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2012年1月31日 (火)

今日の音楽 1月31日 弦楽のための三楽章

1989年1月31日は、作曲家芥川也寸志の命日です。

芥川也寸志は文豪芥川龍之介の三男として生まれましたが、わずか2歳の時に父親は自殺してしまいます。父親の遺品のSPとりわけストラヴィンスキーの音楽を聴きながら育った也寸志は東京音楽学校に入学し橋本国彦などから作曲法を教わり、学徒動員で戦争を経験。戦後は伊福部昭に影響を受けました。在学中に交響三章を作曲し、卒業の翌年に作曲した交響管絃楽のための音楽がNHK放送25周年記念の懸賞で特賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。

その後は、交響曲をはじめとするクラシック音楽のほかにも多くの映画音楽などを手がけると共に、アマチュアオーケストラの新交響楽団を設立しアマチュア奏者の向上にも尽力されました。

弦楽のための三楽章(トリプティーク)はNHK交響楽団の常任指揮者だったクルト・ヴェスに依頼され作曲。カーネギー・ホールニューヨーク・フィルハーモニックによって初演されています。この曲も、芥川也寸志の特徴である日本の音と力強さを融合させた曲で13分ほどの演奏時間です。

芥川也寸志指揮の新交響楽団の演奏です。

2012年1月30日 (月)

今日の音楽 1月30日 青い瞳のステラ 1962年夏・・・

昨年10月10日に、63歳で惜しくも永眠した柳ジョージは1948年1月30日に横浜で生まれています。

大学在学中に、ゴールデン・カップスに後期メンバーとして加入しましたがわずか1年半余りで解散。その後、柳ジョージとレイニーウッドを結成し、R&Bをベースとしたロックで、「雨に泣いている」「さらばミシシッピー」などをヒットさせましたが1980年に解散。それ以後はソロ活動を続けていましたが昨年亡くなってしまいました。

飾りっけの無い人柄で多くの仲間から慕われていたようで、私も人柄も音楽も大好きで1980年の武道館コンサートに行かさせて頂きました。

中でも一番好きな曲が「青い瞳のステラ 1962年夏・・」。ステラは既に亡くなったアメリカ人女性。決して誇れるような商売ではなかったけれど、少年には優しく接してくれた。そんな想い出を歌った歌のようです。

2012年1月29日 (日)

今日の音楽 1月29日 夢をあきらめないで

シンガー・ソングライター岡村孝子は1962年1月29日に生まれました。

大学在学中に、同級生の加藤晴子とともにデュエット「あみん」を結成し1982年「待つわ」がポプコンのグランプリを獲得し大ヒット。翌年にはあみんを活動停止し、大学も中退。花嫁修業などをしていたが、ソロ活動を求める声があり1985年にソロ・デビュー。

1987年に「夢をあきらめないで」がヒット。1997年に読売ジャイアンツの石井浩郎と結婚ししばらくは出産・子育てで仕事のペースダウンをしていましたが2003年に離婚し、本格的な活動を再開しています。2007年からはあみんの活動を再開しソロ活動と並行した活動をしています。

曲は、人生の応援歌的な曲が多く、等身大の内容を歌っているため多くの人から支持されると同時に肩の凝らない曲になっています。

「夢をあきらめないで」も題名通り、夢を追っていく彼に対して夢をあきらめないでという応援の歌です。

2012年1月28日 (土)

今日の音楽 1月28日 レクイエム(フォーレ)

1888年1月16日に5曲で初演されたフォーレのレクイエムは、2曲を加えた現在演奏される曲の構成で書かれた第2稿が1892年1月28日に国民音楽協会の演奏会で初演されました。

フォーレ自身が、この曲は特定の人物を対象とした曲ではないと言っており、他の作曲家のレクイエムと異なる普遍的なレクイエムの形式による音楽として作曲されました。
※他の作曲家のレクイエム
モーツァルト・・・謎の人物=実は、ヴァルゼック伯爵の依頼による
ヴェルディ・・・マンゾーニの追悼
ブラームス・・・シューマンへの追悼
ベルリオーズ・・・革命の犠牲者への追悼
など

