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2011年5月31日 (火)

今日の音楽 5月31日 弦楽四重奏曲第77番「皇帝」

交響曲の父と呼ばれるハイドンは1809年5月31日にウィーンで逝去しています。
ハイドンは104曲(+α)の交響曲を作曲していますが、弦楽四重奏曲も82曲残しています。実はハイドンが最も多く作品を書いたのはバリトン三重奏曲(約126曲)なのですが、バリトンという楽器が現在では大変珍しい為に殆ど演奏されないようです。

ハイドンの作品は、一般の作曲家の作品番号(opus)では無く、ホーボーケン番号という番号が付けられています。ホーボーケン番号は通し番号では無くジャンル毎に分類して、それに通し番号を付けています。Hob.Ⅰ-1 というような表記で、ローマ数字がジャンルを表しています。Ⅰは交響曲、Ⅱは4声以上のディヴェルティメント、Ⅲは弦楽四重奏曲で全部でⅩⅩⅩⅠまであります。

まあ、とにかく作品の数が多いハイドンの中から、死亡した年齢77にまつわる曲で有名な曲という事で、弦楽四重奏曲第77番を選びました。弦楽四重奏曲はホーボーケンの分類ではⅢになりますので、Hob.Ⅲ-77になるわけです。で、77番と言ってピンと来ないと思いますが、副題に「皇帝」がついていると言えば、わかる方もいらっしゃるのでは無いかと思います。

ハイドンが作曲した「オーストリア国家及び皇帝を讃える歌」を変奏曲にした第2楽章を持つことから「皇帝」の副題で呼ばれるようになったのですが、この元の歌は現在ではドイツ国歌として知られている曲です。数ある国歌の中でもオーストリア国歌(伝・モーツァルト作曲)と並ぶ大作曲家による作品です。

2011年5月30日 (月)

今日の音楽 5月30日 火刑台のジャンヌ・ダルク

1431年5月30日は、オルレアンの少女ジャンヌ・ダルクが宗教裁判で魔女として処刑された日です。
フランスとイギリスの間で100年(実際には116年と言われています)もの間続けられた百年戦争で不利な状況だったフランスを救い、オルレアンを解放した救世主。
ジャンヌ・ダルクが救世主と成り得た(奇跡を起こした)要因は様々な説があります。わずか13歳の時に神の啓示を聴き立ち上がった少女は、王家の落し胤などという説のほか色々なエピソードが残されています。彼女の神がかり的な言動は、側頭葉てんかんの幻覚症状だったとか、火刑を受けて心臓や腸が焼け残った事や月経が無かったことから結核だった・・などの諸説があります。
また、ジャンヌが魔女として処刑されたのはフランス軍の手柄争いに巻き込まれたとか、フランスを勝利に導いた当時の国王シャルル7世よりも人気のあったジャンヌを妬んだとか・・・神や魔女の話にもかかわらず妙に人間臭い話も聞こえてきます。

ジャンヌ・ダルクを扱った曲は殆ど無いんですよね。もっとも、キリスト教と深い関わりを持っていたクラシック音楽ですから、ようやく20世紀になって名誉を回復し聖人に列せられるようになったジャンヌ・ダルクは扱いにくい素材だったんでしょうね。

数少ない、ジャンヌを扱った曲で群を抜いているのが、オネゲルのオラトリオ「火刑台のジャンヌ・ダルク」でしょう。もちろん作曲されたのは名誉を回復した後の1935年、1938年には演奏会形式で、1942年にはプロローグを書き加えて舞台形式で初演されています。

ジャンヌの火刑の前日から当日まで、回想を加えたストーリーになっています。

この曲、ピッコロ・トランペットや3本のサクソフォン、オンド・マルトノという電子楽器、チェレスタ、ピアノ2台、多彩な打楽器が登場しますが、フルート、オーボエは2本ずつだし、何よりもホルンが出て来ないという珍しい編成です。
処刑され聖母によって天国に導かれるフィナーレです。

2011年5月29日 (日)

今日の音楽 5月29日 若者たち

1928年5月29日は、作曲家佐藤勝の誕生日です。
佐藤勝は、国立音大卒業後映画音楽家をめざして、早坂文雄に弟子入り、早坂の死後未完に終わってしまった黒澤監督の「生き物の記録」の音楽を早坂の遺稿を元に完成させ、黒澤作品の常連作曲家になり「どん底」「隠し砦の三悪人」「赤ひげ」などの音楽を担当しました。
そのほか、東宝特撮作品「ゴジラの逆襲」「ゴジラの息子」「ゴジラ対メカゴジラ」などをはじめ、「日本沈没」「不毛地帯」「幸福の黄色いハンカチ」「ああ、野麦峠」「敦煌」「皇帝のいない八月」などの映画音楽を作曲し、日本の映画界では無くてはならない音楽家のひとりとして活躍、1999年に死去されています。

彼の作品で、一番親しまれているのが「若者たち」でしょう。元々は、1966年にフジテレビで放送されていた連続ドラマをリメイクした映画の主題歌。ブロードサイド・フォーが歌ってヒットし、その後森田健作もリメイクした曲。「君の行く道は果てしなく遠い・・・」という歌は、1970年代には小中学校の音楽の教科書にも掲載されていた曲です。

2011年5月28日 (土)

今日の音楽 5月28日 ボッケリーニのメヌエット

1805年5月28日は、ボッケリーニの命日です。
イタリアの作曲家ボッケリーニは、ハイドンモーツァルトとほぼ同時代の古典派の作曲家ですが、現在ではマイナーな作曲家になっています。チェロの奏者だったという事もあって、チェロの為の協奏曲などを残してはいますが、形式を重視しない複数のメロディを織り交ぜていくという作風のため、次第に忘れられた存在になってしまったようです。

但し、弦楽五重奏という分野では数多くの作品を残し(100曲以上あるようです)弦楽五重奏の確立者という評価もあるようです。そんな数多い弦楽五重奏の中で作品11-5のホ長調の弦楽五重奏曲は現在最も有名な作品です。特に、第3楽章のメヌエットは、ボッケリーニのメヌエットとしてピアノ曲にも編曲された愛らしいメヌエットです。

原曲の、弦楽五重奏版で、メヌエットです。

2011年5月27日 (金)

今日の音楽 5月27日 ヴァイオリン協奏曲第1番(パガニーニ)

