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2006年11月30日 (木)

名曲のお話 シンフォニー編 8

ついついベートーヴェンを熱く語って長くなってしまったのでちょっとピッチを上げましょう。

モーツァルトの曲は、アマチュアではなかなか聴かせられないという人がいる。確かにひとつひとつの音に隙がなく、アマチュア的な脚色や熱っぽく演奏する事で観客を感動させるのは難しいとは思うが、アマチュアでもそれなりに愉しませてくれる演奏ができるのではと、最近思い始めている。私は、若い頃はあまりモーツァルトの曲が好きになれなかったのだが、年と共にモーツァルトの音楽に惹かれてきており、今では好きな作曲家の一人である。モーツァルトの研究家というのは他の作曲家に比べて極端に多く、謎とされている彼の死と同じように、彼の性格・彼の音楽・彼の生活に色々な考察が加えられている。例えば、映画でもサリエリが驚く場面があったように、モーツァルトの譜面には書き直しが全く無かったと言われていたが、最近それは全くの間違い、という証拠とやらが出てきている。そういった中で、モーツァルトの思想とか生き様とかいう世界から程遠いと言われてきた彼の作品も実はその奥底に全く違うものが隠されているのかもしれない。

41曲プラスαあると言われているモーツァルトの交響曲だが、残念ながら私はその三分の一も知らない。演奏した事のある曲も35番、36番、38番、40番、41番の5曲。その他に知っているといえる曲は17番、25番、31番、39番ぐらいかな。17番は2楽章がNHK FMのクラシック音楽の時間のテーマ曲として使われていた(高校時代ですが)ので知っている、25番は勿論、映画「アマデウス」、31番は演奏会の曲決めの時に「パリ」か「ハフナー」(フル2管の曲)しか選択肢が無かったので聴いた、39番は勿論後期3大シンフォニーですから。。。という程度である。従って、次回はモーツァルトの知っている曲の範囲でのお話になると思う。

2006年11月27日 (月)

コントラバスの不思議(6)

コントラバスは弦楽器である。管弦楽の楽器編成表などを見ても「弦五部」とか書かれている。弦五部というのは勿論、1st&2ndヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとコントラバスなのだから、コントラバスは弦楽器である。また、スコアを見ると最下段に記されている弦楽器の一番下に書いてあるので、やはり弦楽器である。弦楽合奏曲(チャイコ、ドヴォルザーク、バーバー等々)でも、コントラバスパートがあるのでやはり弦楽器である。そして、基本的な楽器の仕様(木で出来ている筐体に弦が張ってあって、それを弓か指を使って振動させて音を出す)も弦楽器である。

ところが、室内楽の弦楽五重奏になると、ヴァイオリンとヴィオラが各2本とチェロ(時々、ヴィオラ1本とチェロ2本のものもある)という編成であり、コントラバスは入っていない。
弦楽六重奏もヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各2本である。弦楽八重奏は弦楽四重奏×2組という編成である。という事はコントラバスは特殊な弦楽器なのであろうか。

ここにコントラバスの特殊性がある。管弦楽の曲にコントラバスは欠かせない。ここまでの低音が出せ、持続音が出せる楽器の中では運動性は高い方である。コントラファゴットやテューバにはこの運動機能は無い。コントラバスの無いオーケストラは土台の無い家と喩えられるぐらいである。但し、それはオーケストラという木管・金管・弦楽器など雑多な種類の複雑な音色が交じり合い融合させなければならない場合に必要なのであって、同種族の合奏の場合は無くても特に不都合は無いと言うことなのである。寧ろ、極端に発音が鈍く、ずば抜けて音域の低い(チェロの中音域がコントラバスの場合音程と音色が非常に不安定な領域になる)楽器は逆に融和しにくいということらしい。

それでも、弦分奏(弦楽器だけで合奏する練習方法、全楽器が集まってする練習はTuttiとか合奏、総奏とかいう)に参加させられるので、やっぱり弦楽器だろう。但し、曲によっては弦分奏になると極端に開店休業の時間が長くなるのではあるが。。。

2006年11月25日 (土)

