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2011年12月31日 (土)

今日の音楽 12月31日 フライ・アウェイ

1943年12月31日は、アメリカのシンガーソングライター、ジョン・デンバーの誕生日です。

ジョン・デンバーについては、昨年も12月31日に「我が友カリプソ」をとりあげました(他にネタが無い)。そこで、もう1曲の好きな曲は「フライ・アウェイ」と書いたので、今回は「フライ・アウェイ」を取り上げます。

オリヴィア・ニュートン=ジョンがオーストラリアからアメリカに移住して来てから交流が始まり、「カントリー・ロード」をオリヴィアがカバーしたり、TV番組で共演したりと音楽面での関係は深かったようで、バックコーラスとしてオリヴィアが参加した曲がフライ・アウェイでした。

大都会での一人暮らしの女性の孤独を歌った歌で、女性の不安や不満などから逃れて飛んで行きたいという内容の曲です。

2011年12月30日 (金)

今日の音楽 12月30日 交響曲第2番(ブラームス)

ブラームスの交響曲第2番は1877年12月30日に、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演されています。

ブラームスは、ベートーヴェンの呪縛からか初めての交響曲を作曲するのに20年近くの年月を費やしたというのは有名な話ですが、1番を完成させて吹っ切れたのかどうかは知りませんが、2曲目の交響曲は1877年の6月に着手し、わずか数ヶ月で完成させています。

この2曲目の交響曲は、ブラームスの田園交響曲などとも呼ばれているように、1音1音が息がつまる様な精緻さを持って書かれた第1番とは異なる趣の曲になっています。まるで同時に初演された「運命」と「田園」という両極端の作品とよく似通っています。

と、言ってもブラームスの特徴とも言える4分の4拍子と2分の3拍子が同時進行するというようなアンサンブルの妙を聴くこともできますし、メロディに頼らないという点でも、やはりブラームスと言える曲です。
この曲はブラームスの4つの交響曲の中で唯一コントラファゴットが登場せず、チューバが使われています。

第1楽章は、チェロトコントラバスによって演奏されるD-C♯-Dというこの曲を統一する動機に乗って演奏されるホルンの主題が非常に牧歌的な楽章で、ブラームスの田園と言われる所以です。
第2楽章はブラームスの緩徐楽章の中では最も変化に富んだ楽章です。
第3楽章は間奏曲とスケルツォが合体したような曲です。
終楽章は、スタートはくぐもったような雰囲気ですが、いきなり視界が開けたような歓喜の叫びが上げられ、非常に華やかに最後を飾る曲です。

カラヤン指揮ベルリンフィルで終楽章です。

2011年12月29日 (木)

今日の音楽 12月29日 ふるさと

1941年12月29日は、作曲家岡野貞一の命日です。

岡野貞一と言っても殆どの方が知らないのでは無いかと思いますが、私たちがよく耳にする曲を多く作曲した作曲家です。
鳥取で生まれキリスト教徒として教会でオルガンを習い、その後東京音楽学校(現在の芸大)で学んだ岡野は、後に同校の教授として音楽教育の指導者の育成をする一方で尋常小学校唱歌の作曲委員として数多くの唱歌を作曲しました。

彼の曲は、賛美歌の影響を受けたと思われる優しい旋律の曲が多いのが特徴です。作品としては「春の小川」「朧月夜」「春が来た」「紅葉」「桃太郎」「夕焼け」など、誰でも知っている曲が数多くありますが、やっぱり「ふるさと」が代表的な曲でしょうか。「ふるさと」は、曲も良いのですが、ふるさとを離れて、ふるさと自体やふるさとにいる両親や友人への思いを歌った素晴らしい詩にも支えられた曲だと思います。今年の震災の影響で故郷を離れざるを得なかった人がいる事も、改めて考えさせられてしまいました。

基本的に、私たちの音楽の教科書や唱歌本などでは、作曲者の記載位置に「文部省唱歌」と書かれていた為に、これだけ有名な曲を数多く作っているにもかかわらず、あまり名前を知られていないようですね。(但し、ふるさとの作曲家は岡野貞一では無いという説もあるようです)

2011年12月28日 (水)

今日の音楽 12月28日 交響曲「画家マチス」

1963年12月28日は、ヒンデミットの命日です。

ヒンデミットは1895年にドイツで生まれ、フランクフルトのホッホ音楽院(現・フランクフルト音楽・舞台芸術大学)でヴァイオリンと作曲を学び、オーケストラのコンサートマスターやビオラ奏者として活動し、弦楽四重奏曲などの作品を世に出しています。
ドイツ人でありながら、ナチスに協力しなかったため「退廃音楽」のレッテルを貼られヒンデミット事件と呼ばれる弾圧を受けました。このときにヒンデミットを強く擁護したのがフルトヴェングラーです。