1840年5月27日はパガニーニの命日です。
パガニーニは18世紀から19世紀の前期ロマン派時代のヴァイオリンの天才。悪魔に魂を売ってヴァイオリンの技術を手に入れたと言われるほどの奏者でした。その代わりに非常に病弱で病気と薬害が繰り返され50代で亡くなってしまいました。
前期ロマン派の多くのヴァイオリン作品は、彼のために書かれた物が多く存在しています。また、作曲家としても後の作曲家に多大な影響を与えています。彼の作品を元にした変奏曲が非常に多いという事もその証でしょう。特に、奇想曲はシューマンリストブラームスラフマニノフなどが、ヴァイオリン協奏曲第2番のロンド「鐘」は、リストクーラウヨハン・シュトラウスなどが流用しています。

パガニーニは当時確立されていなかった著作権に非常に神経を使っており(金銭に異常な執着があったとも言われています)自分の作品のパート譜を含む譜面は全て自分で管理していました。合奏練習前に配り終わると同時に撤収していたため、楽譜が残されていない作品が数多くあるようです。ヴァイオリン協奏曲第1番も、実は1曲目のヴァイオリン協奏曲では無いのですが、出版された1曲目のコンチェルトだったため第1番がつけられています。通常、ヴァイオリン協奏曲は、演奏のし易さやヴァイオリンの鳴らし易さなどからニ長調が非常に多く(ベートーヴェンブラームスチャイコフスキーなど)、その他でも調号があまり多くない曲が多いのですが、パガニーにの第1番は変ホ長調という調整で書かれています。これはパガニーニの技巧を誇るためにわざと難しい調性にしてあるとも言われていますが、原譜ではヴァイオリン独奏はニ長調で書かれていて弦を半音高くして演奏したとも言われています。現在では、オーケストラ自体をニ長調に下げて演奏する事も多いようです。

形式はオーソドックスな3楽章形式で、二重フラジオダブルストップ、スピッカートなど難しい奏法がちりばめられておりヴァイオリン協奏曲屈指の難曲のひとつとされています。

1990年チャイコフスキー国際コンクール諏訪内晶子の演奏で第3楽章です。

2011年5月26日 (木)

今日の音楽 5月26日 おもちゃの行進曲

アイルランドに生まれ、アメリカに帰化した作曲家ハーバードは、殆ど名前も知られていないす、超マイナーな作曲家と思われていますが、50曲近いオペラやオペレッタ、その他管弦楽曲も多く残しています。
そんな、ハーバードの命日が1924年5月26日です。

彼の音楽歴は、シュトゥットゥガルト音楽院で学んだ事をスタートに、ヨハンシュトラウスのオーケストラのチェロ奏者、メトロポリタン歌劇場の首席チェリスト、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督と結構華々しいものでした。

ただ、通俗的な音楽が評価が高かったせいでクラシックの世界では軽んじられていたようですが、オーケストレーションの技術は高いものがありました。
ハーバードの「おもちゃの国の赤ん坊たち」というオペレッタの中で出てくるおもちゃの行進曲は、特に中間部は多分ちょっと耳にした事があるのではないかと思います。ドヴォルザークのチェロ協奏曲に影響を与えた事が知られるようになって近年再評価の動きがあるようです。

スラットキン指揮セントルイス交響楽団で、おもちゃの行進曲です。

2011年5月25日 (水)

今日の音楽 5月25日 惑星

ホルストという作曲家は知らなくても「惑星」は誰でも知っている・・・特に木星平原綾香のおかげで超有名曲になりました。

ホルストは1874年に生まれ1934年5月25日に没したイギリスの作曲家です。
合唱曲や吹奏楽の曲を多く作曲していて、管弦楽の曲は非常に少ない作曲家です。まあ、普通のクラシックファンでも「惑星」以外は殆ど聞いたことが無いというのも事実でしょうね。

惑星は、当時まだ冥王星が発見されていなかった為に地球を除く7つの惑星を組曲にしたものです。どちらかと言えば、それぞれの惑星の科学的な或いは視覚的な姿を表現したものではなく、ローマ神話・ギリシア神話の神の名から名づけられた各惑星の神にまつわる内容を表現しています。

第1曲 火星(Mars)、戦争をもたらすもの  ローマ神話の「戦いの神 マルス」を象徴し、木のマレットでたたくティンパニと、弦楽器のコルレーニョ(弓の木の部分で叩いて音を出す奏法)及びハープでリズムが刻まれ、管楽器でメロディが演奏される激しい曲。
第2曲 金星(Venus)、平和をもたらすもの そのものズバリ、ヴィーナスです。ゆったりとしたテンポの曲ですが、途中でやたらにテンポが変わるややこしい曲です。
第3曲 水星(Mercury) 、翼のある使者 ローマ神話のメルクリウス(英語でマーキュリー) スケルツォに当たるテンポの速い曲
第4曲 木星(Jupiter)、快楽をもたらす者  説明不要の有名曲です。ローマ神話の最高神でギリシア神話ではゼウスに当たる神です。太陽系惑星で最大の星ですが、スケルツォのような主部よりも中間部のメロディの方が圧倒的に有名ですね。
第5曲 土星(Satun)、老いをもたらす者  組曲中ホルストが最も気に入っていた曲で、一番調性感が無い曲です。
第6曲 天王星(Uranus)、魔術師  ウラヌスは、特に意味が無く残った有名な古代神の名をつけただけのようです。テンポが速く6拍子や9拍子という拍子が繰り返されます
第7曲 海王星(Neptune) 神秘主義者 これも残った神の名を付与しただけです。女声合唱が最後に登場し神秘的に消え入るように終わります

冥王星は、ホルストの存命中に発見されホルストも作曲に取り掛かりましたが、未完のまま終わっています。これが完成していたら・・・数年前に惑星からはずされた「冥王星」が組曲からはずされて演奏されるようになってしまうんでしょうか?というよりも、「海王星」の終わった後に曲が続くというのも考え辛いですね。

レヴァイン指揮シカゴ交響楽団で、第1曲目の「火星」です。

2011年5月24日 (火)

今日の音楽 5月24日 交響曲第2番(エルガー)

エルガーという作曲家は、クラシック音楽の世界ではドイツから帰化したヘンデル以降100年以上も精彩がなかったイギリスの音楽界の新たな歴史を築いた大変に重要な作曲家でした。日本では「威風堂々」と婚約者のために作曲した「愛の挨拶」以外は殆ど知られていませんが、オペラ以外のあらゆる分野の作品を残した大作曲家なのです。

