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2012年2月29日 (水)

今日の音楽 2月29日 歌劇「絹のはしご」序曲

ロッシーニは1792年、4年に1度しか誕生日が来ない2月29日に生まれています。

ところで、4年後にしか来ないこの日のために、この日にゆかりの音楽を列挙してみましょう。
オーベール作曲歌劇「ポルティチの唖娘」初演(1828年)
マイアベーア作曲歌劇「ユグノー教徒」初演(1836年)

やっぱり少ないですね。
ロッシーニはボローニャで音楽を学び18歳の時に歌劇「結婚手形」で作曲家としてデビューを果たし、生涯に39曲のオペラを作曲しました。その他にも6曲の弦楽のためのソナタやスターバト・マーテルなどの宗教曲なども作曲していますが、何といってもロッシーニといえばオペラでしょうね。24歳の時に作曲した「セビリヤの理髪師」でヨーロッパ中にその名をとどろかせるようになりましたが、37歳で作曲活動はほぼ停止。その後39年間は美食家として暮らしましたが晩年は様々な病に取り付かれていたようです。これは晩年32年間作曲活動をしなかったシベリウスより長い隠居生活でした。

ロッシーニの作品は死後、「ウィリアム・テル」「セミラーミデ」「セビリヤの理髪師」の序曲が演奏される程度ですっかり忘れられた存在となっていましたが、20世紀後半から、しばしばオペラ全曲が演奏されるようになり、演奏会でも多くの序曲が取り上げられるようになりました。

歌劇「絹のはしご」は2組の男女が互いに互いを引き合わせようとするという軽い内容のオペラ・ブッファでオペラは今でも殆ど上演されませんが、序曲はしばしば取り上げられます。
非常に軽快な曲で、最後にはお決まりの「ロッシーニ・クレッシェンド」もあります。ロッシーニの序曲は、管弦楽入門曲としてアマチュア・オーケストラにしばしば取り上げられますが演奏は簡単ではありません。まあ、アンサンブルが単純なのと、何と言っても譜面どおりに弾けばかなり盛り上がって終わる事ができるという事が、アマチュアに取り上げられる所以でしょうかね。

2012年2月28日 (火)

今日の音楽 2月28日 ゴジラ

1993年2月28日は、映画監督本多猪四郎の命日です。

本多猪四郎は日大芸術学部映画学科を卒業後、東宝の前身であるPCLに入社し、3度の徴兵などを経て40歳でようやく監督になりました。
円谷英二とコンビを組んで多くの特撮映画を監督しています。
代表作のゴジラをはじめ、「地球防衛軍」「モスラ」「ラドン」など1975年の「メカゴジラの逆襲」まで数多くの映画を監督し、その後は黒澤明の作品の演出を補佐するなどで映画に携わって行きましたが1993年に亡くなっています。

非常に温厚な人柄で、円谷の特撮も一歩下がって見守っていたと言われています。彼無くして、東宝特撮映画は長期間続くことは無かったでしょう。

代表作のゴジラは、他の多くの作品同様日本クラシック界の重鎮伊福部朗が担当しています。ゴジラやモスラ、キングコングの音楽を中心にSF交響ファンタジーという作品が編曲されている事は以前にも書きましたが、ゴジラ作品だけでも多くの名曲があります。

2012年2月27日 (月)

今日の音楽 2月27日 レイニー・ブルー

1960年2月27日はシンガー・ソングライター徳永英明の誕生日です。

徳永英明は歌手になるためにスター誕生に出演するも決勝大会で敗退。その後きっかけを作るために俳優養成学校のTBS緑山塾に入り、マリンブルー音楽祭優勝をきっかけに1986年にデビュー。1987年に4枚目のシングル「輝きながら・・・」がフジカラーのCMソングに起用されブレイク。その後「風のエオリア」「夢を信じて」、「壊れかけのRadio」などを次々とヒットさせました。その後1993年に声帯ポリープ、2001年にはもやもや病に悩まされましたが克服し、2005年には女性ヴォーカルの曲を集めてカヴァーした「VOCALISTS」を発表、このシリーズは現在まで4枚のアルバムが発売されています。

ソングライターとしても活躍し数々の楽曲を提供しており、今でもコンサート活動を中心に精力的に活動しています。ちょっとしゃがれた感じの高音に特徴がありますね。

個人的にはデビュー曲「Rainy Blue」が最も好きな曲で、音の飛び方が激しいためちょっと歌い難い曲ではありますが、別れた男性への未練を切々と歌った曲です。

2012年2月26日 (日)

