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2011年3月31日 (木)

今日の音楽 3月31日 交響曲第100番「軍隊」

1731年3月31日は、交響曲の父ハイドンの誕生日です。さらに、交響曲第100番「軍隊」が初演されたのも1794年3月31日。

ということで、今日はハイドンの「軍隊」にしました。
ハイドンの104曲のシンフォニーの中でも最も人気の高い作品のひとつで、シンバル、バスドラム、トライアングルといった軍楽隊で使用する打楽器が使用されていたため「軍隊」と呼ばれるようになったそうです。

なかなかアマオケでハイドンの交響曲を取り上げる事が少ないですが、私がこの曲をやったのは大学2年の時。
現在パイオニア・オケの指揮をやっていただいている黒岩先生に言わせると、ハイドンのシンフォニーは同じ古典派のモーツァルトとはかなり違っていて、予測できない音の跳躍などモーツァルトとは別の意味でアンサンブルが難しいそうです。モーツァルトはその場跳び、ハイドンは前に跳んで行くとか・・・

第1楽章は、ちょっとおどけた感じの序奏の後でフルートとオーボエで行進曲風の主題が展開されていきます。
第2楽章は、一応緩徐楽章なのですが、鳴り物が入ったりマーチ風だったりと、普通のシンフォニーとはちょっと違っています。
第3楽章はメヌエット。この楽章はトリオのおどけた雰囲気が良いですね。
第4楽章は8分の6拍子というシンフォニーの終楽章としては珍しい拍子の鳴り物入りの華やかな楽章です。

ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管で第2楽章です。

2011年3月30日 (水)

今日の音楽 3月30日 風紋

混声合唱のための組曲「風紋」の作曲者石井歓は1921年3月30日に生まれています。
武蔵野音大卒業後、ドイツに留学し「カルミナブラーナ」の作曲家オルフに師事し大きな影響を受けています。その後新設されたばかりの桐朋学園で教鞭をとりました。
合唱曲も数多く作曲し「枯木と太陽の歌」「5つの学生の歌」などの作品を残しています。

「風紋」は、風(男)によってできる砂丘(女)を擬人的にとらえて歌った岩谷時子の詩による曲です。

第4章の あなたは風 です。

2011年3月29日 (火)

今日の音楽 3月29日 弦楽四重奏曲第1番(スメタナ)

スメタナの弦楽四重奏曲第1番は1879年3月29日に初演されています。
この曲は、「わが生涯より」という副題のとおり、スメタナ自身の生涯を象徴する曲となっています。
スメタナは、チェコの音楽に根付いた作品を数多く作曲し、中でもチェコの自然と伝説に基づいた6つの曲からなる連作交響詩「わが祖国」は、プラハを流れるヴァルタバ川(モルダウ川)の流れを表現した「モルダウ」をはじめチェコを代表する曲とされています。スメタナは梅毒により聴力を失いましたが、その後もこの「わが祖国」を初め、チェコを題材とした曲を数多く作曲し、その後のドヴォルザークなどに大きな影響を与えました。そのために、チェコ国民楽派の祖とされています。

「わが生涯より」の第4楽章中ごろには、1st ヴァイオリンのフラジオによるE音の持続音が出てくるのですが、これはスメタナが聴力障害になった後に聴こえる幻聴を表現しています。

第4楽章です。

2011年3月28日 (月)

今日の音楽 3月28日 前奏曲嬰ハ短調(ラフマニノフ)

1943年3月28日はラフマニノフの命日です。

ラフマニノフは、ピアノの達人にもかかわらずショパン、リストなどに比べるとピアノ独奏曲は多くはありません。ソナタは2曲作曲していますが、そのほかでは「音の絵」というタイトルがついた練習曲集を2つ書いたぐらいでまとまったピアノ曲は少ないです。そんな中で「前奏曲」はop.23とop.32の前奏曲集を書いていますが、彼の「前奏曲」の中で最も知られているのが、嬰ハ短調という「幻想小曲集op3」という1892年に初演された曲です。

全部で62小節しかない曲ですが、当時は熱狂的に支持された曲であり今でもラフマニノフの代表作のひとつです。冒頭に3つの和音が強打され、その余韻の中から静かに荘重なメロディがはじまります。中間部はスピード感が高まりますが、急にブレーキがかかり冒頭の部分に戻り静かに終わります。

という、薀蓄を語りましたが、この曲、アメリカで出版された時に「モスクワの鐘」という題名がつけられました。で、昨日世界選手権で優勝した浅田真央ちゃんの今年のフリー演技の曲です。実はラフマニノフには合唱交響曲「鐘」という曲があるのですが、これはあまり評価の高い曲では無いので、ラフマニノフの鐘といえば、この前奏曲をさすようです。

2011年3月27日 (日)

