。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世が妹夫妻のウィーン訪問の歓迎のためにモーツァルトに依頼して作られた曲です。作品は25日までの間に4回公演されただけで、それ以後はモーツァルトの生前に演奏されることはありませんでした。

序曲は、私も2回ほど演奏したことがありますが、テンポが速くて結構大変な曲でした。ただ、フィガロと比べるとハ長調だし、速いパッセージがフォルテなので格段に演奏は楽ですが。冒頭の速いパッセージが実は交響曲第36番「「リンツ」の第1楽章に全く同じ旋律(と言っても伴奏形ですが)が出てきます。

マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団で序曲です。

2013年2月 6日 (水)

今日の音楽 2月6日 管弦楽のための協奏曲(コダーイ)

コダーイの管弦楽のための協奏曲は1941年2月6日にストック指揮シカゴ交響楽団によって初演されました。

シカゴ交響楽団創立50周年のために作曲された作品で、同名の曲が2年後の1943年にバルトークによって作曲されましたが、バルトークの管弦楽のための協奏曲は通称オケコンと呼ばれるほど20世紀の管弦楽作品の代表作と言われているのに対し、コダーイの曲は斬新さも無く、知名度は雲泥の差ですね。編成もごく普通の2管編成で5つの楽章からできています。形としては3つのテンポの速い楽章に2つのLargoの楽章が挟まっているという感じです。

第2楽章途中までです。

2013年2月 5日 (火)

今日の音楽 2月5日 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング

アメリカのロック・バンド スリー・ドッグ・ナイトのコリー・ウェルズは1942年2月5日に生まれています。

1967年にダニー・ハットンがチャック・ネグロン、コリー・ウェルズの3人のボーカルに4人のバック・ミュージシャンを加えて結成したのがスリー・ドッグ・ナイトです。グループ名は、アポリジニは寒い夜に3匹の犬と寝るという風習からつけたそうです。

1968年に「NO BODY」でシングルデビューし、翌年の4月にリリースした3曲目のシングル「ONE」が全米5位になり1970年の「ママ・トールド・ミー」、1971年の「喜びの世界」とナンバーワンヒットを重ねてスターダムにのし上がりました。その後も「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」、「ブラック・アンド・ホワイト」「シャンバラ」「ショウ・マスト・ゴー・オン」とヒットを重ねましたが1976年にダニー・ハットンが脱退し、チャックが麻薬所持で逮捕され一時解散。その後チャックを除くメンバーで再結成され活動を続けています。

彼らのヒット曲は、殆どが当時無名のミュージシャンによって作られた作品で、彼らのカバーによって表舞台に登場するようになったミュージシャンが多いのが特徴。「ショウ・マスト・ゴー・オン」はレオ・セイヤー、「ONE」はハリー・ニルソン 、「ママ・トールド・ミー」はランディ・ニューマン を世に送り出しました。

「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」は、ポール・ウィリアムズの作品で、静かな短調の主要部と、陽気な中間部の対比が見事な曲です。

2013年2月 4日 (月)

今日の音楽 2月4日 青春の輝き

カーペンターズのカレン・カーペンターは1983年2月4日に摂食障害による急性心不全で亡くなりました。

毎年この日はカーペンターズネタで申し訳けありません。ただ中学後半~高校時代にかけての私の青春時代にとって欠かすことの出来ないアーチストなのでお許しくださいませ。
カレン・カーペンターについては「愛は永遠に」の項をご覧くだされば結構なので詳しくは書きません。

「青春の輝き」はカーペンターズのオリジナルアルバムとしては7枚目の「見つめあう恋」の収録されていた曲で、この頃にはすでにカレンの拒食症とリチャードの睡眠薬依存が表面化していた時期だったようです。「青春の輝き」はこのアルバムからタイトル曲の「見つめあう恋」に続いてシングルカットされた曲(B面はサンディー)でしたが全米25位、日本でもあまり売れずカーペンターズの時代は終わったように感じさせる曲でした。ただ、曲自体はカレンが最も好きだったと言っている曲ですし、私も当時から好きな曲のひとつでした。