今日の音楽 2月26日 いとしのエリー

サザンオールスターズの桑田佳佑は1956年2月26日に誕生しています。

青山学院大学在学中にバンドを結成し、独特の歌いまわしとメロディラインで日本を代表するバンドとして今でも活躍しているのはご存知の通り。(現在は無期限活動停止中)ソロ活動もバンド活動と並行して行っています。
メジャー・デビューは1978年の「勝手にシンドバッド」。2008年の「I am your singer」でバンド活動を休止するまで53枚のシングルを世に出しています。また、原由子が産休していた1年間限定で結成したKuwata Bandで4曲、ソロでは、東日本大震災復興のための「明日へのマーチ / Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜 / ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜」まで14曲のシングルを発売しています。

桑田の曲づくりは、完全な作曲先行型で多くの作品が編曲まで完成してから詞を当てはめていくというやり方です。その為に、時々意味不明か歌詞があるという事を言われますが、日本語の韻律がメロディに全く合わないというような、昨今の曲に有りがちな点は殆ど無いのが特徴(但し、文法などは結構滅茶苦茶)です。

サザンの3枚目のシングル「いとしのエリー」は、桑田のメロディメーカーとしての力を存分に発揮した曲です。オリコンの1位にはなれなかったものの(初めて1位になったのは26枚目のシングル「さよならベイビー」125万枚を売上げ長い間サザンの売上トップの地位を守っていました(涙のキッスに抜かれました)。「エリー」は実姉の岩本えり子の名前という説もありましたが、単に語感だけでつけたという事。
レイ・チャールズがEllie My Loveとしてカバーした事もあります。

サザンの映像は拾えないので、Exileがカバーしたものです。

2012年2月25日 (土)

今日の音楽 2月25日 フランチェスカ・ダ・リミニ

チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は1877年2月25日、ニコライ・ルビンシュテインの指揮でモスクワにて初演されました。

フランチェスカ・ダ・リミニは13世紀イタリアのラヴェンナの領主の娘で実在の人物です。政略結婚の悲劇を扱った物語で、ダンテの「神曲」地獄篇にも登場します。
チャイコフスキーは、この「神曲」の中の詩を元に25分という長大な交響詩を作曲しました。フランチェスカの過酷な運命を暗示する重苦しい第1部、フランチェスカと夫の弟パウロとの禁断の愛と破局を幻想的に描いた第2部、夫に殺され地獄に落ちた2人を激しいリズムで表現した第3部からなる幻想曲になっています。

初演は概ね好評でしたが、チャイコフスキー自身は「神曲」を読んで刺激され一時的な気持ちの高揚感の中で書いたつまらない作品と言っているようです。

エッシェンバッハ指揮ヒューストン交響楽団で序奏と第1部です。

2012年2月24日 (金)

今日の音楽 2月24日 想い出の夏

1932年2月24日は、作曲家ミシェル・ルグランの誕生日です。

ルグランは、音楽一家に生まれパリ音楽院でピアノを学んでジャズ・ピアニスト・作曲家として活躍しています。特に映画音楽においては大家のひとりで「シェルブールの雨傘」、「ロシュフォールの恋人たち」、「風のささやき」でアカデミー主題歌賞を獲得した「華麗なる賭け」、「栄光のル・マン」、「愛と哀しみのボレロ」、「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」などの映画音楽を担当、日本でもアニメ「ベルサイユのバラ」の音楽などを作曲しています。

数多い作品の中で、最も叙情的な曲が「おもいでの夏」でしょう。
映画は、第二次大戦を避けてニューイングランドの沖合いの島に疎開してきた少年とジェニファー・オニール扮する人妻のひと夏の恋のほろ苦さを描いた作品。ルグランの音楽の特徴は繰り返しです。主題となるメロディが同じフレーズの繰り返しを含んでいる事が多いのが特徴だと思います。
同じフレーズを繰り返す時はエコー効果という1回目より2回目を弱音にして演奏することで感情を深めると共に単調さを排除する効果があります。クラシック音楽でもよく使われる手法です。「おもいでの夏」では同じフレーズを3回繰り返して主題を作り上げています。

2012年2月23日 (木)

今日の音楽 2月23日 威風堂々

1934年2月23日は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーの命日です。

エルガーの代表作といえば行進曲「威風堂々」でしょう。実は威風堂々はエルガー自身5曲作曲しており、さらに未完成のものを後年補筆完成させた6番を含めると6曲存在していますが、一般的に「威風堂々」といえば第1番を差します。何と言っても、中間部のメロディが特に有名で、アニメ「あたしンち」のエンディングで平山綾のデビューシングル「来て来てあたしんち」はこの中間部に歌詞をつけたものでした。この中間部は、イギリスの第2の国家とも言われる「希望と栄光の国」(戴冠式頌歌の終曲)に転用されています。