今日の音楽 3月27日 ミシシッピ

1892年3月27日は、アメリカのアレンジャー&作曲家グローフェの誕生日です。グローフェといえば、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーのオーケストレーションと、グランドキャニオンの作曲家として有名ですが、そのほかにもシンフォニック・ジャズスタイルの曲を数多く作っているのですが、日本ではなかなか聴けないですね。
個人的には、フランス音楽的な色彩感とアメリカ独特の(黒人霊歌やインディアンの音楽に基づく)メロディが融合したコープランドなどのアメリカ音楽は非常に好きなので、よく聴きますが、生演奏を聴く機会があまり無いのは残念です。

グローフェの初期の作品に組曲「ミシシッピー」というのがあります。アメリカ横断ウルトラクイズで使われていたそうですが、私はこの番組全く見ていないのでどの部分が使われていたかは知りません。4つの曲で構成されていて、どの曲もいかにもアメリカというメロディが使われています。
第1曲 父なる川  グランドキャニオン同様オープニング曲は全体の俯瞰のような神秘的な音楽です。
第2曲 ハックルベリー・フィン いたずら好きのハックルベリー・フィンがユーモラスに描かれています
第3曲 オールド・クリオール・デイズ 過ぎ去りしクリオールの日々というタイトルどおり、郷愁を描いた作品らしく情緒的な音楽です
第4曲 マルディグラ(懺悔の火曜日) 曲自体は全然懺悔と関係ない軽快で元気な音楽です。それもそのはずで、懺悔の火曜日は謝肉祭の中のお祭りだそうで、ニューオリンズのマルディグラは有名だそうです。

2曲目です。

2011年3月26日 (土)

今日の音楽 3月26日 ピアノソナタ第20番(ベートーヴェン)

1827年3月26日はベートーヴェンの命日です。ベートーヴェン様ゆかりの日に、何を取り上げようか考えましたが、オーケストラ曲はみんな知っている曲が多いし・・・と、考えて、この曲にしました。

ピアノを習っていた人にはお馴染みの曲、「ソナチネ」として知られているピアノソナタ第20番です。たった2楽章で演奏も8分程度。難易度も、ベートーヴェンのピアノソナタの中では最も低い曲ながら、しっかりとした構成で、情緒を求められる緩徐楽章もないため、初中級の人でも弾く事ができる(?)曲です。第1楽章は、とても可愛らしい曲。第2楽章はロンドですが、七重奏曲の第3楽章メヌエットに転用されている曲です。

本当は、3月26日が誕生日のバックハウスの演奏があれば良かったのですが(私の持っている音源はバックハウスです)バレンボイムです。

2011年3月25日 (金)

今日の音楽 3月25日 僕の歌は君の歌

1947年3月25日はエルトン・ジョンの誕生日です。

僕の歌は君の歌(Your Song)の大ヒットで一躍世界のスーパースターの仲間入りをして、ホンキー・キャット、ロケットマン、クロコダイル・ロック、ダニエル、ベニーとジェッツ、グッバイ・イエロー・ブリック・ロード、僕の瞳に小さな太陽・・・など、ロックンロールやバラードを次々とヒットさせていったエルトン・ジョンですが、アルコール依存、薬物依存、過食症などで苦しみ、最近は同性愛者として注目を浴びてしまいましたが、その音楽はアップテンポの曲も、美しいメロディラインの曲も、ミュージシャンとしての才能は確かなものだと思います。

特に1970年にヒットした、「僕の歌は君の歌」は、エルトン・ジョン自身も飽きが来ない歌なので、コンサートでも欠かさず歌っている、という程の曲。
 この頃ちょっと変な感じ 、ごく内面的な感情なんだけど
 僕って、簡単に隠せる連中とは違うんだ、
 あまりお金は持ってないけど、 もしも持ってたら
 二人で暮らせる家を買いたいな
という、君のために作った曲 という内容のラヴソングですが・・・君、というのは同性愛者だ、という説もあるようです。

2011年3月24日 (木)

今日の音楽 3月24日 ゴイエスカス

昔の作曲家の多くは病気によって死亡していますが、交通事故で亡くなったフランクのような方もいらっしゃいます。そんな中で最も壮絶な死に方をしたのが、グラナドスではないでしょうか。
オペラ「ゴイエスカス」のアメリカ初演に立ち会って、スペインに戻ろうとしたグラナドスを、アメリカのウィルソン大統領の招きによる演奏会でキャンセルし、リバプール経由の船便で帰る事にしました。その帰りの船に悲劇が訪れました。ドイツ海軍の魚雷によって船は沈没し、グラナドスは行方不明となってしまいました。

ファリャとともに近代スペインの音楽を切り拓いたグラナドスは1916年3月24日に世を去ってしまったわけです。目撃者によると、グラナドス自身は一度救命ボートに乗ったものの、波間に漂う妻を助けるために海に飛び込み、そのまま・・・だったそうです。

その因縁の作品「ゴイエスカス」の間奏曲は、チェロとピアノの二重奏でも演奏される、いかにもスペインという曲です。

2011年3月23日 (水)

今日の音楽 3月23日 交響曲第35番(モーツァルト)