フォーレのレクイエムは、キリスト教の儀式で必要な「怒りの日」を欠いており、このままでは儀式では使えないため、演奏会用のレクイエムという捉え方がされています。
2回の改稿を経て、現在の7曲による構成になっています。
第1曲 イントロトゥスとキリエ、第2曲 オッフェルトリウム、第3曲 サンクトゥス、第4曲 ピエ・イエス、第5曲 アニュス・デイ、第6曲 リベラ・メ、第7曲 イン・パラディスムという構成です。
怒りの日が無いために、全体的に優美な厳かな雰囲気に包まれた曲で、レクイエムの最高傑作として上げられる事も多い曲です。

デュトワ指揮モントリオール交響楽団、ソプラノ独唱キリ・テ・カナワで、ピエ・イエスです。

2012年1月27日 (金)

今日の音楽 1月27日 交響曲第2番(ラフマニノフ)

ラフマニノフの交響曲第2番は1908年1月27日にマリインスキー劇場で、ラフマニノフ自身の指揮により初演されています。

ラフマニノフの交響曲といえば、初演を大失敗に終わりそれが元で4年ほど精神的なダメージで作曲活動が出来なくなるほどだった第1番もラフマニノフの音楽史では大きな位置を占めますが、この第2番の交響曲は、スランプを乗り越えてピアノ協奏曲第2番で成功、子供も授かったという非常に充実した時に作曲され、初演も大成功でした。

演奏に1時間近くかかるため20世紀前半には、大幅にカットされて演奏される習慣があったようですが、アンドレ・プレヴィンがソヴィエト公演でこの曲を演奏した際にムラヴィンスキーに全曲版の演奏を勧められ全曲版を使用するようになったのがきっかけで、今では全曲演奏が当たり前になっています。

3管編成の長大な曲ですが、ラフマニノフらしいロマンチックな曲で、特に緩徐楽章である第3楽章は、ちょっぴりホームドラマのテーマっぽい主題で始まる美しい楽章です。終楽章の最後にはラフマニノフ終止が登場し華やかな曲となっています。

アシュケナージ指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団で、第3楽章の前半です。

2012年1月26日 (木)

今日の音楽 1月26日 フニクリ・フニクラ

イタリアの作曲家デンツァは1922年1月26日にロンドンで亡くなっています。

デンツァは、イタリア音楽学校でメルカダンテなどに学び1879年にロンドンに移住し王立音楽アカデミーで声楽の教授に就任し、数百曲の歌曲などを作曲しました。

1880年に開通したヴェズビオ火山の登山鉄道が利用客が少なかったため宣伝曲としてデンツァに委嘱したのが「フニクリ・フニクラ」で、世界最古のCMソングとも言われています。
R.シュトラウスが、この曲をナポリ民謡と勘違いして、自分の作品「イタリアから」に使ってしまったため、これを知ったデンツァが裁判を起こして勝訴し「イタリアから」が演奏されるたびにシュトラウスは著作権料を支払わなければならなかったというエピソードがあります。

この曲は、他にもリムスキー=コルサコフが編曲したりしていますが、日本では何と言っても「鬼のパンツ」が有名ですね。その他にも数え切れないほどのCMなどで使われている勇壮な曲です。

パヴァロッティの歌です。

2012年1月25日 (水)

今日の音楽 1月25日 波濤をこえて

メキシコの作曲家、ヴァイオリニストのフベンティーノ・ローサスは1868年1月25日に生まれています。

ローサスは貧しい先住民として生まれました。殆ど独学で音楽を学び楽士や作曲家として頭角を現します。その後はブラスバンドやオーケストラを率いて国際的に演奏活動を行っています。

唯一日本で知られている作品がワルツ「波濤をこえて」です。ウィンナ・ワルツと勘違いされる事もありますが、ストリート・オルガンやアコーディオンによる演奏など、様々なスタイルが良く似合う曲です。

シュトルツ指揮ベルリン交響楽団です。

2012年1月24日 (火)

今日の音楽 1月24日 スウィート・キャロライン

1941年1月24日は、アメリカのミュージシャン ニール・ダイアモンドの誕生日です。

1960年代から1980年代にかけて活躍し、ビルボードチャートの歴史上最も成功したアダルト・コンテンポラリーアーチストとして、エルトン・ジョンバーブラ・ストレイザンドに続く第3位とされています。日本では、あまり成功していませんがその原因のひとつは来日公演ゼロ回だった事もあるようです。