第1番は1901年に作曲され10月に初演されていますが、初演から大人気で当時の国王エドワード7世から歌詞をつけて欲しいという以来を受けて「希望と栄光の国」を作ったそうです。
第2番は第1番と同じ時期に作曲され同時に初演されていますが、第1番の影に隠れてしまった感があります。

第3番は1905年に作曲され3月に初演されています。第1番に次いで(と言っても遥かに少ないですが)演奏される曲です。第4番は1907年の作曲で、第1番に次いで(と言っても遥かに少ないですが)演奏される曲です。第5番は1930年の作曲です。

どの曲も3管編成の堂々とした曲ですが、原題の"Pomp & Circumstance"は直訳すると「華麗で儀式ばった曲」という意味合いだそうです。

第4番です。

2012年2月22日 (水)

今日の音楽 2月22日 やさしく歌って

1973年2月22日、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」がゴールド・ディスクに輝きました。

ロバータ・フラックは1937年2月10日にピアニストとオルガニストという両親の間に生まれました。15歳の時にピアノコンクールで優秀な成績をおさめてハワード大学に進学しクラシック音楽と声楽を学びました。その後、音楽教師やナイトクラブでのピアノ演奏でキャリアを積んで1969年にデビュー。1972年に映画「恐怖のメロディ」に使われた「愛は面影の中で」が全米ナンバーワンに輝きグラミー賞の最優秀レコード賞を獲得。翌年は、「やさしく歌って」(Killing me softly with his song)で全米ナンバーワン、グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀歌曲賞。最優秀女性ヴォーカルの3部門に輝きました。最優秀レコード賞を2年連続で獲得したのは初の快挙で、その後も数々のヒット曲を出すと同時に、デュエット曲も数多くこなしてビーボ・ブライソンとのデュエットで「愛のセレブレーション」も大ヒットしました。

「やさしく歌って」は、ロリ・リーバーマンという女性歌手がオリジナルですが全くヒットせず偶然にこの曲を聴いたロバータ・フラックが気に入って大ヒットしたわけです。

2012年2月21日 (火)

今日の音楽 2月21日 交響曲第1番(モーツァルト)

1765年2月21日、モーツァルト最初の交響曲第1番変ホ長調K.16はロンドンのヘイマーケットの小劇場で初演されています。

当時モーツァルトは8歳。演奏家としては神童として認められていましたが作曲はまだ本格的に始めていませんでした。ロンドン滞在中に作曲されたとされていますが、J.C.バッハの影響が大きい作品で、見よう見まねで作ったと考えられます。

急-緩-急の3つの楽章からできており、編成はオーボエ2、ホルン2、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、ヴィオラと通奏低音のヴィオローネ(コントラバスの前身)という編成だったそうです。チェロが無いというのは当時では珍しくなかったそうで、古典派以前の曲ではいつもチェロの1オクターヴ下を影のように弾いているコントラバスにとってはちょっと溜飲が下がる重いがしますね。出版時には、チェロと通奏低音のチェンバロ、ファゴットを加えた編成で出版されています。

8歳で作った曲としては凄い!と思うか、神童でも最初はこの程度と感じるかは人それぞれですが、まあ8歳でフルオケの曲を作ることが出来る事自体すごい事でしょう。
父親のレオポルドが言っているように、好まれない平行五度進行が何箇所も出て来たり未熟な部分もありますし、第2楽章はかなり退屈な曲ですが、モーツァルトが好んで使ったE♭-F-A♭-Gという音形(ジュピター主題=第41番ではC-D-F-E)が初めて使われたのがこの楽章です。全楽章通しても10分程度です。

第2楽章です。

2012年2月20日 (月)

今日の音楽 2月20日 セビリヤの理髪師

ロッシーニの歌劇「セビリヤの理髪師」は1816年2月20日にローマのテアトル・アルジェンティーナで初演されました。

原作はボーマルシェの戯曲三部作の第1作目で、フィガロの結婚の前の話にあたります。
これに先立つ事35年前に同じ題材でパイジェルロがオペラを作曲しており、初演の時にパイジェルロ派の妨害があった為に初演は失敗に終わりましたが、その後高い評価を得るようになり現在ではロッシーニの代表作になっています。

ストーリーは、「フィガロの結婚」では倦怠期を迎えているアルマヴィーヴァ伯爵と、伯爵夫人ロジーナの結婚を邪魔するロジーナの叔父のバルトロを出入りの理髪師フィガロの知恵で懲らしめるお話。フィガロの「私は町の何でも屋」、音楽家ドン・バジリオの「かげ口はそよ風のように」などのアリアがありますが、中でもロジーナの「今の歌声は」はコロラテューラ・ソプラノの代表的なアリアのひとつです。

カサロヴァのソプラノで、「今の歌声は」です。

2012年2月19日 (日)