モーツァルトの後期6大交響曲の最初の作品、第35番「ハフナー」は1783年3月23日に初演されています。

最初はセレナーデとして作曲されましたが、急遽交響曲が必要になったために書き直されて35番目の交響曲になったそうです。これとは別に、ハフナー・セレナーデという曲がありますが、曲自体は無関係ですが、ハフナーはザルツブルグの大富豪の名前で、その人物に献呈されたと言われています。後期交響曲の中で唯一、またモーツァルトの交響曲の中でも「パリ」と「ハフナー」だけが完全な2管編成の曲となっています。

セレナーデとして書かれた為か、非常に明るく躍動感にあふれるスケールの大きな曲でありながら、まとまりのよい曲になっています。モーツァルトの後期交響曲は全体的にコントラバスにとっては地獄のような難しさがありますが、昨年の39番を最後に全6曲を弾き終えた感想としては、この35番と39番は、左指にとってはかなり難しい曲でした。。。但し、曲づくりの点では遥かに39番が難しかったですけど・・・・

カール・ベーム指揮のウィーンフィルで
第4楽章です。

2011年3月22日 (火)

今日の音楽 3月22日 ダスティン・ホフマンになれなかったよ

1944年3月22日は早逝のシンガー・ソングライター大塚博堂の誕生日です。東京音大(当時東洋音大)の声楽科を中退してデビューしたものの、さっぱり売れず。その後クラブなどの弾き語りで活動していたものを再び見出され、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」で32歳で再デビューし脚光を浴びました。その後「めぐりあい紡いで」「娘をよろしく」などをヒットさせステージを中心に活動していましたが、わずか5年後の1981年5月18日に脳内出血で急死してしまいました。この5年の音楽活動でレコード化された曲は没後に発売されたものを含めて90曲。多くの歌手がカバーレコ^ドを出しており、今なおファンクラブが存在する「愛を歌う吟遊詩人」でした。

デビュー作の「ダスティンホフマンになれなかったよ」は、ダスティン・オフマンが主演した「ジョンとメリー」と「卒業」という2つの映画のシーンを自分に置き換えて、時代は動いているのに、自分は取り残されてしまっているという寂しさを歌っています。
博堂の死後、シンガーソングライターの「たちはらるい」が、この曲に対する返歌として「ダスティンホフマンになれたじゃないか」という曲を歌っています。こちらも、良い曲ですよ。

2011年3月21日 (月)

今日の音楽 3月21日 家庭交響曲

R.シュトラウスの家庭交響曲は1904年3月21日にカーネギーホールで初演されました。

この曲はシュトラウス自身の家庭を表現した曲です。ご主人のテーマから始まり、奥さん、子供、叔母、叔父が登場する第1部でそれぞれのキャラクターの紹介。第2部は遊ぶ子供と子守歌で眠る子供、第3部は子供が眠っている中でシュトラウスが仕事をしている描写、第4部は子供が起きてからの子供の教育方針をめぐる親のけんかと仲直り、そしてクライマックスへという具合に切れ目無く演奏されます。

この曲は、技術的に極端に難しく、編成も大きくなかなか実際に演奏される機会がありませんがCDはたくさん出ています。一度は生で聞いてみたいものです。

サバリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団で最後の部分です。

2011年3月20日 (日)

今日の音楽 3月20日 フランスの山人の歌による交響曲

交響曲という名前ではありますが、本当に交響曲なのか?それとも協奏曲なのか? と、ジャンル分けに迷う曲があります。ラロのスペイン交響曲のように、明らかに協奏曲と呼ぶに相応しいものであれば、交響曲という名前の協奏曲だ、と勝手にジャンル分けをしていますが、1887年3月20日に初演されたダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」は、本当に迷う曲です。

もともと、フランクの弟子でフランクの循環形式を踏襲し3つの楽章に同じ旋律が登場してきます。第1楽章冒頭でコールアングレで演奏される牧歌的な旋律で引き込まれ、何気なく聞き終わってみると30分経過しているという非常に聞きやすい曲ではありますが、さて、これが交響曲なのか協奏曲なのか、聞き終わっても判断に困ります。

交響曲な理由
①タイトルに交響曲とついている(笑)
②フランク同様の3楽章でできていて循環形式にのっとっている
協奏曲な理由
①ピアノが独奏的に使われているのですが、ピアノが独奏的に使われていても、カデンツァは無いしソロとしてオーケストラに対抗していない

だいたい、この曲じっくり分析してみると、第1楽章の主題がそのまんま使われていて「モチーフ」とか「主題」としての扱いというよりは、使いまわしっぽいですね。変奏もそれほど複雑では無いし。
それでも、楽しく聴ける曲なので、音楽は理屈じゃないを地で行っている曲かもしれません。

第3楽章です。

2011年3月19日 (土)

今日の音楽 3月19日 チェロ協奏曲(ドヴォルザーク)

好きな作曲家は? と聞かれると、最近はドヴォルザークと答えるようにしています。昔は、簡単には答えられませんでしたし、今でも本当にそうなのか?と考えると、本当は違うような気もしますが、最も好きなシンフォニーが「新世界より」だし、最も好きなコンチェルトがドヴォコンなので、そう答えるようにしています。

