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2011年4月30日 (土)

今日の音楽 4月30日 ドリー

フォーレが、妻のマリーを通じて親しくなった銀行家の娘エンマ・バルダック(後のドビュッシー夫人)の娘エレーヌの誕生日を祝って書いた曲を中心に集めたピアノ曲集「ドリー」は1898年4月30日にアルフレッド・コルトーとエドゥアルト・リスラーの連弾で初演されています。「ドリー」はエレーヌの愛称で、フォーレはこの曲をエレーヌに献呈しています。

第2曲の「ミ・ア・ウ」が2歳の誕生日、第3曲の「ドリーの庭」が3歳、第4曲の「キティ・ヴァルス」が4歳の誕生日に作曲された曲。それにエレーヌが誕生した年に作曲され初演の前に既に出版されていた第1曲「子守歌」、第5曲「優しさ」、第6曲「スペインの踊り」が加えられ1897年に完成されました。
特に1曲目の「子守歌」は、様々な編曲で単独で演奏されています。

なお、ドビュッシーが自分とエンマの間にできた娘の為に「子供の領分」を書いていますが、勿論その娘とは別人。エンマがドビュッシーと再婚する前の娘です。

第1曲目の子守歌です。

2011年4月29日 (金)

今日の音楽 4月29日 オラトリオ「天地創造」

交響曲の父と言われるハイドンも、他の分野の曲はイマイチ知名度が低いですね。コンチェルトも独奏曲も数多く書いているのですが、交響曲の数々に比べると輝きが薄いかもしれません。
そんなハイドンの作品の中で、2つのオラトリオは比較的演奏される回数も多い作品です。オラトリオとは日本語で書くと聖譚曲。聖書の文を引用しそれに創造を加えたものですが、近年ではキリスト教とは関係無いものでも、物語性があるが演技が無い合唱曲をオラトリオとして作曲している場合もあります。

ハイドンが、旧約聖書の創世記とミルトンの失楽園を題材に作曲したのが、「天地創造」です。3つの部分で出来ていて、第1部が天地創造の第1日から第4日まで、第2部が第5日と第6日、第3部はアダムとイヴの物語という構成になっていて演奏時間は100分にも及びます。

1798年4月29日に非公開でシュヴァルツェンべルグ侯爵邸で初演されました。

第1部の最後に歌われる合唱曲「天は神の栄光を語り」です。

2011年4月28日 (木)

今日の音楽 4月28日 アクエリアス(輝く星座)

1968年4月28日、ブロードウェイで画期的なミュージカルが幕を開けました。初のロック・オペラと言われる「ヘアー」です。前年からオフ・ブロードウェイで上演されていましたが、この日晴れの舞台となったわけです。
ベトナム戦争中であり、反戦、人種差別、麻薬などを生々しく扱った作品で、当時のヒッピースタイルの象徴だったロングヘアーからついたタイトルでした。
この劇の最初と最後の曲をカバーしたフィフス・ディメンションの「アクエリアス~レット・ザ・サンシャイン・イン」はグラミー賞を獲得し、今でもスタンダード・ナンバーのひとつになっています。

2011年4月27日 (水)

今日の音楽 4月27日 ミューズを率いるアポロ

4月27日は、ストラヴィンスキーの2つのバレエが初演された日です。
1曲は1928年アメリカのワシントンD.C.のアメリカ議会図書館でのイベントで初演された「ミューズを率いるアポロ」、もう1曲は1937年メトロポリタン劇場で初演された「カルタ遊び」です。

ミューズを率いるアポロは、ストラヴィンスキーの新古典主義の時代の作品で、初期のバーバリズムの時代の三大バレエと異なり、パ・ダクシオンとかパ・ドゥ・ドゥ、ヴァリアシオンなどの古典的なバレエの形式を踏まえた作品です。音楽的には、半音階をあまり使わない古典的な音階を多用しており、ちょっと聴くとストラヴィンスキーの作品とは思えない音楽である事と、バレエでは珍しい弦楽器だけの編成という特徴が見られます。

火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」や「兵士の物語」といった曲を聴きなれた人には、まるで違う作曲家のものかと思える程、初期の激しいリズムは影を潜めていますが、弦楽器の鳴らし方には目を見張るものがある作品です。弦楽合奏ですが、ストラヴィンスキーは楽器の数を指定しており特に低音を分厚くしています。

冒頭です。

2011年4月26日 (火)

今日の音楽 4月26日 白い恋人たち

1932年4月26日は、フランスの映画音楽の作曲家として有名なフランシス・レイの誕生日です。
ある愛の詩」で映画音楽家として不動の地位を築いたフランシス・レイはフランスのニースで生まれています。特別な作曲の勉強はしていませんが子供の頃からアコーディオンに親しみ、ジャズにのめり込むような生活をしてきました。