交響曲第2番はエルガーが完成した2つの交響曲のひとつでイギリス国王のエドワード7世に献呈するために書き始められましたが、作曲中に国王が崩御し追悼の曲として捧げられる事になりました。初演は1911年5月24日。演奏時間が1時間弱という長めの曲ですが、形式的には古来の4楽章の形式を踏襲している曲です。国王の回顧録という雰囲気の強い曲なので、どちらかと言えば重々しい曲で、特に第2楽章はレクイエムのような悲しみと美しさを感じさせる曲です。

まあ、この曲は決して取っ付き易い曲ではありませんが、ロンドンの喧噪を表現した序曲「コケイン」とか、曲自体に謎を秘めたエニグマ変奏曲など素晴らしい曲も多いので、是非威風堂々以外の曲も聴いてみてください。

エルガー自身の指揮、ロンドン交響楽団で第2楽章です。

2011年5月23日 (月)

今日の音楽 5月23日 歌劇「フィデリオ」序曲

以前、N響アワーの「今宵もカプリッチョ」のコーナーでオペラ作曲家の打率、という話がありました。そこで打率10割という作曲家がひとり、ベートーヴェンでした。
様々な分野で作品を残しているベートーヴェンが、ただ1曲しかオペラを作曲していないというのが七不思議のひとつなのですが(もっとも、ドイツの作曲家はワーグナーまで殆どオペラの成功例がありませんが・・・)、打率10割とは言っても、この曲非常に難産でした。

第1稿の初演は1805年11月20日アンデア・ウィーン劇場でしたが、観客の大半がフランス人で、ドイツ語のこの作品を殆ど理解できなかったという事もあって不評に終わりました。
第2稿は1806年3月29日に初演され、ある程度の成功を収めましたが劇場側との金銭トラブルで1回再演されただけでした。
第3稿はベートーヴェンが次第に有名になって来た為にベートーヴェン人気に便乗しようという要請で改訂され1814年5月23日に初演され、最終的に大成功を収めました。

この難産は、序曲にも及んでいます。
「フィデリオ」用の序曲は4曲あります。元々ベートーヴェンは、このオペラを歌劇「レオノーレ」として上演したかったため、初期の序曲は「レオノーレ」というタイトルになっています。
①フィデリオ初演のために作曲された序曲・・現在の序曲「レオノーレ」第2番と考えられています。
②第2稿の初演で演奏された序曲・・・現在「フィデリオ」序曲よりも演奏される機会が多い序曲「レオノーレ」第3番。但し、この曲があまりに出来が良すぎた為、本当の所は18分程という長さ(オペラの序曲としてはワーグナーのタンホイザーと並ぶぐらい長い)の為か次の稿で変更されています。
③第2稿のプラハ公演に向けて作曲された序曲・・・現在は序曲「レオノーレ」第1番とされている曲
④この、歌劇「フィデリオ」序曲・・・最も軽快でオペラの序曲として相応しいと考えられています
実は、3.5とも言える曲があります。実は第3稿の初演で「フィデリオ」序曲の完成が間に合わず、「アテネの廃墟」という劇音楽の序曲を借用して演奏されました。

トランペットのファンファーレが鳴り響く、レオノーレ3番は最もベートーヴェンらしい曲かもしれませんが、この軽快な「フィデリオ」序曲も棄てがたい曲です。

レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団です。

2011年5月22日 (日)

今日の音楽 5月22日 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

1813年5月22日は、リヒャルト・ワーグナーの誕生日です。
ワーグナーといえば、良きにつけ悪きにつけ、後期ロマン派のトップに立つ作曲家のひとりと言えるでしょう。特に、歌劇(ワーグナーに言わせれば舞台総合芸術ですか)の分野では、ある意味ひとつの頂点を築き上げた音楽家(あえて作曲家とは言わない)です。

その楽劇も、リヒャルト・シュトラウスによって継承されたもののその後のクラシック音楽の世界では継承者も無く、むしろミュージカルや映画など大衆芸術にその考え方は引き継がれて行きました。

ワーグナーのオペラの題材は、民族伝承などを題材にしたものが殆どです。「リエンツィ」は14世紀ローマの実話を元にした話、「さまよえるオランダ人」は大航海時代以降の「カリブの海賊」のようは話、「タンホイザー」はドイツの13世紀の騎士の話、「ローエングリン」はちょっと古く10世紀頃、「ニーベルンクの指環」は12世紀に成立したニーベルンゲンの歌を題材とした作品、「トリスタンとイゾルデ」は10世紀末に成立したケルト人の伝説、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は16世紀の封建社会の話、「パルジファル」は10世紀の話・・・という具合です。

これらのオペラを上演する事は歌手の人数の多さ、大掛かりな舞台装置などアマチュアが手を出せる世界ではありませんが、序曲や一部の抜粋では何とか演目に並べる事が可能です。そうは言っても、特殊楽器や編成の多さ、演奏の難しさもあって、まともな演奏を聴かせるのはとっても難しいのが現状です。
そんな中で、アマチュアが最も取り上げ易いのが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲ですね。私も数回演奏しました。本来はハープが必要ですが無くても何とかなるし、ワーグナーチューバも不要。何とか普通の2管編成でも曲になるという事と、主な部分の拍もはっきりしていてアンサンブルもワーグナーの中では「ローエングリン」の第1幕・第3幕の前奏曲と並んで比較的楽である、時間的にも10分程度なので前プロにはぴったりです。

実は、コントラバスにとっても美味しい曲で、中間部ではチューバとコントラバスだけが対旋律として冒頭の動機を演奏したり、それ程高い音も無く、初心者の練習にもぴったりという曲です。

ショルティ指揮ウィーンフィルです。

2011年5月21日 (土)

今日の音楽 5月21日 歌劇「軽騎兵」序曲

1859年5月21日は、スッペの命日です。
スッペについては、誕生日の4月18日に書いてありますので割愛しますが、今日は、スッペの作品で最も有名な喜歌劇「軽騎兵」序曲を聴いてみましょう。

と言っても、この喜歌劇自体現在ではどんな曲だったかわかっていないようです。そんな本体が殆ど知られていないにも関わらず、誰でも一度は聴いた事があるというのが、この「軽騎兵」の序曲です。冒頭の輝かしいファンファーレから始まり、いかにも「軽騎兵」という感じの軽い行進曲、そして戦没者の葬送の音楽、再び軽い行進曲、そしてフィナーレという具合に曲が進んでいきます。

