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2011年2月28日 (月)

今日の音楽 2月28日 弦楽のためのソナタ第1番

2月29日に生まれた人は、4年に1度しか誕生日が来なくて気の毒ですね。閏年以外の年は自分の誕生日はいつ祝ってもらっているのでしょうか。28日?それとも3月1日。

そんな不幸な大作曲家がひとりいます。ロッシーニ。30代で作曲家を辞めて美食家に転向した((^∇^)マエストロです。1792年2月29日の生まれです。
ロッシーニといえば、セヴィリャの理髪師とかウィリアム・テルなどオペラ作曲家として名が残っていますが、今日は弦楽のためのソナタ第1番です。

ロッシーニは、パトロン的存在になったトリオッシとその従兄弟及びロッシーニのために6つの四重奏曲を書きました。普通弦楽の四重奏曲といえば、2本のヴァイオリンとヴィオラ、チェロのための曲ですが、弦楽のためのソナタは全部ヴィオラが無く、コントラバスが加わっています。と言っても作曲されたのはわずか12歳の時。たまたま、このメンバーの楽器がこの4つの楽器だったという事だそうです。子供の遊びで弾くための曲(それにしては結構難しい)だったようです。全曲3つの急-緩-急の楽章で出来ていてとても爽やかな印象の曲です。今では弦楽合奏(ごめんなさいヴィオラはお休みです)でも演奏されます。

ところでヴァイオリンの一番低い弦とコントラバスの一番高い弦(値段じゃないですよ)の間には1オクターヴの開きがありますので、実質的には2オクターヴ以上開いているわけです。その間をチェロ1本で補完するのですから、チェロはかなり大変な曲です。

第1楽章です。

2011年2月27日 (日)

今日の音楽 2月27日 交響曲第8番(ベートーヴェン)

ベートーヴェンの9つある交響曲(戦争交響曲は除く)で人気投票をすると、おそらく第2番と最下位争いをするであろう曲が第8番でしょう。リズミックで「のだめ」で一気にブレークした第7番と「歓喜の歌」の第9番の間にあって影の薄い第8番ですが、実はこの曲がベートーヴェンの交響曲の集大成とも言われている曲です。この第8番の初演が1814年2月27日でした。

形式的にも急-緩-メヌエット-急という楽章構成であり、編成もオーソドックスな2管編成という事で、古典的交響曲への回帰とも言われていますが、実は細かく見るととても魅力的な作品なのです。
この曲の特徴は、
①前奏が無く、いきなり第1主題の提示から始まる
②第1楽章の終わりが、第1主題の断片で終わっている
③第2楽章が緩徐楽章になっておらず(テンポはゆったりしているが)実質的なスケルツォ。ここではメトロノームの発明者メルツェルを讃えた「親愛なるメルツェルさん」という自作の合唱曲を使っている。そのため、テンポの揺れが全く無い。
④第3楽章は、スケルツォではなくメヌエットを用いている。
⑤終楽章が弱音で始まる。微弱音で終楽章が始まるのは4番だけ。

いずれにしても、コンパクトに纏まっており可愛らしい曲なのですが、演奏する側は結構難しい曲です。アンサンブルが非常に難しいし、第2楽章のように一定のテンポで延々と演奏するというのは簡単そうで簡単ではありません。終楽章は本当にアンサンブルが難しくて、アマチュアではキチンと合奏練習できていないと毛羽立った曲になってしまいます。
緻密なアンサンブルを楽しんでいただける曲だと思います。

終楽章です。

2011年2月26日 (土)

今日の音楽 2月26日 交響曲第1番(ビゼー)

1935年2月26日、バーゼルで初演されたのが、ビゼーの交響曲第1番ハ長調です。
ビゼー17歳の時の瑞々しい作品です。

って、あれれ? ビゼーって20世紀の作曲家だっけ? と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ビゼーは1838年の生まれ。しかもビゼー自身はわずか37歳で早逝した天才作曲家ですので、死後60年たって始めて演奏されたというわけです。
ビゼーの頃、フランスではオペラや劇用の音楽、バレエ音楽などの舞台がらみの音楽以外のオーケストラ曲は全く不人気で殆ど演奏される事がありませんでした。大御所サン=サーンスの交響曲でさえ生前は演奏されなかったのですから17歳の無名であった若造の曲なんぞは全く振り向きもされなかったのでしょう。
そういうわけで、20世紀になって初めて演奏された曲ですが、非常に溌剌とした屈託の無い作品なので現代も人気があるのでしょう。ハ長調という、オーケストラ作品としては扱い難い調性(♭も♯もなくて譜面は読みやすいですけど)というのも、若さを感じさせます。

特に、第2楽章の美しいオーボエの旋律は印象に残るメロディでしょう。30分という適度の長さでもあり肩も凝らずに、かと言っていつの間にか終わっているという曲でも無いので、是非疲れた時に聴いて見て欲しいものです。

なお、第1番となっていますがその後の交響曲は全て破棄されて残っていないため、現在では第1番と呼ばない場合が多いようです。
オストロフスキー指揮のビルケント交響楽団(トルコのオケだそうです)で第2楽章です。

2011年2月25日 (金)

今日の音楽 2月25日 ピアノ協奏曲(アレンスキー)

1906年2月25日は、ロシアの作曲家アレンスキーの命日です。
アレンスキーって誰? というのが大半の人でしょうし、ロシアの作曲家という割にはロシアっぽい音楽という感じではありません。。というところが、アレンスキーを忘れられた存在にしてしまった理由かもしれません。

