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2012年11月30日 (金)

今日の音楽 11月30日 管弦楽のための変奏曲(シェーンベルク)

20世紀を代表する指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは1954年11月30日にバーデンバーデンで死去しています。

大戦前後多くの音楽家がドイツを離れる中ナチスへの協力容疑で演奏活動禁止処分を受けたフルトヴェングラーですが、今ではそれは誤解で逆にドイツに留まりユダヤ人音楽家を庇護していたことがわかって名誉が回復されています。とにかく人間の情念を抉り出すような指揮が今でも20世紀最大の指揮者と言われる所以でしょう。スコアを奥の奥まで読み込むという彼の音楽への接し方がそれを支えていたのでしょう。

フルトヴェングラーの名演奏といえばまず挙げられるのが1951年のバイロイト音楽祭でのベートーヴェンの第九でしょうが、初演した作品も数多くあります。

シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲もその中のひとつ。1928年12月2日にベルリン・フィルで初演されました。4管編成という大規模な編成で導入部、主題と9つの変奏曲、コーダからできています。シェーンベルクが十二音技法を使った最初の大規模な曲です。

残念ながらフルトヴェングラーの指揮したものは無かったので、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団で前半です。

2012年11月29日 (木)

今日の音楽 11月29日 歌に生き、恋に生き

作曲家プッチーニは1924年11月29日に亡くなっています。

1896年に「ラ・ボエーム」で成功したプッチーニが次に作曲したのが「トスカ」でした。紆余曲折の上に作曲を依頼された「トスカ」は、殺人、処刑、殺人といった結末で主要な登場人物3人が全員この世を去ってしまうという事で、ヴェルディもこの作品ではオペラは作れないと言ったほどの原作で、後に続くヴェリズモ・オペラの草分けのような作品とも言えるでしょう。同じ悲劇でも「ラ・ボエーム」とは全く異なる趣の作品ですが、メロディの美しさというプッチーニの特徴はそのままのオペラです。「ラ・ボエーム」と並んでプッチーニの代表作と言えるでしょう。

中でも、トスカの恋人である画家のカヴァラドッシが歌う「星はきらめき」と、歌姫トスカの歌う「歌に生き、恋に生き」はガラ・コンサートなどでは定番中の定番です。「歌に生き、恋に生き」は第2幕で、トスカに横恋慕する警視総監スカルピオが牢屋に連行された後、トスカの助命に対しスカルピオに代償として体を求められて神に助けを求める歌です。

ちなみに、この3人が結末で死んでいく人たち。スカルピオはトスカに殺され、助けたと思ったカヴァラドッシは処刑され、それを見たトスカが絶望の余り自殺するわけです。

キリ・テ・カナワのソプラノです。

2012年11月28日 (水)

今日の音楽 11月28日 イフ・アイ・ディドゥント・ハヴ・ユー(モンスターズ・インク)

アメリカのシンガーソングライターで、映画音楽の作曲家としても知られているランディ・ニューマンは1943年11月28日に生まれました。

伯父・叔父の「七年目の浮気」などのアルフレッド・ニューマン、「我等の生涯の最良の日」の音楽監督エミール・ニューマン、「紳士は金髪がお好き」などのライオネル・ニューマンがいるという音楽一族の影響を受けてUCLA在学中から作曲活動を開始。1970年にスリー・ドッグナイトが歌った「ママ・トールド・ミー」が全米№1となり一躍脚光を浴びました。1980年以降は映画音楽に重点を移し「トイ・ストーリー」「モンスターズ・インク」などピクサーの作品を中心に活躍しています。

その他では「マイケル」「レナードの朝」などを手がけています。

モンスターズ・インクは、子供を怖がらせるのが仕事のモンスターズインクに入り込んでしまった女の子ブーを、ナンバーワンの怖がらせ屋ながら気持ちの優しいモンスターのサリーと相棒のマイクが無事に人間の世界に送り届けようとするアニメ。主題歌が「君がいないと」(原題が If I did'nt Have You)でした。

から

2012年11月27日 (火)

今日の音楽 11月27日 ラグビー

フランスの作曲家オネゲルは1955年11月27日に亡くなっています。

クラシック音楽でスポーツを扱ったものは非常に少ないですね。私の知っている範囲ではサティの「スポーツと気晴らし」ぐらいですかね。
スポーツを真正面から取り上げたのが、オネゲルの交響的運動第2番「ラグビー」です。

