富士オケの仲間たちの演奏会 その4
チャイコフスキーの交響曲第6番は、一般的に「悲愴」という副題で親しまれている。この悲愴という副題は、チャイコフスキー自身が初演後に Sinfonie Pathetique という副題をつけて出版してくれ、という希望を出しているところから、チャイコフスキーの思惑と全く異なる副題ではないというのが定説になっている。ただし、Pathetiqueを「悲愴」と訳すかどうかは別の問題ではあるが・・・
初演のわずか9日後にチャイコフスキーが死亡している事、チャイコフスキーの死の原因が一応はコレラとされているものの、実際には自殺だったという説もあって非常に謎めいている事から、この曲と結びつけて考えられがちではあるが、実際のところこの曲がチャイコフスキーの死と密接に関わっているかどうかは、謎である。ただ、この曲の出来ばえに対するチャイコフスキーの自身はかなり強いものがあったようで、その前後の言動を考え合わせても、直接彼の死と結びつく作品ではなかったような気がする。
一般的な交響曲は、急-緩-急(メヌエットまたはスケルツォ)-急の4つの楽章で構成されていて、最終楽章は華々しくコーダが演奏され拍手~というわけなのですが、この悲愴はちょっと違っています。第3楽章がまるで最終楽章のような鳴り物たくさん、華々しく終わった後、悲壮感漂う第4楽章があり、最後は弦楽器の重苦しいメロディ、コントラバスのピチカートで消えるように終わるからです。昔は第3楽章が終わると間違って拍手喝采になってしまい、この重苦しい最終楽章を始めるのに苦労する事がたびたびありました。今でも、パラパラと拍手が出てしまう事は多いですね。
多くの指揮者は、それを嫌って第3楽章が終わるとアタッカで(隙間無く)最終楽章を始めてしまいます。今回もそうすると思います。チャイコフスキーという作曲家はどちらかというとメロディ・メーカーです。各楽器が縦糸横糸を編み合わせるようなアンサンブルにはなっていません。よく言われるのがオクターヴ進行。1st Violin、2nd Violinとチェロまたはヴィオラが3オクターヴ同じメロディを弾いてメロディに厚みを持たせるというパターンが多いのが特徴。ブラームスのように1小節の中を1st Violinが4分割して2nd Violinが3分割してアンサンブルするような事はありません。人によっては聞きやすいと思うでしょうし、人によっては単純で面白味がないと思うかもしれませんが、これぞチャイコフスキーというオーケストレーションを聴いて頂ければ幸いです。