アレンスキーは、これがアレンスキーだという様式を持たなかった作曲家と言われています。もっとも亡くなったのが44歳ですから、これから自分の様式を確立する前に世を去ってしまったのかもしれませんけど。
当初は、リムスキー=コルサコフの影響を受け、その後はチャイコフスキーの影響を受けた作風と言われていますが、ロシア音楽だけでなくショパンやシューマンなどの影響も感じさせる作曲家です。独自の世界を持たない芸術家というのは、なかなか後世に残るのは難しいですね。但し、作品自体は非常に丁寧に作りこまれていますので、聴いてみて損は無いとは思います。

代表作といえばピアノ三重奏曲第1番ですが、このピアノ協奏曲もなかなか良い曲ですよ。2楽章からなる曲で、第1楽章の初めはショパンのピアノ曲のような雰囲気を持っています。第2楽章は変奏曲になっています。

2011年2月24日 (木)

今日の音楽 2月24日 歌劇「メフィストフェレ」

作曲家、文学者、台本作家の肩書きを持つアッリーゴ・ボイトの誕生日は1842年2月24日です。ヴェルディの「諸国民の讃歌」の作詞を20歳で行った俊英でしたが、音楽の世界では大成功をつかむ事ができませんでした。当時はヴェルディの全盛期。ボイトの代表作「メフィストフェレ」は、ファウストの第一部、第二部を悪魔メフィストフェレ側から語る知的なオペラでしたが、時代が時代で、この糞真面目で重苦しい題材で長いオペラが大衆から支持を得る事はできませんでした。ボイトはワーグナー同様自ら台本を作成していますが、寧ろ、ヴェルディの「オテロ」や「ファルスタッフ」の台本作者、当時失敗作として上演されていなかった「シモン・ボッカネグラ」の改訂を行い復活させた作家・・・の方が業績としては残っています。

それでも、トスカニーニがこの「メフィストフェレ」を好んで上演し、何度も改訂が加えられた事もあって、現在でも唯一ボイトの作品として世に残っているわけです。

マルゲリータのアリア「いつかの夜、暗い海の底に」です。

2011年2月23日 (水)

今日の音楽 2月23日 交響詩「レ・プレリュード」

交響詩という形式を確立した作曲家は、フランツ・リストです。元々、標題音楽的な曲と言うのは多数存在していました。例えばベートーヴェンの戦争交響曲とか、ベルリオーズの幻想交響曲が代表的な作品です。それを『交響詩』という形式にしたのがリストで、13曲あるリストの交響詩の中でも最も有名な曲が、交響詩「レ・プレリュード(前奏曲)」です。この曲は1854年2月23日にワイマールで初演されています。

マルティーヌの詩、人生は死への前奏曲である、から着想を得たこの作品は、ナチスドイツ時代の宣伝にたびたび使われた事で、若干辛い目に合っていますが、田園風景を思わせるのどかな音楽から勇壮な行進曲まで、様々な顔を見せる名曲です。死への第一歩を踏み出す人生の始まりという重苦しい音楽に始まり、運命に挑む勇ましい行進曲へと次第に人生の意義を前向きにとらえる姿へと変化して行くわけですが、現在は国際的俳優になった渡辺謙がまだ若い頃に出演した伊丹十三監督の「タンポポ」という売れないラーメン店を救う映画で使われていたのが非常に印象的でした。

2011年2月22日 (火)

今日の音楽 2月22日 交響曲第4番(チャイコフスキー)

1878年2月22日、チャイコフスキーの交響曲第4番がサンクトペテルブルグでニコライ・ルビンシュテインの指揮で初演されました。この頃、チャイコフスキーはメック夫人というパトロンを得る事が出来、作曲に専念する事が可能になりました。第3番までの作品と、第4番以降の落差の要因のひとつは、ここにあると言われています。

第4番は、チャイコフスキー自身が強い標題性があると告白しています。隠された標題は「運命」です。非常に神経質であったチャイコフスキーは運命について考え続け、最終的には運命に対する勝利が表現された曲です。第1楽章は長く陰鬱な曲です。途中には狂気をも感じさせる各楽器の狂騒があったりしますが、終始陰気な楽章です。第2楽章は寂しさと夢を描いています。オーボエで始まるテーマはおよそ美しさとは縁遠い暗い感じです。第3楽章は踊りの音楽です。運命を振り切るためでしょうか、弦のピチカートだけの主部を持つ狂ったような踊りの音楽で、終楽章の勝利へ繋がって行きます。

運命の中に、喜びを見つける事ができる、という事を高らかに歌い上げて曲を終えます。

バレンボイム指揮シカゴ交響楽団で終楽章です。

2011年2月21日 (月)

今日の音楽 2月21日 ローマの祭り

レスピーギのローマ三部作の最後を飾り、最も規模が大きく長い作品「ローマの祭り」は1929年2月21日トスカニーニ指揮のニューヨークフィルで初演されています。

4つの曲は切れ目無く演奏されます。1曲目は、古代ローマの暴君ネロが円形劇場で行ったキリスト教徒虐待のための祭りを激しい音楽で表現している「チルチェンセス」。2曲目は古い賛美歌をモチーフとした「50年祭」、3曲目はルネサンス時代の祭りを表現した「十月祭」で、この曲の中では最もメロディックなパートです。4曲目は「主顕祭」で狂気乱舞の世界です。

基本は三管編成ですが、打楽器や特殊楽器が多いのでなかなか生演奏に接する機会が無い曲です。そういう点からも、なかなか馴染みの無い曲ですが、好きな人は好きみたいですね。
ただ、終始盛り上がりっぱなしみたいなところがあって、ローマの松などに比べてメリハリ感が薄いかもしれません。
トスカニーニの指揮です

2011年2月20日 (日)