更新情報11/25

ベーシストの休日更新情報です。

今週は、ヴェルディの歌劇「リゴレット」から 慕わしき御名をアップロードしました。

編曲は、基本的にオーボエに歌の部分を担当させて、フルート、クラリネット、ファゴット、ホルンと弦の小編成です。

リゴレットは、ヴェルディの中期の傑作のひとつで、原作はヴィクトル・ユゴーの「王は愉しむ」ですが、「王」を扱っていることもありオペラ化するときにひと悶着あり、結局敵役はマントヴァという公爵にする事に落ち着きました。ストーリーは、好色な公爵に仕える道化師のリゴレットは、公爵に夫人を寝取られた貴族をからかう事で公爵の関心をかっていたが、そのことである貴族から呪われてしまう。公爵にみつからないように密かに育てていた娘が、やがて公爵の知るところとなり娘は公爵の虜となってしまう。公爵を恨んだリゴレットは殺し屋に公爵の殺害を依頼したが、それを事前に知った娘が公爵の身代わりになって殺し屋に殺されてしまい、リゴレットは呪いが現実になったことを知る。という悲劇です。

この慕わしい御名は、学生に化けてリゴレットの娘ジルダに言い寄った公爵にすっかり騙されたジルダが公爵を思って歌うアリアです。

2006年11月23日 (木)

遅ればせながら 更新情報11/23

11/18の更新情報を忘れていました。

サン=サーンスの交響曲第3番の第2楽章前半(第2部前半)をアップいたしました。ピアノの細かい動きや、その他の楽器の細かい動きと不協和音に悩まされ2ヶ月もかかってしまいました。

この楽章は、通常のシンフォニーで言えば第3楽章にあたるものでスケルツォになっています。A-B-A-B'という形式で、Aの部分は短調で比較的ゆっくり目のテンポになっています。ここでも第1楽章と同じように、単純に小節頭やアウフタクトからメロディが始まるというものでもなく聴いていても何となくフワっとした感じのまま進行してしまいます。
 Bの部分は非常に速いテンポのトリオで長調です。木管楽器と弦楽器が短いフレーズを掛け合いで演奏していきます。B'になると、木管楽器はBの部分を模したメロディを吹きますが、コントラファゴット、トロンボーン、低弦等の低音楽器は静かに第2楽章後半の動機をその裏で演奏して、B同様全ての楽器がBの形に終結し、再度後半の動機を演奏、更に第1楽章前半の動機に戻り消えるように前半を終了します。

とにかく、音符が多い、不協和音が多いという事でチェックが大変でした。
楽器間の強弱のバランスも今一歩ですが、そこをいじっているといつまでも終了しないのでとりあえずアップしました。全曲完成したところで、再度調整できればと思っています。

2006年11月20日 (月)

ジム・クロウチ

ジム・クロウチという名前を聞いて、知っているという人は私の年代でもそれ程多くはいないだろう。わたしが高校時代にクラシック音楽とともに愛した「洋楽」の思い出のアーティストのひとりである。当時、ラジオ関東(現・ラジオ日本)で毎週放送していた全米トップ40(これこそが、発売の遅い日本でのレコード・リリースの前にヒット曲を聴くことができた番組である)で、「リロイ・ブラウンは悪いやつ」という曲が全米№1になっていた。妙に軽快で、妙に心に残る曲であった。そして、「ラスト・アメリカン・ヒーロー」という映画の主題歌「アイ・ガッタ・ネーム(I've got a name)」がヒットチャートをのぼり始めた時、このジム・クローチなる歌手のLPが欲しいと思いレコード屋を探したがなかなか見つからない。ようやく見つけたのは石丸電気レコード店。「ジムに手を出すな(Don't messe around for Jim)」という彼の1枚目のLPであった。その時はじめてジム・クローチなる歌手は「リロイ・ブラウンは悪い奴」が1位になるわずか1年前からヒットチャートに登場してきて「ジムに手を出すな」「オペレーター」などで着実に階段を登り始めているシンガー・ソング・ライターであることを知った。

 そんな矢先、ジム・クローチは飛行機事故で急逝してしまう。「アイ・ガッタ・ネーム」がチャートを上っている途中であった。偶然のことではあるが、「ラスト・アメリカン・ヒーロー」だった。死後日本でもようやく彼の曲に目が向けられ、「タイム・イン・ア・ボトル」「歌にたくして」がリリースされヒットした。アルバムも「ライフ・アンド・タイムズ」と「アイ・ガッタ・ネーム(美しすぎる遺産)」がリリースされた。(私はジムに手を出すな、と合わせて3枚とも持ってます)LifeandImessIgot