1928年の夏ラグビー観戦中にジャーナリストから「スポーツを音楽で表現できますか?」と問われて作曲し、同年の10月に初演されました。第1、第2それぞれの主題が双方のチームを表わしていて、その攻め合いが対位法によって表現されています。

バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックです。

2012年11月26日 (月)

今日の音楽 11月26日 ヴァイオリン協奏曲(シューマン)

シューマンのヴァイオリン協奏曲は1937年クーレンカンプの独奏、ベーム指揮ベルリンフィルによって初演されました。

あれ?シューマンて20世紀の作曲家?と疑問を持つ方がいらっしゃるでしょうね。この曲、当代きっての名ヴァイオリニスト ヨアヒムの依頼で作曲され、ヨアヒムの演奏するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に感銘を受けたシューマンが2週間で作曲した作品なのですが、ヨアヒム自身が何故かこの曲の自筆譜を封印してしまったため、1937年にベルリンの図書館のヨアヒムの蔵書から発見されるまで半世紀以上も眠りについていたわけです。

初演は独唱者のクレーンカンプが自筆譜では演奏不可能という事で、大幅に演奏不可能以外の箇所も書き直して演奏してしまったため、翌年アメリカで演奏を行ったメニューインが「私が真の初演演奏者」と言ったそうです。

曲は、古典様式に則った3楽章からなり演奏時間は約30分。特に第2楽章は後に遺作となった「天使の主題による変奏曲」の主題となるメロディで、夢の中で天使が歌った曲とシューマン自身が言っているものです。

シェリングのヴァイオリン、ドラティ指揮ロンドン交響楽団で第2・3楽章です。

2012年11月24日 (土)

今日の音楽 11月24日 ロミオとジュリエット(ベルリオーズ)

ベルリオーズの劇的交響曲「ロミオとジュリエット」は1839年11月24日パリ音楽院大ホールでベルリオーズ自身の指揮によって初演されました。

ロミオとジュリエットシェイクスピアの作品の中で後世映画、音楽、バレエなど最も様々な形で取り上げられている作品数が多い戯曲です。シチュエーションを変えて作られた「ウェストサイド物語」なんていうのもありますね。

クラシック音楽でも、多くの作曲家が取り上げています。最も知られているのがチャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」とプロコフィエフのバレエ「ロミオとジュリエット」ですが、ペルリーニグノーディーリアスなどが取り上げています。

ベルリオーズの劇的交響曲「ロミオとジュリエット」は、オーケストラと独唱、合唱による大規模な作品で、オーケストラ自体も非常に大きな編成となっています。演奏時間も1時間半を超えるため演奏会では抜粋で演奏されることも多いようです。7部構成ですが全体的にはストーリーを忠実になぞらえているという事では無く、声楽が入るのは最初の第1部と最後の第7部及び第4部の「ジュリエットの葬送」のみで、最初と最後以外はストーリーの中の場面を音楽のみで表現しています。また第4部のスケルツォはストーリーとは直接関係の無い間奏曲的な役割を果たしています。

曲自身非常に斬新的な作風で、無調音楽を思わせる部分があったりと実験的な要素も含んでいる作品です。

コリン・デイヴィス指揮ウィーン・フィルで第1部です。

2012年11月23日 (金)

今日の音楽 11月23日 孔雀変奏曲

コダーイのくじゃく変奏曲は1939年11月23日にメンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で初演されました。

ハンガリーの民謡や民話に基づく作品を多く作曲していたコダーイは、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の50周年記念作品を委嘱され作曲したのが、ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲でした。
「孔雀は飛んだ」はかつてオスマントルコ帝国によって支配されていたマジャール人の自由への情熱を歌った民謡です。これは当時勢力を強めていたファシズムに対して自由と人間性の擁護を訴える意味も込められていたと言われています。主題と16の変奏曲及びフィナーレからなっている演奏時間25分程度の曲です。

リーパー指揮スロヴァキア放送交響楽団です。

2012年11月22日 (木)