カラヤン指揮ベルリンフィルです。

2011年5月20日 (金)

今日の音楽 5月20日 フルートとハープのための協奏曲

2000年5月20日は、20世紀を代表する、というか、音楽の歴史上最も優れたフルート奏者と言われたジャン・ピエール・ランパルの命日です。

フランスのマルセイユに生まれ、音楽の先生だった父親の手ほどきでフルートを始めました。パリ音楽院を卒業後39歳までいくつかのオーケストラの奏者として活躍。その後はソロフルート奏者として世界中で演奏活動をしています。プーランクなどの20世紀の作曲家から多くの作品の献呈を受け、また埋もれていたバロック音楽を発掘し演奏してきました。クラシック音楽以外でも日本の民謡や唱歌を編曲して録音したりフルートの独奏楽器としての地位を確立した音楽家でした。

フルートは、元々オーケストラでも旋律を担当する事が多いため、フルートの活躍する曲は数多くあります。しかしながら、フルートをメインとした協奏曲は意外に少ないという印象があります。バロック時代は、ヴィヴァルディの海の嵐とか、バッハの管弦楽組曲のようにフルートが独奏を担当する曲が多いのですが、その多くはブロックフルーテ(縦笛)の為に書かれた曲で、フルートの魅力を十分に引き出したとは言い難い曲が多いようです。
モーツァルトは、横笛のフルートのための協奏曲を2曲作曲していますが、クラリネット協奏曲オーボエ協奏曲ホルン協奏曲に比べると陰が薄いという印象があります。寧ろ、フルートとハープを独奏楽器としたドッベルの方が有名です。この曲は、フルートとハープという透明度の高い楽器を独奏とする事で非常に清清しい曲に仕上げた名曲です。

オーボエとホルンが各2本と弦楽合奏だけの小さな編成ですが、第1楽章と第3楽章はフルート、ハープ共に、これらの楽器に対して我々が持っているイメージとは異なる意外な力強さを聴かせてくれますし、第2楽章は至上の美しさを表現してくれます。

2011年5月19日 (木)

今日の音楽 5月19日 交響曲第3番「オルガンつき」

我々が親しんでいる交響曲は正式名称は、交響曲第●番●長調op.●なんていう無機質な名称です。標題がついている曲もありますが多くは作曲家自身ではなくて、出版社が商業目的で付けたりする場合が多いですね。

そんなわけで、プロの方々は知りませんが、アマチュアオーケストラの我々は、短くしたり標題でよんだりする事が多いです。例えば、ベートーヴェンの第7番は「ベトシチ」、チャイコフスキーの第5番は「ちゃいご」、ドヴォルザークの第8番は「どぼはち」・・・このあたりは解り易いですね。「タコゴ」という曲もあります。ショスタコーヴィチの第5番です。

最も妙な呼ばれ方をしている曲がサン=サーンスの交響曲第3番です。これは「がんつき」と呼ばれています。サン=サーンス3番を「さんさん」と略したらわかりにくいので、「オルガン付き」という標題を略して「がんつき」というわけです。

1886年5月19日に初演されたサン=サーンスの交響曲第3番は、オルガンが加わっている珍しい曲です。一昔前、パイプオルガンが設置されたホールが殆ど無かった日本では滅多に演奏されない曲でしたが、今ではちょっとしたホールにもパイプオルガンがあるので、アマチュアでも演奏するようになりました。
この曲はパイプオルガンの他に、ピアノ(連弾)まで登場するので結構金食い虫なのですが、非常に壮麗な曲なので演奏機会が多いんでしょうね。

全体としては2部形式で、第1部第2部それぞれに前後半がありますが、それぞれが交響曲の4つの楽章にあたっています。更に、循環形式をとっており第1部前半の短調の第1主題が全ての楽章で形を変えて登場してきます。オルガンは第1部第2部それぞれ後半に使われています。ピアノは第2部で登場します。

ともかく大変にスケールの大きな曲です。ミュンシュ指揮ボストン交響楽団で第2部後半です。

2011年5月18日 (水)

今日の音楽 5月18日 交響曲第3番(マーラー)

昨年が生誕150年、今年は没後100年だったマーラーの命日は5月18日です。
マーラーの曲は長大な曲が多いので、周年記念全曲演奏も1年ではかなり厳しいので、2年連続というのは都合が良かったのかもしれませんね。

マーラーの9つの交響曲の中で、好きな曲というのはなかなか上げにくいものです。曲が長いので、さすがに全曲聴くと疲れてくるのでね。楽章単位で考えると、第2番の第5楽章とか第9番の終楽章とか好きですが、一番は第3交響曲の終楽章第6楽章かもしれません。20分から28分もかかる長い楽章ですが、美しく荘厳な曲です。この曲自体が自然を表現した曲で第4楽章にはアルト独唱、第5楽章はアルト独唱と少年合唱、女声合唱が入っています。また、第2番から第4番までは「子供の不思議な角笛」からの転用があり角笛3部作とも呼ばれています。特に元々第3交響曲の第7楽章として書かれたものを第4交響曲の第4楽章に転用したため、この2曲には同じ旋律素材が存在しており非常に密接な関連があります。

全曲通すと約100分という長さで、普通に演奏される交響曲としては最長としてギネスに掲載された事もあるようです。

ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団で、終楽章の後半です。

2011年5月17日 (火)

今日の音楽 5月17日 スポーツと気晴らし

犬のためのぶよぶよした前奏曲干からびた胎児、でぶっちょの木製人形へのスケッチとからかい、世紀的な時間と瞬間的な時間・・・

このタイトルがクラシック音楽だと想像できる人は、かなりなクラシック音楽通ですね。

1866年5月17日は、これらのピアノ曲を作曲したフランスの作曲家エリック・サティの誕生日です。こんな曲を作曲したのだから異端児だったんだろうと思われるでしょうが・・・確かに、その時代では異端児だったと思われます。しかしながら彼の音楽は後の数々の作曲家に大きな影響を与えています。特に、印象派のドビュッシーラヴェルは、教会旋法の導入や並行和音を継承して自分の世界を作り上げました。また、彼の元々の譜面には調性記号や小節線が存在していません(一部後期作品では存在していましたが)。ただ、彼の音楽はそういう自由なキャンバスに描いてはいますが、無調性や変拍子の多様という事では無くて曲を聞く限りは調性はありますし、拍子もきちんと意識できます。この思想が発展して行ったのがメシアンストラヴィンスキーであるとも言われています。また、「家具の音楽」という曲は、誰もがそこにある事を意識しないで聴く事ができる音楽という意味で、いわゆるイージーリスニングBGMのルーツとも言われています。