ドヴォルザークも「メンコン」の作曲者メンデルスゾーン同様にいくつもコンチェルトを書いていますが、ドヴォコンといえばこのチェロ協奏曲ですね。1896年3月19日にロンドンで初演されています。まあ、チェロ協奏曲といえばシューマンとかハイドン、エルガーなどいくつもの作品がありますが、この曲は群を抜いて人気が高い曲ですね。アメリカの黒人霊歌やインディオの音楽とスラヴの音楽が融合した数々の郷愁をさそうメロディと、チェロのみでなく木管にも美味しいメロディがたくさん出てきたり、ヴァイオリン独奏まで出てきたり・・・コンチェルトに限らず、クラシック音楽の中で最も好きな曲のひとつです。ちょっと第1楽章のチェロが出てくるまでが長すぎるのが玉に瑕ですけど・・・

ロストロポーヴィチの独奏で第3楽章の後半です。指揮は多分ジュリーニですが、オケは不明です。

2011年3月18日 (金)

今日の音楽 3月18日 ピアノ協奏曲第4番(ラフマニノフ)

ラフマニノフのピアノ協奏曲の中でもガクンと知名度が落ちる最後の曲第4番がラフマニノフのピアノ、ストコフスキー指揮のフィラデルフィア管で初演されたのが1927年3月18日。第2番の美しいメロディ、第3番のアンニュイなメロディという冒頭に比べると、ちょっと物足りない冒頭ですが、結構クラシック音楽のコンチェルトっぽい普通の始まりなのかもしれない・・・・と思わせる第1楽章はスケールの大きな楽章です。途中はやっぱりラフマニノフの音楽です。第2楽章は、これもラフマニノフらしい、緩徐楽章なのにあまりメロディックじゃない音楽。第3楽章のコーダもラフマニノフ・エンディングの変形型。
アメリカへ渡ってから作曲した数少ない作品のひとつです。

アシュケナージのピアノ、プレヴィン指揮ロンドン響で第1楽章です

2011年3月17日 (木)

今日の音楽 3月17日 エフゲニ・オネーギンのポロネーズ

バレエに比べると、今ひとつ人気の薄いチャイコフスキーのオペラですが、その代表格の「エフゲニ・オネーギン」が初演されたのが1879年モスクワ マールイ劇場でした。
原作はプーシキン。ストーリーは、ややこしいので省略。
要するに、チャイコフスキーらしくメロディラインの美しさと素晴らしいバレエ音楽は具えています。
ヒロイン タチアーナの歌う手紙の場、決闘相手のオネーギンを待つレンスキーのアリア「どこへ行ったのかわが青春の日々」という名アリアもありますが、チャイコフスキーの真骨頂である踊りの音楽、ポロネーズは第3幕冒頭のペテルブルグの社交の場での華やかな音楽です。短い曲ですが、ウキウキするような楽しい曲です。

アバド指揮ベルリンフィルです。

2011年3月16日 (水)

今日の音楽 3月16日 さすらう若人の歌

マーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」は1885年頃には完成していたと言われています。当初はピアノ伴奏による歌曲でしたが、オーケストレーションを施して管弦楽伴奏で初演されたのが1896年3月16日、ベルリンでした。この日は、1889年に一旦5楽章の交響詩として初演された交響曲第1番が、4楽章に改訂され現在の形で同時に初演されています。

「さすらう若人の歌」は、交響曲第1番と密接な関係を持っています。第2番から第4番が「子供の不思議な角笛」と密接な関係を持っているために「角笛交響曲」と呼ばれているのと同様な関係です。4つの歌曲からできていて、第1曲「恋人の婚礼の時」、第2曲「朝の野を歩けば」、第3曲「僕の胸の中には燃える剣が」、第4曲「恋人の青い瞳」からなっています。
このうち、第2曲が交響曲第1番第1楽章の第1主題になっており、第4曲が第3楽章の中間部の主題になっています。
第1曲は非常に寂しく切ないメロディで失恋の悲しみを打明けています
第2曲はこの曲集で最も明るい曲
第3曲はふられた恋人へ剣を振るうような妄想を描く激しい曲
第4曲は美しく穏やかな曲で締めくくりになっています。

第3曲です。

2011年3月15日 (火)

今日の音楽 3月15日 交響曲第4番(ベートーヴェン)

ベートーヴェンの9つの交響曲の中で最も地味な存在の候補のひとつが、交響曲第4番でしょう。シューマンが「2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女」と表現した第4番は、ちょっと「乙女」というには活発すぎる名曲だと思います。2人の巨人は、交響曲の大きな転換を示した第3番「英雄」と、新しい試みに溢れている第5番「運命」の事です。
第4番は、序奏こそ暗い印象を与えますがその後は終始軽快で楽しい曲です。第7番のシンフォニーが「リズム」を全面に押し出した曲ですが、第4番もかなりリズミックです。しかも主題が軽やかなメロディなので軽快感が余計に強く感じられる曲になっていると思います。