今日の音楽 2月20日 白鳥の湖

バレエといえば、まず最初に頭に浮かぶほど代表的なバレエ曲「白鳥の湖」が初演されたのは1877年2月20日でした。
こんな有名な曲なのですが、しばらくの間埋もれた作品だったというのは驚きです。ボリショイ劇場の依頼で作曲されたのですが、初演がダンサーや指揮者に恵まれず評判が悪く、しばらくは再演されていたものの舞台装置の破損などによって譜面はチャイコフスキーの書斎に打ち捨てられていたそうです。プティパとその弟子のイワノフによって改訂が施され1895年に蘇演されて以降、現在のようなバレエの代表作になったという事で、要するにチャイコフスキーの生きている間には、今のような評価は無かったわけです。もっとも、音楽自体は初演の失敗を残念に思ったチャイコフスキーが組曲版として演奏会に使用したため演奏される機会はあったそうです。

第2幕の情景の音楽、ワルツ、ファゴット殺しの四羽の白鳥たちの踊り、ヴァイオリンとチェロのソロがある間奏曲、民族色豊かな踊りなど組曲にある曲も、無い曲も名曲がたくさんありますが、やっぱり華やかなワルツにしましょう。ちょっと中間部が冗長の感じはありますが、チャイコフスキーのワルツはどれをとっても色彩豊かですね。

バレエの映像を探してボリショイのものをみつけたのですが、音が悪いです。

2011年2月19日 (土)

今日の音楽 2月19日 四季(グラズノフ)

1900年2月19日に、グラズノフの代表作であるバレエ「四季」が初演されています。グラズノフについては、彼の誕生日である8月10日に取り上げていますから詳しくは書きませんが、教育者としては超一流だったグラズノフもストラヴィンスキーなどの新しい技法に乗らなかったため保守的な作曲家と考えられていましたが、最近はラフマニノフ同様その価値を再認識されているようです。

「四季」は1幕4場からなるストーリーの無いバレエで、冬から始まり秋で終わっています。勿論日本の四季とは感覚が違っていますが、厳しい寒さの冬も、むしろ雪の白さなど明るく表現していますし全体的にメロディの美しさが際立つ作品です。
冬は、霜、氷、霰、雪の4つの変奏曲
春は、バラの踊り、小鳥の踊り
夏は、矢車菊とけしのワルツ、舟歌、変奏曲
秋は、バッカナール、小さなアダージョ、バッカスの礼賛、アポテオーズ
という部分からできています。

ともかく肩凝らずに聴けるし、もっと人気出ても良い曲だと思うんですけど・・

春です。

2011年2月18日 (金)

今日の音楽 2月18日 イタリアの印象

1956年2月18日はフランスの作曲家シャルパンティエの命日です。
シャルパンティエはマスネの弟子でフランスにおける最初のヴェリズモ・オペラといわれる「ルイーズ」の作曲者です。
シャルパンティエは、実質的には1910年代以降は殆ど作曲をしなくなってしまい、音楽教育に力点を移してしまったため残された作品は多くはありません。

その中で、管弦楽作品の代表作が組曲「イタリアの印象」です。
ローマ大賞を受賞し、受賞者の義務として作曲した交響詩「ナポリ」が審査員の一人であるサン=サーンスから高い評価を得たために、構想を広げ5つの楽章からなる交響的組曲としました。それぞれの曲に下記のようなプログラムがついています。

第1曲「セレナード」:酒場から出てきた若者が、恋人の窓辺で愛の歌を歌う。夜が更けて遠くの教会から鐘の音が聞こえる
第2曲「泉のほとりで」:谷間の泉に少女たちが水汲みに列をなしてやって来る。腕も足もあらわに頭にはブロンズの瓶をのせている。山の彼方から牧童の歌が聞こえてくる。
第3曲「騾馬に乗って」:夕方、山道をロバが鈴の音をたてて帰ってくる。馬子と少女の歌が聞こえる。
第4曲「山の頂にて」:真昼、ナポリ湾に面したソレントから町と海と島を眺める。ロマンティックな景観に魅了される。教会から鐘が聞こえ、あたりに小鳥が囀る。
第5曲「ナポリ」:旧作の交響詩『ナポリ』を転用したもの

第1曲のセレナードは、冒頭から延々と弦楽器の高音のユニゾンが続きやがて愛の歌になります。
第3曲は、何故か鈴の音が・・・騾馬というよりはトナカイという雰囲気?

師匠のマスネの「絵のような風景」をお手本に作られていますが、私個人的にはちょっと大袈裟という感じがします。だいたい、イタリアというとメンデルスゾーンの4番とか、チャイコフスキーのイタリア奇想曲という勿論曲の中には明暗はあるものの重厚な雰囲気を感じさせる曲ではないのですが、ちょっと重たい(オーケストレーションが厚すぎ)感じがしてしまいます。
みなさんは、どう感じるでしょうか。

第3曲の「驢馬に乗って」です。

2011年2月17日 (木)

今日の音楽 2月17日 仮面舞踏会

仮面舞踏会は音楽の題材に数多く使われています。中世の貴族社会・上流階級の象徴という面が材料として使われ易いのでしょうね。思いつくだけでも、ハチャトゥリャン、ニールセン、少年隊(笑)、プロコフィエフのロミオとジュリエットの中にもありますし、バーンスタインの交響曲第2番の第2部・・・マスカレードというタイトルでレオン・ラッセルが作曲しカーペンターズやジョージ・ベンソンも歌った曲etc・・・