それ程、後の作曲家に影響を与えたサティも、つい最近までは評価が低い作曲家でした。最近は「ジムノペディ第1番」がCMやBGMとして使われメジャーな存在になりつつあります。

サティが、シャルル・マルタンの風俗画に1曲ずつ曲をつけるという企画の依頼を受けて作曲したのが「スポーツと気晴らし」という21曲のピアノ小品集です。「ヨット遊び」「海水浴」「競馬」「テニス」などからなる小品集ですが、第16曲目の「タンゴ」はとりわけ有名です。というのも、この曲、曲頭にセーニョマークがついていて曲の最後に「ダル・セーニョ」が記され、fine記号が無い・・・要する頭から終わりまでを永遠に繰り返すというのがこの曲の正しい演奏法なんです。まあ、実際には、シュトラウスの「無窮動」同様数回繰り返して終わりますけど・・・

第11曲「ゴルフ」から第21曲「テニス」までです。

2011年5月16日 (月)

今日の音楽 5月16日 陽気なキャンディマン

1990年5月16日は、アメリカのエンタティナー、サミー・デイヴィスJrが喉頭癌で亡くなった日です。享年64歳でした。

黒人で親がユダヤ教徒だったことから、ひどい人種差別を受けていたようですが、フランク・シナトラに気に入られてシナトラファミリーとして公演などを共にしていました。映画にも数多く出演していましたが日本で知られるようになったのは、サントリー・ホワイトのCM。黒人の彼が、何故ホワイトのCMに出演する事を承諾したのかはわかりませんが、「コンコンチコン・・・」というスキャットの後「う~ん、サントリー」と言うCMは印象に残っています。流石に、このCMでは商品名の「ホワイト」は口にしませんでしたが。

オリジナルの楽曲で大ヒットをしたという事はありませんでしたが、「陽気なキャンディマン」という曲は印象に残っています。元々は1971年公開の「夢のチョコレート工場」という映画の挿入歌でした。これをカバーしたサミーの歌は、その印象的な容貌と相まって大ヒットしました。とても明るく歌詞自体もとても健全な曲です。

ところで、この「夢のチョコレート工場」のリメイク版が、ジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」なんです。

2011年5月15日 (日)

今日の音楽 5月15日 遊戯(ドビュッシー)

ドビュッシーが最後に作曲した管弦楽曲であるバレエ音楽「遊戯」は1913年5月15日にシャンゼリゼ劇場で初演されています。初演時はあまり成功では無かった上に、その2週間後初演されたストラヴィンスキーの「春の祭典」騒動の陰に隠れてしまったようです。

「遊戯」と言っても子供の遊びでは無くて原題の「Jeux」=「play」=「スポーツをする と 戯れる」という意味の掛詞です。無くなったテニスボールを探す1人の男と2人の女の恋の鞘当てを表現した曲です。晩年の作品だけに、無調性に近づいた曲ではありますがドビュッシーらしさは失われてはいません。蒼白いほの暗い光の世界が展開される幻想的な音楽です。

前半部分です。

2011年5月14日 (土)

今日の音楽 5月14日 夜のストレンジャー

1998年5月14日はフランク・シナトラの命日です。
20世紀半ばを代表するアーティストで歌・映画の世界ではトップアーティスト、稀代のプレイボーイ(結婚歴4回)、マフィアとの黒い関係など色々な話題を提供して来ました。

ビング・クロスビーに憧れて歌手を目指し、バーのラウンジで歌っていたところをスカウトされ24歳でプロデビュー、オール・アット・ナッシング・オア・オールがいきなりミリオン・セラーとなりました。その後は、フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン、マイ・ウェイ、ニューヨーク・ニューヨークなどをヒットさせ、1941年からは映画にも出演し「私を野球に連れてって」「踊る大紐育」などのヒットを飛ばしましたがその後スランプに。更に喉の疾患などで低迷していたましたが1953年に「地上より永遠に」でアカデミー助演男優賞を獲得しカムバックを果たしました。その後は心臓発作で亡くなるまで、若いアーティストたちとの共演など精力的に音楽活動を続け20世紀を代表するスターの地位を確固たるものにしたわけです。

シナトラの数あるヒット曲の中でも代表作のひとつとされている「夜のストレンジャー(Strangers in the night)。ある夜に出会った寂しい男女がやがて恋人同士になっていくという内容の曲で、リズム自体は同じリズムの繰り返しなのですが、シナトラが歌うととても魅力的な曲になっちゃいます。

2011年5月13日 (金)

今日の音楽 5月13日 心の愛

1950年5月13日は、スティービー・ワンダーの誕生日。生まれてすぐに未熟児網膜症で目が見えなくなりハンデを背負った分、音楽の神様から与えられた才能は作曲、歌、プロデュースや、ピアノ、シンセサイザーなどの鍵盤楽器、ギター、パーカッションなどの演奏など幅広いマルチ・ミュージシャンとなって活かされました。わずか11歳でモータウンと契約、12歳でデビューしたアルバムが全米ナンバーワンになって、彼の音楽活動はスタートしました。

1974年には「迷信」「サンシャイン」と立て続けにヒットを飛ばし、その後も途切れることなく活躍、今ではアメリカミュージック界の重鎮といえる存在でしょう。1984年に映画「ウーマン・イン・レッド」の主題歌にもなった「心の愛」(I Just Called To Say I Love You)はアカデミー主題歌賞、全米ナンバーワンの他に、彼にとって初めての全英ナンバーワンにも輝いた曲です。

元々は1979年に日本のブレッド&バターに提供する為に作られたのですが、発売直前にスティービーから返却を求められ、5年後にカバーという形で発売されたという曰くの曲で、日本ではCMにも使われたコーラス付きのバージョンが存在しています。
いずれにしても、スティービーの人間に対する暖かさが前面に出た名曲です。

2011年5月12日 (木)