大学を1年で中退すると、本格的に音楽活動を開始しましたが成功せず、しばらくは作曲に専念。モンキーズに提供した「アイム・ア・ビリーヴァー」が大ヒットし、1966年に「ソリタリー・マン」が初ヒット。その後「スウィート・キャロライン」や「ソング・サング・ブルー」が大ヒットしました。1973年に映画「かもめのジョナサン」のサウンド・トラックを担当しグラミー賞ゴールデングローブ賞を獲得し映画自体の売り上げを越えてしまったそうです。

現在も精力的に活動を続けています。

スウィート・キャロラインはニール・ダイアモンドが一時期スランプに陥っていた後のヒット曲で、フランク・シナトラやプレスリーもカバーしている曲です。

2012年1月23日 (月)

今日の音楽 1月23日 ピアノ協奏曲第2番(バルトーク)

バルトークのピアノ協奏曲第2番は1933年1月23日にフランクフルトでバルトーク自身のピアノ演奏で初演されています。

バルトーク自身も作品としての出来は良いが演奏者にとっても聴衆にとっても難解だったと言っている第1番の協奏曲との平衡を取るために、オーケストラの演奏がそれ程困難でなく聴衆にとっても快い曲という観点で作曲されたものです。

古典的な3楽章の形式に則ってはいますが、第1楽章は弦楽器を全く使わずピアノと管楽器の華やかさを前面に出したり、第2楽章は逆に金管楽器を全く使わず弦楽器中心という構成にしています。

コチシュのピアノで第2楽章前半です。

2012年1月22日 (日)

今日の音楽 1月22日 おもちゃの兵隊の観兵式

ドイツの作曲家レオン・イェッセルは1871年1月22日に生まれています。

ユダヤ系ドイツ人だったイェッセルは、ジングシュピールやオペレッタの作曲家として「シュヴァルツヴァルトの娘」「女郵便局長」などの作品で大成功を収めました。
愛国的な観点からナチスを好意的に見ていましたが、ユダヤ系であることから1941年に逮捕され、拷問を受けて翌年にユダヤ人病棟で死亡しています。

イェッセルの作品の中で日本で最も知られているのが、オペレッタ「おもちゃの兵隊の観兵式」の中の同名の行進曲です。幼い子供の夢の世界で、夜おもちゃの兵隊が煌びやかな軍服を来て行進しているが朝日が差し込んで慌てておもちゃ箱に戻ると言うお話です。
日本で有名になったのは、アレンジされて「キューピー3分間クッキング」のテーマ曲として使われている為ですね。

2012年1月21日 (土)

今日の音楽 1月21日 旅への誘い

フランス後期ロマン派の作曲家アンリ・デュパルクは1848年1月21日に生まれています。

500曲ほどの歌曲、管弦楽曲、ピアノ曲を作曲しましたが、30代後半に精神を病み突然作曲が出来なくなり、その後視力も失われてしまいました。自分自身の手で殆どの作品が破棄されてしまったため現在残された作品は40曲足らず。

その中では、叙情性豊かな劇的表現に優れた歌曲の評価が高くボードレールの詩集「悪の華」の中の1曲に曲をつけた「旅への誘い」は代表作のひとつです。ピアノの伴奏が単なる歌の伴奏にとどまらず声楽とピアノの総合芸術という位置づけの作品です。

キリ・テ・カナワのソプラノ、アムナーのピアノ伴奏です。

2012年1月20日 (金)

今日の音楽 1月20日 夢であいましょう

1931年1月20日は作曲家中村八大の誕生日です。

大戦前の中国のチンタオで生まれ、戦後引き揚げで日本に移住、早稲田大学文学部へ進んでジャズ・ピアニストとしても活躍し1950年代から作曲活動に重きを置き、ジャズのセンスを取り入れた従来までの歌謡曲と異なる路線が受け入れられヒット曲を量産しました。

何と言っても、代表作で世界的ヒットをした「上を向いて歩こう」をはじめとした、作詞家の永六輔との「六・八コンビ」では第1回レコード大賞の「黒い花びら」、「こんにちは赤ちゃん」、「遠くへ行きたい」など多くのヒット曲を生んでいます。