今日の音楽 2月19日 サボテンの花

ポップ・ロック・バンド チューリップのリーダー財津和夫は1948年2月19日に生まれています。

ビートルズに憧れ独学でギターを学び大学在学中にフォーシンガーズを結成。その後「魔法の黄色い靴」でメジャー・デビューしましたがあまり売れませんでした。3枚目のシングル「心の旅」が発売5ヶ月でオリコンナンバーワンになり87万枚の売上げを記録し大ブレーク。
その後「夏色のおもいで」「青春の影」「サボテンの花」「虹とスニーカーの頃」などを送り出しましたがメンバーの脱退・加入を繰り返して1989年にチューリップは解散。1997年再結成されるまでソロ活動を行っていました。

チューリップの曲の殆どは財津が作詞・作曲していますが、自らの曲以外にも他の歌手への楽曲提供も盛んに行っており、松田聖子の「白いパラソル」など、沢田知可子の「会いたい」などの作曲も行っています。

「サボテンの花」は1975年に発売されたチューリップ8枚目のシングルで当時もオリコンのトップ20には入った曲ですが、フジテレビの「ひとつ屋根の下」の主題歌として財津のソロで発売され18年後のリバイバルヒットしています。

2012年2月18日 (土)

今日の音楽 2月18日 ラストダンスは私に

1924年2月18日はシャンソン歌手越路吹雪の誕生日です。

第二次大戦中から戦後にかけて宝塚歌劇団で活躍し1951年退団後はミュージカルで活躍すると共に、シャンソンでは岩谷時子(作詞家でありマネージャーも勤めた)とともに多くの曲を日本に紹介してきました。

「サン・トワ・マミー」「愛の讃歌」「ラスト・ダンスを私に」などが岩谷とのコンビによる曲です。

「ラストダンスは私に」は、実はシャンソンではなく元々はアメリカのコーラスグループドリフターズが歌っていた"Save the last dance for me"という曲をフランスのダリダがヒットさせた曲。女性が「誰と踊って来ても良いけれど、最後のダンスは私と踊ってちょうだい」と歌う曲ですが、原曲では逆に男性が「最後のダンスは俺と踊って、送るのは俺だ」という曲だそうです。

2012年2月17日 (金)

今日の音楽 2月17日 ダイアモンド

1967年2月17日は、岸谷香(プリンセス・プリンセスの奥居香)の誕生日です。

1983年にオーディションで選ばれた5人がバンド「赤坂小町」を結成し、1986年にプリンセス・プリンセスとしてメジャー・デビュー。ヴォーカル、キーボード、ギターを担当していました。SHOW-YAと共に日本のガールズ・バンドの草分けとして活躍しました。その後俳優の岸谷五郎と結婚し出産等で一時活動を休止していましたが、現在では歌手、作曲家、プロデューサーとして活躍しています。

1989年に7曲目のシングル「Diamonds」がオリコンナンバーワンのヒットで大ブレークし、その後以前のシングル曲だった「世界で一番熱い夏」を再発売してこれもオリコン1位に輝いています。

Diamondsは、消え行くアナログ・レコードの想い出を歌った曲で、Diamondsはダイアモンド針も表わしています。ポップで軽快な曲です。B面のバラード「M」もとてもステキな曲で、多くの歌手にカバーされています。

オマケで「M」も

2012年2月16日 (木)

今日の音楽 2月16日 ガヴォット(ゴセック)

ベルギーで生まれフランスで活躍した作曲家ゴセックは1829年2月16日に死去しています。

ゴセックは1734年の生まれで95歳まで生きた長寿の作曲家で、バロック時代から初期ロマン派音楽までの長い時代を生きた作曲家でした。現在では「ガヴォット」しか知られていませんが、本来は交響曲の大家で30曲近い交響曲を作曲しています。パリでラモーに見出されオペラや交響曲を手がけましたがハイドンの人気がパリでも高くなるに従って交響曲は減らしていっています。

また、ゴセックは次第に編成を大きくしたり空間配置へのこだわりを見せたりと、後のベルリオーズに続く大きな流れを作り出してもいます。

ガヴォットはフランスのガヴォという地方のフォークダンスに由来する4分の4拍子か2分の2拍子の中庸なテンポの舞曲でバッハなどにも取り上げられた音楽形式です。

ゴセックのガヴォットは歌劇「ロジーヌ」の中で登場する可愛らしい曲でヴァイオリンとオーケストラで演奏されます。TVCMの音楽等での露出も非常に多い曲です。

エルマンのヴァイオリン演奏です。

2012年2月15日 (水)

今日の音楽 2月15日 クシコス・ポスト

1912年2月15日は、作曲家ネッケの命日です。

ネッケはドイツロマン主義の作曲家ですが、知られているのは「クシコス・ポスト」のみ。
しかも、唯一知られているこの曲は、日本では大間違いの「クシコスの郵便馬車」というタイトルで紹介されてしまいました。

