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2008年10月30日 (木)

富士オケの仲間たちの演奏会 その4

チャイコフスキーの交響曲第6番は、一般的に「悲愴」という副題で親しまれている。この悲愴という副題は、チャイコフスキー自身が初演後に Sinfonie Pathetique という副題をつけて出版してくれ、という希望を出しているところから、チャイコフスキーの思惑と全く異なる副題ではないというのが定説になっている。ただし、Pathetiqueを「悲愴」と訳すかどうかは別の問題ではあるが・・・

初演のわずか9日後にチャイコフスキーが死亡している事、チャイコフスキーの死の原因が一応はコレラとされているものの、実際には自殺だったという説もあって非常に謎めいている事から、この曲と結びつけて考えられがちではあるが、実際のところこの曲がチャイコフスキーの死と密接に関わっているかどうかは、謎である。ただ、この曲の出来ばえに対するチャイコフスキーの自身はかなり強いものがあったようで、その前後の言動を考え合わせても、直接彼の死と結びつく作品ではなかったような気がする。

一般的な交響曲は、急-緩-急(メヌエットまたはスケルツォ)-急の4つの楽章で構成されていて、最終楽章は華々しくコーダが演奏され拍手~というわけなのですが、この悲愴はちょっと違っています。第3楽章がまるで最終楽章のような鳴り物たくさん、華々しく終わった後、悲壮感漂う第4楽章があり、最後は弦楽器の重苦しいメロディ、コントラバスのピチカートで消えるように終わるからです。昔は第3楽章が終わると間違って拍手喝采になってしまい、この重苦しい最終楽章を始めるのに苦労する事がたびたびありました。今でも、パラパラと拍手が出てしまう事は多いですね。

多くの指揮者は、それを嫌って第3楽章が終わるとアタッカで(隙間無く)最終楽章を始めてしまいます。今回もそうすると思います。チャイコフスキーという作曲家はどちらかというとメロディ・メーカーです。各楽器が縦糸横糸を編み合わせるようなアンサンブルにはなっていません。よく言われるのがオクターヴ進行。1st Violin、2nd Violinとチェロまたはヴィオラが3オクターヴ同じメロディを弾いてメロディに厚みを持たせるというパターンが多いのが特徴。ブラームスのように1小節の中を1st Violinが4分割して2nd Violinが3分割してアンサンブルするような事はありません。人によっては聞きやすいと思うでしょうし、人によっては単純で面白味がないと思うかもしれませんが、これぞチャイコフスキーというオーケストレーションを聴いて頂ければ幸いです。

2008年10月27日 (月)

富士オケの仲間たちの演奏会 その3

フランス音楽とフランスの音楽は、どうも違うようだ。
日本の音楽教育がドイツを中心に行われた事もあるのかもしれないが、ドイツ・オーストリアの音楽に比べると、フランスの音楽は日本では馴染みが薄い。
古典派以前の音楽にしても、我々が通常耳にするのは、バッハやヘンデルのドイツバロックや、ヴィヴァルディ、コレルリなどのイタリアバロックが中心で、リュリとかシャルパンティエの音楽はあまり馴染みがない。

ティンパニを2台も使った大編成で完全な標題音楽であるベルリオーズの幻想交響曲も初演されたのがベートーヴェンの死後わずか3年の事。フランスの音楽は、我々が考えるよりずっと進んでいるし、保守的なドイツ音楽と比べて非常に変化に富んだ歴史を歩んできているのである。(個人的には、保守的なドイツ音楽が好きなのですが・・・)
ただし、このベルリオーズもサン=サーンスもビゼーも、ここで言っているフランス音楽とはちょっと違う。

過去フランスの作曲家の音楽はいくつか演奏している。ベルリオーズの幻想、ラコッツィ行進曲、サン=サーンスの交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲第3番、ビゼーのアルルの女・カルメンの組曲、ドリーブのコッペリアなど。ただ、フランス的な曲はと考えると、フォーレの「ペレアスとメルザンド」の組曲とシャブリエのスペインぐらいかな。
そのフォーレとシャブリエは時代的に言うと、ドビュッシー、ラヴェルという印象派音楽への橋渡し世代になる。
今回2曲目に取り上げる ドビュッシーの「小組曲」がフランス印象派の初体験だ。印象派の音楽を何故今までやったことが無かったかというと、まず特殊楽器が多い事。複数のハープや、チェレスタ、サキソフォンなどが代表選手。その他にもコルネットやオフィクレイドなど(他の楽器で代用しますが) ドイツ音楽で育った我々にとって表現が難しい事などがありますね。