結局ヒンデミットは、スイスからさらにアメリカに亡命し、第二次大戦終結と共に、ヨーロッパへ戻っています。

ヒンデミットの音楽は、現代音楽の部類に入りますが、新ウィーン楽派とは一線を画して無調音楽は否定しています。ヒンデミットは、多くの楽器について精通しており、殆どの楽器のための器楽曲やソナタを書いた作曲家としても知られています。

交響曲「画家マティス」は、ヒンデミット事件のきっかけともなった歌劇「画家マティス」の姉妹作ともいえる作品で、歌劇の素材を再構成する形で作曲された作品です。第1楽章は前奏曲から取られた「天使の合奏」、第2楽章は間奏曲にあたる「埋葬」、第3楽章はマティスの見る幻影の場面を再構成した「聖アントニウスの誘惑」の3つの楽章から出来ています。編成は普通の2管編成です。

ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団で、第1楽章です。

2011年12月27日 (火)

今日の音楽 12月27日 さくらんぼの実る頃

1943年12月27日は、シンガーソングライターで女優の加藤登紀子の誕生日です。

加藤登紀子は満州に生まれ東京大学在学中に第2回アマチュアシャンソンコンクールで優勝してデビュー。「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞を獲得しました。

その後も、学生運動で逮捕された恋人の藤本敏夫の獄中生活を思って作曲した「ひとり寝の子守歌」や「知床旅情」でレコード大賞の歌唱賞を2度受賞しています。

1983年には、映画「居酒屋兆治」で映画デビュー、中森明菜の「難破船」や石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」など提供曲も作っています。

1992年に上映されたスタジオ・ジブリの「紅の豚」では、声優として出演し、主題歌の「さくらんぼの実る頃」とエンディングの「時には昔の話を」を歌っています。
さくらんぼの実る頃は、1866年に発表されたフランスの代表的なシャンソンで多くの歌手に歌われて来た曲です。

2011年12月26日 (月)

今日の音楽 12月26日 歌劇「ノルマ」

ベッリーニの歌劇「ノルマ」は1831年12月26日にミラノ・スカラ座で初演されました。

ベッリーニは、当時まだ30歳でしたが、同年に発表された「夢遊病の女」の成功でイタリア最高のオペラ作曲家の名声を固めつつありました。当時財政的に困難な状況にあった、ミラノ・スカラ座が、起死回生の策として、「夢遊病の女」を生んだ作曲家ベッリーニ、台本家ロマーニ、主演ジュディエッタ・バスタのトリオを起用してシーズンの開幕を狙ったのが「ノルマ」でした。わずか3ヶ月で作曲が完成したこの作品は、ソプラノ歌手の最も難しい曲としても知られていますが、第1幕のアリア「清らかな女神」は特に難しく、マリア・カラスも最も難しいアリアと言っていたそうです。

話は、紀元前のローマ帝国が支配するガリア地方(現在のフランスあたり)のドルイドであるノルマとローマ総督ポリオーネという敵対する陣営の2人の恋と、破局を描いた作品です。

マリア・カラスで、「清らかな女神」です。

2011年12月25日 (日)

今日の音楽 12月25日 ライムライト

映画人、チャールズ・チャップリンは1977年12月25日に亡くなっています。

チャップリンはイギリス生まれで、アメリカに渡ってハリウッドで成功した映画監督・プロデューサー・脚本家・俳優です・・・なんて言う事を書く必要も無いでしょうが。

「ライムライト」は、チャップリンにとっては大きな転換点になった作品です。
白塗りの顔にチョビ髭、ヨレヨレの燕尾服に山高帽、ステッキというチャップリンのトレードマークだった姿では無く、初めて素顔で映画に出演した作品でした。
また、レッドパージによって「ライムライト」のロンドン・プレミアに出かけてそのまま国外追放になったため、アメリカでの最後の作品になりました。

イギリスに戻ってからは、わずかに「ニューヨークの王様」のみで(監督作品としては「伯爵夫人」があります)事実上、この作品でチャップリンの時代は終わってしまったという見方もできます。

チャップリンは、音楽家への夢を持ち続けており、自らもピアノ、ヴァイオリン、チェロを独学で学び自宅にパイプオルガンを備え付ける程の音楽好きでした。楽譜が読めなかったと言われており、作品はピアノで弾いたり口ずさんだ曲を専属のアレンジャーが写譜をしていたそうです。
代表的な作品は、映画「モダン・タイムズ」の「スマイル」や「ティティナ」がありますが、やっぱりアカデミー作曲賞を受賞した「ライムライト」のテリーのテーマでしょう。
落ちぶれた道化師(カリヴェロ)が、自殺しようとしていたバレリーナ(テリー)を救い一流のバレリーナに再生するお話ですが、テリーがカリヴェロを愛するようになった為カリヴェロは姿を消します。テリーはその後スターになってカリヴェロと再開、カリヴェロに再び舞台に上ってもらうように画策し、その当日久々に舞台で喝采を浴びたカリヴェロは張り切りすぎて舞台から転落し幸せな死を迎えると言うお話。音楽は、イージーリスニングのスタンダードになっている程の曲です。