カレンが亡くなってから12年を経た1995年に日本テレビのドラマ「未成年」のエンディング・テーマに使われて大ブレーク。この曲をフィーチャーしたベストアルバム「青春の輝き~ベスト・オブ・カーペンターズ」は350万枚という亡くなったアーチストのアルバムとしては異例の売上を記録しました。オープニングテーマとして使われた「トップ・オブ・ザ・ワールド」とのカップリングでCDシングルもヒットしています。作曲はアルバート・ハモンド

イントロの前にピアノソロによって静かな導入部があるのですが、当初のシングルではこの部分はカットされています。「未成年」の後のCDではピアノソロが復活していて、下のYou Tubeもピアノ付のものです。

2013年2月 3日 (日)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会に向けて・6

悲愴の第1楽章は、短いけれど重苦しい序奏から始まります。序奏の旋律がそっくりそのまま第1主題に使われるのですが、それだけでなく、この旋律の始めのE-Fis-G(ミ・ファ♯・ソ)の動機は他の楽章にも登場してくる重要な動機となっています。

この序奏の旋律はファゴットで演奏されるのですが、ファゴットの旋律が出る3拍前にコントラバスが2部に分かれてミ・シという五度の和音の弱音でこの楽章がスタートするわけです。こういう少ない楽器で曲の頭がスタートする曲というのは、アマチュアオーケストラにとっては若干難しい点があります。
悲愴の場合、もし最初のコントラバスがちょっと高めの音程でスタートすると、ファゴットもそれに合わせた高めの音程で旋律を吹かなければならず、それに続く他の楽器も高めの音程で弾かないと違和感が生じる・・・つまり、最初が正しくない音程で始まっちゃうとどこかで音程のズレが生じるか、違う音程でずっと演奏し続ける必要があるんです。
これが、合奏で始まった場合、多少音程がズレている楽器があっても、平均化されるのでこういう違和感は生じないわけです(気持ち悪い和音にはなりますけど)

序奏のメロディは形を変えて2度演奏され、ヴィオラ、木管楽器などに断片的に引き継がれ、やがてヴィオラの旋律に受け継がれて、ソナタ形式の主部に向かいます。この序奏では登場する楽器は限られています。管楽器はオーボエとクラリネットとファゴット、それにホルン。弦楽器ではヴァイオリンは登場しません。

第1主題は、序奏のメロディをヴィオラとチェロが各2部に分かれた4部の合奏で提示され、それをフルートが受け継いでいきます。

第2主題は、この曲の中でもっとも有名な旋律です。甘美で切ない旋律です。この旋律は第1楽章で3回登場しますが、1回目より2回目、3回目と徐々に切なさより甘美さが増していくのも特徴です。

コーダの直前のクライマックス部分にはコントラバスにとって地獄が待っています。35小節の間Fis(F♯)の刻み(細かい音を繰り返す)が、しかもフォルティティシモ(fが3つ)というものです。このFisの音は、一番太い弦(五弦ベースでは2つめの太い弦)なので右手にも、左の指にも強烈な負荷がかかるわけです。ここ終わると左の人差し指には太い弦の溝が刻まれてます(笑)

今日の音楽 2月3日 ペレアスとメリザンド(フォーレ)

フォーレの「ペレアスとメリザンド」の組曲版は1901年2月3日にシュヴィヤール指揮コンセール・ラムルーで初演されました。

メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」は、1892年にブリュッセルで出版され翌年パリで初演されました。この作品は同時代の作曲家が好んで題材とした戯曲で、特に後世に名を残した4人の作曲家による作品はそれぞれ現在でも演奏される曲です。最初がフォーレの劇音楽で1898年の作曲。その組曲版が1901年。1902年にはドビュッシーが戯曲をほぼそのままオペラ化、1903年にはシェーンベルク交響詩を。そして1905年にはシベリウスによる戯曲のヘルシンキ初演のための劇音楽、さらに管弦楽組曲という具合にわずかな期間に取り上げられています。

