今日の音楽 2月4日 遥かなる影
1983年2月4日は、カレン・カーペンターの命日です。
拒食症によるカレン・カーペンターの死については、昨年の記事に書いてありますので、そちらを見てください。
アフター・ザ・ビートルズ世代の私にとって1970年代は、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、シカゴ、ディープ・パープルなどのロック、ジョン・デンバー、ポール・サイモンなどのフォーク系音楽、スタイリスティックス、ダイアナ・ロスなどのブラック・ミュージックなどのスターが目白押しで、様々な音楽を聴いていた頃でした。中でも、カーペンターズ、オリヴィア・ニュートン=ジョン、ジム・クローチは、当時国内で出たアルバムは全部買っていました。
カーペンターズの日本公演は3回行われていますが1972年と1974年の2回は武道館に聴きに行きました。1972年は、まだ日本で大ブレークした「トップ・オヴ・ザ・ワールド」の発売前だったため、チケットは容易に手に入りましたが、1974年はブレーク後で、しかも代表作のアルバム「ナウ・アンド・ゼン」が大ヒットした後なのでチケットはプラチネ・チケットになってしまい、ファン・クラブを通じてようやく入手したという状況でした。
ところで、あまり知られていませんが、トップ・オヴ・ザ・ワールドは1973年に全米ナンバーワンヒットになりましたが、実はその1年前の1972年の秋に日本とオーストラリアだけでアルバム「ア・ソング・フォー・ユー」の中の曲をそのままシングル・カットして発売して大ヒットし、アメリカでもカバーしたリン・アンダーソンの曲がヒットしたため、リチャード・カーペンターがアレンジを加えて全米で発売し大ヒットしたわけです。このアレンジ版も日本で発売されましたが、日本では2番煎じだったためかそれ程ヒットしませんでした。従って、日本では「トップ・オヴ・ザ・ワールド」のシングルは2枚あるという事です。
ところで、カーペンターズのデビュー・シングルはビートルズの「涙の乗車券」のカバーでした。これはビルボードで54位という小ヒットだったのですが、2枚目のシングル「遥かなる影」が全米ナンバーワンヒットになったのです。遥かなる影は、バート・バカラックが作曲し1963年にリチャード・チェンバレンが歌った曲をカバーしたものですが、カーペンターズにとっては一大転機となった曲というわけです。
当時、音楽評論家からはカーペンターズの曲は甘ったるすぎるなどの批判の的となっていたのですが、そんな評論家の攻撃をよそに、一般聴衆の支持によってカーペンターズは1970年台前半を代表するアーチストになって行く第一歩でした。
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