1961年から66年にかけてNHKで放映されていた「夢であいましょう」という音楽バラエティ番組のテーマ曲も六・八コンビの作品です。ムード・ジャズっぽい旋律をラテンシンガーの坂本スミ子が歌っていました。

2012年1月19日 (木)

今日の音楽 1月19日 歌劇「マノン」

マスネの歌劇「マノン」は1884年1月19日に初演されています。

「男を破滅させる女」を初めて描いた小説と言われるプレヴォーの「マノン・レスコー」は、プッチーニとマスネなどによってオペラ化されています。特に、マスネはこの小説が好きだったようで、全く異なるバレエ音楽も作曲しています。

プッチーニの作品が原作と同じく終焉をアメリカで迎えるのに対し、マスネの作品ではマノンがアメリカに飛ばされる話はあるものの最後もフランスになっています。
マスネらしい、美しいメロディを持つアリアがたくさん登場する作品です。

第2幕でマノンがデ・グリューとの決別を誓って歌う「さよなら、この小さなテーブルよ」。
フレミングのソプラノです。

2012年1月18日 (水)

今日の音楽 1月18日 この広い野原いっぱい

シンガー・ソングライターの森山良子は、1948年1月18日に生まれています。

ジャズ・トランペッターとジャズ・シンガーの間に生まれた森山良子は高校時代に友人とフォークグループを結成し、作品がラジオで流れたのをきっかけにソロデビュー。デビュー曲は、「この広い野原いっぱい」でした。一時期出産・育児のため活動を休止していましたが1972年に「遠い遠いあの野原」で復帰。その後は「セフィニ」「さとうきび畑」など息の長いヒット曲を出し続けています。

2012年1月17日 (火)

今日の音楽 1月17日 ピアノ五重奏曲(フランク)

フランクのピアノ五重奏曲は1880年1月17日に初演されています。

ピアノ五重奏曲というのは、一般的にはピアノ+弦楽四重奏による室内楽曲なのですが、なかなか傑作というものが少ないというのが事実です。まあ、有名どころではシューマンブラームスがありますがいずれもこれら偉大な作曲家の中では地味な印象があります。弦楽四重奏という完成された室内楽の王道にピアノを付加するというのが難しかったのかもしれませんね。最も有名なピアノ五重奏曲はシューベルトの「鱒」ですが、これはヴァイオリンを1本にしてピアノ+弦楽三重奏+コントラバスという編成にしています。コントラバスという最低音の弦楽器を加えた事で、弦楽三重奏にピアノを加えた意味が出てきているのかもしれませんね。

そういう中ではフランクのピアノ五重奏曲は情熱的ななかなかの傑作です。まだ代表作のヴァイオリンソナタも交響曲も書いていない作曲家としては名の知れていない時代の作品ですが、お得意の循環形式やオルガンの響きに近い響き方というフランクらしさを垣間見る事ができる作品です。

リヒテルのピアノ、ボロディン弦楽四重奏団で第1楽章です。

2012年1月16日 (月)

今日の音楽 1月16日 小組曲

フランスの作曲家・編曲家・指揮者のアンリ・ビュッセルは1872年1月16日に生まれました。

ビュッセルは、グノーの秘書を務めながら1893年にローマ大賞を獲得しています。その後は指揮者としてドビュッシーマスネの擁護者として活躍しましたが、むしろパリ音楽院の作曲家の名教師としての声望が強かったようです。

ビュッセルはドビュッシーのピアノ連弾曲小組曲の管弦楽編曲者として知られています。ドビュッシーの原曲は決して評価の高い曲ではなかったようですが、この編曲によって多くの人に知られる曲となりました。編曲の技法は当時のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」や「」などの管弦楽法を取り入れており、色彩感豊かなオーケストレーションになっています。

