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2011年6月30日 (木)

今日の音楽 6月30日 ドリゴのセレナーデ

1846年6月30日は、リッカルド・ドリゴの誕生日です。主にバレエ音楽を作曲したイタリアの作曲家で、ロシアのサンクト・ペテルブルクの国立バレエ団の音楽監督に長い期間就任していました。当時はバレエ音楽の作曲家として国際的な名声を得ていたそうですが、現在では殆ど知られざる作曲家になってしまいました。

42年間の長きにわたりロシアで暮らしていましたが、ロシア革命の勃発でイタリアへ帰国して故郷で没しています。

代表的な作品は「百万長者の道化師」。その中の「セレナーデ」がドリゴの作品で唯一耳なじみのある曲では無いでしょうか。この曲は、原曲よりもイージーリスニングにアレンジされたものを聞くほうが圧倒的に多いですが・・・

2011年6月29日 (水)

今日の音楽 6月29日 トランペット吹きの休日

1908年6月29日は、アメリカを代表するライト・クラシックの作曲家ルロイ・アンダーソンの誕生日です。
ハーバード大学を卒業して芸術学修士号を獲得した変わり種ですが、生み出す音楽は軽妙洒脱。アーサー・フィドラーに見いだされて本格的な音楽活動の道に進みました。

ともすれば下品になってしまう冗談音楽さえも、精緻なオーケストレーションで立派なクラシック音楽に仕立ててしまう実力を持っていました。例えば「タイプライター」のように実際のタイプを使ったり、サンドペーパーバレエ、シンコペイテッド・クロックのようなゲテモノ作品になりがちなテーマを品格ある作品を仕上げています。

「プリンク・プレンク・プランク」では、楽器の裏側を擦った摩擦音、「クラシックのジュークボックス」ではレコードの針飛びを表現したり楽しさいっぱいの音楽を提供してくれました。

このような効果音的な音を用いない純音楽的な作品の代表格は「トランペット吹きの休日」でしょう。題名は休日と言っても、非常にテンポが速い中3本のトランペットが忙しく演奏するという皮肉っぼい内容で、このサイトの名前「ベーシストの休日」は、この曲をもじって(休日に忙しく作成するサイト)ネーミングした関係深い曲です。

アーサー・フィドラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団です。

2011年6月28日 (火)

今日の音楽 6月28日 サウンド・オヴ・ミュージック

1902年6月28日は、ミュージカルの作曲家として知られているリチャード・ロジャースの誕生日です。ロジャーズは、数々のミュージカルの作曲を手がけた作曲家ですが、中でも作詞家オスカー・ハマースタイン二世とのコンビは数々のヒット作品を生み出しています。
初めてコンビを組んだオクラホマから始まり、回転木馬南太平洋王様と私などを世に送り出していますが、このコンビ最後の作品が「サウンド・オブ・ミュージック」でした。

私自身も最も好きな映画のひとつで、この作品だけで3種類のレーザー・ディスクを持っていました。ストーリーは「トラップ一家物語」という実話に基づくお話で1859年に初演されています。映画は1965年に公開されジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマーが主演しています。7人の子供をもつオーストリアの厳格な軍人トラップ大佐の家に行った修道女マリアが音楽を通じて子供と仲良くなり、トラップ大佐も次第に共感していきやがて愛するようになり、結婚へ。その頃ナチスの台頭を避けるためにザルツブルグ音楽祭の夜にスイスに逃れるというお話ですね。実際には、アメリカへ渡った後編の話があるようです。

ドレミの歌」や「ひとりぼっちの羊飼い」「私の好きなもの」「エーデルワイス」などスタンダードなナンバーをたくさん産み出したミュージカルです。
高原にある修道院の周りの自然の中で歌う「サウンド・オブ・ミュージック」はオープニングの曲です。おまけに修道女たちが歌う「マリア」です。

2011年6月27日 (月)

今日の音楽 6月27日 夜間飛行

2008年6月27日は、フランスのイージーリスニングの大御所レイモン・ルフェーヴルの命日です。

シバの女王を筆頭に、バラ色の心、哀しみの終わりになど数々のヒットを出したルフェーヴルは、パリ音楽院在学中にアルバイトをしていたダンスホールでジャズに傾倒し、ポップスの世界に入って行きました。ただ、クラシックの勉強をしていた事は後に、クラシカル・ポップスの分野での成功に大いに役立ったようです。涙のカノン(パッヘルベルのカノン)、愛よ永遠に(モーツァルトの交響曲第40番)、ヴィヴァルディの四季、幻想のアダージョ(ベートーヴェンのピアノソナタ悲愴)などをポップスにアレンジして成功を収めています。

ルフェーヴル自身が作曲した曲も多数ありますが、最も知られているのが「夜間飛行」ではないでしょうか。FMで深夜に放送していた「ジェット・ストリーム」のエンディングに使われていた曲(1980-85年)です。

2011年6月26日 (日)

今日の音楽 6月26日 交響曲第9番(マーラー)

マーラーが完成させた最後の交響曲、第9番は1912年6月26日ウィーンで初演されています。演奏はブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルで、マーラーの死後1年以上経過していました。

マーラーは常に死への恐怖と戦っており、8つ目の交響曲の後に「第9番のジンクス」を怖れ9つ目の交響曲にあえて番号をつけず「大地の歌」として緩衝地帯を設けたのですが、結局この第9番が最後の交響曲になってしまって、自ら第9番のジンクスを具現化してしまったわけです。