そんなレイが大きく飛躍したのが、若き映画監督クロード・ルルーシュとの出会いでした。当時売れない映画監督の自主作品につけた音楽が、アンニュイな雰囲気の映画にぴったりで、ルルーシュもレイも共に世に出た作品「男と女」でした。その後、レイはルルーシュの映画殆どの音楽を担当し、パリのめぐりあい、流れ者、恋人たちのメロディ、愛と哀しみのボレロなど数々のコンビ作品を成功させています。レイの作品で最もヒットしたのは、「ある愛の詩」ですが、これはルルーシュの作品ではないので、今回は「白い恋人たち」を紹介しておきます。

原題は「グルノーブルの13日」。1968年のグルノーブル冬季オリンピックの記録映画で、グルノーブルで13日間オリンピックを見た映画人が13日の感動を見たまま綴った作品、というコンセプトの公式記録映画。このテーマ曲は冬の寒さを髣髴とさせるメロディを持つ名曲として今でもオリンピック映画を代表する音楽となっています。

2011年4月25日 (月)

今日の音楽 4月25日 トゥーランドット

プッチーニは、人生最後の歌劇「トゥーランドット」を完成させること無く1924年11月に亡くなりました。トゥーランドットは、アラビアの「謎かけ姫物語」を源にする話で、舞台は中国。中国のトゥーランドット姫に求婚する男は姫の出す3つの謎を解かなければ斬首されます。ティムールの息子であるカラフ王子は身分を隠して、周囲の反対を押し切り、この美しい姫に求婚します。見事に3つの謎を解いたカラフに対し、結婚を拒否するトゥーランドット姫。そこで、カラフが明朝までに私の名が判れば私は処刑されてもよい、という問題を出します。
ここで歌われるのが、荒川静香によって一躍有名になった「誰も寝てはならぬ」です。トゥーランドット姫が、国じゅうにカラフの名を探るように命令。それを受けてカラフが歌うプッチーニらしいドラマチックなアリアです。

その後、カラフに密かに思いを寄せる召使のリューが捕らえられ、名前を白状するように拷問を受けるが、リューは自ら命を絶って秘密を守ります。最後は、トゥーランドットもカラフの愛に応えるのですが、あまりに犠牲が多いですね。めでたしめでたしとは言いがたい内容です。

プッチーニは、リューが自刃したところまで作曲して絶筆。その後23ページにわたるスケッチを元にフランコ・アルファーノが完成させました。
初演は1926年4月25日。トスカニーニの指揮でした。

プラシード・ドミンゴの歌です。

2011年4月24日 (日)

今日の音楽 4月24日 ヴァイオリン協奏曲第1番(ブルッフ)

19世紀後半ドイツの作曲家マックス・ブルッフは、今ではヴァイオリン協奏曲、スコットランド幻想曲コル・ニドライといった独奏弦楽器とオーケストラの為の作品で知られています。というよりも、しか知られていないと言った方が良さそうです。が、当時はドイツを代表する作曲家のひとりで交響曲や歌劇など色々な分野で作品を残しているのです。
上記のように3曲のヴァイオリン協奏曲、スコットランド幻想曲などが代表的な作品なので、元々ヴァイオリン弾きなのかと思われる方もいるのではないかと思いますが、実はブルッフは幼い頃から作曲の勉強をしており、ヴァイオリンは殆ど弾けなかったそうですから驚きです。

ヴァイオリン独奏の曲が多かったのは、当時ヨアヒムサラサーテという当代きっての名ヴァイオリニストが存在していたからです。従って、この19世紀後半はヴァイオリン協奏曲の名曲が数多く生まれています。ヨアヒムに献呈された作品は、このブルッフの1番をはじめ、ブラームスドヴォルザークシューマンのヴァイオリン協奏曲、サラサーテに献呈された作品はブルッフの2番とスコットランド幻想曲、サンサーンスの3番序奏とロンド・カプリチオーソ、ラロのスペイン交響曲などがあります。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、これぞロマン派を代表する曲と言えるでしょう。ロマンチックなメロディと流麗なオーケストレーションで流れるような曲になっています。カデンツァが挿入されていないのも特徴で、これによって澱みのない曲想を際立たせているのかもしれません。1866年4月24日に初演されていますが、初演時はヨアヒムではなくてケーニヒスロウというヴァイオリニストが演奏しています。

キョン・ファのヴァイオリンでプレヴィン指揮ロンドン交響楽団。終楽章です。

2011年4月23日 (土)