ハンガリー語で、Csikosは「馬」、Postは「郵便」を表す言葉だそうですが、何故かクシコスを固有名詞(地名)だと勘違いしてつけたタイトルのようです。
今では「クシコス・ポスト」という、これも本当のハンガリー語とは遠い発音の曲名で呼ばれています。

この曲、日本以外ではあまり知られていない曲のようですが、日本では運動会を経験した人であれば殆ど聞いたことがあると思いますね。

2012年2月14日 (火)

今日の音楽 2月14日 夕焼け小焼け

1893年2月14日は、作曲家草川信の誕生日です。

長野県出身の草川信は、東京音楽学校を卒業後、教職の傍ら演奏家として活動し、その後童謡の作曲に携わるようになりました。ゆりかごの歌汽車ポッポ緑のそよ風、どこかで春が などが草川が作曲した童謡唱歌です。

中でも最も身近なのが、夕焼け小焼け。中村雨紅の詩に草川が曲をつけた1923年の曲です。ヨナ抜き音階を使って美しいけれど何だか物寂しい夕焼けをゆったりしたテンポで叙情的に作曲した作品で、中村雨紅の出身地の八王子には「夕焼け小焼け」なるバス停があり、八王子駅の各番線の発車音は番線ごとにアレンジが異なる「夕焼け小焼け」になっています。

私も、昔仕事で八王子駅を頻繁に使用していましたが、特に一番線の八高線ホームのメロディが音がでっかくて立派な音でしたね。

八王子駅の出発音です。

2012年2月13日 (月)

今日の音楽 2月13日 春咲小紅

1955年2月13日はシンガー・ソング・ライター矢野顕子の誕生日です。

とにかくユニークな存在です。ジャンルにこだわらず自然体で音楽をやるというスタイルは幅広い年齢層に支持されました。ジャズ、民謡、懐メロ、フォークソング、童謡・・・何でもかんでも矢野ワールドの音楽に料理してしまいます。

そんな矢野顕子ですがシングルヒットというのにはあまり縁が無かったようで、1981年にカネボウ化粧品のCMソングとして作曲された「春咲小紅」がオリコンチャートの第5位に入ったのが最高です。春咲小紅は作詞が糸井重里、アレンジを当時の夫だった坂本龍一が所属していたYMOの別名義ymoymoが担当しています。

2012年2月12日 (日)

今日の音楽 2月12日 チャーリー・ブラウンという名の少年

スヌーピーチャーリー・ブラウンでお馴染みのピーナッツ・ブックの漫画家チャールズ・M・シュルツは2000年2月12日に亡くなっています。

大人が全く登場せず、子供と動物だけのキャラクターのよる漫画ピーナッツは1950年からシュルツの亡くなった翌日の2000年2月13日まで妬く50年間にわたり、様々な雑誌などに連載され続けてきました。掲載された雑誌は2000誌をこえ、75カ国21言語で3億5500万人もの読者を持っていました。コミックの発行部数も3億部をこえています。

チャーリー・ブラウン、やかまし家のルーシー、安心毛布のライナス、埃だらけのビッグ・ペン、妹のサリー、ベートーヴェン・フェチのシュローダー、ペパーミント・パティなどの魅力的なキャラクターの子供たちとスヌーピー、ウッドストックの2匹(羽)が大人と同じような悩みを解決したりと、大人の世界を子供と動物で表現し皮肉るという中身ですね。

劇場公開用アニメは4作品あります。はじめの2作品"A Boy Named Charlie Brown"(邦題 スヌーピーとチャーリー)、"Snoopy, Come Home"(スヌーピーの大冒険)は私も映画館で見ました。
音楽は、2作目のスヌーピーの大冒険では、メリー・ポピンズチキ・チキ・バンバン、ディズニーの「小さな世界」で知られるシャーマン兄弟が作曲し、「ライラのテーマ」など名曲が目白押しなのですが、私がイチオシなのが1作目のロッド・マッケンというアメリカの詩人、作曲家の歌手によって歌われたタイトルソングです。なんだかチャーリー・ブラウンというキャラクターにぴったりの歌です。

2012年2月11日 (土)

今日の音楽 2月11日 交響曲第9番(ブルックナー)

未完成に終わったブルックナーの交響曲第9番は、ブルックナーの死去から7年後の1903年2月11日にレーヴェの改訂版でウィーンで初演されています。

ベートーヴェン以来作曲家は10番目の交響曲は完成できないというジンクスが作曲家の中でも真剣に考えられていたことは、マーラーの「大地の歌」のエピソードでも有名でしたが、ブルックナーは第9番作曲の途中で他界してしまいました。ブルックナーは9番の第3楽章までしか完成できませんでしたが、彼自身が「取り消し、無効」とした第0番という作品があるために、番号のある交響曲は一応9曲完成し、10曲目の途中で絶筆となったわけです。しかも、ブルックナーの第9番はベートーヴェンの第9番と同じニ短調という調性で、これはベートーヴェンの呪縛への挑戦と取れなくもないでしょう。