今日の音楽 11月22日 ボレロ

ラヴェル作曲のボレロは1928年11月22日にパリ・オペラ座で初演されました。

世界で一番単純な構成のクラシック音楽は、このボレロでしょうね。
①リズムは最後の2小節を除いて2小節間のボレロのリズムの繰り返し・・・全曲で340小節なので繰り返し回数は(340-2)÷2=169回です。
②メロディはAパターンとBパターン(いずれも16小節で繋ぎが2小節)がAABBで繰り返されます。但し、楽器はその都度変わっていきます
③最初から最後までクレッシェンド
④ちなみに、コントラバスは 長いお休みの後、トン休トン トン休トン 、その後 トントントン・トントントン、その後はトントントン・トントントト・・・ずっとピッチカートでの繰り返しです。つまり、演奏したくない曲ナンバーワンです。

こういう単純な構成なので、多分色彩的なオーケストレーションの天才ラヴェルじゃなければ出来なかった曲でしょうね。

ベネズエラ出身の指揮者ドゥダメル指揮ウィーンフィルでの演奏です。

2012年11月21日 (水)

今日の音楽 11月21日 ライト・プレイス・ロング・タイム

アメリカのミュージシャン ドクター・ジョンは1940年11月21日にニューオーリンズで生まれています。

元々ギタリストとして活動していたのですが、クラブでの演奏中に喧嘩に巻き込まれ左手を撃たれ薬指が不自由になってキーボードに転向。ニューオリンズでのブードゥー教文化を背景としたサイケデリックな音楽が持ち味でローリングストーンズザ・バンドのコンサートや録音にゲスト出演もしています。

自らの曲としては1973年の「ライト・プレイス・ロング・タイム」が全米7位に輝いています。
とっても妙な音楽だと思って聴いていました。

2012年11月20日 (火)

今日の音楽 11月20日 ホテル・カリフォルニア

イーグルスのギタリスト ジョー・ウォルシュは1947年11月20日に生まれました。

イーグルスはカントリー・ロックのバンドとして1971年にデビューし「テイク・イット・イージー」「魔女のささやき」「呪われた夜」などヒットを連発していましたが、メンバー間の軋轢が激化しメンバーの一部が脱退、その後1975年にジョー・ウォルシュが加盟しハードロック色の強いバンドとなって翌年「ホテル・カリフオルニア」という大ヒット曲を産み出したわけです。

ホテル・カリフォルニアは凋落したウェストコースト・サウンドへの皮肉や現代社会のひずみへのアンチテーゼといった奥深い内容の曲で、アルバムは8週連続の全米トップ、シングルも第1位になっています。

しかしその後もメンバー間の軋轢は続き1980年に活動を停止。1982年に正式に解散が発表されました。ウォルシュはイーグルス解散後もソロとして活躍しています。

個人的には、イーグルスは初期のサウンドが好きでした。当時のどのバンドにも無い雰囲気を持っていてシングルとしては発売されていませんが、その後リンダ・ロンシュタットカーペンターズなどがカバーした"Desperado"なんて名曲中の名曲だと思います。

2012年11月19日 (月)

今日の音楽 11月19日 楽興の時

作曲家フランツ・シューベルトは1828年11月19日チフスで病死しています。

シューベルトというと非常に貧しい生活を送った早逝の作曲家というイメージがあります。まあ作曲家の中には生きている間には大した評価を受けず、死後評価された人もたくさんいますし、貧困に喘いでいた方もいますが、シューベルトほど現代に名を残した人が当時は殆ど知られていなかったというのは驚きです。

原因はいくつも考えられます
①スポンサーがいなかった・・・ 宮廷音楽の衰退という時代背景
②プロデューサーがいなかった・・・10代の頃から優れた作品を作っていたにもかかわらず、それを売り込み、発表する場も無かった
③未発表・未完の作品が多かった・・・交響曲の殆ど、ミサ曲、歌曲など未発表(内輪のアンサンブルでは演奏していたものも多いのですが)の作品が死後大量に発見されています。また、発表の当てが無いので、他の仕事が入ったり行き詰まったりすると途中で作曲を止めてしまいそのままになっているものも多数あります。
④ ③とも関連していますが、シューベルトの作品の多くはアマチュアの音楽家には取り上げられたものの(交響曲などは、仲間内の演奏目的に作曲されているため、揃う楽器だけという妙な編成になっているものもあります)プロの演奏会では演奏される機会が非常に少なかった・・・・