第1曲「小舟にて」はハープの分散和音に乗ってフルートのソロで奏でられる曲で、メロディ自体が寄せては返す波を表現したものになっています。

第2曲「行列」は木管楽器による躍動的な旋律と、強弱のコントラストが鮮やかな中間部からできています。

第3曲「メヌエット」は中間部の木管のソロが聴きどころ

第4曲「バレエ」は2拍子から始まり途中でワルツが登場する華やかな曲です。

この曲はドビュッシーの作品の中では輪郭がはっきりしていて拍子も明解なため、逆に演奏次第ではフランス音楽っぽい雰囲気を出す事が難しい曲です。ともすればドイツ音楽に聞こえるような演奏もあります。音色や奏法を工夫する必要があって「聞かせる事」は難しくはないですが「聴かせる事」は決して簡単な曲ではありませんね。

「小舟にて」と「行列」です。

2012年1月15日 (日)

今日の音楽 1月15日 嘆きのセレナーデ(トセリ)

イタリアの作曲家エンリコ・トセリは1926年1月15日に亡くなっています。
主に歌劇やオペレッタを中心に作曲しましたが、ピアニストとしても活躍しました。

また、トスカーナの元皇太子妃とのスキャンダルでも当時世間を騒がせたそうです。

トセリの残したピアノ曲の中で最も知られているのが、「嘆きのセレナーデ」として親しまれているセレナーデです。日本では軽音楽として戦前から聴かれている有名曲ですが、トセリの作品として唯一知られているのはこの曲だけです。

アンドレ・リュウのヴァイオリンです。

2012年1月14日 (土)

今日の音楽 1月14日 ピアノ協奏曲(ラヴェル)

ラヴェルのピアノ協奏曲は1932年1月14日マルグリット・ロンのピアノ独奏、ラヴェル自身の指揮によるラムルー管弦楽団の演奏でパリで初演されています。

ラヴェルは生涯で2曲のピアノ協奏曲を作曲していますが、もう1曲の「左手のためのピアノ協奏曲」と同時進行で作曲された最晩年の作品です。左手のためのピアノ協奏曲が単一楽章による重厚な曲であるのと対照的に、このピアノ協奏曲は形式は古典的な急-緩-急による3楽章からなる曲ですが、内容は、バスク地方のメロディやジャズの要素を盛り込んだとても楽しい曲です。冒頭にムチが入ってピアノのアルペジオに乗ってバスク風の主題が奏でられるが、その色彩感はラヴェルならではのものでしょう。
第2楽章は長大なピアノソロがある叙情的な楽章、終楽章は非常に活力のある楽章です。

ミケランジェリのピアノ、チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団で第1楽章です。

2012年1月13日 (金)

今日の音楽 1月13日 交響曲第1番(カリンニコフ)

1866年1月13日はロシアの作曲家カリンニコフの誕生日です。

カリンニコフは貧しい家庭に生まれた為に学費滞納でモスクワ音楽院を退学させられましたが、その後奨学金を得て、モスクワ楽友協会付属学校で音楽を学び、チャイコフスキーに認められマールイ劇場の指揮者などを勤めましたが、過労から結核を発症してしまいます。

その後は作曲に専念し、2つの交響曲や劇付随音楽などを作曲しましたが、35歳の誕生日を迎える直前の1901年1月11日に他界しています。

カリンニコフの作風は、ロシア五人組とチャイコフスキー、ラフマニノフなどのモスクワ楽派の中間に位置するもので西洋的な構成の中にロシアの旋律や和声、民族音楽が色濃く出ているものです。

代表作の交響曲第1番は、20世紀初頭にはロシアを始めとする各国で頻繁に演奏されていたようですが、後半には殆ど忘れられたようになっていました。近年では、再び取り上げられる事が多くなっています。生前にも演奏されていたようですが本人は病の為聴く事ができず、結局自身の作品を殆ど聴く事無く亡くなってしまったようです。循環形式を用いた壮大かつロマンチックな作品です。

第1楽章です。

2012年1月12日 (木)

今日の音楽 1月12日 どうにかなるさ

日本のロック・フォークミュージシャンのかまやつひろし(ムッシュかまやつ)は1939年1月12日に生まれています。

父親のジャズミュージシャン、ディーブ釜萢の影響で幼少より音楽に親しみ高校時代にカントリー&ウェスタンの歌手としてデビュー。グループサウンズの「ザ・スパイダース」にゲストとして参加し、その後正式加入。「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「なんとなくなんとなく」などの代表的な曲を数々作曲しました。