2011年12月24日 (土)

今日の音楽 12月24日 管弦楽のための3つの小品

1935年12月24日は、アルバン・ベルクは50歳の若さで亡くなっています。

ベルクは、シェーンベルクの弟子としてウェーベルンと共に無調音楽から十二音技法を確立した作曲家です。十二音技法に移行してからは調性のある音楽を多く作曲しています。23歳の時に喘息を発病しそれ以降ベルクは23という数字にこだわるようになります。

その後、歌劇「ヴォツェック」の成功で作曲家としての地位をゆるぎなきものにしたベルクは、3年後の1928年に歌劇「ルル」の作曲にとりかかりますが、他の作品の作曲の為に数回の中断の後、1938年未完成のまま早逝してしまいました。

ベルクは協奏曲以外の管弦楽作品は生涯ひとつしか作曲していません。
それが、管弦楽のための3つの小品です。作曲は1914年から15年で師匠のシェーンベルクの誕生日(9月16日)に完成し献呈する予定で前年より構想を練っていましたが、結局間に合ったのは第1楽章と第3楽章のみ。全曲の完成は年末になり、スコアの浄書が完成したのは翌年の夏でした。結局、全曲をシェーンベルクに献呈できたのは1915年の8月。初演は更に遅く1923年6月5日にウェーベルンの指揮で第1楽章と第2楽章のみが行われました。
ベルクは更に手を加え改訂版の初演は1930年の4月14日でした。

演奏時間は20分ほどですが、巨大な4管編成で、第1楽章は始まりと終わりが打楽器の合奏によるもの、終楽章は「ヴォツェック」やマーラーの交響曲第6番をかなり意識した行進曲風の曲になっています。

カラヤン指揮ベルリン・フィルで第3楽章です。

2011年12月23日 (金)

今日の音楽 12月23日 ヴァイオリン協奏曲(ベートーヴェン)

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。

5曲のピアノ協奏曲を作曲したベートーヴェンも、ヴァイオリン協奏曲は1曲しか作曲していません。多くの作曲家は、ピアノは得意ですが他の楽器はそれ程得意では無いという事もあって、ヴァイオリンを含むピアノ以外の協奏曲はピアノ協奏曲よりも少ないというのが事実です。

有名な作曲家で、ピアノ協奏曲よりヴァイオリン協奏曲の方を多く作曲したのは、ヴァイオリンの演奏家として有名だったパガニーニブルッフぐらいです。もっとも、ピアノがまだ普及していないバロック時代は勿論ピアノ協奏曲は作られていませんが。

得意な楽器では無かったからと言って、その作品がピアノ協奏曲に比べると劣っているかというとそんな事はありません。得意では無い楽器のコンチェルトを書くという事は、それなりの理由(有名なヴァイオリニストに頼まれたとか、親しいヴァイオリニストがいて教えを請う事ができたとか)があり、この曲と共に三大ヴァイオリン協奏曲と言われている、メンデルスゾーンブラームスの作品は全てそれぞれの作曲家を代表する曲と言われています。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、「運命」「田園」などが書かれた「傑作の森」と言われるベートーヴェンの中期の最も充実した時期に書かれたものです。アン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスターでありヴィオリニストでもあったフランツ・クレメントを想定して助言を受けながら作曲しました。初演は、完成がギリギリという事もあってクレメントはほぼ初見で演奏したのですが見事に弾き切り大喝采を浴びたそうです。但し、曲自体の評価は低く、その後演奏される事は稀だったようですが、ヨーゼフ・ヨアヒムによって再評価され現在のようにヴァイオリン協奏曲の王者といわれるようになったというものです。

この曲は、一言で言えば伸びやか。メンデルスゾーンが哀愁たっぷり、ブラームスががっちりとした曲というそれぞれの特徴があります。これにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の優美さが加われば、4つのヴァイオリン協奏曲で色々な音楽が楽しめるという事です。

ムターのヴァイオリン、小澤征爾指揮ボストン交響楽団で第1楽章冒頭です。

2011年12月22日 (木)

今日の音楽 12月22日 牧神の午後への前奏曲

ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲は、1894年12月22日にパリの国民音楽協会で初演されています。

ドビュッシーが敬愛する詩人のマラルメの牧神の午後に感銘を受けて作曲された印象派の極致のような音楽です。好色な牧神が昼間のまどろみの中で官能的な夢想にひたるという内容で、牧神に欠かせないパンフルートをフルートで表現しています。

最初の音をCis(C♯)という響きにくい音ではじめることでアンニュイな雰囲気をかもし出しています。後にニジンスキーの振り付けでバレエにもなっています。

ブーレーズ指揮フィルハーモニア管弦楽団です。

2011年12月21日 (水)