シューベルトの作曲したピアノ小品に楽興の時という作品集があります。楽興の時は現代はモーメント・ミュージカル=瞬間的な音楽という意味。要するに形式にこだわらず想いのままに作られた即興的な作品という意味です。6曲からなる作品集ですが、特に第3番は誰でも知っている曲。シューベルトの存命中から「ロシア風歌曲」(エール・リュス)としても知られた曲でした。左手は単調な伴奏で右手でメロディという簡単な構成で、比較的低いレベルでも演奏できるのが今でも愛好されている理由のひとつかな。

第3番をホロヴィッツの演奏で。

2012年11月18日 (日)

今日の音楽 11月18日 クラリネット小協奏曲

ドイツロマン派の作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーは1786年11月18日に生まれました。

ウェーバーといえば、ドイツロマン派オペラを確立した作曲家として知られていて、「魔弾の射手」や「オベロン」などというオペラで有名ですが、序曲はしばしば演奏されますがそれ以外の作品は名前が売れている割には演奏されることが多くは無いですね。交響曲もピアノ協奏曲も作曲しているのですが・・・

ウェーバーの純器楽作品の中で、最も知られているのがクラリネットのための協奏曲でしょう。当時ミュンヘンの宮廷楽団にハインリヒ・ヨーゼフ・ベールマンというクラリネットの名手がいて、彼のために作曲されたのがクラリネット五重奏曲を含むこれら協奏曲群です。そのトップを切って作曲されたのがクラリネット小協奏曲です。1811年4月2日に完成し4月5日に初演されたこの曲は「小」協奏曲という名前ですが、冒頭を聴くと堂々たる作品であることがわかります。編成自体も普通のクラリネット協奏曲同様クラリネットを除く2管編成です。単一楽章で9分程度というのが「小」の理由です。

単一楽章と言っても3つの部分に分かれていますが、緩-急-緩ではないので3つの楽章が連続しているわけではありません。とにかく堂々たる音楽の中から湧き出てくる美しいクラリネットの音色がとても印象的な曲です。

ロン・ゼルカのクラリネット、メータ指揮イスラエル・フィルです。

2012年11月17日 (土)

今日の音楽 11月17日 サンダウン

カナダのシンガー・ソングライター ゴードン・ライトフットは1938年11月17日に生まれました。

1950年の終わりにロサンゼルスへ移住し作曲家として活動し注目をされます。ピーター・ポール&マリーに彼の作品「朝の雨」を歌わせヒットさせたピーター・ポール&マリーのマネージジャーのアルバート・グロスマンは彼の才能を買ってシンガー・ソングライターとしてデビューさせました。長い間売れずにいたのですが1974年にリリースした「サンダウン」が全米ナンバーワンに輝きましたが、その後も目覚しい活躍は無かったようです。

2012年11月16日 (金)

今日の音楽 11月16日 ヴァイオリン協奏曲(ハチャトゥリャン)

ハチャトゥリャンのヴァイオリン協奏曲は1940年11月16日にモスクワでオイストラフの独奏、ガウクの指揮で初演されました。

翌年スターリン賞2位を獲得した作品で、ランパルの編曲によるフルート協奏曲としても知られています。ハチャトゥリャンの音楽は同世代のプロコフィエフやショスタコーヴィチに比べると民族色が濃く、民族音楽に由来するリズムやメロディが特徴ですが、この曲もリズミックな曲です。私個人的には、この方の曲のコントラバスパートは時として完全な打楽器扱いになったり、単調だったりと結構好きでない作曲家のひとりなのですが・・・

オイストラフのヴァイオリン、ハチャトゥリャン自身の指揮による演奏で第1楽章前半部分です。

2012年11月15日 (木)

今日の音楽 11月15日 オラトリオ「森の歌」

ショスタコーヴィチ作曲のオラトリオ「森の歌」は1949年11月15日に、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニー交響楽団によって初演されています。

元々はソヴェト共産党からジダーノフ批判を受けて冷遇されていたために、名誉を回復するために作曲されたと言われる曲です。スターリンが当時スターリングラード攻防戦で荒れ果てたボルガ川近辺に展開していた植林事業に目をつけて、この事業を褒め称えるオラトリオを作ることで地位の回復を試み、大成功に終わった曲です。

そのような経緯で作曲された曲のため、スターリンの死後フルシチョフによるスターリン批判に合わせて歌詞が変えられたり、ソヴェト崩壊後のロシアを含めた旧ソヴェト圏や西側諸国でも演奏される機会は極端に減っているそうです。