今日の音楽 4月23日 3つのオレンジへの恋

1891年4月23日はロシアの作曲家プロコフィエフの誕生日です。
プロコフィエフは、ピアノ曲、室内楽、管弦楽曲、協奏曲、交響曲、バレエ音楽、歌劇・・・あらゆる分野に数多くの作品を残しました。
多くの人が最初に接するプロコフィエフの音楽は「ピーターと狼」か、CMでたくさん使われる「ロミオとジュリエット」だと思いますが、「3つのオレンジへの恋」というオペラの行進曲も耳にする曲でしょう。
この「3つのオレンジへの恋」は18世紀にゴッツィによって書かれた魔女の呪いによって3つのオレンジに恋するようにされた王子が様々な苦難の末王位を継承するというお話し。
この中から6曲を選んで管弦楽用の組曲としたものにも含まれています。
中でも第2幕で演奏される行進曲は2分足らずの曲ですが、軽いメロディを重厚なオーケストレーションで表現したプロコらしい作品です。

2011年4月22日 (金)

今日の音楽 4月22日 交響曲第7番(ドヴォルザーク)

ドヴォルザークは9曲の交響曲を書いていますが、6番と7番の間に大きな隔たりがあると言われています。一口で言えば、6番までは「出来の良い交響曲」であって7番以降が「ドヴォルザークの交響曲」と言えるのでは無いでしょうか。特に6番は敬愛するブラームスの交響曲第2番にとてもよく似ているとも言われています。

そんな、ドヴォルザークの転機ともなった第7番は1885年4月22日にロンドンで初演されました。

第1楽章は、非常に暗い雰囲気ではじまるテーマと、フルートとクラリネットで提示される穏やかな第2主題が絡み合う曲です。
第2楽章は、非常に美しい曲です。ドヴォルザークの後期交響曲の緩徐楽章はそれぞれ非常にステキな曲になっていると思います。この第7番では美しさと穏やかさ、第8番は静けさと起伏に富んだ激しさ、第9番はもう説明の必要はない「遠き山に日は落ちて」。
第3楽章はチェコの民族舞曲フリアント
第4楽章は壮大な曲です。コーダの力強さはドヴォルザーク随一でしょう。

第8番や第9番ほど知られている曲ではありませんし、チェコの臭いはまだまだそれ程濃くはありませんが、9番へ上り詰める第1歩という意味でも名曲だと思います。

第2楽章です。

2011年4月21日 (木)

今日の音楽 4月21日 フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ

ドビュッシーは晩年、様々な楽器のための6つのソタナを作曲する計画を立てました。
その1曲目はチェロとピアノのためのソナタ、2曲目がフルート、ヴィオラとハープのためのソナタでした。1917年4月21日パリで初演されました。

6つのソナタは古典派以前の6曲ソナタを意識したもので、3曲目のヴァイオリンとピアノのためのソナタまで完成しましたが、4曲目以降は計画までで亡くなっています。
フルートとハープという透明感は強いが、線の細い楽器にヴィオラという肉声に近い響きで淡白さをおさえています。
曲は第1楽章 牧歌、第2楽章 間奏曲、第3楽章 フィナーレからできています。曲自体も全楽章通して透明感の強い音楽でヴィオラはフルートとハープの間を縫うように骨格を与えているように聴こえる曲です。

未完成の3曲はオーボエ、ホルンとクラヴサンのためのソナタとトランペット、クラリネット、バスーンとピアノのためのソナタ及びコントラバスと各種楽器のためのコンセール形式のソナタでした。もう少しドビュッシーが長生きしていたら、ドビュッシーのコントラバスのためのソナタを聴く事が出来たのですが、残念です。

第1楽章です。

2011年4月20日 (水)

今日の音楽 4月20日 マ・メール・ロア

オーケストレーションの天才と言われるラヴェルが残した管弦楽のための曲の半分近くはピアノ曲からの編曲です。その中でも、マザー・グースを題材にした「マ・メール・ロア」は3ステップで大きな曲になって行きました。
生涯独身で子供のいなかったラヴェルは友人のゴブデフスキ夫妻の子供ミミとジャンを可愛がっており、2人の為に作曲したのがピアノ連弾のための「マ・メール・ロア」でした。最も題材は子供向きでも、子供が弾くにはちょっと難しすぎたようで、初演は1910年4月20日にプロの音楽家によって行われました。

第1曲「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、第2曲「一寸法師」、第3曲「パゴダの女王レドロネット」、第4曲「美女と野獣の対話」、第5曲「妖精の園」の5曲の組曲です。その後、1911年にオーケストレーションを施し組曲として発表、翌年には曲順を若干入れ替え、前奏曲や数曲の間奏曲などを加えたバレエ音楽を作っています。
管弦楽版は、実は2管編成で金管楽器もホルンだけという小編成ですが、チェレスタ、ハープや打楽器群でとても2管編成の曲とは思えない華やかな曲にしています。
勿論、原曲のピアノ曲も色彩感に溢れた曲です。

2011年4月19日 (火)