ヴェルディの中期作品の中の傑作のひとつが「仮面舞踏会」です。この曲が初演されたのが1859年2月17日。ですが、初演には紆余曲折がありました。元々はナポリの劇場から依頼を受けて作曲したものですが、1792年スウェーデンの啓蒙君主グスタフ3世がストックホルムのオペラ座で上演されていた劇 仮面舞踏会の最中に暗殺された事件を題材にした戯曲を元にしていたため、当時検閲の厳しかったナポリでは「王の暗殺」は不味いだろうという事で断念、それ程厳しくなかったローマで初演する事になりました。ただしローマでも、ストーリーの舞台をヨーロッパ以外にする事という条件がつけられました。その為に、舞台はイギリス植民地時代のボストン、国王をボストンの総督、暗殺者の伯爵を総督の秘書に変更してようやく上演にこぎつけたというわけです。

この曲も魅力的なアリアがたくさんあります。第1幕の総督リッカルドのアリア「今度の航海は無事だろうか」、第2幕の暗殺者レナートの妻アメーリアのアリア「あの草を摘み取って」、第3幕のアメーリアのアリア「私の最後の願い」など単独でも歌われる曲がたくさんありますが、その中でリッカルドがアメーリアを思って歌う「永久に君を失えば」は、前奏曲のメインのメロディとしても使われている美しいアリアです。

パヴァロッティです

2011年2月16日 (水)

今日の音楽 2月16日 フルート協奏曲(尾高尚忠)

イギリスや日本で活躍している指揮者の尾高忠明さんのお父さん、尾高尚忠さんが亡くなられたのが1951年2月16日です。
尾高家は渋沢栄一にも繋がる名家で尚忠の父親や兄弟も実業家や学者という名門一家でした。
尚忠は、ウィーンに留学し指揮法をワインガルトナーに師事するなど指揮者として活躍。日本に戻ってからは新交響楽団(N響の前身)の専任指揮者になりますが、強行スケジュールの中極度の疲労で、わずか39歳で亡くなっています。現在では、N響が尚忠の功績を讃え日本では最高峰の作曲賞尾高賞を創設して名前を残しています。

多忙のため、作曲家としての作品は多くはありませんが、遺作となったフルート協奏曲は当時フルート奏者だった森正の依頼を受けて小編成(独奏フルートとホルン、ハープ、弦楽合奏)として1948年に初演されました。ベースはあくまでもヨーロッパ的な音楽ですが、日本的な旋律も垣間見える清清しい曲です。これを大編成の曲に編曲をはじめ、完成までわずかというところで、尾高は倒れてしまいました。残された最終ページの数小節を弟子の林光が完成させて1951年3月に初演されています。

不協和音や無調性が苦手で、どうしても敬遠してしまう人でも安心して聴く事ができる曲です。

2011年2月15日 (火)

今日の音楽 2月15日 イワン・スサーニン

ロシア国民楽派の祖グリンカは1857年2月15日に亡くなっています。誕生日の6月1日に「ルスランとリュドミラ」を取り上げたので、今日はもう一つの代表作である、歌劇「イワン・スサーニン」です。

「イワン・スサーニン」は、17世紀の初めにロシアに侵入したポーランド兵にモスクワへの道の水先案内を強要された農夫イワン・スサーニンが、とんでもない密林の奥地にポーランド兵を誘い込み、それに気がついたポーランド兵に処刑されますが、そのおかげでポーランド兵は壊滅し皇帝の命を救ったという話。初演当時のニコライ一世の命で「皇帝に捧げし命」と命名されたこの曲は、ロシア革命後に「イワン・スサーニン」と、タイトルを変えられてしまいました。(最も、グリンカ自身は最初は「イワン・スサーニン」という題名にしていたようです)

この曲の序曲は、有名な「ルスランとリュドミラ」とはかなり雰囲気の異なる西洋的な曲です。グリンカ自身がロシア国民音楽の祖と言われてはいますが、弟子の五人組に比べれば、まだイタリア・ドイツの音楽の延長線という感じがします。このオペラもロシア語、ロシアの民話に基づく、ロシア風のメロディを使っている、という以外ではオペラ様式はイタリアオペラそのもので、音楽自体もまだイタリア・ドイツ系を基本としています。グリンカ自身幅広く海外へ旅し見聞を広げているので、良いところをまだ取り入れている時期だったんでしょうね。なので、この序曲も「ルスラン・・・」に比べてちょっとインパクトは弱いですね。

コンドラシン指揮のモスクワフィルです。

2011年2月14日 (月)

今日の音楽 2月14日 交響曲第2番(ボロディン)

歴代ナンバーワンのアマチュア作曲家はボロディンかムソルグスキーでしょう。とりわけ、ボロディンは本職の化学者としては「ボロディン反応」という名称を残すほどの人であり、また医者としても活躍していました。その上、音楽の世界でも「イゴーリ公」「中央アジアの草原にて」「弦楽四重奏曲第2番」など後世に残る作品を作り上げました。なにしろ本業が忙しすぎて、なかなか作曲に費やす時間がとれず作品の数は少ない遅筆の作曲家として有名ですが、それでも大したものですねぇ。

1877年2月14日にサンクトペテルブルクで初演されたのが、ボロディンの交響曲第2番です。この曲はボロディン自身が「勇士」と名づけたほど勇壮な曲です。で、遅筆のボロディンのことですから完成までには8年かかっています。
1871年にこの曲の第1楽章のスコアを見て感激したチャイコフスキーが、「いい曲ですね。早く完成するように急いでください」と言ったところ「実はまだ第1楽章しかできていないのです。手紙を書きながら顔が赤くなってしまいます」という返事を送ったとか・・・。夜、ピアノを弾くと家族の安眠の妨げになるという気遣いから、なかなか作曲が進まなかったようです。