作品としては正当な合唱曲として評価すべき曲ですので、何だか勿体無いような気もします。
内容は、
第1曲 勝利(改訂版では「戦争が終わったとき」・・・第二次大戦の勝利はスターリンのおかげですという曲。
第2曲 祖国を森で覆わせよう・・・国土に森林を蘇らせるべきだという曲
第3曲 過去の思い出・・・荒れ果てた大地が砂嵐を巻き起こし農作物にも被害が出る
第4曲 ピオネールは木を植える・・・植林事業に参加するピオネール(ソ連の少年団)
第5曲 スターリングラード市民は前進する・・・スターリングラード市民が障壁に負けず前進していくという曲で、祝典序曲にもメロディが使われています。
第6曲 未来の散歩道・・・植林事業が終了し森林のある理想的な世界を表現
第7曲 栄光・・・植林事業の進め方を歌い、最後に共産党を讃えて終わります

アシュケナージ指揮ロイヤルフィルで第4曲と第5曲です。

2012年11月14日 (水)

今日の音楽 11月14日 ワルツ「ウィーンの市民」

オーストリアの作曲家カール・ミヒャエル・ツィラーは1922年11月14日に亡くなっています。

力強くワルツが有名なウィーン華やかなりし時代の作曲家。代々続く帽子職人の家に生まれましたが音楽に才を見出し1863年にデビュー。数々のワルツやオペレッタで一世を風靡しましたが戦後のインフレで財産を失い失意のうちに亡くなっています。代表曲の「ウィーンの市民」はヨハン・シュトラウスも兜を脱いだと言われるほどの人気ぶりだったようです。

ヤンソンス指揮ウィーンフィル、2012年のニューイヤーコンサートです。

2012年11月13日 (火)

今日の音楽 11月13日 悲しくてやりきれない

詩人であり作詞家のサトウハチローは1973年11月13日に亡くなりました。

リンゴの唄」の作詞者として知られるサトウハチローは、母親への想いなどを歌った叙情的な作風で知られており2万にも及ぶ詩を残したと言われています。奇行が多く放蕩を繰り返していたという私生活からは考えられないような心に沁みる詩が多いのが特徴です。

童謡の作詞者としても知られており、「ちいさい秋みつけた」「うれしいひな祭り」などがありますが、歌謡曲の作詞家としても数々のヒットを残しています。「長崎の鐘」、「目ンない千鳥」などの作品がありますが、珍しいところで、フォーク・クルセダーズの歌った「悲しくてやりきれない」があります。作曲は加藤和彦。「帰ってきたヨッパライ」に続く2枚目のシングルとして準備されていた朝鮮半島を歌った「イムジン河」が当時の政治的配慮で放送自粛となったため、急遽作られて発売された曲ですが、フォークの名曲として歌い継がれる曲になりました。

2012年11月12日 (月)

今日の音楽 11月12日 孤独の旅路

アメリカのシンガー・ソングライター ニール・ヤングは1945年11月12日に生まれています。

ニール・ヤングという歌手は様々な音楽にトライする事でも知られています。クレイジー・ホースというバンドでのハード・ロック、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのアコースティックなロック、カントリーやロカビリーを臭わせる素朴な音楽・・・

ヤングのソロ活動での頂点は1972年のアルバム「ハーヴェスト」です。10曲中7曲をカントリーのメッカであったナッシュビルで録音しカントリー色の強いアルバムに仕上がっています。「孤独の旅路」は、この中の1曲でシングル化され全米ナンバーワンに輝いた曲です。アコースティックなギターとブルースハープという、ボブ・ディランスタイルで歌ってた曲です。

2012年11月11日 (日)

今日の音楽 11月11日 北京の55日 

映画音楽の作曲家として知られるドミトリー・ティオムキンは1979年11月11日に亡くなっています。

1895年にウクライナで生まれサンクトペテルブルク音楽院で学んだティオムキンは1925年にアメリカに移住し数多くのハリウッド映画の音楽を作曲しています。彼の音楽はロシアで学んだにもかかわらず典型的なアメリカ映画音楽を作ることが出来た事で、ハリウッドを代表する作曲家のひとりとして名を残すことになったわけです。