非常に素朴かつ語りかけるような優しい歌声だった。

 彼の死の直後に発売された「Time in a bottle」の歌詞は 「もし、時を瓶に詰めることができたら」という意味深な曲であり、最後の「歌にたくして」は「私はうまく愛を語る事ができないが、歌にたくしてあなたに届けます」というような内容の曲であった。
 今も、全米トップ40の中で伝えられた彼の突然の訃報を悲しみの中で聞いた事が鮮明に思い出されるのである。

  

2006年11月14日 (火)

アンコールについて

アンコールは、元来コンサートで聴衆が素晴らしい演奏をもう一度聴いてみたいという要求を満たすために始まった。これが今のように、アンコール用に別の曲を準備するようになったのは今世紀に入ってからである。

私は、いつもメイン曲が終わると非常な不安に駆られる。拍手が即座に止んでしまい、用意したアンコールが出来なかったらどうするんだろう。。。今までにそんな事は無い。というのも今ではお客様がプログラムに書いていないアンコールをプログラムに有るように期待しているからである。どうせなら、メインの曲の後に、アンコール と書いておけば良いのに(笑)

アンコール曲はどのように決めるのだろう。私の関係してきたオケの場合で考えると、
①メイン曲と関わりのある曲(同じ作曲家の曲など)。これはブラームスのシンフォニーのアンコールにハンガリー舞曲をやったり、ドヴォルザークのシンフォニーの時にスラヴ舞曲をやったり、チャイコフスキーのメインには「くるみ割り」「眠れる森の美女」のワルツなどというのが典型的なパターン
②プログラム曲で使われなかった楽器が出てこない曲。これは当たり前で、アンコールのみに、ハープを登場させるというような無駄はできない。
③2つのコンサートの練習を並行してやっている場合、他のコンサート用に練習している曲をアンコールとする場合もある
④全く関係ない曲 なんで、これがアンコールなんだという曲。例えばマーラーのシンフォニーのアンコールにヨハン・シュトラウスのポルカをやるなどという暴挙は無いだろうが

アンコールを全くやらない場合もある。これも私の経験から言うと
①レクイエムなど、拍手喝采&ブラボー が相応しくないメイン曲
②第九の後。こりゃ、最高峰の音楽の後、軽~い曲で終わりというのは無いでしょうね
③プログラム曲の練習で手一杯で、アンコールの練習まで手が回らない場合
④絶対にアンコールをやらない主義の指揮者の場合

ただ、アンコールは練習が少ない割には、演奏者も緊張感が取れその日の一番良い演奏になったりする事もある。良いんだか悪いんだかネ

2006年11月12日 (日)

名曲のお話 シンフォニー編 7

ベートーヴェンの交響曲第7番と第8番は、「運命」「田園」と「第九」に挟まれて、イマイチ一般的には地味な扱いを受けているが、やはり5番、6番の後、非常に魅力的な作品だと思う。第7番と第8番は性格がまるで異なる曲である。第7番が「動」であれば第8番は「静」であろう。但し、第8番は「静」ではあるが、決しておとなしい曲ではない。

第7番は、リストが「リズムの聖化」と言ったように、全楽章躍動感溢れるリズムで表現されている。緩徐楽章である第2楽章でさえ、四分音符,八分,八分,四分,四分というリズムが楽章を支配しているのである。ベートーヴェンの曲中最長の序奏を持つ第1楽章は、序奏の後半にオーボエとフルートで奏せられるタン・タ・タンという付点八分音符+十六分音符+八分音符のリズムによって支配され、第2楽章は2小節の管楽器の導入の後、チェロ・バスで演奏される先程書いた タン・タ・タ・ター・ターのリズムに乗ったオブリガートと後半のフーガから構成される。第3楽章はタ・タラ・タ・タラ・タ・タタタ・タタタ・タタタ・タ(何のこっちゃ)とトリオのタ~ラタのリズム、最終楽章は、主題こそ異なるがリズム的にはタッカ・タッカまたはタン・タカ・タンの推進力で最後まで突っ走る。まあ、読んでいてもさっぱりわからないと思うが、それぐらいリズミカルなシンフォニーなのである。私の場合、この第7交響曲には思い入れがある。高校1年でコントラバスを始めて最初の演奏会のメイン曲がこの曲であった。弓を持ってわずか6ヶ月。まだ、普通のボウイングさえも安定しないのに、このリズムがきちんと表現できるわけもなく、あっという間に本番が終わってしまった。いつか、きちんとこの曲を演奏したいと思っていた夢は、大学4年の時に叶えられた。今でも、過去何十回とやっている演奏会の中で、一番出来が良かったと思える演奏でリベンジを果たす事ができたのである。
ちなみに、この7番、TVドラマの「のだめカンタービレ」の主題に使われているので、これから暫くブームになるかな?