この曲の作曲を始めたのは1887で、他界したのが1896年ですから随分作曲に長い期間を費やしたと思いますが、この間にブルックナーお得意の以前の作品の手直しを盛んにやっていたという事でそれに時間を費やされていたようです。結局亡くなるまでに完成したのは終楽章の再現部の途中まで、完成されていたと言われているスケッチも失われてしまっているため、演奏会では第3楽章までの演奏で終える事が多いです。古今東西の未完成作品同様、多くの研究者や作曲家が完成版を作っていますがどれも決定的なものでは無く、あまり演奏される機会は多く有りません。

第9番は、ベートーヴェンの第九をかなり強く意識していたのか、第2楽章にスケルツォを置いています。3つの楽章だけでも1時間を越える長大な曲で、調性も曖昧な部分が数多く存在しており後期ロマン派から次のステップへという段階も見えてくる作品です。

アバド指揮ベルリンフィルで第1楽章です。

2012年2月10日 (金)

今日の音楽 2月10日 ホフマンの舟歌

オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」は1881年2月10日にパリのオペラコミック座で初演されています。

ホフマン物語はドイツのE.T.A.ホフマンの小説から3つの物語を用いて作られた戯曲に基づいてバルビエが台本を書いたオペラですが残念ながら未完成に終わっています。未完のままの作品のためその後様々な版が書かれ、この初演もビゼーの「アルルの女」第二組曲を編集した事で知られているギローが補筆した版で演奏されたものです。この時は4幕ものでした。

1887年にオペラコミック座の火災によって、初演時の楽譜が消失し、その後シューダース版、エーザー版(共に5幕の版)など数種類の補筆版が入り乱れています。最近になって原典版なるオッフェンバックの自筆譜が発見されたそうですが・・・

ホフマン物語は、主人公のホフマンと3人の女性との恋と破綻を描いた作品で、特に最初の女性オランピアは歌う人形という設定で、ドリーブのバレエ「コッペリア」の下敷きにもなった人形です。
とりわけ、3人目の高級娼婦ジュリエッタとホフマンの友人のコクラウスのデュエット「舟歌」はホフマンの舟歌として知られている曲です。

ネトレブコとガランカのデュエットで「舟歌」です。

2012年2月 9日 (木)

今日の音楽 2月9日 ジャングル大帝

1989年2月9日は、漫画家手塚治虫の命日です。

医学博士で漫画家という羨ましいような才能の持ち主で、描いた漫画も多種多様。
近未来の人間と機械(ロボット)の問題を扱った代表作の「鉄腕アトム」、動物の社会を描きながら人間による自然破壊などを取り上げた「ジャングル大帝」、古代から未来までの人間の輪廻や生き様を描いた「火の鳥」など夥しい数の作品が残されています。

また、手塚はアニメーションに異常なまでの情熱を注いで来ました。初めての本格的なアニメーション「鉄腕アトム」に次いで、日本初のカラーテレビアニメ「ジャングル大帝」が作られました。アニメになれば勿論音楽が不可欠。
手塚アニメで最も音楽に力を入れたのが「ジャングル大帝」でした。毎回ストーリーに合わせて異なる音楽をつけるという贅沢な作品で、費用の4分の1は音楽の費用だったと言われています。音楽を担当したのが新進の作曲家だった冨田勲。特にオープニングテーマはオペラ歌手の平野忠彦が歌う雄大な音楽でした。

2012年2月 8日 (水)

今日の音楽 2月8日 ヴァイオリン協奏曲(シベリウス)

シベリウスのヴァイオリン協奏曲初稿は1904年2月8日にノヴァチェクの独奏、シベリウスの指揮で初演されています。

シベリウスはたった1曲しかコンチェルトを書いていません。若い頃からヴァイオリンを習ってヴァイオリニストを目指していながら、上がり症のため断念したという過去を持つシベリウスですから、たった1曲のコンチェルトがヴァイオリン協奏曲だったというのも頷けます。

この曲は、どちらかといえばヴァイオリンのテクニックを披露するというよりはオーケストラと対等の立場で渡り合う曲という色合いが強い曲です。と言っても演奏が簡単というわけではないのですが。

初演はあまり成功とは言えなかったようです。その後ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いた、よりシンフォニックなこの作品に衝撃を受け、1905年に構成を更に緊密にした改訂版を作曲しました。これ以降シベリウスは初稿の演奏を禁止していたため、現在聴くことができるのは殆ど改訂版というわけです。