スミス都へ行く」「素晴らしき哉人生」などの他に典型的なアメリカ映画=西部劇でも「真昼の決闘」「OK牧場の決斗」「リオ・ブラボー」など名曲を残しています。また、TVドラマでも「ローハイド」を担当しています。

勿論、西部劇以外でも名曲は多く、晩年の「北京の55日」は中国で義和団事件に遭遇し外国人居留地に籠城して妻子を、救援部隊が到着するまで55日間守った兵士たちを描いた歴史ドラマでした。

「北京の55日」の組曲です。

2012年11月10日 (土)

今日の音楽 11月10日 運命の力

ヴェルディの歌劇「運命の力」は1862年11月10日にサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されました。

1859年の「仮面舞踏会」初演以降ヴェルディは創設された国会議員の仕事と農園経営に悩殺され作曲活動から離れていましたが、ヴェルディを政治の世界に引き込んだ首相のカヴールが亡くなって再び音楽への情熱が湧きあがって来ました。そこに、マリインスキー劇場からの作曲依頼が舞い込んで題材も台本もヴェルディに一任という条件もあって心を動かされたようです。但し、当時の帝政ロシアでは共和政の賛美やロシア正教会への批判はタブーなどの制約はあったようですが・・・

リバス公ドン・アンヘル・デ・サーベトラの戯曲「ドン・アルバーロまたは運命の力」を元に台本が作られ作曲されています。原作は非常にスキャンダラスで陰惨な神をも冒涜するような内容で、ピアーヴェの台本は比較的原作に忠実に作られていました。ロシアでの初演は必ずしも成功とは言えませんでしたが、それはこのスキャンダラスな台本によるところも大きかったようです。ただ、この初演がロシア音楽界に与えた影響も大きく、結果としてはヴェルディの後期の傑作のひとつとされています。現在では、神への冒涜とも取られる人類を呪うようなアルヴァーロの投身自殺による最後のセリフは変更を加えられていますが、原典版として元の通りに演奏される事もあります。

序曲は1869年の補筆改訂の時に作られたものでヴェルディにとっては最後の序曲です。レオノーレの動機とされる金管による3つの和音から始まるこの序曲はヴェルディの数ある序曲の中でも最も構成のしっかりした曲ですね。

ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団で序曲です。

2012年11月 9日 (金)

今日の音楽 11月9日 雨をみたかい

アメリカのサザン・ロック・バンド クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)のトム・フォガティは1941年11月9日に生まれました。

1959年にジョン・フォガティとスチュ・クック、ダグ・クリフォードによって結成されたブルー・ベルベッツに、ジョンの兄のトム・フォガティが加わって結成されたCCRは、アメリカ南部風の泥臭いサウンドを特徴とするロックバンドとして1968年に誕生しました。カバー曲の「スージーQ」がヒットして脚光を浴びると、「プラウド・メアリー」「ダウン・オン・ザ・コーナー」「雨を見たかい」と立て続けにヒット曲を出しましたが2年間で発売した5曲全てが全米チャートの2位どまり。全米ナンバーワンになれなかったアーチストで5曲の2位曲を持つのは彼らだけという珍記録の持ち主となってしまいました。

ジョン・フォガティの人気があまりに高くメンバー間がギクシャクしてしまい、最初にトムが脱退したのを皮切りに1972年には解散となってしまいました。

「雨を見たかい」は洗練された田舎臭さが非常によく現れた曲で、ジョンの独特の節回しと相まって、他にはまねの出来ない音楽を醸し出しています。

トムは1990年にエイズで亡くなってしまいましたがジョンは現在もソロとして活動中です。

2012年11月 8日 (木)

今日の音楽 11月8日 ラヴィング・ユー

アメリカの歌手ミニー・リパートンは1947年11月8日にシカゴで生まれました。

14歳からステージに上がり1966年にソロデビューしましたが売れず、結婚して2人の子供を授かりました。

1971年にスティービー・ワンダーのバックコーラスに抜擢され、1974年にスティービーのプロデュースで発売した「Lovin' You」が大ヒット。5オクターヴから5オクターヴ半と言われる広い声域、特にハイトーンを武器にヒット曲を出し続けましたが1976年に乳癌にかかり、手術によって一時快方に向かいましたが1978年に癌の転移がみつかり翌年亡くなってしまいました。