第8番は、30分程度の短い曲で、古典に戻ったような曲である。勿論、中身を良く見ると1番や2番とは大きく異なっており、特に最終楽章はそれまで無かった、転調の連続という古典を逸脱した手法で書かれたりしており、やはり8番目の曲なのであるが。
第8番の第1楽章は、第7番と正反対にいきなりtuttiで第1主題が演奏される典型的なソナタ形式である。第2楽章は、ベートーヴェンがメトロノームを発明したメルツェル氏を讃えて作曲した合唱曲「タ・タ・タ・カノン(親愛なるメルツェルさん)」を主題にした曲で、メトロノームのカチカチカチというリズムを刻む音が木管楽器によって演奏されてスタートする。第3楽章は、5番以降使われていたスケルツォから、メヌエット風な楽章に戻して作曲されてある。第4楽章もいきなりあわただしい主題からはじまり、展開部では短いフレーズ毎に転調をくりかえす。ここの転調しているところの分散和音と主題の三連符が、コントラバスにとってこの曲を難曲にしているのである。この曲は聴くのは好きだが弾きたくない曲である。

2006年11月11日 (土)

更新情報11/11

ベーシストの休日の更新情報です。

Midi素材に、ドリーブ作曲のバレエ「コッペリア」より スワニルダのワルツをアップしました。GS、GM用は、弦楽器のArcoとPizzの組み合わせをメインに要所要所に他の音色を少しだけ使用した聞きやすい簡単なつくりにしました。
オルゴール用音源は、原曲では後半低弦による飾り音があるのですが、全体を高めに移調しているので妙な具合になっています。

ドリーブの曲では、他に「シルヴィア」のピチカートをアップしてありますので、合わせて聴いてみてください。

Midi素材はフリー素材となっておりますので、ご自由にダウンロードしてお使いください。
データーへの直リンクはサーバーへの負担となりますのでお断りしております。

2006年11月 9日 (木)

サン=サーンス オルガンの2部前半 打ち込み終了

ようやく、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガンつき」の第2部前半の打ち込みが終わった。
結局、今回の演奏会参加のかなり前からスタートしていたのに、先に演奏会が終わってしまった。

これから、打ちミスのチェック、楽器ごとのバランス取り、細かいニュアンスの修正を行って、多分来週末にアップロードできると思う。

後半は、さらにオルガン、4手のピアノが登場し、金管楽器も出番が多くなるので、年内に完成は無理だと思う。カルメン組曲の方も途中で中断しているので、続きを作らねばならない。クリスマス用のアレンジも去年は新作を作らなかったので今年はやりたいのだが、できるかどうかわからない。2つのオケの練習や子供の用事などで、土日フル稼働により制作時間が減っているので仕方が無いが。。。

2006年11月 7日 (火)

コントラバスの不思議(5)

先日某私立中学・高校の文化祭でマンドリンクラブ(マンクラ)の演奏を聴いた。
マンクラと言っても、全員がマンドリンを弾くわけではない。数種類のマンドリンにギター、コントラバスなどが加わる。
この演奏を見て驚いたのがコントラバスの忙しさである。ずっと弾きつづけている。しかも曲目がJ-popなのでテンポはかなり速い。達者なものである。コントラバス奏者としての基本はできていない。ポジショニングは出鱈目である。が、音程が著しく悪いわけではない。

コントラバスは、エレキベース登場以来、ウッド・ベースとも呼ばれ、クラシックだけではなく、アコースティックなあらゆる音楽に使われる。マンクラも然りであるが、ブラスバンド、ジャズバンド、フォークなど色々なジャンルで使われる。木製の弦楽器としては一番広いジャンルで使われているのである。その理由は、音域にある。コントラバスの音域をカヴァーできるのは、鍵盤楽器以外ではコントラファゴットとチューバ、トロンボーンぐらいである。

特に、クラシックとジャズは双璧である。クラシックは弓で弾くアルコ奏法と、指ではじくピチカート奏法を併用するが、ジャズは殆どの場合ピチカート奏法である。楽器は違いは無いが、弦はジャズ向きとかクラシック向きというものはあるようである。ブラスバンドの補助的コントラバスは別として、その他のジャンルではそのジャンルにあった弾きかたで演奏される広い用途の楽器なのである。

2006年11月 5日 (日)