今日の音楽 12月21日 歌劇「ボッカチオ」

1375年12月21日は、詩人・作家のボッカチオの命日です。

ボッカチオは、ペストを逃れるために邸宅に引きこもった10人の男女による退屈しのぎの100の話からなる作品「デカメロン」の作者として知られているルネッサンス期の作家です。
ボッカチオを題材とした作品を作曲したのがスッペです。
スッペは、オペレッタの作曲家として活躍した作曲家で、30曲ほどのオペレッタを作曲しています。ただ残念ながら現在彼の曲が上演されているのはヨーロッパぐらいで、日本では序曲ぐらいしか知られていないのが現状です。

日本では大正時代にスッペのオペレッタが上演されており、「ボッカチオ」のアリエッタ「恋はやさし、野辺の花よ」は田谷力三の十八番として知られています。

2011年12月20日 (火)

今日の音楽 12月20日 ロザムンデ

シューベルトが劇音楽を作曲した戯曲「キプロスの女王ロザムンデ」は1823年12月20日にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。

ベルリン出身のヘルミーネ・フィン・シェジーの「キプロスの女王ロザムンデ」を元にした戯曲の為に書き上げた10曲からなる劇付随音楽でしたが、劇の初演は不評で翌日再演されただけで打ち切られ、台本自体も散逸してしまい現在ではシューベルトの音楽だけが残っています。

非常に短期間で作曲されたため、序曲が間に合わず、初演時には前年に作曲した歌劇「アルフォンソとエレストレッラ」の序曲を転用しましたが、後に1820年に作曲した劇音楽「魔法の竪琴」の序曲を転用して現在の形になっています。

実は、シューベルトはその後正式な「ロザムンデ」序曲を作曲したのですが、「魔法の竪琴」序曲の方が「ロザムンデ」序曲として有名になってしまい、現在では殆ど演奏されません。

劇付随音楽は、間奏曲、バレエ音楽など単独でも取り上げられる作品で、シューベルトらしいメロディがちりばめられています。

第3幕の間奏曲です。

2011年12月19日 (月)

今日の音楽 12月19日 宇宙のファンタジー

1941年12月19日は、アース・ウィンド&ファイアーのリーダー、モーリス・ホワイトの誕生日です。

ドラマーとして音楽活動をスタートしたホワイトは、1970年にアース・ウィンド&ファイアーを結成し10人の大所帯として2作品をリリースしましたがヒットせず、一時解散。フィリップ・ベイリーらが加入して再結成し、1973年にヘッド・トゥ・スカイがゴールド・ディスクを獲得し一躍スターダムにのし上がりました。

ホワイトとベイリーのツイン・ボーカルに重厚なホーン・セクションを加えたサウンドが特徴でしたが、やがて飽きられ1980年代前半には電子楽器を中心としたサウンドに転向していきました。

「宇宙のファンタジー」は、彼らの壮大な音楽を代表する作品で、映画やドラマにも使われている曲です。

2011年12月18日 (日)

今日の音楽 12月18日 くるみ割り人形

チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」は1892年12月18日に、マリインスキー劇場で初演されています。

原作は、「コッペリア」でも知られ、ホフマン物語の題材にもなったE.T.A.ホフマンの童話「くるみ割り人形と二十日鼠の王様」に基づくデュマの小説。

全曲は1時間40分程度で、主人公が少女のクララとくるみ割り人形であり、お菓子の城、お菓子の精などが登場することなどから、子供でも親しめる作品として知られ、設定がクリスマス・イヴの為にクリスマスには欠かせない曲になっています。

オーケストラの演奏会で取り上げられる組曲は、三大バレエの中で唯一チャイコフスキー自身が組んだ組曲で、小序曲から花のワルツまで不変の曲順で演奏されます。

花のワルツです。

2011年12月17日 (土)

今日の音楽 12月17日 シンコペイテッド・クロック

1894年12月17日は、指揮者アーサー・フィードラーの誕生日です。

父親はボストン交響楽団のヴァイオリニスト、母親はピアニストという音楽一家に生まれ、ボストン、ヨーロッパで学んだ後、ボストン交響楽団へ入団しヴァイオリン、オルガン、ピアノ、打楽器などを勤めました。その後、ボストン交響楽団のメンバーとボストン・シンフォニエッタという室内オーケストラを立ち上げ、無料の野外コンサートをスタート。1930年から半世紀にわたってボストン・ポップス管弦楽団の第18代指揮者として、同楽団を世界的に有名なポップス・オーケストラにしました。

セミ・クラシックやポップス、映画音楽など非常に多くの録音を残したフィードラーですが、ルロイ・アンダーソンを見出したのもフィドラーです。

アンダーソンの代表的な作品のひとつ、シンコペイテッド・クロックはビルボード誌のヒットチャート11位まで昇った作品です。

2011年12月16日 (金)

今日の音楽 12月16日 交響曲第3番(ブルックナー)

ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」は、1877年12月16日にウィーンで初演されています。