この曲本当に第1楽章、第2楽章は勇壮な曲です。緩徐楽章である第3楽章はいかにもロシアという曲です。あまり聴く機会が無いとは思いますが、もう少し人気が出ても良いような気がしますけど・・・
第4楽章です。

2011年2月13日 (日)

今日の音楽 2月13日 芸術家の生涯による交響的変容

他の作曲家の作品をピアノや他の独奏楽器用に編曲したり、オペラなどの長大な曲をパラフレーズして気軽に聴けるようにした音楽家は少なからずいます。代表的なのはリスト。ベートーヴェンの交響曲全曲、幻想交響曲、ワーグナーのオペラなどをピアノ1台や連弾に編曲するなど数々のピアノ用にアレンジした曲を残しています。その他では、クライスラー、ラフマニノフ、ハイフェッツ、サラサーテなど一流の演奏者兼作曲家に多くの編曲が残されています。
その中で、変り種のピアニストといえば、ポーランドのゴドフスキー。1870年2月13日はゴドフスキーの誕生日です。The pianist of pianistsと呼ばれるゴドフスキーは、華やかな演奏よりは正確な演奏家だったようです。ゴドフスキーの作品は単なるアレンジではなく、昔の音楽を20世紀の音楽にアレンジした曲にする事。単純な古典作品の演奏会でも自分なりのアレンジを施して演奏していたようです。
代表作はショパンの練習曲に基づく53の練習曲というピアニストにとっては過酷な曲です。ただでさえ難しいショパンの練習曲を、対声部をくっつけたり左手だけで弾かせたり右と左を入れ替えたり、2曲同時に演奏させたりという曲です。

ゴドフスキーはJ.シュトラウスの作品をいくつかアレンジして、別の音楽を作っています。「こうもり」、「酒・女・歌」、「ジプシー男爵」の「宝石の歌」などをパラフレーズしていますが、「芸術家の生涯」を扱った「芸術家の生涯による交響的変容」は10分を超える大作で、メロディは勿論芸術家の生涯ですが最初から全く異なる20世紀音楽を思わせる曲です。

2011年2月12日 (土)

今日の音楽 2月12日 ワルツ「女学生」

1915年2月12日は、スケーターズワルツで有名なワルトトイフェルの命日です。ワルトトイフェルはアルザス地方出身ですが、アルザスはドイツ語圏でワルトトイフェル自身もドイツ系の人でした。父親は有名なオーケストラの統率者で、兄も人気の音楽家という音楽一家に育ちましたが、ワルトトイフェル自身は、世に名前が出たのが40歳を過ぎてからという晩成型の作曲家だったようです。

以前、シャブリエの狂詩曲「スペイン」のパロディとして、ワルツ・スペイン(狂詩曲「スペイン」を完全な3拍子のワルツに直した曲)を紹介しましたが、今日はワルツ「女学生」を紹介します。私とこの曲の出会いは、かなり昔に遡ります。大学生の時に友人の紹介でアルバイトしていた新宿の某デパート(正月の駅弁大会で有名です・・・勿論、当時は、やっていませんが)の朝の開店の音楽が、このワルツ「女学生」でした。とても軽快で華やかな曲です。

ところで、この「女学生」の曲名の由来は・・・というと、実は完全な誤訳だそうです。誤訳として有名なのは「クシコスの郵便馬車」がありますが、この「女学生」も本来の意味は「学生の音楽集団」という意味だそうです。原題はEstudiantina。中途半端にスペイン語を知っている人が、estudiante=学生を女性名詞化した言葉と勘違いして女学生と名づけたらしいです。ちなみに、英語では「Band of student」と訳されています。なので、この曲を聴いてセーラー服姿の女の子を思い浮かべる人は、間違い!という事です。
さらに、この曲、実はワルトトイフェルのオリジナルではなくてラコームという作曲家の二重唱曲に他のメロディを継ぎ合わせてワルトトイフェルが作った曲です。

2011年2月11日 (金)

今日の音楽 2月11日 ピアノ協奏曲第20番(モーツァルト)

やっぱりこの曲を聴くと、「アマデウス」の精神病院のシーンを思い出しちゃいますね。それにしても○大ピアノ協奏曲にこの曲が全く入っていないのは不可思議ですね。やっぱりモーツァルトは27曲(番号付きの曲)も作っちゃったので絞りきれないからなのかな?そういえば、モーツァルトの曲で三大○○とか五大○○というのに入っている曲は殆ど無いですね。敢えて三大クラコンぐらいかな。

短調の曲が少ないモーツァルトの作品の中で、数少ない短調の曲のひとつです。ただ、悲しみとか苦しさとかを感じさせる短調ではなく、感情の起伏を感じさせる曲で、モーツァルトのピアノ協奏曲の転換点ともなった曲です。完成したのが1780年2月11日の初演の前日という慌しい演奏でしたが初演の評判は上々。すぐに再演になったそうです。ベートーヴェンもこの曲がお気に入りのひとつで、ベートーヴェンが演奏した時に書いた第1・第3楽章のカデンツァは今でも多くの演奏会で使われています。

第1楽章は、低弦の地の底から這い上がるようなアウフタクトとスケールの大きいテーマ曲で始まる楽章で、最後は第2楽章のロマンスへ繋がるように静かに終わります。
第2楽章が、アマデウスの音楽。緩徐楽章のメロディとしては第21番の「短くも美しく燃え」の方が知名度は高いのですが、前後の楽章との対比を考えると、この楽章の安堵感は天国的な美しさだと思います。
第3楽章は、第2楽章の平安をいきなり破る激しいメロディがピアノで奏でられスタート。演奏も超難しい楽章です(モーツァルトの終楽章は全部難しいけど)。最後は同主調のニ長調になって壮大に終わります。