第9番は、マーラーの最高傑作と言われる事が多い作品です。古典的な4楽章形式の曲ですが、通常テンポの速い楽章である第1・4楽章が共に緩徐楽章であり、特に終楽章がpppで消え入るように終わる上に、死に絶えるように・・・という指示があることから、「死」をテーマにした曲であると言われています。但し、マーラーの場合は常に曲中に死を意識したものが流れているので第9番だけというわけでは無いとは思いますが。
曲の完成度としては、マーラーの場合、自らが演奏して修正をする事を繰り返して曲を完成させている為に、死後初演されたこの第9番では他の交響曲に比べると、多少低めとは言われています。特に終楽章は、マーラー自身の指示が少なく(マーラーの場合、曲想記号などではなく具体的にドイツ語で細かい指示が譜面に書かれています・・・これが、ドイツ語が読めない我々の演奏の最初の壁になるわけですが)、まだ完全な形にはなっていなかったという根拠のひとつにもなっているようです。
では、聞いていて物足りないのか、といえば、とんでもない。最高傑作と言われる中でも、もっとも優れた楽章とも言われていますので・・・

ヤルヴィ指揮hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)で、終楽章です。

2011年6月25日 (土)

今日の音楽 6月25日 うつろな愛

1945年6月25日は、アメリカのシンガーソングライター、カーリー・サイモンの誕生日です。
ニューヨークに生まれ、19歳の時に姉とサイモンシスターズを結成してデビューしましたが、全く売れず解散。その後、バックヴォーカルやバックミュージシャンなどを遍歴して、ようやくソロデビューを果たしのが1971年26歳の時でした。

この頃は、リタ・クーリッジキャロル・キングリンダ・ロンシュタットなどが活躍していた時代です。女性シンガーソングライターでは先輩のジョニー・ミッチェルなどもいましたが、どちらかといえば内向的な雰囲気を持つアーチストが多かった中で1972年に発売した「うつろな愛」(You're so vain)が大ヒットしました。この曲にはローリング・ストーンズミック・ジャガーがバックコーラスに参加して話題にもなっています。この年にジェームズ・テイラーと結婚して2人の子供をもうけましたが1983年に離婚しています。

「うつろな愛」は、原詩では、愛が虚ろではなくて相手の男が「虚しい」ヤツです。

カーリー・サイモンのオフィシャルサイトで公開しているプロモーションビデオです。

2011年6月24日 (金)

今日の音楽 6月24日 ピアノ五重奏曲(ブラームス)

ブラームスという作曲家は、クラシック界の最重要作曲家のひとりでありながら管弦楽の為の作品は非常に少ない作曲家です。ピアノ連弾から編曲したハンガリー舞曲(ブラームス自身の編曲は3曲だけ)を除くと、4つの交響曲、4つの協奏曲、2つの演奏会用序曲と2つのセレナード、ハイドンの主題による変奏曲だけです。その他歌劇も書いていないですし、これ程の作曲家がなぜ?という疑問も無いわけではありません。

それとは逆に室内楽作品を多く作曲しています。まず思い浮かべるのは弦楽六重奏曲第1番でしょうか。第2楽章のルイ・マル監督の「恋人たち」に使われてたロマンチックな旋律が特に知られています。

1868年6月24日に初演されたピアノ五重奏曲は、完成するまでに紆余曲折を経ています。最初は弦楽五重奏曲として作曲されましたが試演の評価が悪かったため破棄され2台のピアノのためのソナタに書き換えられています。このソナタはかなり良い評価だったのですが、友人の助言を受け入れてピアノ五重奏に再度書き直しました。これがピアノ五重奏曲が作られた経緯です。この曲はブラームスとしては半音階を多様したりとかなり冒険的な音楽になっています。

第4楽章後半です。

2011年6月23日 (木)

今日の音楽 6月23日 赤いけしの花

1956年6月23日は、キエフ生まれの近代ソヴィエトの作曲家グリエールの命日です。
父親はドイツ人の楽器職人、母親はポーランド人で直接のウクライナやロシアの血は流れていませんがタネーエフアレンスキーに師事して作曲を学びスラヴ民族主義的な音楽を作曲しています。

ロシア革命後は、民族主義的な雰囲気は後退し東洋や中央アジアの音楽も取り入れて行きましたが洗練された音楽というよりは、田舎くさい音楽が彼の持ち味だと思います。
グリエールは、ウクライナの音楽界では英雄で、キエフにあるキエフ高等音楽院の正式名称は「R・M・グリエール記念キエフ国立高等音楽院」なのだそうです。
代表作のバレエ「赤いけしの花」はソヴィエト革命を題材としたバレエですが、今ではほとんど上演されることは無いようです。ただし、その中の「ロシア水兵の踊り」はちょっと耳に馴染んだ曲では無いでしょうかね。

2011年6月22日 (水)

今日の音楽 6月22日 虹の彼方に

1969年6月22日は、ミュージカルの女王ジュディ・ガーランドの命日です。子役時代にダイエットのために覚せい剤を常用し、そのままセックス、睡眠薬常用など破滅型の人生を歩んだ彼女の出世作が、ミュージカル映画「オズの魔法使い」でした。

竜巻によって、愛犬トトと共に魔法の国オズに飛ばされたドロシーが、知恵を欲しがるワラの案山子、心をほしがるブリキ男、勇気を欲しがるライオンと共に、故郷のカンザスに戻るためにオズの魔法使い(実はごく普通の人間)に会いに行く為に悪い魔女と戦う・・・というお話。
この続編が、WIZですね。