さて、実は、我々技術の未熟なアマチュアレベルで、ベートーヴェンの交響曲で最も演奏が難しいのは・・・というと、2人の巨人でもなければ、巨大作品の第九でもありません。この第4番は、かなり難しい曲と認識されています。(コントラバスにとっては田園の第4楽章という難物がありますが)。特にファゴットの分散和音の長いフレーズがあるのでファゴット殺しとも言われています。存在は地味ですが、曲は地味じゃないから聴いてみてくださいね。

終楽章です。

2011年3月14日 (月)

今日の音楽 3月14日 弦楽四重奏曲第13番(シューベルト)

シューベルトは使いまわしの名人です。
とにかく気に入ったメロディはあちこちで使う。しかも、それぞれが完成度が高い。そんな中でも、「ロザムンデ」の第3幕への間奏曲のメロディは弦楽四重奏曲と即興曲で用いられて、どの作品も現在でも多く演奏の機会がある曲ですね。

弦楽四重奏曲第13番は、1824年3月14日に初演されています。また、この曲は15曲ある弦楽四重奏曲の中で唯一存命中に出版された曲だそうです。

ロザムンデの序曲は、「魔法の竪琴」序曲の流用だそうですが、この第3幕への間奏曲は、オリジナルがどの曲だかはっきりしていないようです。初演から考えると、「ロザムンデ」が1820年、弦楽四重奏が1824年、即興曲D935の第3番が1827年頃の作曲と言われているので、ロザムンデの間奏曲がオリジナルというのが定説のようです。

弦楽四重奏曲第13番は第1楽章が、歌曲の「糸を紡ぐグレートヒェン」に基づいていて、第2楽章が「ロザムンデ」の間奏曲のメロディを使った変奏曲です。

ガルネリ四重奏団で第2楽章です。

2011年3月13日 (日)

今日の音楽 3月13日 ヴァイオリン協奏曲(メンデルスゾーン)

3大ヴァイオリン協奏曲の中でも、最もポピュラーな曲であるメン・コンは1845年3月13日に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で初演されました。指揮は、メンデルスゾーン本人の予定でしたが体調を崩し副指揮者のゲーゼが行い、本人はフランクフルトで静養していて初演を聴いていなかったそうです。

実はメンデルスゾーンはヴァイオリン協奏曲をもう1曲書いています。またピアノ協奏曲も3曲、他にも2台のピアノのための協奏曲なども残していますが、あまりにも他の曲との知名度の違いから、メンデルスゾーンの協奏曲=メンコンといえば、このヴァイオリン協奏曲という程の作品として知られているわけです。

構成はオーソドックスな3楽章形式をとっていますが、3つの楽章を途切れる事無く連続して演奏されます。連続しているにもかかわらず、3つの楽章は全く性格が違っていて、しかも繋ぎの部分に不自然さは無く、この3つの性格の違う楽章を1つの曲としてきちんと成立させているというのが、まずこの曲で感心させられるところだと思います。
第1楽章は苦しい程情熱的な、第2楽章はホットする伸びやかな美しさ、第3楽章は飛び跳ねるような喜びいっぱいの音楽・・・構成も複雑でなく非常に分かり易いという事もこの曲が愛される理由のひとつでしょうね。

ムターのヴァイオリンで、マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管で終楽章です。

2011年3月12日 (土)

今日の音楽 3月12日 君のともだち

1948年3月12日は、アメリカのシンガー・ソング・ライター、ジェームズ・テイラーの誕生日です。ボストンで生まれたジェームズ・テーラーは4人の兄弟全員が歌手となってCDをリリースした音楽一家。地味ながらも、グラミー賞など数々の賞を受賞しています。前の奥さんは歌手のカーリー・サイモン。今でも年に1枚程度のアルバムを発表しています。

代表作は、「君のともだち」You've got a friend. 
君がトラブルで、どうしようもない時、僕の名前を呼んで。春 夏秋冬、何処であっても僕はすぐに駆け付けるよ。だって、君は僕 の友達だから・・・
という内容のとてもステキな歌です。でも作ったのはジェームズ・テイラーではなく、キャロル・キング。キャロルのアルバムの曲をカバーして、ジェームズ・テイラーが全米一位にしてしまった曲です。朴訥なジェームズの声が、とても合ってるんですよね。

ジェームズ・テイラーの歌、キャロル・キングがピアノで共演したライヴです。

2011年3月11日 (金)

今日の音楽 3月11日 カプレティとモンテッキ序曲

作といわれる作品があります。偉大な作曲家でも、無理矢理書かされたとか、気が乗らなかったなどの理由で???と思うような作品が必ずあると言っても過言では無いかもしれません。例えばベートーヴェンのトリプルコンチェルトとか戦争交響曲・・・本当に駄作かどうかは知りませんが世の評価的にはそういわれていますね。