小組曲は、原曲はピアノ連弾曲で小舟にて、行列、メヌエット、バレエの4曲からなっている。牧神の午後の音楽などのように曖昧な雰囲気をかもし出す曲の多いドビュッシーの中では、比較的分かり易い曲になっている。もっとも、これをオーケストラに編曲したのはドビュッシー自身ではなく、弟子のビュッセルという作曲家。ただ、ピアノ曲としてはそれ程評価が高くなかったこの曲を有名にしたのは、この弟子による管弦楽編曲版であることには間違い無い様である。

フィンランディア、悲愴というどちらかというと濃い目の音楽の間に挟まれた、軽妙な音楽で聴く人達に一息入れてもらえるかどうか、が、最も重要な点かもしれない。

2008年10月26日 (日)

富士オケの仲間たちの演奏会 その2

相変わらず暑い、じゃなくて熱い練習でした。「僕の音楽に着いて来る気が無いのなら、やらなくてよろしい」ちゅうような、相も変わらぬ放言を吐いて、富士オケの伝統を今でも最も濃く持っているのは、やっぱりあなたのようです。

前回40周年では途中参加でしたが、卒業以来(ある程度のブランクはあったにしろ)ずっと楽器を弾き、吹き続けていた人でなければ、ちょっと参加できる内容ではありませんでした。そうなるとなかなか参加者の間口が広がらない。多分吸収力の最も強い高校の3年間楽器をやっていた人は、ある程度リハビリすれば、何とか演奏ができるぐらいになるのではないか、と考えました。それは、自分がやっぱり会社のオケに入る前10年以上の間で、楽器を触ったのがプレ30周年演奏会と言われた演奏会までの6ヶ月間だけの長いブランクがあったのに、復帰できた経験を持っているからです。

そうして間口を広げていけば、1000人以上の卒業生を送り出している富士オケの演奏会の出演者を集めるのにこの前のような苦労はしなくて済むのでは・・・同じ状況だったら、また5年後か10年後の記念演奏会で同じように人集めで苦労してしまうのでは・・・と、密かに考えておりました。そんな中で、記念演奏会でもない今回の演奏会の企画は丁度良いチャンス。楽器から離れている人に呼びかけて、そういう人でも参加できそうな曲も考慮して・・・と、ご理解を頂いて選曲もさせていただいたわけです。

詳しい曲目紹介は、OBで物書きになられているY氏がとても魅力的な文章でプログラムを飾って頂いているので、そちらにお任せするとして、別の切り口で書いておきましょう。

1曲目のフンランディアは、フィンランドの国民的英雄でもあるシベリウスによって書かれた交響詩です。ロシアの圧制から独立を勝ち取らんとするフンランドの愛国心を讃える讃歌で後半に出てくる旋律はフィンランドの第2の国家とも言われている曲です。実は、この曲世界で最も弾き易い交響詩と言われています。シベリウスという作曲家は非常に演奏難易度の高い曲を作るので有名な作曲家です。交響曲第1番、レンミンカイネンなど超難曲のひとつです。が、このフィンランディアに関しては難しい技巧的なフレーズは出てきません。どちらかと言うと旋律とダイナミックスの変化を楽しむ曲です。ダイナミックスは特に前半では数小節ごとにクレッシェンド、ディミヌエンド、スビートピアノ(瞬時に音量を落とす)などが指定されています。特に簡単というわけでは無いのですが、複雑なアンサンブルなどは避けられて単純な作りになっている為、ダイナミックスの効果がこの曲の命の大きな部分になっているわけです。
で、この曲は久々に楽器を演奏する方が参加し易いようにという思い出選ばせて頂きました。

2008年10月23日 (木)

富士オケの仲間たちの演奏会 その1

私は高校に入るまでは、学校で習う楽器(当時はハーモニカとたて笛だけ、小学校6年の運動会に向けての臨時の鼓笛隊の大太鼓)以外では、クラシックだかフォークだかよくわからない中途半端なギターを演奏できるだけで、中学校も当時のブラバンがあまりに貧弱だったので入らなかったため、本格的に楽器演奏をした事はありませんでした。
ですから、高校のオーケストラこそが私の本格的(?)音楽活動のルーツという事でした。