スパイダースが1970年に解散すると、ソロ活動を開始。一人多重録音という当時では珍しい手法を使ったアルバムを出し、「どうにかなるさ」でシングルデビュー。その後はフォークやロックを歌い続け吉田拓郎の「我が良き友よ」などもヒットさせ、現在でも後進の指導と共に音楽活動を続けています。

ソロデビュー曲の「どうにかなるさ」は、恋人を捨て、故郷を捨てて出て行く風来坊のような男の歌で、カントリーっぽいフォーク曲です。

2012年1月11日 (水)

今日の音楽 1月11日 ロミオとジュリエット(プロコフィエフ)

プロコフィエフのバレエ「ロミオとジュリエット」のロシア初演は1940年1月11日でした。

「ロミオとジュリエット」は勿論シェークスピア原作の悲劇ですが、完成された当初は死者はバレエを踊れないという理由でハッピーエンドとなる内容でした。その後、振付家と相談して踊りで悲劇を表現できるという事がわかり、原作通りのストーリーに変更されています。

レニングラード・バレエ学校の創立200年祭りで初演される予定でしたが酷評されて契約が撤回され、組曲版を2曲編んで第1組曲が1936年モスクワで、第2組曲が1937年レニングラードで初演され、全曲版は1938年12月30日にチェコで初演されました。チェコでの初演の成功を受けて、レニングラード側も態度を改め1940年にロシアでの初演となったわけです。

全曲版は52曲で、2時間半かかりますが、その後3つ目の組曲を加えてプロコフィエフ自身の選曲による3つの組曲版があります。組曲としては第2組曲が最も演奏の機会が多いようですが、実際のところは、それぞれの組曲から抜粋して演奏される事が最も多いようです。

中でも、第13曲の「騎士たちの踊り(モンタギュー家とキャピレット家=第2組曲)は、自動車のCMに使われたり、「のだめカンタービレ」のシュトレーゼマンの登場音楽に使われて知られています。

2012年1月10日 (火)

今日の音楽 1月10日 交響三章(三善晃)

1933年1月10日は作曲家三善晃の誕生日です。

幼少から自由学園で音楽を学び、東京大学在学中にパリ国立高等音楽院に留学し、帰国後芸大の講師、桐朋学園大学の学長を務めました。
近代フランス音楽の影響が濃い作風で、学校の校歌からオペラまで幅広い分野で多くの作品を残しています。

代表作は、日本フィルハーモニー交響楽団の邦人委嘱シリーズの第4弾として作曲した「交響三章」。三管編成の急-緩-急の3つの楽章からなる交響曲です。吹奏楽に編曲されて演奏される事が多いようで、You Tubeも吹奏楽版しかありませんでした。

2012年1月 9日 (月)

今日の音楽 1月9日 さびしんぼう

1938年1月9日は、映画監督大林宣彦の誕生日です。

尾道で生まれた大林は2歳の頃から映写機で遊び、映画監督の小津安二郎や作家の福永武彦などから影響を受けて、いつかショパンのピアノ曲のような映画を作りたいという夢を持って文学・音楽など様々な芸術と触れて行きました。

当初はCMの仕事に携わりチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ソフィア・ローレンの「ホンダ・ロードパル」、カトリーヌ・ドヌーブの「ラックス化粧品」など海外のメジャーなスターを使ったCMの魁となる作品を手がけています。

1977年に初の商業映画として「HOUSE」を監督し、大林得意の特撮を駆使して大きな反響を得、「ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者」でブルーリボン賞の新人賞を受賞しました。
大林の名を一躍高めたのは、その後監督した尾道三部作とよばれる「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」です。

「さびしんぼう」は、大林の夢だったショパンのピアノ曲のような映画かどうかはわかりませんが、ショパンの「別れの曲」を使ったSFファンタジーで、「さびしんぼう」と呼ばれる実は母親とも片思いの恋人とも重なるキャラで、ドタバタの中でのノスタルジックな甘酸っぱい映画でした。

タイトルロールで富田靖子が軽快に編曲された「別れの曲」を歌っています。

2012年1月 8日 (日)