元々は、ワーグナー派というわけでは無かったブルックナーですが、1876年にワーグナーと会見をし、既に完成していた交響曲第2番か、作曲中の第3番のどちらかをワーグナーに献呈したいと申し出(ワーグナーは第3番に興味を示し、結局この第3番が献呈された為に「ワーグナー」という標題でも呼ばれる事があるのですが)た事で、ブルックナーはワーグナー派として、反ワーグナー派に徹底的に攻撃されるようになった、という記念碑的な(?)作品です。
初演された初稿は、70分にも及ぶ長大な曲で、演奏の最後には聴衆は殆どが帰ってしまったという程の大失敗でした。(残っていた聴衆の中にマーラーがいたということですが)
結局、ブルックナーらしく何度も改訂を繰り返し現在演奏されることが多い第3稿は55分程度になっています。

私も、数々の交響曲を演奏する機会に恵まれましたが、その中で唯一殆ど印象に残っていない曲が、この交響曲第3番です。ブルックナー大好きな方には申し訳け無いのですが、好きでない曲も、半年程度練習していると愛着を覚えるものですが、この曲は私の中では全く「演奏した」という事と、「何か中途半端な第1楽章の第1主題の印象」しか残っていません。。。

多くの演奏家や、批評家がブルックナーの交響曲で評価に値するのは第5番以降ということを言うのですが、第4番「ロマンチック」は、それなりに親しみやすい旋律を持ってブルックナーっぽいオルガン風のオーケストレーションで仕上がっていて、素人好みの曲になっていると思います。「ブルックナーらしくない」とか「安直」という批判は、一般的な聴衆を馬鹿にしたような言い方で好きではありませんね。複雑でしっかりとした構成のものだけが音楽では無いはずですからね。

というわけで、数年前に演奏して以来、全く聴くことも無くなった曲を「今日の音楽」で取り上げて良いのかとも思うのですが・・・結局取り上げて見ました。

ブルックナー自体は、革新的なオーケストレーションや管楽器の響かせ方をしているにもかかわらず、作曲した交響曲は古典的な形式に則っています。この曲も、第1楽章はやや速いソナタ形式、第2楽章は緩徐楽章、第3楽章はスケルツォ、終楽章は速い楽章という古典的な形式で作曲されています。

ヤンソンスの指揮で(オケは不明)終楽章です。

2011年12月15日 (木)

今日の音楽 12月15日 小さな世界

1966年12月15日は、ウォルト・ディズニーの命日です。

新聞に漫画を書く仕事からスタートしたウォルト・ディズニーはアニメーターを経てディズニー社を設立、倒産を経て再建をする際にキャラクターの必要性を感じたウォルトはミッキー・マウスを考え出し・・・

ディズニーは、その後数々の名作を生み出します。ミッキーマウスやドナルドダックといったディズニーオリジナルキャラのアニメだけでなく、白雪姫、シンデレラ、ピノキオなどの名作をアニメ化。数々の名曲も残しています。

ウォルトの思想を最も端的に表した曲が「小さな世界 It's a small world」です。メリー・ポピンズやチキチキ・バンバンを手がけたシャーマン兄弟が作詞作曲した曲で、ディズニーランドの代表的なアトラクションのテーマ曲で、「世界はひとつ」「小さな世界=子供たちの世界」を理想とする平和な民族間の争いの無い世の中を望んで作られたものです。

2011年12月14日 (水)

今日の音楽 12月14日 ヴォツェック

ベルクの代表作のひとつ歌劇「ヴォツェック」の舞台初演は1925年12月14日に、エーリッヒ・クライバーの指揮ベルリン国立歌劇場で行われました。

ヴォツェックは、ドイツの劇作家ゲオルグ・ビューヒナーによる未完の戯曲で下級軍人のヴィオイツェックが浮気をした情婦を刺し殺したと言う1821年にライプツィヒで実際にあった事件を元にした作品です。

オーケストラ・ピットには4管編成の大オーケストラ、また舞台上ではマーチングバンドや酒場の小アンサンブルなど非常に大きな人数が必要な作品です。
それぞれが5つの場を持つ3つの楽章で構成されていて、実際には前年の6月に演奏会形式で初演されていました。この間に、34回のオーケストラ練習と14回のアンサンブル練習が行われました。

無調性の歌劇は初演こそ多くの批判がありましたが、結局「ルル」が未完成に終わったベルクにとっては唯一完成した歌劇という事もあり、現在では音楽史上重要な作品として演奏される機会も多くなっています。

最後のシーンです。

2011年12月13日 (火)

今日の音楽 12月13日 パリのアメリカ人

ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」は1928年12月13日カーネギー・ホールダムロッシュ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で初演されています。

グローフェの協力を得て作曲された「ラプソディ・イン・ブルー」以降、独学でオーケストレーションを学び自らが完成させた代表的な管弦楽曲が、パリのアメリカ人です。
1920年代に暮らしたパリの様子を、具体的なストーリーは無いものの見事に描いているシンフォニック・ジャズの傑作です。

後に、この曲を素材にした映画「巴里のアメリカ人」が製作され大ヒット。パリのアメリカ人をバックに主演のジーン・ケリーが踊るシーンがあまりにも有名なため、そのイメージが強いのですがガーシュウィン自身は具体的なストーリーを描いたわけではありません。