今日の音楽 4月19日 マンフレッド序曲

1824年4月19日にイギリスの詩人であり、政治家だったバイロンがギリシアで死去しています。バイロンの詩や詩劇からいくつかの音楽作品が生まれています。ヴェルディの「二人のフォスカリ」などですが、「マンフレッド」はシューマンとチャイコフスキーという二人の作曲家が取り上げた詩劇です。
チャイコフスキーは、彼としては珍しい標題交響曲の「マンフレッド交響曲」を作曲し、シューマンは劇音楽「マンフレッド」を作曲しています。
劇音楽「マンフレッド」は、なかなか全曲を聴く機会が無いのですが、序曲だけはよく演奏されます。1小節目から激しい和音の連打、重苦しい旋律と、劇の内容を暗示した序曲です。

セル指揮クリーヴランド管弦楽団です。

2011年4月18日 (月)

今日の音楽 4月18日 喜歌劇「美しきガラテア」序曲

1819年4月18日はフランス・フォン・スッペの誕生日です。
スッペといえばオペレッタですよね。生涯100曲以上のオペレッタを書いたと言われていますが、日本では殆ど演奏されません。大正時代の浅草オペラでは、ボッカチオなどスッペの曲が多く取り上げられていましたが、今ではあまり演奏されなくなってしまいました。ヨーロッパでは、そこそこ演奏されているようですが、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニが圧倒的人気を誇る日本人にはあまり受け入れられないのでしょうか。オペレッタ自体も、レハールの「メリー・ウィドウ」とシュトラウスの「こうもり」以外は全曲上演される事が少ないみたいです。

それに比べると序曲は少しは演奏される機会が多いですね。特に「軽騎兵」と「詩人と農夫」は知られています。スッペの序曲は、オペレッタの序曲と言っても、シュトラウスのようなワルツ中心の序曲ではなくて、かなり豪快にオーケストラを鳴らす曲が多いです。そんなことから、カラヤンやショルティなどの巨匠も好んで取り上げ、全集まで発売しています。
「美しきガラテア」はギリシア神話の中で、彫刻家ピグマリオンに作られた美しき彫像が、本物の人間だったら・・と願ったところ、彫像が動き出すが、召使や美術収集家にも色目を使った為、ピグマリオンによって彫像に戻されるという話。
序曲は、行進曲風の音楽から始まり、ヴァイオリンのソロ、ワルツ、最後は豪快にオーケストラトゥッティで終わる、飽きない曲です。

マゼール指揮ウィーンフィルです。

2011年4月17日 (日)

今日の音楽 4月17日 喜びの世界

1971年4月17日、スリー・ドッグ・ナイトの「喜びの世界」(Joy to the World)がビルボード誌のナンバーワンヒットになりました。
スリー・ドッグ・ナイトはダニー・ハットン、チャック・ネグロン、コリー・ウェルズという3人のヴォーカルと4人のバックバンドで結成されたアメリカのグループ。「アポリジニが寒さの厳しい夜に3匹の犬と寝る」から命名したそうです。

スリー・ドッグ・ナイトはオリジナルの曲を持たなかった為に、最も儲からないアーティストなどと揶揄されたりしましたが、逆に当時埋もれていたアイティストの曲を積極的に採用して、そのアーティストを表舞台に出したという功績がありました。彼らに取り上げられてその後名を成したアーティストには、ハリー・ニルソン、レオ・セイヤー、ランディ・ニューマン、ポール・ウィリアムズ、エルトン・ジョンなどがいます。

喜びの世界は、ホワイト・アクストンというアーチストの作品で今でもTVドラマの主題歌、CMなどで時々聴く事ができます。

2011年4月16日 (土)

今日の音楽 4月16日 八重奏曲(シューベルト)

古典派から前期ロマン派の時代にかけて、コントラバスという楽器は低音の補完(重低音)で音楽の厚みを増すという役割を担っていました。従って、この時代のオーケストラ曲を聴くとコントラバスの音の1オクターヴ上では殆どチェロが同じ音を弾いています。たまに、チェロと異なる場合の多くはベートーヴェンの田園第4楽章のような効果音だったりするわけで・・・

なので、この時代の音楽でチェロと違う音を弾きたい時には、室内楽や弦楽アンサンブルという事になるわけですが、それでもコントラバスが入った作品は少ない。弦楽二重奏はヴァイオリンとチェロ、三重奏はもう1本ヴァイオリン、四重奏はヴィオラ追加、五重奏はチェロかヴィオラを追加、六重奏はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが2本ずつ、七重奏で初めてコントラバスが登場するのですが作品は殆ど無し、八重奏は弦楽四重奏×2・・
要するに弦楽アンサンブルでも、コントラバスは殆ど登場しないんですね。