この映画のはじめのシーン、竜巻が来る前にカンザスでドロシー役のジュディによって歌われるのが「虹の彼方に」(Over the rainbow)でした。この曲は2004年に発表された米国映画協会の「歴代名歌曲ベスト100」のナンバーワンになっています。ちなみに、第2位は「カサブランカ」の"As time go by"、第3位は「雨に唄えば」(Singing in the rain)でした。

2011年6月21日 (火)

今日の音楽 6月21日 シェエラザード

ロシア五人組のひとり、ニコライ・リムスキー=コルサコフは1908年6月21日に亡くなっています。
リムスキー=コルサコフと言えば、色彩感豊かなオーケストレーションで有名で、ムソルグスキーの「禿山の一夜」や「ホヴァンシチーナ」「ボリスゴドノフ」などのムソルグスキーの作品を再オーケストレーションした事でも知られています。但し、この編曲は、ムスルグスキーの独創性を損なったという批判もあり、近年は原典版を演奏する場合も増えているようです。
教育者としても大きな足跡を残しており、彼の弟子にはグラズノフ、ストラヴィンスキー、リャードフ、アレンスキー、プロコフィエフなどすぐれた作曲家がいます。

代表作は、交響組曲「シェエラザード」でしょう。組曲といってもそれぞれ標題のついた4つの楽章からなり交響曲の形式を持っています。内容は、千夜一夜物語のヒロインであるシェエラザード姫の語る4つの物語で、全編を通して美しいシェエラザードのテーマが登場します。交響曲の形式をもった交響組曲ですが、全楽章を通してヴァイオリンソロが登場し、協奏曲のような雰囲気を持つ曲でもあります(協奏曲ほど高い難易度ではありませんが・・・)

第1楽章は 海とシンドバッドの船 上行下行音階で海のうねりを表現しています。
第2楽章は カランダール王子の物語  ファゴットのメロディが王子を表しています
第3楽章は 若い王子と王女 二人を表現する優雅なメロディが、舞踏の音楽に変化します
第4楽章は  バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲  表題同様非常に変化の激しい楽章です

第3楽章 ゲルギエフ指揮ウィーンフィルです。
  

2011年6月20日 (月)

今日の音楽 6月20日 コケイン

エルガーという作曲家は日本では知名度がとても低いですね。真っ先に浮かぶ「威風堂々」と「愛の挨拶」ぐらい、最近は「エニグマ変奏曲」も取り上げられるようになってきましたが。
というよりも、19世紀~20世紀にかけてのイギリスの作曲家の作品が取り上げられる機会自体が非常に少ないです。ブリテンの「青少年のためも管弦楽入門」、ホルストの「惑星」、ヴォーン=ウィリアムズの「グリーンスリーヴスの主題による幻想曲」ぐらいですかね。多分、ヘンデル以降からエルガーまでの音楽の歴史が繋がらないのが一因かもしれません。

エルガーの作品でとても楽しい曲があります。序曲「コケイン」という曲です。1901年6月20日にロンドンのクイーンズホールで初演され大成功しています。麻薬ではありませんよ。コケインとは、理想郷をあらわす中世フランス語から転化した言葉で、ここではロンドンの下町を表しています。ロンドンで暮らす人々の生活を生き生きと表現した曲で「英国の楽団員である多くの知己に」捧げられた音楽です。パリのアメリカ人のようにクラクションなどの具体的な擬音はありませんが、とても楽しい曲で、もっと演奏されても良いような気がします。最近は尾高忠明さんがイギリス音楽を積極的に紹介していますので、もっと耳に入る機会が増えると良いですね。

プレヴィン指揮ロイヤルフィルで、前半です。

2011年6月19日 (日)

今日の音楽 6月19日 右から2番目の星

1837年6月19日は「ピーター・パン」の作者ジェームズ・バリー・マシューの命日です。
マシューは、スコットランド生まれのイギリス人で、童話やファンタジーの作家でした。

「ピーターパン」は、1902年に発表した小説「小さな白い鳥」で初登場し、1904年に主人公に昇格し戯曲「ピーターパン或いは大人になりたがらない少年」で一躍スターになったわけです。
その後小説「ケンジントン通りのピーターパン」「ピーターとウェンディ」に登場しています。

ピーターは乳母車から落ちて迷子になったところから年をとらなくなり、ネバーランドに移り住み妖精ティンカーベルと冒険の日々をすごすことになります。
一時期、童話の残酷性を解説する本が流行しましたが、ピーターパンも同様に残酷性を暴かれた事があります。ピーターパンの仲間には子供しかいないのですが、それは大人になると間引いた(殺した?)からだ・・とか、大人を完全に悪者として描いており丸腰のフック船長を殺した・・・とか。
特にネバーランドという名前も、マイケル・ジャクソンのおかげでちょっとイメージが悪くなりましたし、大人になれない(なりきれない)=成長を拒む男性をピーターパン症候群と称する精神疾患の名称にされたり、我々が子供の頃に持っていたイメージとはちょっと異なるイメージになっていますが。

ディズニー映画にもなって、その後続編なども放映されていますし、ミュージカルも上演されています。USJでは夜のイベントとして上演されています。最初の映画の主題曲が「右から2番目の星」でした。ちょっとピノキオの「星に願いを」に似てない事も無いですけど・・・

2011年6月18日 (土)