今日の音楽 5月12日 タイスの瞑想曲

1842年5月12日はマスネの誕生日です。
マスネはフランスの中東部ロアール県生まれで6歳の時にパリに移り住んで11歳でパリ国立高等音楽学校に入学、20歳の時にローマ大賞を獲得してローマで3年間過ごしました。
以前にも数回書いているように、この頃フランスでは交響曲や協奏曲などの純音楽は全く評価されず、バレエ音楽やオペラ、演劇の付帯音楽などを書かないと認められない時代でした。ベルリオーズ以降、フランスでは交響曲や協奏曲の発展が殆ど止まってしまったのはそういう背景があったわけです。
マスネは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて非常に人気の高い作曲家だったようですが、勿論数多くのオペラを完成させたからでしょう。そのツケとして、現在ではちょっと忘れ去られ気味の作曲家になってしまいました。それでも、「ウェルテル」「マノン」は今でも上演され続けていますので、それ程優れた作品を残したという事でしょうか。
マスネの音楽は甘美なメロディを中心に非常に優美な曲が多いのですが、当時の専門家からは甘すぎ、とかエロっぽいなどと揶揄されていました。が、その甘美さが今でも彼の音楽が生き残っている理由になっているのでしょう。

それでも、マスネはいくつかの管弦楽曲を残しています。特に「アルザスの風景」「絵のような風景」などの7つの組曲は標題音楽としてはとても良くできていると思います。
そんな中で、マスネと言えばこの曲!というのが、歌劇「タイス」の中の間奏曲。俗に言うタイスの瞑想曲です。「タイス」は古代エジプトの高級娼婦。敬虔な修道士アタナエルがタイスに出会い、タイスを更正させようと努力する内に、アタナエル自身はタイス無しでは生きられないというように堕落していき、タイスは信仰への道へ目覚めていくがやがて死を迎え、堕落したアタナエルひとりが残されてしまう、というお話し。この歌劇の第2幕第1場と第2場の間奏曲です。アタナエルの献身でタイスが改悛していくシーンの音楽だそうです。

ヴァイオリンのソロを中心にオーケストラでマスネらしい甘美なメロディを歌う曲です。
パールマンのヴァイオリンです。

2011年5月11日 (水)

今日の音楽 5月11日 バーバ・ヤーガ

1855年5月11日は、ロシアの作曲家リャードフの誕生日です。
前にも書いたのですが、リャードフは非常に豊かな才能に恵まれ五人組の後継者として期待された星だったのですが、作品数は多くは無く、大作も無い・・・という状態で60歳を目の前に亡くなっています。

作品数の少なさは、自信の無さ、怠け癖という原因があったようです。それを物語るエピソードとしては、ロシア・バレエ団ディアギレフに依頼されたバレエ曲を例によってグズグズと書かずに、最後には新進のストラヴィンスキーに仕事を振ってしまったという話しが残されています。
リャードフの音楽は、その殆どが標題音楽で、ロシアの民話や伝承に基づいた曲が多く、絶対音楽はあまりありません。特に既存の曲の変奏曲も多くオリジナリティに欠けると言われる事はありますが、一度その手にかかればオリジナルを凌駕する作品に仕上げる事だできたので、勿体無い作曲家だったと言えるでしょう。

リャードフの代表作といえば「キキモラ」と「バーバ・ヤーガ」の2つの交響詩でしょう。「バーバ・ヤーガ」はロシア民話に寄せる音画というタイトルがつけられています。「バーバ・ヤーガ」はムソルグスキーの「展覧会の絵」でも取り上げられたロシア民話に登場する代表的な妖婆で、人間の子供を襲い食べてしまうというような鬼婆です。(要するに、子供に、これをやってはいけない!という事を教える話に登場するわけですね)このバーバ・ヤーガの口笛の描写で始まり臼に乗り箒を使って移動し・・という姿を多彩な管弦楽法で表現している傑作だと思います。

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルです。

2011年5月10日 (火)

今日の音楽 5月10日 真昼の決闘

1895年5月10日は、作曲家ドミトリー・ティオムキンの誕生日です。ドミトリーという名でわかるように、ティオムキンはロシア帝国領だったウクライナで生まれ、サンクト・ペテルブルク音楽院グラズノフに作曲を学んでいます。また、ホロヴィッツのピアノの先生でもあったブルーメンタールにピアノを学び、プロのピアニストとしてもデビューしました。

ロシア革命が勃発し、経済的にも苦しくなったため、ロシアを脱出しベルリンに移住、その間にベルリン・フィルの演奏会でリストのピアノ協奏曲を演奏しメジャー・デビューを飾っています。パリを経て1925年にアメリカに移住。ジャズに魅了されガーシュウィンと出会いピアニストとしての絶頂期を迎えます。そんなティオムキンに転機が訪れたのが、ウォール街の株暴落に始まる世界大恐慌。ここで、彼の妻でバレリーナであったアルベルティーナが当時始まったばかりのトーキー映画に目をつけハリウッドに売り込み。。。抜け目の無いアルベルティーナは、自分のバレエ団が映画に出る場合はティオムキンの音楽を採用するように条件をつけ、ティオムキンの音楽がハリウッド映画で採用されるようになったわけです。

フランク・キャプラ監督と親しくなったティオムキンは、彼の作品に次々と音楽を提供し映画音楽作曲家として不動の地位を占めるようになったわけです。彼の数多い作品の中でも群を抜いて有名なのが「リオ・ブラボー」「OK牧場の決闘」などの西部劇。ロシア出身の作曲家が西部劇で名を成したというのも妙な気がしますが、中でもアカデミー主題歌賞を受賞した「真昼の決闘」は映画自体もアメリカ映画ベスト100の33位にランクされている傑作です。

2011年5月 9日 (月)

今日の音楽 5月9日 高雅で感傷的なワルツ

ラヴェルという作曲家は、過去の作曲家や周囲の音楽から様々な影響を受けて自己に吸収して創作活動をやってきた作曲家です。本人も、クープランモーツァルトシャブリエサティグリーグといった作曲家から影響を受けたと言っています。印象派と言われながら、ドビュッシーなどとは一線を画し、モーツァルトなどの古典的手法を使い、色彩感はシャブリエ、抒情性はグリーグ等々・・・また、ピアノ協奏曲に代表されるジャズからの影響、ボレロなどの民族舞曲と作曲家として様々な表情を見せています。

1911年5月9日に初演された、ピアノ曲集「高雅で感傷的なワルツ」はシューベルトのワルツをモチーフとして作曲したと述べています。7つのワルツと、その7つの総集編ともいうべきコーダをもつ表情豊かなワルツ集で、翌年バレエ音楽として管弦楽に編曲されています。