今から13年前に、都立富士高校管弦楽団創設30周年(実際は29周年?)のOBによる演奏会を最後に、ある事情があってOBが集まって演奏する事はありませんでした。その間に、私の方は会社のオーケストラに入団し年に2回程度の演奏会をこなしてきています。が、それ以外では殆どステージに乗る事はありませんでした。コントラバスという楽器は、楽器がでかくて家に置いておくと邪魔、練習場まで運ぶのが大変、お手軽に弾けない、などの理由からか、大学オケでやっていても社会人になるとやめてしまう人が多く、どこのオケでも団員不足。エキストラで出演しようと思えばいくらでもステージに乗ることができますが、私は全くエキストラ出演をしませんでした。
別に、演奏する事が嫌いなわけでは無いのですが、私の場合、演奏する曲の譜面と指揮者の指示だけを追いかけて演奏する事に満足感を感じない・・・・演奏する曲目を可能な限り深く追いかけて演奏しないと満足できない・・・・音楽についての文献を読むのが好きでないので必然的にその曲を弾きこまないと気がすまない(しかも、ひとりで、では無くオケの中で)という理由が主なものです。
まあ、最近、後何年楽器が弾けるのか、それにしては弾いた事の無い曲がたくさん有る、という事も感じ始め、ポツポツとエキストラ出演することに宗旨がえをしておりますが。。。

一昨年、約10年ぶりに高校を卒業した若いOBの提唱で、40周年のOBオケが開催され、自分のルーツを確かめる機会を与えられました。今のオケの演奏で自分たちが目差している物とはかなり次元の異なる演奏ではありましたが、そこには間違いなく自分の音楽活動の源が存在していました。私が高校を卒業してからすでに30年以上たっており出演しているOBの中には自分の息子や娘であってもおかしくない年齢の人もいます。それは、今の会社のオケでも一緒ですが、そういう人達と接するにしても全く異なる感情が湧き出ます。高校のOBのオケは30年以上後輩でも、自分のすぐ下に入って来た後輩のような感情で接している自分がいました。
そして、しばらく途絶えていたOB間の付き合いが再開され、前回と異なった広い世代から、また演奏会をやろうという話しが起こり、私自身も発起人のひとりとして加わり演奏会を開催する機会が訪れました。

今回は、40周年の時と異なり、OBに郵便物を送りつけるわけでもなくOB有志という形で演奏会をやるという事だったので、人集めにかなり苦労するのでは、という危惧を持っていました。特にコントラバスは前回、人を集めるのに大変苦労した経緯があったので、ことさら心配していました。が、2年前の演奏会は無駄ではなかったようで、その時は参加できなかったけれど・・・という人が結構集まって来ました。多分幅広い世代で「ワイガヤ」的な進め方が功を奏したのではないでしょうか。コントラバスも結局目標人数を上回る9人の参加が決まりました。足りなかったら無理にでもお願いしよう、と思っていた人が数人いるのですが、切り札を使わずにすんだわけです。

その演奏会もいよいよ20日後に迫ってきました。

2008年10月 6日 (月)

パイオニア ミューズコンサート2008

パイオニア交響楽団とパイオニア合唱団が共演する、パイオニア・ミューズ・コンサート2008が昨日2008年10月5日、川崎のミューザ・シンフォニー・ホールで開催されました。ミューズ・コンサートでの共演はモーツァルトのレクイエム以来久しぶり。川崎ミューザは、関東の公共ホールではトップクラスの評価を得ている(使用料金もトップクラス)ホール。
最近流行のシューボックスタイプではなくワインヤード型のホール。しかもステージとの距離を短くするために1F席を比較的ステージの高さに近くして奥行きを短くした構造のホールで独特の構造です。いわゆる反響板が非常に少ないため壁際は良いのですが壁から離れると響きにくいようです。
ホール自体は良いホールなんでしょうが、演奏していて非常に孤独を感じるホールです。周りの音があまり聞こえない。正月に会社の新年朝礼でホルベルクなどの弦楽合奏を弾いたのですが、その時はコンバス1本だったし、そんなものかと思ったのですが、フルオケでも同じような感じでした。

今回は、合唱団との共演になるメインはグノーの「聖チェチーリアのためのミサ曲」という、多分一生弾く事が無いと思われる曲。指揮の黒岩先生も「グノーって、バッハの平均律を編曲してアヴェ・マリアを作ったわけだけど、あれは素晴らしいアイデアだと思う。この曲は、とても同じ人が作ったとは思えない」などという感想を述べた、はっきり言えば駄作かもしれない曲。指揮者の先生だけでなく、合唱団もオケも音楽づくりには苦労しました。

そんな曲なので、前・中プロは難曲を選曲。何を弾いても難しいメンデルスゾーンの「ルイ・ブラス」と、ブラームスのへそ曲がりオーケストレーションの極致ともいえるハイドンの主題による変奏曲。特に後者はそれぞれの楽器が違う拍子を弾きながらアンサンブルするような(本当は同じ拍子の中で、音符が違う拍子で並んでいる雰囲気)アンサンブルのとても難しい曲でした。それなりに、事故になりかけた部分もありました。今回はコンバスは無事故(だったと思う)。

但し、体力的にはとてもキツイ曲ばかりだったし、ずっと腰痛が治ってなくて厳しかったです。

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