編成は3管編成にサクソフォン3本ですが、打楽器が有名なクラクションをはじめ11種類使われていて華やかさを演出しています。勿論、ブルースの部分もあってブルーノートもふんだんに使われています。

小澤征爾指揮サンフランシスコ交響楽団で、後半です。

2011年12月12日 (月)

今日の音楽 12月12日 クラリネット五重奏曲(ブラームス)

ブラームスのクラリネット五重奏曲の公開初演は1891年12月12日にベルリンで行われました。

クラリネット五重奏曲は、通常弦楽四重奏にクラリネットを加えた編成で演奏される曲です。弦楽に管楽器を加えた室内楽曲は、古典派以降は圧倒的にクラリネットを加えたものが多いのですが、その理由はクラリネットの音色が非常に弦楽器の音に溶け込みやすいためと言われています。
クラリネット五重奏曲の傑作と言えば、モーツァルトとブラームスの曲。
どちらの曲も、クラリネットの哀愁を帯びた音や軽快な音をうまく音楽に活かしている曲です。

ブラームスのクラリネット五重奏曲は晩年の作品で40分弱の演奏時間がかかる4楽章の曲です。ブラームスには珍しいぐらいの旋律の美しさを誇る曲ですが、精密な構成は忘れられてはいない曲です。

第1楽章です。

2011年12月11日 (日)

今日の音楽 12月11日 昴

1948年12月11日は谷村新司の誕生日です。

1971年に堀内孝雄とアリスを結成、翌年に矢沢透が加入し3人グループとして、「今はもう誰も」「冬の稲妻」などの曲を次々とヒットさせる一方で、ソロ活動でも活躍。「陽はまた昇る」に続く「昴」は、カラオケの定番として、また聴きたくないカラオケの定番として歌い続けられています。

深夜放送のDJをやっていた事から、下ネタをはじめとして話術は巧みで、コンサートではトークが非常に多いようです。

2011年12月10日 (土)

今日の音楽 12月10日 上を向いて歩こう

1941年12月10日は、坂本九の誕生日です。

坂本九は高校時代にプレスリーに憧れ、半年間ギタリストとしてドリフターズに参加、その後ダニー飯田とパラダイスキングに加入しデビューしましたが、ヒットしませんでした。1960年にソロで「悲しき六十才」を発売し10万枚を売り上げました。その後「ステキなタイミング」、「カレンダー・ガール」などアメリカンポップスのカバーで数曲にヒット曲を出しましたが、何と言っても、坂本九の人気を決定付けたのは、「上を向いて歩こう」です。作詞永六輔、作曲中村八大の黄金コンビで作られたこの曲は、NHKの「夢であいましょう」で1961年の10月・11月の今月の歌として発表され売り上げは3ヶ月間首位を独奏するほどになりました。

更に、1962年にヨーロッパで紹介されたこの曲は、イギリスでは「SUKIYAKI」として発売されヒット。(SUKIYAKIは、上を向いて歩こうがあまりに長いタイトルだったため、短い日本語タイトルをと考えたケニー・ボールというミュージシャンが、自分の知っていた日本語がSAYONARAとSUKIYAKIだけだったためにつけられたそうです)アメリカではこのケニー・ポールの楽団の演奏によるものが発売されましたが全くヒットせず、ワシントン州のDJがたまたま入手した坂本九のレコードをラジオで紹介したところ問い合わせが殺到し1963年にキャピトルレコードから発売されると4週連続ナンバーワンの大ヒット、全世界70カ国で発売され1300万枚を超える世界的なヒット曲になったわけです。

その後全世界でカバー曲も発売され多くのアーティストに取り上げられ、日本を代表する局として知られる存在になりました。

坂本九は1985年8月12日に日本航空123便の墜落事故で亡くなりましたが、今でも歌い継がれる曲として「上を向いて歩こう」を残したわけです。

2011年12月 9日 (金)

今日の音楽 12月9日 サロメ

リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」は1905年12月9日ドレスデンの宮廷歌劇場で初演されています。

「サロメ」は新約聖書にあるイエスに洗礼をしたパプテスマのヨハネの首を求めたヘロデ王の娘の話を、オスカー・ワイルドが脚色したものがベース。

1幕ものですが、1時間45分程度かかる作品で官能的な描写が知られています。
中でも、サロメが踊る「7つのヴェールの踊り」が単独で演奏される程の音楽です。

2011年12月 8日 (木)

今日の音楽 12月8日 南国のソナチネ

メキシコの作曲家マヌエル・ポンセは1882年12月8日に生まれています。

ポンセは20世紀のメキシコを代表する作曲家で、メキシコで音楽を学んだ後ヨーロッパに渡り、ボローニャとベルリンに留学しメキシコに戻った後母校のメキシコ音楽院で教鞭をとっていました。その後ニューヨークに渡米し作曲家・演奏家としてデビュー。再びヨーロッパに渡りパリ音楽院デュカスの下で本格的に作曲を学び、そこでギター奏者のセコビアと知り合いました。