今日の音楽 6月18日 魔弾の射手

ドイツ国民オペラの代表的作曲家、カール・マリア・フォン・ウェーバーの代表作といえば「魔弾の射手」でしょう。昨日のファウスト同様悪魔に魂を売って栄光を手に入れようとする・・・というドイツ民話に基づくお話です。

狩人であったマックスは目下スランプ中。なかなか弾が当たらない。そんな折、射撃大会の成績次第では恋人アガーテとの結婚を父親が許さないと言われ苦悩する。それに目をつけたのが狩人仲間のカスパール。カスパールは悪魔ザミュエルと契約していたが、マックスの命と引き換えに契約の延長を依頼し、7発中6発は自分の狙ったところに命中し残りの1発はザミュエルの望むところに命中する魔弾の鋳造を依頼する。
大会当日、マックスは好成績を上げるが最後の弾がアガーテに向かって発射されてしまうがバラの王冠のおかげでアガーテは間一髪逃れる事ができ、それた弾はカスパールに命中してしまう。事の次第を知った領主はマックスを追放しようとするが、アガーテの懇願でマックスは許されるというお話。
ホルンが朗々と主題(賛美歌「主よ御手もて引かせ給え」としても知られている)を演奏する序曲や、狩人の合唱が特に有名な曲です。
初演は1861年6月18日ベルリンの王立歌劇場でした。

この話は、あちこちで引用されていますが、ウルトラセブンの第36話、「必殺の0.1秒」も悪魔を宇宙人に読み替えて使われています。

第3幕で歌われる「狩人の合唱」です。

2011年6月17日 (金)

今日の音楽 6月17日 ファウスト

1818年6月17日はグノーの誕生日。グノーと言えば「ファウスト」ですね。
グノーは知名度の割には知られた作品が少ない作曲家です。
ローマ大賞を受賞しイタリアに留学して音楽の勉強をした後、聖歌隊の楽隊長や教会のオルガニストを経験しましたが作曲家としての成功は非常に遅く40代になってから、それが歌劇「ファウスト」でした。

「ファウスト」は勿論ゲーテの戯曲を基にした、悪魔メフィストフェレスと契約した老学者ファウストのお話。若返りに成功したファウストがマルグリートへ求婚し愛を受け入れられるが、マルグリートの恋人ヴァランティンとの決闘に再度悪魔の力を借りて勝利。やがてマルグリートは身ごもっていたファウストの子供を殺し牢獄につながれてしまう。酒池肉林の快楽を味わっていたファウストはマルグリートを忘れられずに会いに行くが彼女は既に気が狂っており、最後に神に救済され天に召される。というお話。
中でも第5幕のバレエ音楽は単独で演奏される事があります。
ファウストは日本で初めて上演されたオペラ(1894年11月24日)で、この日は「オペラの日」になっています。

バレエ音楽の中でも最も有名なファウストのワルツです。ビンダー指揮ウィーン国立歌劇場です。

2011年6月16日 (木)

今日の音楽 6月16日 妖精の踊り(ポッパー)

マイナーな作曲家が続きますが、1843年6月16日はオーストリア=ハンガリー帝国のチェリスト、作曲家のダーヴィド・ポッパーの誕生日です。
ポッパーはプラハ生まれのユダヤ系チェコ人で、はじめの頃はチェリストとして名を馳せた音楽家でした。1867年ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任し、1873年にはソリストとして独立しています。

作曲家としては主にチェロのための曲を残しており、チェロ協奏曲を4曲作曲していますが今日演奏されるのは、チェロとピアノのためのサロン風音楽です。

名奏者が作曲した音楽は、リストのピアノ曲、パガニーニサラサーテのヴァイオリン曲など超絶技巧&高難易度というのが定番ですが、ポッパーの「妖精の踊り」という曲もごたぶんに漏れず、妖精の踊りという優雅そうな題名とは裏腹に、リムスキー=コルサコフ熊蜂の飛行のような曲です。

ロストロポーヴィチのチェロです。

2011年6月15日 (水)

今日の音楽 6月15日 かっこう(ダカン)

1772年6月15日は、フランスバロックの作曲家ダカンの命日です。
ダカンと言っても、殆ど知っている人はいないと思いますが、当時は音楽一家の家に生まれ、神童ともてはやされクラヴサン(チェンバロ)の演奏家としても鳴らした音楽家でした。6歳の時にルイ14世の御前で演奏を行ったり12歳で教会のオルガニストに就任するなど、当時はスーパースターだったようです。

その後も王宮のオルガニスト、ノートルダム大聖堂のオルガニストと順風満帆の人生を送ったようです。
作品のほとんどが、散失してしまい彼の作曲家としての業績は、今では知られるところではありませんが、4つのクラヴサン組曲などいくつかの作品が残されています。最も知られているのが、クラヴサン組曲の第1巻に入っている「カッコウ」でしょう。この曲は現在ではピアノの発表会用のレパートリーとして取り上げられる曲です。
左手でカッコウの鳴き声を模した音型が演奏され、右手で分散和音風の16分音符による速いメロディが淀みなく繰り返される曲です。

ピノックのチェンバロによる演奏です。

2011年6月14日 (火)

今日の音楽 6月14日 アルビノーニとは無関係のアルビノーニのアダージョ

1671年6月14日は、トマゾ・アルビノーニの誕生日です。
アルビノーニといえば、現在はオーボエ協奏曲などの器楽曲で知られていますが、実はオペラ作曲家だったようです。記録によれば52曲程のオペラを作曲しているそうですが、現在はそのほとんどが失われてしまっており、アルビノーニの本当の功績は伝えられていないようです。