ベルリーニの歌劇「カプレーティとモンテッキ」序曲も駄作のひとつだと思ってしまいます。1830年3月11日に初演されたこのオペラ自体はきちんとした作品です。「ロミオとジュリエット」の題名でも有名なシェークスピアの作品には数多くの作曲家が曲をつけています。ベルリオーズ、チャイコフスキー、グノー、プロコフィエフが有名どころですが、このオペラは台本が少し異なっているそうです。

で、この序曲。駄作といってしまう訳は、
①とても悲劇の序曲とは思えない
②美しい旋律が続く本編とは似ても似つかない
③そして、まるでロッシーニの曲
どう思いますか?聴いてみてください。

2011年3月10日 (木)

今日の音楽 3月10日 交響曲第3番「典礼風」

1892年3月10日はオネゲルの誕生日です。以前命日には「夏の牧歌」を取り上げましたが、今日はもう少し本格的な曲。交響曲第3番「典礼風」です。オネゲルはミヨーなどとともにフランス6人組のひとりですが、他のメンバーがアンチワーグナーだったにも拘わらず、ワーグナーの音楽に傾倒していたようです。その為にオーケストレーションはどちらかというとドイツっぽい重厚な響きを聞かせてくれます。

交響曲第3番は第二次大戦終了直後に作曲された曲で、詩篇からとられたタイトルが各楽章につけられています。第1楽章が「怒りの日」、第2楽章は「深き淵より」、第3楽章が「我等に平和を」です。但し、直接聖歌などを使用したわけではありません。
第1楽章は、神の怒りを前にした人間の恐れを激しいリズムと不協和音で表現しています。
第2楽章は、うってかわって、非常に美しく気高い音楽です。
第3楽章は、ゆったりとした行進曲風の音楽ではじまり3分の2ぐらいをかけてクレッシェンドし音楽の高みを目指します。その後は最後まで穏やかに平和を歌う、というオネゲルの5つの交響曲の中では最長の30分を越える曲です。

第1楽章の「怒りの日」 カラヤン ベルリンフィルです。

2011年3月 9日 (水)

今日の音楽 3月9日 ウィンザーの陽気な女房たち

オットー・ニコライの代表作である、喜歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」が初演されたのは1849年3月9日。ベルリン王立歌劇場でした。ニコライといえば、ウィーンフィルを作った人という事でも名前が残っていますが、シェークスピアの原作に基づくドイツ語のジングシュピーレの最高傑作とも言われている作品です。

序曲は、最初は優雅で、その後はお洒落でちょっぴり悪戯っぽく、少し大袈裟な本当に軽妙洒脱で素敵な曲です。ただし、序曲が初演されたのはこの時ではなくて、1847年4月1日にウィーンフィルの演奏で初演されたそうです。

2011年3月 8日 (火)

今日の音楽 3月8日 交響曲第2番(シベリウス)

1902年3月8日にヘルシンキで初演されたのが、シベリウスの交響曲第2番です。シベリウス通に言わせると、(というか、一部評論家に言わせると)シベリウスの真価が発揮されるのは3番以降のシンフォニーで、1・2番は聴くに値しないなどと極端な事を言う人もいますが、シベリウスの音楽の本質が何であれ、良い曲は良い曲だと思いますね。

第1楽章から第2楽章までは北欧の厳しい冬を感じさせる鬱積した音楽、第3楽章は厳しい冬から春を覗かせる牧歌的な音楽を挟んで、終楽章で本当の喜びが爆発していく・・・と、感じていたのですが実のところはそういう標題的な音楽では無いようです。
ピチカートに乗った第2楽章は、ドンファンの伝説やフィレンツェの印象から着想したものだそうです。
フィンランディアと同じようなロシアの圧政に耐えるフィンランド人と解放の喜び、と充てつける人もいるようですが、それもシベリウスが意図したものでは無かったようです。

まあ、シベリウスの曲は聴くのは最高だが、コントラバスにとっては弾くのは地獄という曲が多くて、この2番も、終楽章冒頭の盛り上がったテーマのところで冷静に単調なリズムを延々と打ち続けるという悲しい曲ですね(笑)

持っている音源は
ベルグルンド ヘルシンキフィル
コリン・デーヴィス ロンドン響
コリン・デーヴィス ボストン響
オーマンディ フィラデルフィア管
バルビローリ ハレ管
モントゥー ロンドン響
です。一般的に名盤と言われているバルビローリやベルグルンドは勿論良いのですが、モントゥー盤も結構良いです。

ヤルヴィの指揮(オケは不明)で第3~4楽章です。

2011年3月 7日 (月)

今日の音楽 3月7日 サラバンド(ヘンデル)

1999年3月7日は、映画監督スタンリー・キューブリックの命日です。キューブリックは「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」などでクラシック音楽を効果的に使っていますが、「バリー・リンドン」は18世紀の話なのでバロック音楽が多く使われています。その中でもテーマ音楽として印象的に使われていたのが、ヘンデルのチェンバロ組曲第11番ニ短調(第2集の4番)のサラバンドです。
これをこの映画で音楽を担当したローセンマンがオーケストラに編曲したものです。

2011年3月 6日 (日)