その中でも最も知られているのがフォーレによる組曲版です。
5曲からなる組曲です。
第1曲 前奏曲 メリザンドの主題が使われている劇音楽の1曲目
第2曲 糸を紡ぐ女 劇音楽では10曲目で高弦によって細かい六連符で糸車が回る様子を表現し、オーボエによる旋律が奏でられます。
第3曲 メリザンドの歌 11曲目で「王の3人の盲目の娘の歌」
第4曲 シシリエンヌ 5曲目にあたる曲。最も有名な曲でハープの分散和音にのってフルートによる旋律が流れます
第5曲 メリザンドの死  第17曲で第5幕への前奏曲になる葬送行進曲です。

第4曲「シシリエンヌ」をオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で。

2013年2月 2日 (土)

パイオニア交響楽団第24回定期演奏会に向けて・5

今回のメイン曲は、チャイコフスキーが完成させた最後の交響曲第6番ロ短調「悲愴」です。

「悲愴」原題は"Pathetique"がチャイコフスキーが納得してつけられたタイトルかどうかは議論が分かれるところですが、そんな事はさて置き。

このチャイコフスキーの「悲愴」は、チャイコフスキーの死の9日前に初演された事から、「悲しみ」のようなイメージでとられてしまうのですが、実際にはチャイコフスキーの初演時の証言からも「人生」について表現されていると考えられています。つまり悲しみとか悲壮感という意味の曲ではないわけです。
また、それまでの5曲の交響曲と比べると非常に斬新な構成で、新しい境地を切り拓いた作品とも云えます。

楽章の数は4つという当たり前の交響曲のようですが、第1楽章にテンポの速い楽章を持ってきて、第2楽章は5拍子のロシア風ワルツ、第3楽章はスケルツォと行進曲、終楽章は緩徐楽章という構成になっています。

薀蓄を語る以前に、この曲はコントラバスで始まり、コントラバスで終わるとっても貴重な曲です。燃えないわけはありませんね・・と言っても始まりも終わりも最弱音で耳をすまさないと聞き取れない程なんですけどね。

今日の音楽 2月2日 安らぎの世界へ

イギリスのミュージシャン グラハム・ナッシュは1942年2月2日に生まれました。

1960年代前半にホリーズを結成しましたが、彼の音楽が進歩的で多くのファンになかなか受け入れられず1968年にはホリーズを脱退。
訪米中に知り合ったデヴィッド・クロスビースティーヴン・スティルス とともに、クロスビー・スティルス・ナッシュを結成し、その後ニール・ヤング を加えて、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y) となり世界規模の成功を手に入れました。このバンドは自己主張が強くナッシュはその接着剤のような役目を果たしたといわれています。

CSN&Yは1年ほどで瓦解しましたが、その後もこのメンバーの派生の中で活躍を続け、ソロ活動と並行した活動を続けています。

「安らぎの世界へ」(The air that I breathe)はホリーズ時代のヒット曲で、アルバート・ハモンドとマイク・ヘイゼルウッドの共作で、もともとアルバート・ハモンドのアルバムに収録されていたものをホリーズがカバーして全米第6位のヒットを記録。その後オリヴィア・ニュートン=ジョン など多くのカバーが生まれた名曲です。

2013年2月 1日 (金)

今日の音楽 2月1日 黄色いリボン

映画監督のジョン・フォードは1894年2月1日にアメリカのメイン州で生まれました。

兄の働くユニバーサル映画に入社しめきめきと頭角を現して当初は西部劇専門の監督として活躍し、1930年代にはシリアスな映画も手がけていましたが1939年の「駅馬車」でB級俳優だったジョン・ウェインをスターにするとともに西部劇の監督の第一人者となったわけです。

その後、スタインベックの「怒りの葡萄」などの文芸作品も手がけています。

代表作のひとつ「黄色いリボン」は1949年の作品で騎馬隊の日常生活を描いた作品。死者がひとりも出ないという珍しい西部劇です。主題歌は遠くに行ってしまった彼女を思って歌う曲。西部劇史上あまりに有名な曲ですね。

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