そんな状況の中で、コントラバスが出てくる数少ない曲で傑作とされているのが、ベートーヴェンの七重奏曲。これはクラリネット、ファゴット、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成で、当時はベートーヴェンの中でも広く知られていた曲のひとつだそうです。これに触発されたのがベートーヴェンを敬愛していたシューベルト。ベートーヴェンの上を行こうと考えたかどうかはわかりませんが、ベートーヴェンの七重奏曲に雰囲気がよく似た八重奏曲を作曲しました。編成はベートーヴェンの七重奏曲にヴァイオリンをもう1本足した編成。この曲が公式に初演されたのが1827年4月16日でした。

演奏に1時間弱を要する6つの楽章からなる長大な曲ですが、アマチュアレヴェルでも何とか音楽っぽく演奏できるので団内アンサンブル発表会なんていう場では、よく登場する名曲です。

第1楽章です。

2011年4月15日 (金)

今日の音楽 4月15日 死の舞踏(リスト)

「死の舞踏」という曲は、サン=サーンスの交響詩が有名ですが、こちらの方はフランスのカザリスの詩に霊感を受けて作曲された骸骨の踊りの音楽です。1865年4月15日にビューローの指揮で初演されたリストの「死の舞踏」は、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」によるパラフレーズというタイトルが付いているように、「怒りの日」に基づく曲です。「怒りの日」は既にベルリオーズが幻想交響曲の第5楽章で使っているのですが、これに触発されたかどうかは不明です。

リストの「死の舞踏」は、ピアノとオーケストラの為の曲で変奏曲とコーダからなる15分程度の曲です。ピアノとティンパニの強打の反復をバックに管楽器と低弦で演奏される「怒りの日」の主題が、さすが交響詩の創始者と思わせるリストによって、しかもピアノ協奏曲とも思えるカデンツァ付きの音楽で変奏、表現されています。

ツィマーマンのピアノ、小澤征爾指揮ボストン交響楽団で前半です。

2011年4月14日 (木)

今日の音楽 4月14日 水上の音楽

ヘンデルは1795年4月14日に死去しています。ドイツで生まれハノーファ選帝侯の宮廷楽長となりましたが、わずか2年後にイギリスに渡り、度重なる帰国命令を無視してそのまま帰化してしまいました。
要するに職場放棄というわけです。
ところが、イギリスに渡ったわずか2年後にイギリスの女王アンが亡くなり、ハノーファ選帝侯がジョージ1世として即位してきたので、困ったのはヘンデル。なにしろ職場放棄した元の雇い主が、次の雇い主になるわけですから・・・

というわけで、媚をふるために国王のテムズ川の舟遊びの為に作曲したのが「水上の音楽」という事・・・と言っても真偽の程は確かでは無いようですが。

そんないきさつは兎も角、水上の音楽は実は舟遊びのたびに追加されたりしているため、全曲版というのが定かではありません。それも、オリジナルの楽譜が一度失われてしまったという事で、現在演奏されるのはレートリッヒ、グリュザンダー、ハーティなどが編曲した管弦楽版や組曲版です。

第1組曲の序曲です。

2011年4月13日 (水)

今日の音楽 4月13日 木管五重奏曲op.56-1(ダンツィ)

フランツ・ダンツィ・・・木管楽器奏者以外でこの作曲家を知っている人は、かなりなクラシック通でしょう。ベートーヴェンと同時代に生き、若きウェーバーを育てたダンツィは1826年4月13日ベートーヴェンの死より1年ほど前に亡くなっています。

交響曲やオペラなども数多く作曲していますが、ダンツィの作品の中で群を抜いて有名なのが木管五重奏曲です。作品番号56、67、68各3曲ずつ合計9曲の木管五重奏曲を作曲していますが、最も知られているのがop.56-1です。木管五重奏曲は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットとホルンのための室内楽曲です。ダンツィも若い頃は楽団奏者として活躍していたので、成る程(゜ー゜)(。_。)(゜-゜)(。_。)と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。ところが、彼は木管奏者じゃなくてチェロ奏者だったんです。
よほど、親しい木管奏者がいたんでしょうね。

作品は、古典派の音楽!という感じのガッシリとした構成の曲です。

第1楽章です。

2011年4月12日 (火)

今日の音楽 4月12日 ボリス・ゴドゥノフ

1938年4月12日は、20世紀初頭のロシアを代表するバス歌手、フョードル・シャリアピンの命日です。
日本公演において、歯の悪いシャリアピンの為に作った玉葱に漬け込んで玉葱の微塵切りをかけて柔らかくしたステーキ(帝国ホテルの料理長考案)にシャリアピン・ステーキの名を残しているシャリアピンの最も得意なレパートリーはムソルグスキーの作曲した「ボリス・ゴドゥノフ」です。「ボリス・ゴドゥノフ」は、グノーのファウストと並んで知られているバス歌手が主役の曲です。「ボリス」は16世紀ロシアで実在した皇帝で、権謀術数でツァーリになったものの自称息子のドミートリの台頭で失意の内に生涯を閉じた人物。これをプーシキンが劇詩にしたものを台本としています。