グルダのピアノ、アバド指揮ウィーンフィルで第2楽章です。

2011年2月10日 (木)

今日の音楽 2月10日 雪娘

「雪娘」はロシアの古い伝承を元にしたお話しで、どうやらサンタクロースの娘なんだそうです。氷爺(これがサンタクロースらしい)と春の精の間に生まれてしまった禁断の娘=この為に神の怒りに触れてこの地には春がやってこなくなったらしい が恋を知り、最後には当たってはいけない太陽の光を浴びて融けてしまうというお話しです。

リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」は1882年2月10日(新暦)に初演されました。実は、この10年前の1872年にオストロフスキーの戯曲として初演された時は成功しなかったのですが、この戯曲の音楽を作ったのがチャイコフスキーでした。この時の「雪娘」は、特殊装置を使ったり多勢の出演者が必要だったりと、かなり大掛かりだったため再演される事も無く、チャイコフスキーの作品自体が埋もれた作品になってしまったようです。現在では音楽だけは劇音楽として演奏される事があります。
その10年後のリムスキー=コルサコフのオペラは大成功に終わりました。今でもクリスマスを代表する演目として上演されているようです。
この曲からオーケストラ演奏部分だけを抜粋した組曲版があります。序曲-小鳥たちの踊り-行列-道化師の踊りの4曲です。この中では特に道化師の踊りは有名な曲です。そういえばチャイコフスキーの方の道化師の踊りもアンコール・ピースとして使われる事が多いようです。

道化師の踊りです。

2011年2月 9日 (水)

今日の音楽 2月9日 イベリア

クラシック音楽界の「ほら男爵」なのか、はたまた「不良少年」なのか・・・
スペインの作曲家アルベニスです。彼の代表作のひとつ「イベリア」の最後を飾る第4巻が初演されたのが1909年2月9日でした。

アルベニスは、7歳の時にパリ音楽院の入学試験を受け、その際にボールをぶつけて鏡を割ってしまい、試験官から「もう少しオトナになってから来い」と言われたとか、10歳の時に家出をしてあちこちを放浪した、などのエピソードが残されていますが、どうやらこれらはアルベニスが語った伝記自体が嘘で塗り固められていたという事が証明されているため、現在では「ウソ」の可能性も指摘されているようです。。。。が、いずれにしても放浪ではなくて、演奏旅行だったかもしれない見聞が彼の創作に役立った事は間違いないようです。

イベリアは、1905年から書き始められたピアノ組曲で、全4巻の大曲です。全部演奏すると約1時間半の12曲から出来ています。
第1巻①エヴォカシオン(招聘)②港(サンタ・マリア港)③セヴィーリャの聖体祭
第2巻①ロンディーニャ②アルメリーヤ③トゥリアーナ
第3巻①エル・アルバイシン(グラナダの古い地区)②エル・ボロ③ラバビエース
第4巻①マラガ②ヘレス③エリターニャ(ドビュッシーがその多彩な色彩感を絶賛した曲)

この曲は同じスペインの作曲家アルボスがオーケストレーションの権利を取り管弦楽版に編曲していますが、実は、原曲のピアノ版に感銘を受けてオーケストレーションを考えた作曲家がもう一人いました。モーリス・ラヴェルです。彼はバレリーナのイダ・ルビンシュタインから委嘱されたバレエ音楽に「イベリア」の管弦楽版を考えたのですが既にアルボスが管弦楽編曲の権利を取得している事を知り断念、そして已む無くオリジナル曲を作る事になったのですが、そこで生まれた曲が「ボレロ」だったそうです。もし、イベリアの管弦楽編曲の権利がフリーだったら、ラヴェルの最高傑作が生まれていなかったわけですね。

最後の曲エリターニャです。

2011年2月 8日 (火)

今日の音楽 2月8日 ピアノ協奏曲第3番(バルトーク)

バルトークは3つのピアノ協奏曲を作曲していますが、第1番、第2番はピアノがかなり打楽器的な扱いになっています。単純に聴いてもだ両方とも第3楽章がティンパニの爆発音で開始されるという共通点があります。1946年2月8日に初演された第3番は、結局バルトーク自身が残り僅かのところで死去してしまったためもちろん初演を聴く事はできませんでしたが、終楽章の17小節程度のオーケストレーションが未完成だったということで、わずかな作業でハンガリー人の作曲家シェルイが完成したものです。

この曲は、バルトークがアメリカ移住後の作品で、それ以前の無調性、打楽器的な扱いは後退し伝統回帰が見られる当時の作風を反映しています。一説にはロマン派音楽を好んでいたアメリカ楽壇を意識したとも言われています。3つの楽章からできていて第3楽章にはハンガリーの民族舞踊的な主題が用いられています。難易度はバルトークにしてはやや低め・・・らしいのですが、とは言ってもバルトークですから。

ハンガリーのピアニスト コチシュで第3楽章です。指揮がフェレンチクなのでハンガリー国立交響楽団かな?