今日の音楽 1月8日 金婚式

フランスの指揮者・作曲家ガブリエル・マリは1852年1月8日に生まれています。

パリ音楽院で学びピアノ、ティンパニ奏者として活動、後にコンセール・ラムルーの合唱指揮者として活躍しました。後に国民音楽協会の演奏会の指揮者として活動しています。

作品は小品ばかりですが、現在でも唯一知られているのが「金婚式」です。元々はオーケストラのための曲ですが、単純で美しい旋律からヴァイオリンとピアノに編曲されたものが最も有名になりました。ヴァイオリンの演奏技術的にもそれ程難しくなく、G線を使っていない音域のため華やかに聴こえます。

原曲の管弦楽曲版です。

2012年1月 7日 (土)

今日の音楽 1月7日 ダニーの歌

1948年1月7日は、アメリカのミュージシャン、ケニー・ロギンスの誕生日です。

ケニー・ロギンスはワシントン州で生まれカリフォルニアで育ちました。音楽出版社に勤める傍らABCレコード専属の作曲家として活動していました。旧友のジム・メッシーナのプロデュースでデビュー・アルバムを制作するにあたって、デュオを組んで、ロギンス&メッシーナを結成し1972年にデビュー。「プー横丁の家」、「愛する人」、「ママはダンスを踊らない」などをヒットさせました。

1977年からケニー・ロギンスはソロ活動を開始し、1984年には映画「フット・ルース」の音楽を担当し全米ナンバーワンのヒットになり、その後USAフォー・アフリカに参加するなど現在でも地道に活動をしています。

また、ケニー・ロギンスは他のアーチストへの楽曲も数多く提供していて、特にカナダのアン・マレーには、「ダニーの歌」、「ラヴ・ソング」という彼女の代表曲2曲を提供しています。この曲は、ケニー・ロギンスの兄弟ダニーに息子が生まれた際のプレゼントとして書かれた曲で、かなり打ちひしがれた生活を送ってきた男が家族が出来た事を機に幸せになろう、という内容の曲です。

アン・マレーの歌です。

2012年1月 6日 (金)

今日の音楽 1月6日 牝鹿

プーランクのバレエ「牝鹿」は1924年1月6日にモンテカルロでバレエ・リュスによって初演されています。

プーランクはフランス6人組のひとりで24歳の時に、バレエ・リュスの主宰者ディアギレフからの現代版「レ・シルフィード」を作曲してもらいたいという委嘱で作曲されたのがバレエ「牝鹿」です。「牝鹿」は可愛い女の子とか若い娘という意味で、動物が登場するバレエではありません。バレエ自体も、「レ・シルフィード」同様特別なストーリーを持っていません。

非常に透明感のあるオーケストレーションで初演以降も高い人気を誇っていましたが1939年にオーケストレーションを改訂、同時に5曲を選んだ管弦楽のための組曲版も作っています。

組曲版では第1曲目にあたる「ロンド」です。

2012年1月 5日 (木)

今日の音楽 1月5日 思い出は美しすぎて

シンガーソングライターの八神純子は1958年1月5日に生まれています。

幼い頃から音楽好きで16歳の時に作詞作曲した「雨の日のひとりごと」が1974年の第8回POPCONで優秀曲賞に入選し第5回世界歌謡祭に出場。20歳の時に「思い出は美しすぎて」でプロメジャーデビューしました。

メジャー2枚目のシングルは他人の曲を歌ったところ、全く売れませんでしたが3曲目の「みずいろの雨」が60万枚の大ヒットとなり、その後「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「パープル・タウン」などのヒットに恵まれましたが1986年イギリスのプロデューサーと結婚しアメリカに移住しています。

「思い出は美しすぎて」は、実際は3枚目のシングルになりオリコンでは25位が最高位でした。
八神純子は、伸びやかで透明感のある高音と力強い中音域が特徴です。

2012年1月 4日 (水)

今日の音楽 1月4日 カロ・ミオ・ベン

イタリアの作曲家トンマーゾ・ジョルダーニは1798年1月4日に亡くなっています。

ジョルダーニはナポリで生まれバッハ同様の多作家として知られていました。得意分野はオペラでしたが、それ以外にも器楽曲や協奏曲、管弦楽組曲も人気で生涯の殆どをイギリスで暮らしたそうです。