現在、最も有名な曲は、アルビノーニのアダージョと呼ばれる「オルガンと弦楽のためのアダージョ」ですが、実はこれは最近の研究では真っ赤な偽物である事がわかっています。
従来は第二次大戦によって破壊されたザクセン図書館の廃墟で見つかったアルビノーニのソナタ ト短調の断片を元に、ジャゾットが編曲したものと言われて来ましたが、現在ではジャゾットによる完全なオリジナルという事が判明されています。

まあ、そうは言ってもこの曲、映画やTVなどでも多く使われていますが、「ローラー・ボール」が最も印象的でした。

2011年6月13日 (月)

今日の音楽 6月13日 ペトルーシュカ

ストラヴィンスキーの三大バレエのひとつ「ペトルーシュカ」は1911年6月13日に、パリ・シャトレ座で初演されました。初演は概ね好評だったようですが、勿論不協和音が飛び交う曲ですので、不平をもったお客様のいらっしゃったようですが・・・

ストーリーはロシア版ピノキオにあたるもので、ペトルーシュカはおがくずの体を持つわら人形。命を吹き込まれたペトルーシュカは恋をして人間らしさを追い求めるというお話。最後は人形に殺され幽霊となって現れるという悲しくもグロテスクなお話です。

編成は4管編成という巨大な編成なのですが、火の鳥春の祭典に比べると少々地味な感じがするのは、ティンパニやトランペットの活躍が少々足りないからかもしれません。
その為近年演奏されるのは、新古典主義によった1947年に編曲された3管編成版。4管より華やかというのも妙な気がしますが、30年以上後ですので、オーケストレーションも格段と進歩したのでしょう。

特に、ロシアの踊りは、後に「ペトルーシュカからの三楽章」というピアノ曲にも編曲され(のだめがコンクールで「キューピー三分間クッキング」のテーマと混ぜこぜにしちゃった曲です)親しまれています。

ロシアの踊りです。

2011年6月12日 (日)

今日の音楽 6月12日 弦楽四重奏曲(フォーレ)

1925年6月12日、フォーレの死後約半年後に最後の作品弦楽四重奏曲が初演されました。

フォーレの音楽は、ダイナミクスやアンジュレーションによる劇的効果を狙う音楽では無かったため、ドビュッシーなどによって「サロン音楽」などと批判されたりもしましたが、とても耳障りの良い心地よさを持っています。劇的効果を狙わないため、編成も大規模なものは必要とせず、特に室内楽の分野では多くの傑作を残しています。
フォーレは、ピアノ五重奏、ピアノ四重奏を各2曲、ピアノ三重奏を1曲作曲していますが、唯一ピアノを含まないのが、この弦楽四重奏です。フォーレは、弟子に「君がよく見て、おかしなところが無ければ発表してくれ」と言ったというエピソードがあります。先ほど述べたように、心地よい音楽なのですが、それゆえに輪郭がはっきりした作風ではないためピアノがそれを補っていたと思われますので、ピアノを欠く室内楽には自信が無かったのでしょうか。

最晩年作品ですので、調性はかなり12音に近づいてはいます。また、フォーレはベートーヴェンスメタナ同様耳の病に悩まされており、特に高音域、低音域が中音域に寄って聴こえるという難聴だったため、この曲は中音域に音が寄っています。したがって、ヴィオラが大活躍する曲で、第1楽章冒頭もヴィオラで開始されます。第1楽章は教会旋法(フリギア旋法)を用いています。
第2主題も教会旋法(ロクリアン)で作られています。3つの主題によって構成されていますが、その内、第2主題と第3主題の提示は、やはりヴィオラです。
実は、この曲フォーレ自身1楽章と2楽章の間に4つ目の楽章を考えていたようですが、結局それは完成されずに亡くなっています。一応、3つの楽章で完成した形になっているので、未完成作品とはなっていませんが・・・

この曲は、冒頭が聞き取れるボリュームで聞き始めれば最後まで聞こえなくなったり、突然大音量で驚かされたりという事はありませんので夜中でも安心して聴く事ができる曲です(笑)
第1楽章です。

2011年6月11日 (土)

今日の音楽 6月11日 交響詩「ドン・ファン」

1864年6月11日は、ドイツ後期ロマン派を代表する作曲家、リヒャルト・シュトラウスの誕生日です。
R・シュトラウスは初めは交響詩を中心とした管弦楽作品を多く作曲し、その後オペラに力を注いでいましたが、戦後はブーレーズシュトックハウゼンノーノケージらの前衛作曲家に比べて古臭い作風で過去の作曲家とされてしまったようです。晩年は指揮者としての活躍の方が際立っており、セルベームといった20世紀を代表する指揮者を育てています。

初めの管弦楽作品を多く作曲した時代では「ドン・ファン」「死と変容」「ティル・オイゲン・シュピーゲルの愉快な悪戯」「ツァラトゥストラはかく語りき」「ドン・キホーテ」「英雄の生涯」などたくさんの傑作交響詩を発表していますが、シュトラウスの管弦楽作品の多くは標題音楽が多く、絶対音楽の最高峰である交響曲でさえ「家庭交響曲」「アルプス交響曲」といった描写的な作品で、現在でも親しまれている絶対音楽は2つのホルン協奏曲ぐらいでしょう。
その後の、オペラに熱中した時代では最初の成功作であった「サロメ」から始まり、「エレクトラ」「ばらの騎士」「町人貴族」「影のない女」「カプリッチョ」など数多くの傑作を残しています。また、当時はワーグナーヴェルディプッチーニと悲劇的な作品が多い中シュトラウスのオペラは喜劇的要素が強い作品という事が特徴でしょう。