2011年2月 7日 (月)

今日の音楽 2月7日 スペイン交響曲

「のだめ」のプラティニ国際指揮者コンクールで、千秋のライバルであるジャンが本選の選曲のくじ引きで弾いてしまった「あのどすーん!ずどーん!って重そうな曲!?」であるスペイン交響曲が初演されたのが1875年2月7日です。作曲したラロはスペイン系のフランス人で、ビゼーのカルメンの初演の1ヶ月前、まさにフランスではスペイン趣味音楽が開花した作品です。

交響曲という名前ですが、実際はヴァイオリン協奏曲そのもので、ヴァイオリン協奏曲第2番として扱っているものもあるようですが、ラロ自体は曲名と形式にはこだわっていなくて、他にも「名は体を表さない」曲が少なからずあるようです。
確かに千秋が引き当てたチャイコフスキーに比べれば重厚な曲ですが、聞き応えがあるヴァイオリン協奏曲の名曲のひとつだと思います。第1楽章はメロディこそスペイン的ですが構成やオーケストレーションはドイツっぽい印象を受けます。第2楽章はスペイン音楽そのものの雰囲気を持っているホタ、第3楽章はインテルメッツォで初演のサラ=サーテがこの楽章を省略したため長らく省略するのが主流だったようですが、最近は演奏されるのが主流のようです。第4楽章は緩徐楽章ですが、確かにこの楽章はゆったりした曲というより重いという印象を受けるかもしれません。第5楽章は比較的重厚な印象を残す前の4つの楽章との対比で非常に明るくいきいきとした音楽で最後にホッとするんですよね。ホントに前の4つの楽章を聴いてからこの最終楽章を聴く・・・うまく流れを作ってますよね。

何だか、ジャンの恋人である「ゆうこ」の先の発言で損した曲のひとつかもしれませんね。

最終楽章です。

2011年2月 6日 (日)

今日の音楽 2月6日 花火

ストラヴィンスキーの初期の作品で、幻想曲として作曲された「花火」が初演されたのが1909年2月6日でした。恩師のリムスキー=コルサコフの娘の結婚を記念して作った曲ですが、リムスキー=コルサコフはこの直前に死去したため初演を聴く事ができなかったそうです。
4分程度の非常に短い曲で、この曲自体はまだストラヴィンスキーらしい無調の作品ではありませんが、この曲を聴いたディアギレフがストラヴィンスキーの管弦楽法に感銘を受けて、「火の鳥」を委嘱したという事から、ストラヴィンスキーの出世のきっかけになった曲です。
幻想的なフレーズと、バーバリズムを思わせるフレーズがちょっと「魔法使いの弟子」のような雰囲気を感じさせる曲です。

2011年2月 5日 (土)

今日の音楽 2月5日 柳の歌

1887年2月5日はヴェルディ最後のオペラ・セリア「オテロ」がミラノ・スカラ座で初演された日です。ヴェルディは、この後「ファルスタッフ」というオペラ・ブッファを作曲していますが、セリアとしてはこれが最後の作品になりました。

オテロはご存知のように、シェークスピアを原作とする作品です。ヴェルディは「アイーダ」の成功の後は、年齢や晩節を汚したくないという思いからか、かなり筆が重くなっていたようで「アイーダ」の3年後に書かれた「レクイエム」から「オテロ」までは13年も空白の期間がありました。それだけに、今までの作品とは異なるレシタティーヴォとアリアの区別の無い、楽劇に近い総合芸術に近づいた作品になっています。そのために、ヴェルディの多くのオペラのように、単独で歌われるアリアが少ない作品のため、馴染みという点では、前中期の作品に比べると低いようです。

実は、私はヴェルディのオペラはどちらかというと苦手です。逆に、ヴェルディはオペラ作曲家として認められていますが、オーケストレーションは他のオペラ作曲家に比べれば群を抜いて優れていると思っています。もし、ヴェルディが管弦楽曲をもう少し多く書いていたら、バロック時代以降途絶えていたイタリアの純音楽の歴史が変わっていたかもしれませんね。

そんな少ないアリアの中で、しばしば単独で取り上げられるのが第4幕のデズデモーナのアリア「柳の歌」~アヴェ・マリアです。非常に難易度も高く哀愁に満ちたアリアで、その後祈りの音楽アヴェ・マリアに続きます。とても美しい曲ですよ。

2011年2月 4日 (金)

今日の音楽 2月4日 愛は永遠に

1983年2月4日は、カレン・カーペンターの命日です。
カーペンターズとの出会いは、中学校2年の時友人から借りた"Super Star"のレコードを聴いてから。カレンの非常に透明度の高い声に惹き付けられてからカーペンターズの曲を聴きあさりました。まだ、日本では爆発的な人気にはなっていませんでしたが、初来日のコンサート(武道館)にも行きました。イエスタディ・ワンス・モアやシングのヒットで日本でも大ブレークして2回目の来日はチケットを手に入れるのが大変でしたが、何とかコンサートに行きました。
カーペンターズのヴォーカルとドラムをやっていたカレンが拒食症によって無くなってからもう27年経ちます。
日本では彼女の死後12年経ってから、テレビドラマのエンディング・テーマとして使用された「青春の輝き」が大ヒットし、それをフィーチャーした日本独自のCDが350万枚以上売れるという珍現象で我々の世代よりもずっと若い世代に認知度が広がったわけです。

このドラマで使われる前から、カーペンターズの曲の中で最も好きな曲は「青春の輝き」でしたが、シングルとして発売された時は人気に翳りが出た後でアメリカでも日本でもそれ程ヒットしませんでしたので、死後かなりの時間が経ってからこの曲が見直された事は、驚きと同時に非常に嬉しい事でした。

カーペンターズの中で、最も好きな曲は「青春の輝き」ですが(カレン自身も最も好きな曲だったそうです)、他には「ソリテア」「遠い初恋」も好きな曲です。今日は、没後に発売された最後のオリジナルアルバムに収められていた「愛は永遠に(To Your Dream)を聴いてみたいと思います。この今日は上に書いた3つの曲のようにシングルカットはされていない曲なので、馴染みが無いとは思いますが、大人の魅力に溢れた曲です。
ちなみに、アルバムでは「クリスマス・ポートレート」が好きです。

2011年2月 3日 (木)