第1楽章は「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と書かれていて非常にスケールの大きな楽章です。
第2楽章は緩徐楽章で、劇的な中間部を持っています。
第3楽章はティンパニと低弦が刻むリズムに乗ってリズミカルにヴァイオリンが主題を奏でる激しい楽章です。

いずれにしても、ベートーヴェンメンデルスゾーンブラームスチャイコフスキーの四大ヴァイオリン協奏曲に続く5つ目の座をブルッフの第1協奏曲と共に争うと言われる名曲です。
ちなみに、私個人的にはブラームス、サンサーンスの3番、ブルッフの1番の次がシベリウスです。(2012年2月現在)

諏訪内晶子のヴァイオリン、アシュケナージ指揮(オケは不明)で第3楽章です。

2012年2月 7日 (火)

今日の音楽 2月7日 交響曲第2番「ウクライナ」

チャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調「小ロシア(ウクライナ)」op.17は1873年2月7日、モスクワでニコライ・ルビンシュテインの指揮で初演されました。

チャイコフスキーの6つの交響曲の中で最も地味と思われる曲ですが、実のところは最も明るい曲です。明るいが故にチャイコフスキーらしく無いという事なんでしょうかねぇ。

ウクライナの民謡を存分に使ったこの曲にチャイコフスキー自身はご執心で、大改訂を行っています。第1楽章は殆ど書き直しに近い改訂で他の楽章もかなり大幅に手を入れています。それが現在主に演奏される1880年版で、改訂の理由はこの8年の間のチャイコフスキーの音楽的進化といえるようです。がっしりした構成よりもフランス的な軽やかさや優美さに傾倒していた結果とも言えるようです。

とにかく「鶴」というウクライナ民謡を使った終楽章は華やかで賑やかに終えています。ついつい後期の3つの交響曲に隠れてしまっている感じの前期交響曲ですが、最もロシア的な第1番も最も華やかな第2番も、もう少し聴く機会があると良いのですが。

2012年2月 6日 (月)

今日の音楽 2月6日 Mr.Melody

ナットキング・コールの娘で、シンガーソングライターのナタリー・コールは1950年2月6日に生まれています。

小さい頃から歌手として活動していましたが正式デビューは1975年。デビュー曲の「ジス・ウィル・ビー」はビルボードチャートの第6位に輝きました。

翌1976年には東京音楽祭に出場して、"Mr. Melody"でグランプリを獲得しましたが、1980年代に入るとレコード・セールスは大幅にダウンし麻薬中毒などで歌手活動を中断していましたが、1988年に復活し現在も活動をしています。

2012年2月 5日 (日)

今日の音楽 2月5日 旧友

ドイツの吹奏楽の作曲家タイケは1864年2月5日に生まれています。

タイケは鍛冶屋の息子として生まれ14歳から音楽の勉強をはじめ、数々の楽器を弾きこなし19歳でヴュルテンベルク王国(当時のドイツ連邦の構成国のひとつ)の軍楽隊に入隊し、劇場のオーケストラの奏者としても活躍する一方で作曲活動を始めました。

作品は100曲以上の軍楽隊のための曲と20曲の演奏会用の曲ですが、当時の軍楽隊長には認められず除隊し、その後は警察官、郵便局員として生涯を終えました。

タイケの代表作、行進曲「旧友」はドイツをも代表する行進曲となりましたが、作曲した時には軍楽隊長に「ストーヴに放り込んで薪にでもしてしまえ」と酷評される始末でした。

この曲は行進曲-トリオ-行進曲という構成になっていますが、現在ではトリオで終わらせる事も多いようです。

2012年2月 4日 (土)

今日の音楽 2月4日 遥かなる影

1983年2月4日は、カレン・カーペンターの命日です。

拒食症によるカレン・カーペンターの死については、昨年の記事に書いてありますので、そちらを見てください。

アフター・ザ・ビートルズ世代の私にとって1970年代は、ピンク・フロイドレッド・ツェッペリンシカゴディープ・パープルなどのロック、ジョン・デンバーポール・サイモンなどのフォーク系音楽、スタイリスティックスダイアナ・ロスなどのブラック・ミュージックなどのスターが目白押しで、様々な音楽を聴いていた頃でした。中でも、カーペンターズ、オリヴィア・ニュートン=ジョンジム・クローチは、当時国内で出たアルバムは全部買っていました。

カーペンターズの日本公演は3回行われていますが1972年と1974年の2回は武道館に聴きに行きました。1972年は、まだ日本で大ブレークした「トップ・オヴ・ザ・ワールド」の発売前だったため、チケットは容易に手に入りましたが、1974年はブレーク後で、しかも代表作のアルバム「ナウ・アンド・ゼン」が大ヒットした後なのでチケットはプラチネ・チケットになってしまい、ファン・クラブを通じてようやく入手したという状況でした。