1888年に作曲された交響詩「ドン・ファン」は、シュトラウスの交響詩として最初の大成功作で彼の出世作とも言える作品です。ドン・ファンは勿論、モーツァルトも取り上げたスペインの伝説的プレイボーイ。冒頭に奏でられる「悦楽の嵐」から下降音階で表現される「女性のテーマ」が冒頭を飾り、理想の女性を求めるドン・ファンが女性に出会い、絶望する・・・を繰り返し、最後にはドン・ファンの死を暗示して終わるというとても楽しい作品です。
ところで、R・シュトラウスの作品は曲自体はわかり易い曲が多いのですが、非常に演奏が難しく、とても演奏できそうもない細かい音符が含まれています。これについてはいくつかのエピソードが残されています。ウィーン・フィルでアルプス交響曲のリハーサル中に、ヴィオラ奏者が指揮をするシュトラウスに対して「この曲は演奏不能の場所がある」と指摘したところシュトラウスは「そんな事は百も承知。弾けても弾けなくても同じ効果が得られるようになっているからテキトーにやっておけば良い」と言ったとか。また、「楽譜にある音を全て弾こうと思ってはいけない」とも・・・

要するに、シュトラウスの曲は楽譜どおり弾けなくてもそれなりに聴こえるように作られているらしいので、アマチュアオーケストラの皆さんも選曲の時にスコアを見て唖然とせずに一歩踏み出してみたらいかがでしょうか。・・・もっとも、ある程度弾けないと曲にはならないと思いますが。

ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で前半です。

2011年6月10日 (金)

今日の音楽 6月10日 愛と海の詩

1899年6月10日はフランスの作曲家ショーソンの命日です。
ショーソンが本格的に音楽を勉強しはじめたのは24歳の時です。パリ音楽院に入学しマスネに作曲を学びました。サン=サーンスの組織したフランス国民音楽協会に所属しましたが、わずか44歳で自転車事故で死去。わずか20年の音楽活動でした。

41歳の時に作曲したヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲」だけが有名ですが、交響曲やオペラ、室内楽曲も残しています。
ショーソンの作風は、ラヴェルドビュッシーが色彩感豊かな油絵だとすると、淡い水彩画のような色彩感を持っています。大きなコントラストではないものの色の変化を楽しめることができるという音楽です。独唱と管弦楽のための「愛と海の詩」は友人のブーショールの詩に曲をつけた3部からなる失恋の歌です。

第1部 水の花、第2部は短い間奏曲で、第3部は 愛の死です。

ロス=アンヘレスのソプラノです。

2011年6月 9日 (木)

今日の音楽 6月9日 交響曲第4番「不滅」

1865年6月9日は、デンマークの最も有名な作曲家の誕生日ですデンマークの紙幣に肖像が使われるほど母国では人気ある作曲家なのですが、日本では知名度はイマイチ。同年に生まれたシベリウスに比べると非常に影が薄いのですが、その理由のひとつは、ニールセンの作品が、グリーグやシベリウスに比べて、あまり北欧的では無いという事かもしれません。

彼の作風は、ロマン派に属するものですが、国民主義的な要素は薄く(デンマーク自体が北欧といってもドイツと陸続きなので、その影響かもしれませんが)、ユニバーサルな音楽を追求したものです。大胆で、新たな作風も積極的に取り入れており、そういう意味では北欧で最も進んだ作曲家なのかもしれません。

ニールセンは6曲の交響曲を作曲していますが、最も有名なのが第4番「不滅」です。第一次世界大戦中の暗い時代に書かれたこの曲は、滅ぼし得ざるもの(または、消し去りがたいもの) という意味で、生命や音楽など歌いあげた曲です。4つの楽章にあたる曲が連続して演奏される単一楽章の曲ですが、それぞれの楽章にあたる部分は古典的な形式を持っていて、最後のところで第1楽章の第2主題が蘇ることで、鮮明に「不滅」を打ち出しています。終楽章では2台のティンパニが効果的に使われています。

シェンヴァント指揮デンマーク国立交響楽団で最終楽章です。

2011年6月 8日 (水)

今日の音楽 6月8日 カルミナ・ブラーナ

オルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」は1937年6月8日にフランクフルトで初演されています。(wikipediaでは7月8日となっていますが、これはJuneとJulyを間違えて和訳した為だと思われます。wikipediaは、この手の間違えがかなり多いですので注意が必要です)

「カルミナ・ブラーナ」はカンタータというタイトルがついていますが、宗教曲ではありません。1903年にバイエルンの修道院で発見された修道院を訪れた学生や修道僧がつづったと思われる詩歌集が発見されました。内容は宗教とは直接関係の無い、恋愛や酒、歌などを扱ったものです。これらに曲をつけたのがオルフの「カルミナ・ブラーナ」です。
全部で25の曲からできていますが、最も有名なのは冒頭の「おお運命の女神よ」ですね。よくTVドラマやドキュメンタリー番組などで効果音代わりに使われているので耳にすることも多いと思います。内容は、フォーチュナ(運命の女神)に我々の運命は握られてしまっているという刹那的なものなのですが、音楽だけ聴くとそんな内容には思えませんよね。その他の曲も結構真面目な内容を想像させる音楽がくだけた詩だったりと、対訳を見ながら聞くと本当に面白い曲です。