中でも、ツァーリの座についたボリスが歌う、ボリスのモノローグ「私は最高の権力を手にした」は人間の内面を表現する事を得意としたシャリアピンの真骨頂です。

シャリアピンによる、ボリスの死です。

2011年4月11日 (月)

今日の音楽 4月11日 ピアノ三重奏曲第7番「大公」

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」は、1814年4月11日ウィーンの「ホテルローマ皇帝」でベートーヴェン自身のピアノを交えて初演されています。既に耳が聴こえなくなっていたベートーヴェンは、他の2人をかき消すほどの音量と乱暴な演奏だったためこれ以降は自ら演奏する事は無くなったと言われている曲です。

この曲は、ルドルフ大公に献呈された為に「大公」という標題で呼ばれていますが、内容も堂々とした優雅で気品のある曲です。

ルビンシュタインのピアノ、ハイフェッツのヴァイオリン、ファイアマンのチェロという伝説のプレイヤーの共演で第1楽章です。

2011年4月10日 (日)

今日の音楽 4月10日 ドイツ・レクイエム

あらためまして、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災地の一日も早い復興をお祈り致します。
元々、キリスト教の教会音楽を祖にする西洋のクラシック音楽では、亡くなられた方々の霊を慰める為の音楽も数多く存在しています。その代表例が死者のためのミサ曲、レクイエム。
最初のレクイエムは、グレゴリオ聖歌の中に見られますが、現存している作品としての最初のレクイエムは15世紀の作曲家オケゲムの作品とされています。それ以降パレストリーナ、パーセル、ケルビーニ、チマローザなど数々の作曲家によって作曲されて来ました。その中でも、モーツァルト、フォーレ、ベルリオーズ、ヴェルディなど多くの作品はラテン語の聖書によるテクストを元に作られています。元来は、カトリックでの典礼音楽だったレクイエムですので、プロテスタントでは存在していなかったのですが、プロテスタントだったブラームスは、ラテン語のテクストによらず、ドイツ語(勿論原典は聖書ですが)訳された聖書から選んでレクイエムを作曲しています。
従って、この曲は典礼で使われる音楽ではなく、演奏会で演奏される事を前提に作曲されたものです。この、ドイツ・レクイエムが初演されたのが1868年4月10日です。

①幸いなるかな悲しみを抱く者は②肉はみな草のごとく③主よ知らしめたまえ④いかに愛すべきかななんじのいますところは万軍の主よ⑤汝らも今は憂いあり⑥我らここにはとこしえの地なくして⑦幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは
の7曲からなる長大な曲です。

冒頭部分です。

2011年4月 9日 (土)

今日の音楽 4月9日 セレナータ(トスティ)

イタリアの作曲家トスティは1846年4月9日に生まれています。
12歳でナポリ音楽院に入学しヴァイオリンと作曲を学びましたが、教官助手などの激務で体をこわし20代前半に静養生活をおくりました。その後歌曲の作曲家として世に出、イタリア・イギリスの王宮で声楽教師をつとめ1912年に引退。ローマで余生を過ごしています。

中でも、学校の音楽の教科書にも掲載されている「セレナータ」は、他の作曲家によるセレナーデとはちょっと趣の異なる、明るく伸びやかな曲です。

カレーラスの歌です。

2011年4月 8日 (金)

今日の音楽 4月8日 中央アジアの草原にて

ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」は1880年4月8日に初演されています。
この曲はロシアのアレクサンドル2世の即位25周年の記念に作曲された曲で、コーカサスの草原でのロシア人と東洋人の交流が表現されています。

ロシア人のテーマ、東洋人のテーマが対話をしながらやがてひとつになって演奏される曲ですが、アジアの隊商が近づいてきて、やがて遠ざかっていく様子が鮮やかに描かれている曲です。交響詩とされていますが、元々は音楽的絵画であり、描写的な音楽としては非常に優れた作品とされています。

ザンデルリンク指揮ドレスデンシュターツカペレの演奏です。

2011年4月 7日 (木)

今日の音楽 4月7日 ミサ・ソレムニス

ベートーヴェンの晩年期の大作である、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)がペテルブルクで初演されたのが1824年4月7日でした。