「カロ・ミオ・ベン」は愛しい人よという意味のイタリア語の歌曲で、従来はジュゼッペ・ジョルダーニの作品と誤記されていましたが、トンマーゾ・ジョルダーニの作品です。原曲は弦楽合奏と独唱によるもので声楽を志す者の多くが触れる曲です。

ヴンダーリッヒの独唱です。

2012年1月 3日 (火)

今日の音楽 1月3日 大脱走

1910年1月3日は、映画監督ジョン・スタージェスの誕生日です。

イリノイ州で生まれたジョン・スタージェスは映画編集者としてスタートし、1946年に監督としてデビューしました。最初はB級映画しか撮らせてもらえませんでしたが1955年の「日本人の勲章」でアカデミー賞にノミネートされその後は西部劇やアクション映画で活躍。1977年の「鷲はまいおりた」を最後に引退し1992年心臓発作で亡くなっています。

代表作は「OK牧場の決闘」「荒野の七人」「大脱走」など。
大脱走は、非常に豪華なキャストでドイツの捕虜収容所から集団脱走した連合軍捕虜たちの実話を元に作られた映画です。スティーヴ・マックイーンリチャード・アッテンボローチャールズ・ブロンソンドナルド・プレザンスジェームズ・コバーンなどが出演しています。

音楽は、エルマー・バーンスタイン
大脱走のマーチです。

2012年1月 2日 (月)

今日の音楽 1月2日 さまよえるオランダ人

ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」は1843年1月2日に初演されています。

神の罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けるオランダ人の幽霊船の伝説を元にしたハイネの「さまよえるオランダ人」を基にワーグナーが再構成した台本に基づく作品です。

ストーリーは、神罰によって呪いを受け7年に1度上陸できるが乙女の愛を受けなければ再び海を彷徨い死ぬこともできないというオランダ人船長の財宝に目がくらんだダラントは、自分の娘ゼンタを船長に引き合わせてしまいます。船長の不幸に同情しやがてそれが愛に変わって行くゼンタでしたが、ゼンタに思いを寄せるエリックという青年に邪魔された船長は「裏切られた」と思い、帆を揚げて去っていきます。船長への愛を貫いたゼンタは自ら海に身を投げ純愛を貫き、船長の呪いは解け死を得て船は沈没。船長とゼンタは浄化され昇天するというお話。

こういう、呪いによって死ぬこともできずに彷徨い続ける船の話は数多くあって、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」にも出てきますね。

ワーグナーは当初、1幕ものとして完成させたかったのですが、当時の舞台技術ではどうしても3幕にせざるを得なかったため、初演は3幕で行われています。後に舞台技術の発展とともに1幕物でも上演されるようになりました。

1999年のバイロイト音楽祭、指揮はペーター・シュナイダーで水夫の合唱です。

2012年1月 1日 (日)

今日の音楽 1月1日 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番ヘ長調op.96 B.179「アメリカ」は、1894年1月1日ボストンでクナイゼル弦楽四重奏団の演奏で初演されました。

ドヴォルザークのアメリカでの生活は4年足らずという短い期間でしたが、ドヴォルザークの生涯の中で、このアメリカでの生活が無かったら今ほどの評価や名声を勝ち得てはいなかったと思います。ブラームスに傾倒しミニ・ブラームスと言われた時代から、故国チェコの音楽に基づくドヴォルザークの型を探っていた時期に渡米し、そこでネイティヴ・アメリカンの音楽を吸収した事と、海外からの母国への想いから強く母国の音楽を意識したことで、ドヴォルザークは彼のアイデンティティを見出したと想います。

アメリカ時代に書かれた作品は、交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲と弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」というドヴォルザークを代表する作品というのも頷けますね。

弦楽四重奏曲第12番は彼が院長として赴任していたニューヨーク・ナショナル音楽院でヴァイオリンを学んでいたアイオワの学生の家にしばらく滞在し、そのお礼に家族で演奏するために作曲されたものです。スケッチに3日間、完成までにわずか2週間という作品です。曲は、古典的な4つの楽章で出来ており第1楽章は五音音階による主題、第2楽章は三部形式による緩徐楽章で主部が黒人霊歌風、中間部がボヘミア風の音楽になっています。第3楽章は鳥のさえずりから発想したスケルツォ、終楽章は快活なロンド形式です。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団で、第2楽章です。

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