今日の音楽 3月6日 ハーリ・ヤーノシュ

ハンガリーを代表する作曲家、民族音楽学者、哲学者であったコダーイ・ゾルタンの命日は1967年3月6日です。コダーイは、ハンガリーの音楽を収集・研究し、バルトークにもハンガリー民族音楽の手ほどきをして共同で民謡集を出版したりと、ハンガリー音楽にとっては非常に重要な音楽家でした。
代表作とも言える「ハーリ・ヤーノシュ」は、ハンガリー版ほら男爵の冒険とも言える話を元にしたジングシュピール(セリフつき音楽)ですが、今日では、その中から6曲を抜粋した組曲がよく演奏されます。残念ながら、ツィンバロンという特殊楽器が登場するのでアマオケでは取り上げられる機会は多くはありません。スコアにもピアノまたはチェンバロで代用と書いてありますが、やはりツィンバロン独特の響きは再現できないので避けられるのでしょうね。

ハンガリーでは、聴き手がくしゃみをするとその話は真実である、という言い伝えがあります。第1曲目の「前奏曲、おとぎ話始まる」では、冒頭に合奏でくしゃみが表現され、その後低弦で「昔昔・・・」と語りが表現され、それがクライマックスに達して終わります。第2曲の「ウィーンの音楽時計」は低音楽器(ファゴット、トロンボーン等)を除く菅打楽器だけの曲で。第3曲の「歌」はヴィオラのソロ(伴奏なし)から始まるハンガリーの歌で、やがて他の楽器に受け継がれツィンバロンが絡んでいきます。第4曲はピッコロ、サックス、トランペット、トロンボーン、チューバと打楽器だけで演奏される「戦争とナポレオンの敗北」では、ナポレオンがハーリの姿を見ただけで恐れおののき命乞いをしたというストーリーで最後は葬送行進曲で締めくくるとても面白い音楽です。第5曲は、有名な間奏曲。ツィンバロンとオーケストラの絡みが聴けます。第6曲は「皇帝と廷臣たちの入場」で最も華やかな曲。バスドラムの一発で音楽を終えます・・・但し、基のジング・シュピールでは途中の曲ですけれど。

とても楽しい曲ですから、もっと演奏される機会が多くても良い曲ですね。

第6曲と第5曲です。

2011年3月 5日 (土)

今日の音楽 3月5日 ロミオとジュリエット

1953年3月5日午後6時、プロコフィエフが突然の脳出血で死去しました。
ソヴェトの作曲家は多かれ少なかれ共産党に翻弄されて自らの作曲活動に影響が出ていますが、プロコフィエフは共産党に迎合した作曲家と言われています。しかしながら、そういう芸術家でも少しでも気を抜くと、すぐに批判を浴びる・・・というわけで、スターリンに媚を振るようなジダーノフ批判にもさらされた事がありました。実は、そのスターリンも1953年3月5日、プロコフィエフの死の3時間後に死去しています。

プロコフィエフもロシア革命期にはアメリカに亡命した事があり、亡命途中で日本を経由して2ヶ月余を東京や京都、奈良などで過ごしていますが、あまり彼の作品に影響を与えてはいないようですね。彼の作品は、上記の理由から前衛的な手法はとらず、ロシアらしい激しいリズムと保守的な和声が軸になっているため、20世紀の作曲家としてはとても聴き易い音楽になっています。

作品の数は膨大なので、今回は人気の高いバレエ「ロミオとジュリエット」を取り上げました。
プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」は当初はハッピーエンドで書かれています。その理由は死者にバレエを踊らせるわけには行かない、という事でした。その後、振付師などとの相談で、悲劇的な結末を踊りで表現できるという事で、書き直しをしています。
全曲で2時間半にも及ぶ長い曲なので、演奏会用に組曲も編んでいますが、その組曲自体も第1から第3までの3作品あり、そのほかにも小品集を編曲しています。
演奏会では、編成の都合や人気の曲を集めたりと、必ずしもこれらの組曲に則って演奏するだけでは無いようなので、CDとかを買う場合は要注意です。
特に「モンタギュー家とキャプレット家」(第2組曲1曲目)は、のだめで使われたり(オクレールさんのテーマでした)CMで使われたりと露出の多い曲です。

2011年3月 4日 (金)

今日の音楽 3月4日 そよ風のメヌエット

1935年3月4日はイージーリスニングの大御所ポール・モーリアの誕生日です。

フランク・プウルセル、レイモン・ルフェーヴル、フランシス・レイと並ぶフランスのムードミュージックを引っ張ったアーチストでした。「恋はみずいろ」の大ヒットで一躍スターの座に上り詰めたモーリアは、その後も「エーゲ海の真珠」「涙のトッカータ」「オリーヴの首飾り」などヒット曲をリリースし2006年11月に急性白血病で帰らぬ人となりました。