今日の音楽 2月3日 真夏の夜の夢序曲

1809年2月3日はメンデルスゾーンの誕生日です。

メンデルスゾーンといえば、早逝の天才作曲家とか裕福な銀行家の息子とか指揮者を独立させた、当時は忘れ去られていたバッハの作品を発掘紹介してバッハの価値を復活させた・・・など音楽史における功績も非常に大きいものがあります。が、バス弾きから言わせてもらうと、ロマン派の音楽にもかかわらず古典派のようにコントラバスを扱っているので非常に難しい(指がまわらない)曲が多いです・・・というか、殆どの曲にそういう箇所があります。チェロとユニゾンが多いので装飾音とかもついてたりして・・・
メンデルスゾーンの数ある作品の中で、「真夏の夜の夢」という曲は2曲あります。ひとつは1826年、わずか17歳の時に作曲された「真夏の夜の夢」序曲。もうひとつは、この曲に感銘を受けたプロイセン王フリードリッヒ・ウィリアム四世の依頼で作曲された劇音楽「真夏の夜の夢」です。もちろん、真夏の夜の夢はシェークスピアの喜劇でアテネの郊外の妖精の森に足を踏み込んだ人間と妖精のドタバタ劇です。

劇音楽が作曲されたのが晩年の1843年(と言ってもまだ30代ですけど)ですが、今ではこの劇音楽の抜粋と序曲を合わせて組曲として演奏される事もあります。

序曲は、最初最弱音のヴァイオリンによって幻想的な森の雰囲気が描かれ、いきなり跳ね回る妖精たちの活発な音楽が奏でられます。途中ではロバのいななきが聴こえたり、妖精の神秘さも十分表現された、とても魅力的な音楽です。17歳で、これですから・・・やっぱり天才の面目躍如です。

アバド指揮のロンドン交響楽団です。

2011年2月 2日 (水)

今日の音楽 2月2日 ベートーヴェンの主題によるロンディーノ

1875年2月2日は、20世紀最大のヴァイオリニストにひとりであり、作曲家でもあったクライスラーの誕生日です。
クライスラーはウィーンで生まれたユダヤ人で3歳からヴァイオリンを習いはじめ、7歳でウィーン音楽院に入学し10歳で首席で卒業、その後パリ高等音楽院に入学し12歳で再び首席で卒業した天才児でしたが、両親は彼が神童として特別な扱いを受けるのを好まず、普通の高校に入れ普通の教育を受けさせています。その後第二次大戦の影が近づきアメリカに亡命しました。

クライスラーといえば、作曲家詐称事件。現在、クライスラー作曲の「●●のスタイルによる○○」呼ばれている曲は、当時は●●作曲クライスラー編曲の「○○」という題名で演奏されていました。例えば、「ボッケリーニの様式によるアレグレット」は、当時はボッケリーニ作曲のアレグレットとされていました。編曲となっているのに、原曲が一向に世の中に出てこないためニューヨーク・タイムズの記者が証拠品の提出を求めたところ、クライスラーはこと細かく引用部分や自分の作曲部分を説明、「自作ばかりじゃ聴衆が飽きるし、また自分の名前が冠せられた作品だと他のヴァイオリニストが演奏しにくいだろう?だから、他人の名前を借りたのさ」と答えたそうです。
この問題は当時大きなセンセーションを巻き起こし、騙すつもりは無くても聴衆や音楽界を小馬鹿にしていたのかと、問題視する人も少なからずいたようです。
このような、実際には殆どクライスラーが作曲したのにもかかわらず、編曲としていた作品はバロック音楽が殆どで「クープランの様式による貴婦人」「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ 」など14曲にも及んでいます。但し、ロマン派以降のドヴォルザークの「スラヴ舞曲」、リムスキー=コルサコフの「インドの歌」、グラナドスの「アンダルーサ」など数多くのヴァイオリンとピアノ作品への編曲を実際に残しており、古い作品の発掘にも熱心だったのは事実のようです。

上の詐称リスト(?)には出ていなかった作品で、疑惑が残る作品が、ベートーヴェンの主題によるロンディーノです。いかにもベートーヴェンっぽい曲ですが、これも原曲の存在が確認されず、今ではクライスラーの創作というのが定番です。でも、本当にベートーヴェンの作品に聴こえませんか?

クライスラー自身の演奏です。

2011年2月 1日 (火)

今日の音楽 2月1日 私が町を歩けば

2月1日は、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」(1896年)、歌劇「マノン・レスコー」(1893年)の2つのオペラが初演された日です。
私が始めた買ったオペラの全曲盤のレコードが「ラ・ボエーム」だったので、そちらの方を聴く事にします。

「ラ・ボエーム」はミュルジェールの小説「ボヘミアン生活の情景」を元にしたオペラですが、同じ素材からレオン=カヴァルロも同時期に作曲しており「マノン・レスコー」では台本作りに協力してくれたレオン=カヴァルロとの関係が険悪になったと伝えられています。

ストーリーは、パリのカルチェラタンに住むボヘミアンの貧乏芸術家たちと貧しい針子のミミ、奔放なムゼッタとの恋と悲劇を描いた作品。「私の名はミミ」「冷たい手を」「古い外套よ」など単独でも歌われるアリアがたくさんあって美しいメロディの宝庫ともいえる作品です。「私の名はミミ」は最も好きなアリアのひとつですが、今日は第2幕でマルチェルロの元恋人ムゼッタが金持ちのパトロンを連れてカフェに登場する時の曲、ムゼッタのワルツ「私が町をあるけば」にします。
この曲は、ムゼッタが元恋人のマルチェルロの気を引くために歌う曲で、カルメンの「ハバネラ」のような意味合いを持つ明るくちょっとコケットな曲です。

アンナ・ネトレプコのソプラノです。

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