詩の内容がわからなくて、音楽だけ聴いても変化に富んだ楽しい曲です。一度だけ演奏した事がありますが、最も楽しかった曲のひとつです。
編成も大編成で、合唱の中にソロ歌う人も必要で、大混声合唱の他に、小規模な混声合唱(大合唱団の中から編成するのが普通ですが)、児童合唱という特大の合唱団に、3管編成のオーケストラ、14種類の打楽器、チェレスタ、2台のピアノという具合です。

22曲目の「今こそ愉悦の季節」・・・こんなの児童合唱に歌わせて良いのかどうかわかりませんが・・・です。

2011年6月 7日 (火)

今日の音楽 6月7日 交響曲第8番(ドヴォルザーク)

1897年6月7日は、指揮者ジョージ・セルの誕生日です。
ハンガリーに生まれたセルは、幼少から神童と言われる程のピアノ技術を持っており、作曲も手がけていましたが、最終的には指揮者の道を選んでいます。

ナチスから逃れてイギリスに移住し、アメリカ演奏旅行中に第二次大戦が勃発したため、そのまま住みつきました。1946年にクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者に就任、徹底した完璧主義でクリーヴランド管弦楽団をアメリカのビッグファイブ(他の4つは、ニューヨーク・フィルフィラデルフィア管ボストン響シカゴ響)に押し上げました。
各都市の人口から考えると、ニューヨーク1位、フィラデルフィア5位、ボストン22位、シカゴ3位に比べるとクリーヴランドは45位という州都にもなっていない都市のオーケストラですからセルの手腕は大したものだったのでしょうね。

セルの指揮する音楽は、生真面目で面白みに欠けると言われていますが、それだけに我々アマチュアにとっては教科書として練習するには最適の演奏と言えるでしょう。ベートーヴェンモーツァルトには定評がありますが、ロマン派以降の音楽については余計にそういう観点で聴くことができると言われています。セルの演奏では、これがナンバーワンという衆目が一致するものはありませんが、ベートーヴェンの交響曲第3番を推す人が多いようです。そのほかでは、やっぱりベートーヴェン、モーツァルトの評価が圧倒的に高いのですが、その他で個人的にお勧めなのは、ドヴォルザークの交響曲第8番です。
「イギリス」という表題で呼ばれる事もある作品ですが、内容は全くイギリスと関係なく単にイギリスの出版社から出版されたという事のようです。

第8番は、ワーグナーブラームスの影響が強かった第6番までの交響曲とは異なり、チェコの音楽を意識した第7番をより完成させた形に持って行った作品です。(第9番はアメリカ音楽とチェコへの郷愁の融合なので、ある意味最もチェコの作曲家らしい作品です)

セル指揮クリーヴランド管弦楽団で第2楽章です。

2011年6月 6日 (月)

今日の音楽 6月6日 スパルタカス 

ショスタコーヴィチプロコフィエフと並ぶ20世紀ソ連の3大巨匠のひとり、アラム・ハチャトゥリャンは1903年6月6日(グレゴリオ暦)に生まれています。
但し、ハチャトゥリャンはソ連といっても中央アジアに近いグルジア生まれのアルメニア人で、カフカス(コーカサス)地方の音楽を多く取り入れた作品を得意としています。どちらかと言えば古典派-ロマン派-国民主義の延長線上を絵に描いたような洗練された音楽を作ったショスタコーヴィチやプロコフィエフとはちょっと異なる作風で、田舎臭さも魅力のひとつでしょう。

激しいリズムの音楽や大胆な作風が特徴で、剣の舞を含むバレエ「ガイーヌ」は彼の代表作です。勿論交響曲や協奏曲などの純音楽作品も数多く作曲していますが、やはりフランスと並ぶバレエの盛んなお国柄、バレエ作品が演奏機会が多いようです。特に、「仮面舞踏会」のワルツは2008年のシーズンに浅田真央がフリー演技の音楽として使用してちょっとしたブームになりました。
バレエ「スパルタカス」は古代ローマ時代の奴隷スパルタカスの反乱を描いた作品で、後に4つの組曲に編まれています。CDや演奏会ではこの3つの組曲から抜粋して演奏される機会が多いようです。

その中で最もドラマチックで美しいのが第2組曲の「フリーギアとスパルタクスのアダージョ」です。ボリショイバレエです。

2011年6月 5日 (日)

今日の音楽 6月5日 舞踏への勧誘

前期ロマン派の作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバー(ドイツ語読みではヴェーバー)は1826年6月5日にロンドン遠征中に39歳で結核で亡くなっています。

日本では、「魔弾の射手」の序曲と狩人の合唱ぐらいしか知られていないイマイチの評価の作曲家ですが、特にロマン派ドイツ・オペラを確立し後期ロマン派のワーグナーに多大な影響を与えた音楽史的にも重要な位置を占める作曲家のひとりです。オペラでは「オベロン」「オイリアンテ」「アブ・ハッサン」など数々の作品を作り、クラリネット奏者にとっては3曲の協奏曲など重要なレパートリーを提供しています。
また、ウェーバーはモーツァルトの義理のいとこ(モーツァルトの妻コンスタンツェはウェーバーの父親の兄の娘)としても知られています。