初演は作曲家の名が伏せられて演奏され、作曲家を当てるというクイズつきでしたが、殆どの聴衆はラヴェルと当てたそうです。サティ、コダーイの作品と勘違いをした人もいたようですが・・・

リヒテルのピアノで後半です。

2011年5月 8日 (日)

今日の音楽 5月8日 パシフィック231

鉄道好きの作曲家というのは結構多いものです。鉄道オタクともいえるドヴォルザークヒンデミットなどが挙げられますが、鉄道そのものを作品にしてしまったのが、フランスのオネゲルです。
交響的断章「パシフィック231」がそれです。パシフィック231は車軸の数が2-3-1になっている蒸気機関車の名称で、蒸気機関車が動き出すところから止まるところまでが表現されている・・・ように聴こえるのですが、オネゲル自身は標題音楽では無いと言っているようです。
でも、どう聴いていも冒頭は機関車の動き出しに聴こえますよね。

この曲は、指揮者のエルネスト・アンセルメに献呈されていますが、初演は1924年5月8日にクーセヴィツキー指揮パリ・オペラ座管弦楽団によって演奏されました。
この曲の優れたところは、上に書いたような機関車が動き出したり、止まるところをaccel(アッチェレランド)=テンポを速める や rit.(リタルダンド)=遅くする などの速度変化記号を用いずに表現しているところです。つまり、一定のテンポで速度変化を表現しているわけです。

2011年5月 7日 (土)

今日の音楽 5月7日 弦楽セレナーデ(チャイコフスキー)

5月7日は、2人の偉大なる作曲家の誕生日です。ひとりは1833年生まれのブラームス。もうひとりは1840年生まれのチャイコフスキーです。コントラバス奏者の息子として生まれたブラームスと異なり、チャイコフスキーの父親は鉱山技師で、音楽の才能を現したチャイコフスキーを音楽家にするつもりもなく法律学校に入れ、チャイコフスキーも法務省に勤務しましたが、音楽への夢を棄てがたく、21歳の時にアントン・ルビンシュタインが創設した音楽学校に入学というように音楽教育を受け始めたのは遅い時期でした。それでもめきめきと頭角を現し、2年後には法務省を辞めて、音楽活動に専念するようになったわけです。

チャイコフスキーは特に日本では人気が高く、三大バレエ、後期三大交響曲、ピアノ協奏曲第1番ヴァイオリン協奏曲ロミオとジュリエットスラヴ行進曲1812年弦楽四重奏曲第1番・・・・どれか、ひとつと言うのは難しいですが、今まで紹介していない曲から弦楽セレナーデを選びました。弦楽合奏曲はバロック時代から現代まで数多く存在しています。管楽器や打楽器を廃して擦弦楽器だけで演奏される曲ですので、表現力という点ではフル・オーケストラの曲に比べれば一歩ひけを取りますが、同様の音質楽器による調和という点では、ピアノやオルガンなど単一楽器による音楽の表現力や和声を拡大した音楽ととらえる事ができると思われます。
ピアノは10本の指、オルガンは更に足による低音を加えた音楽を奏でる事ができるので、通常の五部による弦楽合奏よりも数多い音を一度に演奏できます。但し、例えば持続音の上で三連符と二連符がメロディとオブリガートを奏でるなどというのは、1人で演奏する楽器では表現できません。そういう意味では、弦楽合奏というのは単一に近い音色で拡大した表現をできるという管楽合奏などとも異なる、独特の音楽だと思われます。

ロマン派以降の弦楽合奏の代表的な作品では、ドヴォルザークエルガーの弦楽セレナーデレスピーギリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲、バーバーのアダージョなどがありますが、知名度ではチャイコフスキーの弦楽のためのセレナーデが断トツでしょう。それぞれの楽章にタイトルがついている4つの楽章で出来ている曲で、CMにも使われた序奏は、序奏と言うよりも、全曲を通じた大きなテーマのように扱われ、第1楽章はこの序奏にサンドイッチされた形でコーダにも使われ、最終楽章でも登場します。その第1楽章はソナチネ形式の小品という題がつけられています。第2楽章は交響曲第5番の3楽章でもチャイコフスキーが採用したワルツ。第3楽章は悲歌と呼ぶには中間部が結構美しいエレジー、終楽章はロシアの主題によるフィナーレというタイトルです。
演奏は、とてつもなく難しくて、特に終楽章はアマチュアでは、余程きちんと弾ける奏者が集まっていないと破綻してしまうかもしれません。

第1楽章です。

2011年5月 6日 (金)

今日の音楽 5月6日 ピアノ協奏曲第5番(サン=サーンス)

サン=サーンスがピアニストとして登場したのは11歳の時で、その50年後1896年5月6日に50周年を記念して初演されたのがサン=サーンス最後のピアノ協奏曲である、ピアノ協奏曲第5番です。

サン=サーンスはアフリカが好きで、たびたび旅行しています。亡くなったのもアルジェリアで、アフリカとの結びつきは強いものがあったようです。この第5番も作曲されたのがエジプト滞在中であると同時に、第2楽章がエジプト風の雰囲気を持っていることから「エジプト風」という標題で呼ばれる事もあります。曲全体がエジプトの雰囲気を持っているというわけでは無く、全体的には非常に華麗なピアノテクニックを見せる曲です。

サン=サーンスの曲は、どうも日本では過小評価されているようで(本国フランスでも印象派の影に隠れて非主流派の音楽とされていたようですが)当時の音楽の歴史的な流れから取り残されている印象がありますが、作品ひとつひとつ聴いてみると素晴らしい作品がたくさんあるように思います。このピアノ協奏曲も、ややテクニックに走る傾向はあるものの、フランスではそれまでの声楽重視の音楽界から器楽による音楽への転換期になるロマンチックな作品の代表作のひとつと言えるでしょう。

第3楽章です。

2011年5月 5日 (木)

今日の音楽 5月5日 二人の擲弾兵

1821年5月5日は、ナポレオン・ボナパルトの命日です。
ナポレオンが音楽を愛したという話も聞いていませんし、趣味の逸話も殆ど残っていないのですが、これだけの人物ですからナポレオンに関係する音楽はいくつか残されています。