親日家としても知られ、日本での公演回数は1200回を超えています。また、自らも作曲し、邦画の「窓からローマが見える」の音楽も担当しています。

彼の自作曲の中でも軽やかで爽やかな「そよ風のメヌエット」を取り上げました。この曲はメルシャン・ワインのCM曲にも採用され、ポール・モーリア自身も出演しています。
そよ風のメヌエットなど5曲のメドレーのようです。

2011年3月 3日 (木)

今日の音楽 3月3日 交響曲第3番「スコットランド」

メンデルスゾーンが最後に作曲した交響曲第3番イ短調「スコットランド」が初演されたのが1842年3月3日でした。初演はもちろんライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。?と思う方がいると思いますが、メンデルスゾーンの交響曲は出版順に番号が付けられていて、4番・5番の方が完成は早かったのですが出版が死後になった為なのです。

この曲は、コントラバスにとっては超絶技巧の連続です。だいたい、メンデルスゾーンという作曲家はコントラバスにとっては非常に優しくない作曲家です。前に書いたように「フィンガルの洞窟」という難曲をはじめどれひとつとっても苦労の連続です。何が大変なのかといえば一例として分散和音の多使用が挙げられます。見てもらってわかるように、コントラバスという楽器は弦と弦の間隔が非常に広いため移弦がなかなかスムーズに行きません。速いフレーズの最低音のE線から最高音のG線まで一音ずつ出しながら上がって行くのは、ただでさえ他の楽器の2倍ぐらいの重さがある弓なのですからとても大変です。左手だって4つの弦が五度でチューニングされるチェロ以上の弦楽器であればポジション(左手を構える場所)を移動せずに五度進行の分散和音が演奏できるのに、四度チューニングのコントラバスはポジション移動を伴ってしまうわけです。弓を持つ右手がバタバタ、左手がバタバタですから、細かい音程とか音色になんかかまっていられん!というのが、私程度のアマチュア奏者の本音です。

ところで、この曲は「フィンガル」同様イギリスに行った時に得た着想を元に作曲されています。第2楽章のスケルツォは明らかにスコットランド風の音楽を意識して作られています。が、謎というか賛否分かれるのが最終楽章のコーダ。この曲の最終楽章はずっと短調で推移します。ところが、中途半端な雰囲気で終わったと思ったら、突然長調で雄大な音楽が始まります。ここからがコーダなのですが、それまでの音楽と全く雰囲気が変わってしまうのです。

皆さんは、このコーダをどのように感じますかね。

コンヴィチュニー指揮の初演と同じゲヴァントハウス管で第4楽章です。

2011年3月 2日 (水)

今日の音楽 3月2日 売られた花嫁序曲

スメタナといえば、チェコ国民楽派の祖であり、ベートーヴェン、フォーレと並ぶ難聴の作曲家として知られています。1824年3月2日ボヘミアで生まれ24歳でリストの援助もあって音楽学校を設立しチェコならではの音楽の発展に大きく寄与しました。ドヴォルザークに影響を与え、フィビヒを育てたスメタナはチェコでは英雄のひとりのようです。

スメタナはドボルザークとは異なり、チェコの伝説や風物などを題材にストレートに表現した作品を数多く作曲しています。中でも連作交響詩「わが祖国」は「ヴァルタヴァ(モルダウ)」を代表に今でも演奏される機会が多い作品です。

スメタナはオペラでもチェコを題材にした作品を数多く残していますが代表作は「売られた花嫁」でしょう。ボヘミアの農村を舞台にしたオペラブッファでボヘミアの舞曲であるポルカやフリアントも使われています。序曲は、単独で演奏される事も多い作品です。グリンカのルスランとリュドミラ、モーツァルトのフィガロの結婚と並ぶ、超高速序曲としても知られていて結構合わせるのが大変な曲です。

2011年3月 1日 (火)

今日の音楽 3月1日 練習曲作品10-3(ショパン)

ショパンの誕生日は1810年3月1日・・・という事になっています。出生証明書は2月22日なので、なっています・・なんですけどね。

ショパンはポーランドで生まれましたが、ロシアなどの列強に蹂躙される故国を離れウィーンを経由してパリへ行きます。その後はパリで音楽活動を行っています。しかしながら、望郷の思いが強くマズルカ、ポロネーズといったポーランドの民族音楽を基本とした作品を数多く残しています。

また、ショパンはシューマン、リストといったピアノ曲のスペシャリストと異なりピアノ曲以外の分野の作品には殆ど手をつけていません。まさにピアノ一筋といった作曲家でした。

数多いショパンのピアノ曲の中でも最も愛されている曲が、練習曲作品10の3、通称別れの曲です。ショパンは自分の作品に愛称を付ける事を嫌がった為に、この別れの曲という愛称もこの曲を主題歌に使った映画から取られたものです。
練習曲といっても「木枯らし」とか「革命」、「黒鍵」などハイスピードの曲と全く異なる表現力を磨く為の曲でフレージングやレガートに重きが置かれているため、コンサートピースとしても十分に聴かせられる作品になっています。
ショパン自身も、「一生に二度とこんな美しい旋律は見つけられないだろう」と言っている程の作品ですね。

カツァリスのピアノです。

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