ウェーバーを敬愛した作曲家にベルリオーズがいます。彼は、ウェーバーのピアノ曲「舞踏への勧誘」を、導入部と結尾部はチェロ独奏、中間のワルツを大音量のフルオーケストラに編曲(調も、オーケストラの響きやすいニ長調に変更)しています。元々導入部と結尾部は、踊りに誘う男性と女性の会話という設定のストーリー性の高い音楽だったため、ピアノ曲を他の作曲家がオーケストラ曲に編曲して大成功した数少ない曲のひとつ(ムソルグスキーラヴェル展覧会の絵も同様ですね)です。

デ・ラローチャのピアノ独奏です。

2011年6月 4日 (土)

今日の音楽 6月4日 交響曲第8番(ショスタコーヴィチ)

1903年6月4日は、ロシア(ソ連)の20世紀を代表する指揮者、エフゲニ・ムラヴィンスキーの誕生日です。とにかく、厳格でリハーサルの回数はオーケストラが何度も演奏した曲でさえ10回は下らなかったというほど音楽の追求には妥協をしなかった指揮者でした。生涯の殆どをレニングラード・フィル(現・サンクト・ペテルブルグ・フィル)に捧げ、録音を嫌ったために記録の残っているものは非常に少ない指揮者で、現在で発売しているCDも殆どがライブ録音。それでいて、ライブ録音の完成度は非常に高く、他の指揮者のスタジオ録音を押しのけてベスト盤に選ばれている曲が多いという事は、生演奏の完成度の高さを証明していると思います。

ムラヴィンスキーが演奏した曲の中で回数が最も多かったのはチャイコフスキーの交響曲第5番、2番目がショスタコーヴィチの交響曲第5番だそうですが、両方とも既に紹介ずみなので、今日はムラヴィンスキーが初演し、ムラヴィンスキーに献呈された、ショスタコーヴィチの交響曲第8番を取り上げます。第8番は、第7番の「レニングラード」同様ファシズム(ナチスドイツ)との戦争をテーマにした作品ですが、レニングラード包囲戦の勝利を讃えた第7番に比べると、戦没者への慰霊の意味が強かったため、「暗い」という批判を受けて1948年のジダーノフ批判の後1960年まで上演が禁止されていた作品です。
5つの楽章からなり、演奏には60分程度を要する曲です。激しさ(戦争)と静けさ、悲しみ(慰霊)のコントラストが見事な作品です。

個人的には第3楽章が好きで、機械的なリズムに乗ってファンファーレが色々な楽器で繰り返される楽章ですが、この楽章弦楽器は大変でしょうねぇ。どこがって?聴いてもらえばわかります。

2011年6月 3日 (金)

今日の音楽 6月3日 ウィーンの森の物語

1899年6月3日は、ヨハン・シュトラウス二世の命日です。
勿論父親はヨハン・シュトラウス一世、弟にはヨゼフ・シュトラウスエドゥアルト・シュトラウスがいるというワルツ一家のエースでした。
実際にはヨゼフの方が豊かな才能に恵まれていたとも言われていますが、ヨゼフは早逝してしまったため、ワルツ王はヨハン二世という事で落ち着くわけです。

今まで喜歌劇「こうもり」序曲ウィーン気質酒・女・歌南国のバラを紹介して来ましたが、数々の名作の中でも「美しく青きドナウ」と並んでシュトラウスの代表作と言われているのが「ウィーンの森の物語」です。ウィーン市民の憩いの場であるウィーンの森の美しさを表現しており、シュトラウスの作品の中でも変化に富んだ作品です。
序奏には、オーストリアの民族楽器であるツィターが登場しますが、ツィターが無い場合は弦楽合奏で演奏されます。

前半です。

2011年6月 2日 (木)

今日の音楽 6月2日 弦楽セレナード(エルガー)

1857年6月2日は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーの誕生日です。
つい先日、交響曲第2番をご紹介したばかりなので、エルガーについてのお話は割愛します。

ところで、弦楽セレナーデといえばチャイコフスキー、少し詳しい人になるとドヴォルザークを思い浮かべますが、エルガーの弦楽セレナーデも弦楽奏者の中では知られた曲です。
チャイコフスキー、ドヴォルザークの弦楽セレナーデは、どちらかというと交響曲のようなきちんとした形式を持っているのですが、エルガーの弦楽セレナーデは「弦楽オーケストラのための3つの小品」という作品を改作したと言われているものなので、形式よりは音楽そのものを聞かせる曲になっています。エルガーの3回目の結婚記念日に、「愛の挨拶」を送った事でも知られるキャロライン夫人へ贈られた曲です。

第1楽章冒頭は、強いリズムでスタートするのですが、すぐに思いもかけない非常に抒情的なメロディが出てきます。このあたりのギャップも面白い曲です。
全曲通しても13分程度です。

2011年6月 1日 (水)

今日の音楽 6月1日 砂に書いたラブレター

1934年6月1日は、アメリカのポップス歌手パット・ブーンの誕生日です。先祖にアメリカ開拓史上の英雄ダニエル・ブーン(映画「プライベート・ライアン」に登場するダニエル・ブーン・ジャクソンの名前の由来にもなっています)を持ち、非常に生真面目で折り目正しい歌唱法の歌手でした。不良っぽさで売ったエルヴィス・プレスリーとは対角に位置する歌手でした。

彼の代表的ヒット作は「砂に書いたラブ・レター」はヒットチャートで7週連続第1位でした。パットの娘デビー・ブーンも歌手として成功し、親を超える全米ヒットチャート10週連続トップを記録しています。

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