ところで、あまり知られていませんが、トップ・オヴ・ザ・ワールドは1973年に全米ナンバーワンヒットになりましたが、実はその1年前の1972年の秋に日本とオーストラリアだけでアルバム「ア・ソング・フォー・ユー」の中の曲をそのままシングル・カットして発売して大ヒットし、アメリカでもカバーしたリン・アンダーソンの曲がヒットしたため、リチャード・カーペンターがアレンジを加えて全米で発売し大ヒットしたわけです。このアレンジ版も日本で発売されましたが、日本では2番煎じだったためかそれ程ヒットしませんでした。従って、日本では「トップ・オヴ・ザ・ワールド」のシングルは2枚あるという事です。

ところで、カーペンターズのデビュー・シングルはビートルズの「涙の乗車券」のカバーでした。これはビルボードで54位という小ヒットだったのですが、2枚目のシングル「遥かなる影」が全米ナンバーワンヒットになったのです。遥かなる影は、バート・バカラックが作曲し1963年にリチャード・チェンバレンが歌った曲をカバーしたものですが、カーペンターズにとっては一大転機となった曲というわけです。
当時、音楽評論家からはカーペンターズの曲は甘ったるすぎるなどの批判の的となっていたのですが、そんな評論家の攻撃をよそに、一般聴衆の支持によってカーペンターズは1970年台前半を代表するアーチストになって行く第一歩でした。

2012年2月 3日 (金)

今日の音楽 2月3日 ローマの謝肉祭

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」は1844年2月3日に初演されました。

1838年に初演された歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」が失敗に終わったベルリオーズですが、この曲に愛着があったため、後にアリアと「ローマの謝肉祭」の主題を使って演奏会用の序曲を作曲しました。そこから名前を取って「ローマの謝肉祭」というベルリオーズの代表的な作品となった「ローマの謝肉祭」が出来たわけです。

「謝肉祭」の主題による序奏の後、コールアングレによって静かに奏でられるのがアリアで、これが変奏されて行った後、謝肉祭に転じ、再びアリアを元にした音楽に戻ってクライマックスを迎えます。拡大された2管編成の曲で演奏時間は10分程度です。

ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団です。

2012年2月 2日 (木)

今日の音楽 2月2日 愛の喜び

オーストリアのヴァイオリニスト フリッツ・クライスラーは1875年2月2日に生まれています。

クライスラーについては昨年の誕生日に「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」の項目で詳しく書いてありますので、そちらを参照してください。

愛の喜びは、文字通り喜びを表す晴れやかな曲でハ長調で書かれています。これと対になる「愛の悲しみ」は当然平行調のイ短調で書かれています。形式も三部形式の3拍子という事で、ペアで演奏される事を前提として書かれた初期の作品です。

エルマンのヴァイオリンです。

2012年2月 1日 (水)

今日の音楽 2月1日 私の名はミミ

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」は1896年2月1日、トスカニーニの指揮でトリノ・レージョ劇場で初演されています。

ミュルジュールの小説「ボヘミアン生活の情景」をベースに作られたオペラで、パリに住む貧しいボヘミア人たちの恋を中心に描いたものです。

詩人のロドルフォとお針子のミミ、画家のマルチェッロとムゼッタの恋が中心ですが、ムゼッタのパトロンのアルチンドロの間抜けさも面白いオペラです。最終的にはミミは結核で亡くなってしまうのですが、実はロドルフォはミミが病気だったから捨てたのではなく、自分がいてはミミがお金持ちの世話になることが出来ないために身を引いたという事がわかり、多分ミミは幸せを感じながら亡くなったのだと思います。

このオペラの最大の特徴は、綺羅星のように次から次へ出てくるアリアの数々です。
リサイタルやガラコンサートなどで単独で取り上げられる曲だけでも、
ロドルフォの「アリア「冷たい手を」
ミミのアリア「私の名はミミ」
ムゼッタのワルツ「私が街を歩けば」
ミミの告別「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」
コッリーネのアリア「古い外套よ」
ミミのアリア「みんな行ってしまったのね」
など、おそらくひとつのオペラ作品ではモーツァルトの「フィガロの結婚」と並ぶ程の数が歌われます。

その中で最も有名なのが、ミミが火を借りるために始めて訪れたロドルフォたちの部屋で自己紹介をして歌う「私の名はミミ」でしょう。貧しいけれどもそれを楽しさとして歌う快活ですが非常に美しいメロディラインのアリアです。

私が個人的にミミ役として一番気に入っているフレーニのソプラノです。

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