最も有名なのはベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」でしょう。なにしろ、ナポレオンに捧げるつもりで書かれたのですから。もうひとつは、チャイコフスキーの大序曲「1812年」。これは、ナポレオンを撃退したロシア軍を讃えた曲です。マイナーなところでは、ギルマーという女流作曲家が作曲したピアノ曲「ワーテルローの戦い」などがあります。

シューマンが作曲した歌曲「リートとロマンス第2集」の中の1曲目「二人の擲弾兵」は、ハイネの詩に曲をつけた曲でナポレオン戦争でロシアに捕虜となっていた二人のフランス兵が旅の途中で、ナポレオンが捕われたという報せを聞いての会話で、後半は「ラ・マルセイエーズ」のメロディになっている曲です。2人の会話という設定で、ナポレオンに対する忠誠心を歌った作品です。まあ、作品としてはそれ程のものでもありあませんが、シューマンが作って、シューマンらしくない内容で、ラ・マルセイエーズをそのまま使っているという話題性から聞いてみてはいかがでしょうか。

ホッターバリトンです。

2011年5月 4日 (水)

今日の音楽 5月4日 交響曲第104番「ロンドン」

ハイドンの最後の交響曲第104番「ロンドン」は1795年5月4日の慈善コンサートで初演されたと言われています。(4月13日という説もあり)

さすがに最後の交響曲、非常に壮大な曲で104番以前の100番「軍隊」、101番「時計」のようなハイドンぽさよりは、ベートーヴェンの世界に続く作品と言って過言では無いと思います。「ロンドン」という標題は、特別な意味は無く、ロンドンで作曲された曲という事から19世紀につけられました。形式も壮大な序奏を持つソナタ形式の第1楽章、三部形式の第2楽章、メヌエットの第3楽章、快活なソナタ形式の第4楽章というオーソドックスな形式を持っていて、重厚さなどを考えても、モーツァルトとは違うベートーヴェンに繋がるシンフォニーという事が言えると思われます。

ハイドンの曲は、結構音の跳躍が激しくて、モーツァルトとは違った意味で演奏が難しいです。アマチュアがあまりハイドンを取り上げないのは、そういう難しさがある事も一因ではないでしょうか。

ヤンソンス指揮ベルリン放送交響楽団で、第1楽章です。

2011年5月 3日 (火)

今日の音楽 5月3日 ジゼル

1856年5月3日はフランスの作曲家アドルフ・アダンの命日です。

19世紀フランスでは、交響曲や協奏曲といった純音楽よりも、バレエ、オペラといった舞台音楽が主流だったため、アダンも数曲のバレエと39曲のオペラを残しています。その中で、アダンの代表作であり、様々な作曲家のバレエ音楽の中でも代表的な作品のひとつとされているのが「ジゼル」です。

ハイネによって紹介された、結婚を目前に死亡した娘が妖精ウィリーとなって、夜森に迷い込んできた人を死ぬまで踊らせる、という話。ジゼルは男に裏切られて錯乱し死んでいく村娘の名前です。

また、アダンの「オー、ホーリー・ナイト」はクリスマス・キャロルとしてよく知られている曲です。

2011年5月 2日 (月)

今日の音楽 5月2日 ピーターと狼

移動音楽教室とか、子供のための音楽鑑賞会などで、もっとも頻繁に演奏される曲、プロコフィエフのピーターと狼が初演されたのは1936年5月2日でした。

作曲の経緯ははっきりしていませんが、ロシアの民話を元にプロコフィエフ自身が台本を書いた「子供のための交響的物語」は、音楽自体がストーリーをうまく表現しておりとてもわかり易いながら、きちんとした作品に仕上がっています。子供向けなのに作品としてもしっかりしている、という事が、様々な所で演奏される理由でしょうね。

ストーリーは、ご存知のとおり、ピーターがお爺さんの言いつけを破って外に遊びに行って、猟師と共に狼を捕らえるというお話し。それぞれの登場人物(動物)を楽器とメロディでわかりやすく表現しています。

主人公のピーターはオーケストラの合奏、おじいさんはファゴット、あひるはオーボエ、小鳥がフルート、猫がクラリネット、狼はホルン、猟師の鉄砲はティンパニ大太鼓で表現しています。

狼を捕まえたピーターたちが家まで行進して戻る最後のシーンです。

2011年5月 1日 (日)

今日の音楽 5月1日 フィガロの結婚

映画「アマデウス」で、皇帝ヨーゼフ2世があまりの長さに退屈して欠伸をした、というエピソードで描かれている歌劇「フィガロの結婚」は1786年5月1日にウィーンのブルク劇場で初演されました。

ボーマルシェの人気戯曲「フィガロの結婚」は、前作「セヴィリアの理髪師」でフィガロが仲を取り持ったアルマヴィーヴァ伯爵とその夫人ロジーナの倦怠期と、フィガロと結婚する伯爵夫人の小間使いスザンナに対するアルマヴィーヴァ伯爵の初夜権騒動を中心に、女性とあれば誰にでも手を出そうとする小姓のケルビーノ、フィガロに言い寄る女中頭のマルチェリーナ(実は若い頃に盗賊にさらわれたフィガロの実の母だった)、前作「セヴィリアの理髪師」でフィガロの機転によってロジーナを奪われた医者のバルトロ(実はフィガロの父親)などが絡みながら、フィガロとスザンナ、バルトロとマルチェリーナのW結婚と、伯爵夫妻の仲直りというめでたしめでたしで終わります。モーツァルトは、これをオペラブッファに仕立て上げました。
内容が、貴族の風刺という事から上演が危ぶまれていましたが、モーツァルトが皇帝を懐柔して初演にこぎつけたとも言われています。が、3時間弱にもなる長い作品だった事もありウィーンでは不評でした。

ところが、当時オーストリアの領土だったプラハでは大ヒット。モーツァルトをプラハに招いた演奏会では交響曲第38番が初演され、「プラハ」とう副題がつけられるようになりました。その上新作オペラの注文までもらい、「ドン・ジョヴァンニ」を作曲しています。そんな理由でか、ドン・ジョヴァンニの中で、「フィガロの結婚」で最も有名なアリアのひとつ「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の旋律が登場しています。

作品自体は長いですが、序曲からはじまり、ケルビーノの「自分で自分がわからない」、フィガロがケルニーニの出征を励まして歌う「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」、ケルビーノの「恋とはどんなものかしら」、ロジーナの「楽しい思い出はどこへ」など、数々の有名なアリアが使われています。

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