「ラヴィング・ユー」はオリジナルではジャズっぽい雰囲気と小鳥のさえずりをフィーチャーした軽いメロディラインと、驚くほどの高音の対比が新鮮な曲でしたが、その後多くの歌手が様々なスタイルでカバーしています。

2012年11月 7日 (水)

今日の音楽 11月7日 青春の光と影

カナダのミュージシャン ジョニ・ミッチェルは1943年11月7日に生まれました。

1968年にデビューし、翌年の2枚目のアルバム「青春の光と影」の大ヒットで広く知られるようになりました。作曲家としても活躍し、映画「いちご白書」の主題歌「サークル・ゲーム」やCSN&Yの「ウッドストック」など多くのヒット曲を提供しています。中でも、ジュディ・コリンズが歌った「青春の光と影」はフォークミュージックのスタンダードとして歌われ続けています。

2012年11月 6日 (火)

今日の音楽 11月6日 エル・カピタン

アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザは1854年11月6日にワシントンD.C.で生まれました。

マーチ王とよばれ数十曲もの行進曲を遺したスーザについては「星条旗よ永遠なれ」の項目で紹介しています。

「エル・カピタン」は元々は1895年に作曲したオペレッタで、その中から旋律を抜粋して行進曲に仕立てたのが1896年発表の行進曲「エル・カピタン」です。オペレッタ自体も1896年の初演から4年間上演されたという人気作品だったようです。ストーリーはスペイン統制下のペルーでのお話。凄腕の傭兵隊長(エル・カピタン)が死んだ事からエル・カピタンに返送した副王の間抜けぶりを描いた喜劇だそうです。

2012年11月 5日 (月)

今日の音楽 11月5日 わが祖国

スメタナの連作交響詩「わが祖国」は1882年11月5日に初演されました。

1874年から1879年にかけて作曲された6曲の交響詩でスメタナがチェコの国民音楽として記念碑的な作品を作りたいと考えて作られた連作交響詩です。ヴィシェフラド(高い城)、ヴァルタヴァ(モルダウ)、シャカール、ボヘミアの森と草原から、ターボル、プラニークの6曲で、チェコの風物や歴史を題材にとった作品になっています。全曲通すと75分程度の時間がかかりますが、特に2曲目の「ヴァルタヴァ(モルダウ)」は源流から流れ出るヴァルタヴァ川がエルベ川に合流するまでを描いた作品で、単独で演奏される機会が多い曲です。

第1曲「ヴィシェフラド(高い城)  荒廃した過去のボヘミア国王の居城であるヴィシェフラド城の栄枯盛衰を現わした作品。
第3曲「シャルーカ」  プラハの北東にある谷で、チェコの伝説に登場する勇女の名前でもあります。
第4曲「ボヘミアの森と草原」  鬱蒼たるボヘミアの森と農民たちの踊りなどからできている曲
第5曲「ターボル」  南ボヘミアの古い町で、フス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを表現しています
第6曲「プラニーク」 ボヘミアにある山の名で、ターボル同様フス戦争の勇者たちを表現しています。

第1曲目「高い城」を、エーリヒ・クライバー指揮シュターツカペレ・ベルリンです。

2012年11月 4日 (日)

今日の音楽 11月4日 交響曲第1番(ブラームス)

ブラームスの交響曲第1番は1876年11月4日にデッソフ指揮カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団により初演されました。

ベートーヴェンを意識するあまり、なかなか交響曲を完成できず着想から完成まで21年の年月を費やしてしまった事や、第1楽章の主題がベートーヴェンの交響曲第9番の歓喜の歌と似ているなど言われる等々エピソードには欠かせない交響曲という分野を代表する名曲のひとつであることは間違いないでしょう。第2番以降の二連符と三連符が並行するような複雑な絡み合いは無いものの、第1楽章の冒頭のような斬新さは随所に現れています。第2楽章では、ロマン派の時代という事を改めて意識させてくれますし、第3楽章では古典的なメヌエットやスケルツォを使っていません。まあ中間部は踊りだしたくなるような音楽ですが。そして、暗い底から始まる終楽章ではコラールなどを経て歓喜が高まっていく雰囲気が伝わってきます。

この第1番の成功で自身を得たブラームスは、翌年には第2番、その6年後第3番、その2年後には第4番と、堰を切ったように交響曲を作るようになりました。

レヴァイン指揮シカゴ交響楽団で終楽章です。

2012年11月 3日 (土)