新古典主義の様式による協奏曲などの大作も残していますが、とりわけギター音楽が知られています。「南国のソナチネ」は、セコビアの演奏技術を考慮して作曲された曲です。3つの楽章から出来ていて、第1楽章 カンポ(田園)、第2楽章 コプラ(歌)、第3楽章がフィエスタ(祭り)です。

セゴビアの演奏で第1楽章です。

2011年12月 7日 (水)

今日の音楽 12月7日 ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス

1984年12月7日、アフリカ飢餓難民のために結成されたバンド・エイドがロンドンでチャリティ・コンサートを行いました。

1984年にエチオピアで起きた飢餓を救済するためにアイルランドのロックバンドブームタウン・ラッツボブ・ゲルドフとイギリスのロックバンドウルトラヴォックスミジ・ユーロを発起人として集まったイギリスを代表するミュージシャンたちによって「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が12月3日にリリースされ、それを受けたコンサートでした。

当初のメンバーは、フィル・コリンズデュラン・デュランポール・ヤングバナナラマU2クール&ザ・ギャングワムジョージ・マイケルステイタス・クオーカルチャー・クラブボーイ・ジョージデヴィッド・ボウイポール・マッカートニーなど。

このバンド・エイドに刺激されて、アメリカで立ち上げられたのがUSA for Africaでした。

2011年12月 6日 (火)

今日の音楽 12月6日 風の谷のナウシカ

1950年12月6日は、作曲家久石譲の誕生日です。

久石譲は国立音大の作曲家を卒業して音楽活動に入っています。ペンネームはクインシージョーンズをもじって付けた名前で、映画音楽を中心に活躍しています。

特にスタジオジブリの長編アニメは「風の谷のナウシカ」から「崖の上のポニョ」まで全てを担当し、北野武作品でも「ソナチネ」「HABA-BI」「菊次郎の夏」など7作品を担当し、日本の映画音楽の第一人者になっています。その他では、大林宣彦の「青春デンデケデケデケ」「ふたり」「はるかノスタルジー」や、テレビ、TVアニメなどの音楽を手がける一方、新日本フィルを中心とした巨大編成のオーケストラによるコンサート、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートでは自作品以外にも他の映画音楽やクラシック音楽を演奏しています。

久石譲の出世作は、何といっても「風の谷のナウシカ」でしょう。風の谷の王女ナウシカの荒廃した自然を守る戦いと、健気さは、私の最も好きな女性アニメキャラクターです。1984年3月11日から公開された映画は興行自体は大ヒットという程ではありませんでしたが、ストーリー、音楽、アニメ技術の確かさなどから徐々に人気が出て、ビデオやレーザーディスク、DVD、BLU-RAYが全てオリコンチャートのトップになったという程の人気作になりました。

安田成美の歌ったシンボルテーマは、アニメの内容に相応しくないという事から本編では使用されませんでした。また、作曲も細野晴臣でしたが、本編は久石譲が担当しています。

タイトルテーマの「風の伝説」です。

2011年12月 5日 (月)

今日の音楽 12月5日 レクイエム(ベルリオーズ)

ベルリオーズ作曲のレクイエムは、1837年12月5日に初演されています。

元々は、7月革命ルイ・フィリップ暗殺未遂事件の犠牲者の為の慰霊祭での演奏を目的としてフランス政府から委嘱された曲でした。結局、その年の慰霊祭は規模が縮小された為演奏する事ができず、その後のアルジェリアの戦争の戦没者のための慰霊祭に目をつけたベルリオーズの働きかけで12月5日にアンヴァリッドの礼拝堂で初演にこぎつけることができたわけです。

テキストは伝統的なレクイエムに基づくもので「入祭唱とキリエ」、「怒りの日(ディエス・イレ)」、「そのとき憐れなる我」、「恐るべき御稜威の王」、「我を探し求め」、「涙の日(ラクリモサ)」、「主、イエスキリストよ」、「賛美の生贄」、「聖なるかな(サンクトゥス)」、「神羊誦と聖体拝領唱」からなっています。

特異なのは、その規模で、独唱はテノールだけですが合唱は200人の混声6部、4管編成(ファゴットは8本、ホルン12本)、その他の金管楽器は4グループに分けられるバンダで、トランペット12本、コルネット4本、トロンボーン16本、チューバ2本、オフィクレイド4本という物凄い規模です。弦楽器も最低1st ヴァイオリン25本、2ndヴァイオリン25本、ヴィオラ20本、チェロ20本、コントラバス18本となっています。まあ、これは礼拝堂という特殊な環境で可能であって、今のコンサートホールでは不可能でしょうけど。

バンダが大活躍する「涙の日」です。

2011年12月 4日 (日)