この曲は、元々は神聖ローマ帝国のルドルフ大公の大司教への就任祝いとして書き出されたが、次第に構想が膨らみ、結局完成まで5年の年月がかかり、当然就任祝いには間に合わなかったというエピソードのある曲です。
ミサ曲といっても、純粋な宗教音楽としてのミサ曲というよりは、交響曲的な曲で、同じニ長調の第9交響曲と並ぶベートーヴェンの超大曲の雄として愛されている曲です。
単純にミサとしての体裁を整えているミサ曲とは異なり、歌詞も通常の形式に則ったものに手を加えています。これは、ベートーヴェンが純粋なクリスチャンでは無く(勿論クリスチャンではありましたが)教会の権威主義的なところにも批判的であったという事も多分に影響していると思われます。

どちらにしても60分を超える曲で、教会でのミサなどで演奏される事は無く、殆どが演奏会において聴く事ができるという事でも、宗教曲というより合唱曲と言ったほうが良いと思います。

ベーム指揮ベルリンフィルで、グローリア冒頭です。

2011年4月 6日 (水)

今日の音楽 4月6日 プルチネルラ

20世紀最大の作曲家のひとり、ストラヴィンスキーは1971年4月6日に没しています。
ストラヴィンスキーの作風は大別すると、初期のバーバリズム、中期の新古典主義、後期のセリー(十二音音楽)に分けられます。初期は、「ペトルーシュカ」「火の鳥」「春の祭典」に代表される激しいリズムと不協和音の音楽、中期は「プルチネルラ」「ミューズを率いるアポロ」「カルタ遊び」に代表される比較的小編成の古典的技法を融合させた音楽、戦後はアゴンなどの大編成の十二音音楽を作曲しています。

ストラヴィンスキーの作品の中でも、多くの人に愛されている作品の多くは、初期のバーバリズム作品に含まれていますが、新古典主義時代の作品は、どちらかといえば玄人ウケする作品が多いようです。以前とりあげた兵士の物語や、このプルチネルラが代表格です。

プルチネルラは18世紀の作曲家ペルゴレージの作品といわれていた(実際は他の作曲家のものも含まれていた)作品群を、ディアギレフの依頼でバレエに仕立てた作品です。と言ってもストラヴィンスキーはディアギレフの依頼内容を無視してストラヴィンスキー風に大幅に手を加えたものに仕上げたそうです。編成もクラリネットを除く2本ずつの木管と2本のホルン、トランペットとトロンボーン各1、弦楽五部の独奏と弦楽五部の合奏及び3人の独唱というきわめて小さい編成です。初期作品を聴きなれた人は打楽器も無いこの音楽がストラヴィンスキーの作品か?と疑うほど、異なる雰囲気を持つ作品ですが、聴けば聴くほど味のある作品だとおもいます。

アバド指揮ロンドン交響楽団で冒頭部分です。

2011年4月 5日 (火)

今日の音楽 4月5日 交響曲第2番(ベートーヴェン)

今日の音楽で、紹介していないベートーヴェンの最後の交響曲第2番は1803年4月5日、ピアノ協奏曲第3番などと共にウィーンで初演されています。

交響曲第2番は、初めての交響曲第1番と革新的作品と言われる第3番の間に挟まれてちょっと存在感が無いのですが、曲としては優しさと激しさが融合した名曲だと思います。第1番と異なり初めて長い序奏をつけた曲でもあり堂々とした風格の一端を感じさせる第1楽章は躍動感に溢れる楽章です。第2楽章は美しさではベートーヴェンの緩徐楽章の中でも第9と並ぶ程の曲です。(元来ベートーヴェンの緩徐楽章は実験的要素が強いため曲の美しさではモーツァルトやブラームスに一歩も二歩も譲っています)第3楽章は、初めてスケルツォを明記(第1番も実際はスケルツォに近いが、一応メヌエット)、第4楽章は非常に短い動機が積み重なって構築されている力強い曲です。

ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で第2楽章前半です。

2011年4月 4日 (月)

今日の音楽 4月4日 戴冠式ミサ(モーツァルト)

モーツァルトのミサ曲第14番「戴冠式ミサ」は、1779年4月4日復活祭の祝日に初演されています。元々は、戴冠式用に作られた作品では無いのですが、1791年にレオポルド2世の戴冠式で演奏された事で「戴冠式ミサ」として定着したようです。

この曲は通常のミサのための式文「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュスデイ」の5つの曲をベースに、第5曲に「ベネディクトゥス」を加えた作品です。ハ長調で書かれているため、明るく堂々とした雰囲気の曲ですが、オペラのアリアのような曲調が所々に出てきて親しみ易い曲でもあります。特に第6曲の「アニュスデイ」は、歌劇「フィガロの結婚」の第3幕で伯爵夫人が浮気ばかりしている伯爵について、大恋愛で結ばれた過去(セヴィリアの理髪師のストーリー)を思って歌う「楽しい思い出はどこに」に非常に似た曲という事でも知られています。

第6曲「アニュスデイ」です。

2011年4月 3日 (日)

今日の音楽 4月3日 ピアノ協奏曲(グリーグ)