今日の音楽 11月3日 007は二度死ぬ

イギリスを代表する映画音楽の作曲家ジョン・バリーは1933年11月3日にヨークシャーで生まれました。

バリーは父親が映画館経営、母親がピアニストという映画音楽そのものの家庭に生まれ、1959年に「狂っちゃいないぜ」で映画音楽デビューを果たします。その後007の映画化第1作目の「ドクター・ノオ」で主題曲の編曲等を担当し、それ以降は007のスコアや編曲、指揮を担当し名声を得ました。その他では「野生のエルザ」ではアカデミー作曲賞と、そのテーマの「ボーン・フリー」で主題歌賞、「冬のライオン」で作曲賞など数々の映画を手がけています。

007シリーズでも、編曲や指揮以外でいくつかの主題歌を担当しています。007シリーズの主題歌は有名な歌手を起用する事が多かったのですが、バリーが担当したのはナンシー・シナトラが歌った「007は二度死ぬ」、トム・ジョーンズの「サンダーボルト大作戦」、インストロメンタルだけの「女王陛下の007」、シャーリー・バッシーの歌う「ダイヤモンドは永遠に」、ルルの歌う「黄金銃を持つ男」、リタ・クーリッジの歌う「オクトパシー」など多数あります。

中でも「007は二度死ぬ」は日本を舞台にした作品として知られていますが、どちらかと言うと日本に対する誤解(中国文化と混ざっていたり・・・)が面白くてストーリーとは別の部分で楽しめる作品です。

2012年11月 2日 (金)

今日の音楽 11月2日 展覧会の絵(EL&P)

イギリスを代表するキーボード奏者キース・エマーソンは1944年11月2日に生まれました。

10代からバンド演奏活動を始め20歳でTボーンズに参加。解散後いくつかのバンドを経て1970年にベースギターのグレッグ・レイク、ドラマーのカール・パーマーとギターレスのプログレッシブバンドエマーソン・レイク&パーマーを結成し、プログレブームを巻き起こしました。1980年の正式解散まで断続的に活動は継続していました。

グレッグ・レイクは、様々なキーボードを駆使し、中でもモーグ社のシンセサイザーの発展に貢献したひとりと言われています。

EL&Pは、クラシック音楽に傾倒しており、キースは後にピアノ協奏曲も作曲しています。そんなEL&Pの傑作のひとつがムソルグスキーの「展覧会の絵」。ラヴェルの編曲によっても知られている名曲を、ロック音楽に編曲してライブで演奏していたものが、海賊版が横行していたため、それらを防ぐためにチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の行進曲をアレンジした「ナット・ロッカー」とのカプリングでリリースし大ヒットしたわけです。

展覧会の絵の構成は、原曲をやや端折っています。
最初のプロムナードの後は、比較的原曲に近い「こびと」、2回目のプロムナードの次が「ビドロ」のコードを取り入れたオリジナルの「賢人」。続いて「古い城」をブルース仕立てにした「古城」とその変奏。3回目のプロムナードの後が「バーバヤーガの小屋」とそれをアレンジした「バーバヤーガの呪い」、最後はキエフの大門となっています。

2012年11月 1日 (木)

今日の音楽 11月1日 名前のない馬

アメリカのバンド アメリカの初期メンバー ダン・ピークは1950年11月1日に生まれました。

アメリカは、実はイギリスで結成されたバンド。ジェリー・ベックリー、ダン・ピーク、デューイ・バネルの3人で3人の両親はロンドン駐留の米国軍人でした。1971年のデビュー・アルバム「アメリカ」はヒットしませんでしたが翌年に発売したシングル「名前のない馬」が全米第1位になり、この曲を追加したアルバムを再発売したところ、これも大ヒット。グラミー賞の新人賞を獲得しました。

爽やかなコーラスのウェストコーストサウンドで、その後も「アイ・ニード・ユー」「ヴェンチュラ・ハイウェイ」「ティン・マン」「金色の髪の少女」など数多くのヒットを放っています。ダン・ビークは1977年に脱退し、2011年に死去しました。

名前のない馬は、わずか4つのコードでできている曲ですが、実はEmとAmの2つのコードで演奏できる曲なんですヨ。高校生の頃下手糞なギターでよく歌いました。

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