今日の音楽 12月4日 シンプル・シンフォニー

1976年12月4日は、イギリスの作曲家ブリテンの命日です。

ブリテンは20世紀イギリスを代表する作曲家ですが、本人は無調性音楽への志向はあったものの、イギリスという保守的なお国柄か、前衛音楽には馴染めず古典的な手法の音楽を作曲し続けています。

青少年のための管弦楽入門」、歌劇「ピーター・グライムズ」シンフォニア・ダ・レクイエム戦争レクイエムなど多くの作品が20世紀を代表する音楽として演奏されていますが、弦楽だけの交響曲シンプル・シンフォニーという作品があります。

この曲は、ブリテンが過去作曲した作品を元に弦楽合奏または弦楽四重奏の為に作曲した交響曲形式の音楽で、形式が古典的な交響曲に則ったシンプルな曲です。演奏は決してシンプルという程簡単ではありませんが、劇的な作品になっているためアマチュアでもよく演奏される曲です。

第1楽章は、ソナタ形式のブーレで1926年に作曲された組曲第1番と、1923年の「歌」によるものです。
第2楽章は、ピチカートだけの曲で、1924年作曲のスケルツォと1924年の「歌」によるもの。
第3楽章は、複合三部形式サラバンドで、1925年の組曲第3番と1923年のワルツによるメランコリックな楽章です。
第4楽章は、ソナタ形式で、1926年のピアノソナタ第9番と1925年の「歌」によるものです。

オルフェウス室内管弦楽団で、終楽章です。

2011年12月 3日 (土)

今日の音楽 12月3日 もう海には帰れない

1950年12月3日、東京都中野区でフォーク歌手イルカが誕生しました。

東京の女子美術大学出身で、女子美フォークソング同好会に所属。みんながギターを持って歩いている姿が「イルカのようだ」と言われた事が芸名の由来だそうです。
1970年シューリークスに加入してデビュー1974年には、イルカとしてソロデビュー、翌年伊勢正三の「なごり雪」をカバーして大ヒットしてメジャーになりました。

美大出身を生かして、絵本の創作などの活動を行うと共に、子供を非常に大切にして、子供の為の曲を作ったり、暖かくシンプルな作品が多いというのが特徴です。

その後、「片想いの少女へ」、「サラダの国から来た娘」、「雨の物語」などのヒットを出して現在も活動中です。息子もシンガーソングライターになっています。

イルカの数多い作品の中で、私が最も好きな曲が「もう海には帰れない」です。
この曲は、イルカの作品ではなくAKB48の生みの親秋元康作詞、林哲司作曲の失恋ソングですが、TBSのポーラテレビ小説「愛の風、吹く」(主演安田成美)のテーマ曲だったそうです。
バラードのとても素敵な曲です。

2011年12月 2日 (金)

今日の音楽 12月2日 サムソンとデリラ

サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」の全曲初演は1877年12月2日ヴァイマルの宮廷歌劇場でドイツ語で上演されています。

サムソンとデリラは、サン=サーンスが作曲した13曲のオペラの中で唯一頻繁に取り上げられる作品です。当初はオラトリオとして構想されていたものをオペラ化したのですが、第2幕が完成した時点で行った試演、全曲完成の後の試演ともに不評で、オペラ座での公演ができず第1幕のみ演奏会形式で1875年にコロンヌ指揮コンセール・コロンヌで行われました。

結局オペラとしての初演は、ドイツで行われ、パリ初演は1890年、オペラ座での初演は1892年11月23日と17年もの年月が過ぎてからでした。

内容は勿論旧約聖書の土師記13章から16章に登場する怪力サムソンと、サムソンの力を弱めるためペリシテ人が美女デリラを利用してサムソンの弱点が髪の毛に刃を当てることという事を探り出し、サムソンの力を削いでしまうというお話。

3管編成の大きな編成で、中でも、第2幕の二重唱「私の心はあなたの声に開く」、第3幕のバレエ音楽「バッカナール」が有名です。

バッカナールです。

2011年12月 1日 (木)

今日の音楽 12月1日 アローン・アゲイン

アイルランド出身のシンガー・ソング・ライター、ギルバート・オサリヴァンは1946年12月1日に生まれています。

ギルバート・オサリヴァンは、1970年にシングル「ナッシング・ライムド」でデビューし全英シングルチャートの第8位のヒットになりました。1972年に発売したシングル「アローン・アゲイン」は世界的なヒットになりビルボードでは6週連続トップの大ヒット。その後「クレア」、「ゲット・ダウン」、「ホワイ・オー・ホワイ」などのヒットを立て続けに飛ばしましたが1980年代に入って人気も落ち半ば引退状態でした。1990年代に復活し現在も活動を続けています。

日本のシンガーソングライターには大きな影響を及ぼしており、来生たかお杉真理なども彼の影響を受けています。

アローン・アゲインは、正式にはアローン・アゲイン(ナチュラリー)というタイトルで、坦々と歌われるバラード曲です。歌手が祭壇に残されて自殺を計画したこと、そして両親の死について語る歌です。

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