グリーグのピアノ協奏曲イ短調は1869年4月3日に、コペンハーゲンで初演されています。
グリーグの中でも、ペール・ギュントと並んで突出して有名な曲です。

冒頭にティンパニのクレッシェンド、ピアノの強打から始まるフレーズは、フィヨルドに注ぐ滝の流れを表しているともいわれ、TVなどでも悲劇的な場面の効果音のようにしばしば使用されています。
第2楽章から第3楽章にかけては、アタッカで演奏され、美しい緩徐楽章から軽快なテーマだが非常に大規模な雰囲気を持つ終楽章への色彩の変化が楽しめる曲です。
同じイ短調のシューマンのピアノ協奏曲との対比(よく似ている)が言われます。冒頭の雰囲気もとてもよく似ていますが、実際のところグリーグは、クララ・シューマンの演奏するシューマンのピアノ協奏曲を聴いて感銘を受けたという事なので、その影響は大なり小なりありのでしょうね。

ルービンシュタインのピアノ、プレヴィン指揮ロンドン交響楽団で終楽章です。

2011年4月 2日 (土)

今日の音楽 4月2日 交響曲第1番(ベートーヴェン)

交響曲の王様、ベートーヴェンの1つめの交響曲が初演されたのは1800年4月2日です。
ベートーヴェンの作品を時系列に見ると、初期はピアノ曲が多く、やがて弦楽四重奏や代表作のひとつ七重奏曲などでアンサンブルを学び、交響曲へと歩みを進めていた事がよくわかります。第1番の交響曲は、そういう歩みの課程で、モーツァルト、ハイドンといった先達の作品の延長線上で自分らしさのエッセンスを加えた作品といえるでしょう。

この曲は、第1楽章の序奏部に斬新さが垣間見えているといわれています。だいたい、曲の冒頭はその曲の調、第1番の場合はハ長調、の主和音から始められます。ベートーヴェンの他の交響曲を見ても、いきなり変ホ長調の主和音Es-G-Bのtuttiから始まる第3番「英雄」をはじめ全て主和音で始まります。ところが、この第1番だけはハ長調の終止形に使われる属七の和音(G-H-D-F)から始まります。しかも序奏は、ちょっと聴いていると調性不明のまま進んでいきます。
と、書いてきましたが、私が最も好きなのは第4楽章。とても強弱をうまく使った楽章で、メリハリが利いていて元気が出る曲です。特にコーダに入って第1主題の断片を使った繋ぎの音型から第1主題が再現されるところ。提示部や再現部では第1主題はpのままなのですが、この部分では3小節目にいきなりpからfになります。この部分とても、いかしていると思います。

ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルで第3、4楽章です。

2011年4月 1日 (金)

今日の音楽 4月1日 ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)

1873年4月1日はラフマニノフの誕生日。ラフマニノフといえばこの曲っていう事で、ピアノ協奏曲第2番を選びました。

ラフマニノフは、チャイコフスキーを崇拝しアレンスキーに作曲の指導を受けました。1895年に交響曲第1番を完成させましたが初演は酷評され、精神的にスランプに陥ります。失敗の原因は、初演指揮のグラズノフの散漫な指揮、ラフマニノフが属したモスクワ楽派と対立する国民楽派の拠点ペテルブルクで行われた事などが挙げられていますが、いずれにしてもこの後作曲不能な程のダメージを受けました。ダーリ博士の催眠療法などで治療を続け1900年に作曲されたのがピアノ協奏曲第2番でした。

初演は大成功でラフマニノフはこれ以降大作曲家としての道を歩んでいくわけです。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、近年では三大協奏曲と呼ばれているベートーヴェンの5番、グリーグ、チャイコフスキーよりも高い人気で、特に辻井伸行さんがヴァン=クライバーンコンクールで優勝したり、のだめで取り上げられたりとピアノ協奏曲でもナンバーワンの人気作と言っても過言では無いような気がします。

第1楽章の冒頭のピアノによる導入部は生まれ故郷のノブゴロドの教会の鐘を模したとも言われています。それに続くオーケストラトゥッティの旋律がロシアの大地を駆け抜ける風のようにも聞こえる雄大なロマンチックなメロディです。ところでこの第1楽章は冒頭を除けばピアノはメロディらしいところが殆ど出てきません。旋律は殆どがオーケストラで、ピアノはその中で広い音域の和音を叩いたりして表に出てくることが少ないのです。が、これも超絶技巧なんですね。

歌とも言える第2楽章を挟んで、第3楽章は第1楽章から導き出された軽やかな主題に始まりラフマニノフ終始とも言われる大見得を切った迫力のコーダで結ばれます。
3楽章を通して聴くと実に様々な性格の曲が聴かれて全く飽きない曲です。

ラフマニノフ自身のピアノ、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管で冒頭です。

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