富士高校管弦楽部(FPO)40周年記念演奏会終了

私の音楽活動の原点でもある都立富士高校管弦楽部(Fuji Philharmonic Orchestra=略してFPO)の40周年記念演奏会が昨日無事終了しました。私は第8代ですので、その間に30年以上のクラブとしての活動があり、その間に大きな変化があった事は間違いのない事実です。もちろん、どこのアマオケでも60歳を超える団員から学生まで年齢的な隔たりは40歳以上という事は当たり前の事です。私の所属するパイオニア交響楽団も同じです。

今回の40周年企画に参加して、同じ世代を越えた集まりではあるが、大きな違いを肌で感じた。それは、時代は異なるが共有している何かがあるという事。10年ほど前にある動きがあって、伝統は途切れかけているが、わずかでも繋がっているという事をつくづく感じた2ヶ月間だった。

但し、非常に難しい問題だとは思うが、高校を卒業した後様々な道を歩み、ある者は更に上のステップを目指しプロになり、ある者は楽器から離れた。これら全員が参加でき満足を得られる物を作るのは、もう無理だと思う。今回の演奏会は、「現役に負けない」とか、「高いレベル」を求められてきた。そうだとすれば、もう同窓会的な感覚で参加できるレベルではない。プロまたはそれに近い活動をしている者を中心に、そのレベルを要求されるとすれば、自然に参加できるレベルが絞られていく。確かに、同窓会的な感覚でみんなが参加して演奏会を開いても観客を感動させるのは難しいだろう。ただ、現在音楽の世界で大活躍している者だけがFPOの伝統を築いてきたわけでは無い。自分も、アマチュアで演奏を続けているがあくまでも趣味の延長。そんな私でも、FPOの伝統の一角を繋いで来た(といっても私の場合はまだ創世記だが)自負もある。

私程度の人間が参加していける催しなのか、より高いレベルを追い求める催しなのか、もうそれを共存させたイベントは不可能かもしれない。

2006年11月 3日 (金)

もうすぐ演奏会part2の3

ブラームスの4つの交響曲で、一番最初に体験したのが、コンサートのメインとなる第1番である。といっても、第2番、第3番は数年前、第4番がつい先々週という事に比べると、第1番は高校2年の時以来、遥か33年前のことである。高校3年のブラ1は、高校の文化祭で体育館での演奏、しかもコンバス2本コントラファゴットなしという、まともとは言えない演奏だったので、リベンジを狙っていたのだが、なかなか果たす事ができなかった。ブラームスがこのシンフォニーを書き出してから完成まで21年もの時間を費やした事を考えると、自分なりにこの曲は33年前から現在まで、気持ちの中で熟成されてきたのである。

第1楽章冒頭のティンパニとユニゾンのドの八分音符の連続が、この曲でのコントラバスの重要性を物語っている。ブラームスのシンフォニーは全てコントラバスに非常に重要な役割を与えられているが、特に第1番の冒頭は譜面だけ見ると簡単だが21年の重みを表現しなければならない。ベートーヴェンの第10交響曲と呼ばれたり、「運命」や「第九」との類似点が取り沙汰されたりするが、間違いなくブラームスの交響曲である。ところどころに罠が仕掛けられておりアンサンブルを難しくしている。第2楽章はブラームス屈指の美しいメロディである。ブラームスの他のシンフォニーの緩徐楽章は憂いを含んだメロディが有名な第3番など単純に美しいメロディでは片付けられない深いものがあるが、ブラ1のそれは美しい。後半はヴァイオリンソロが加わり更に天国的な美を奏でる。

第3楽章はメヌエットでもスケルツォでもない独特の楽章である。トリオのメロディが戻ってきてゆったりと流れる中、そのまま第4楽章の緊張感あふれる序奏がはじまる。序奏の後は有名なホルンのメロディ、トロンボーンのコラールの後、第9もどきといわれる第1主題が始まる。序奏と第1主題の間が長いのもこの曲の特徴である。

コーダもブラームスの中では最も劇的である。ここでは初めに出てきたトロンボーンのコラールが形を変えて登場し高らかに終結する。ブラームスのシンフォニー中最も長い曲だが全く飽きる事が無い名曲だと、個人的には思っている。この33年間に熟成されたこの曲への思い入れを明日はぶつけて行きたいと思っている。

もうすぐ演奏会part2の2

11/4の演奏会、2曲目はサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。この曲は5年程前に所沢のミューズで演奏した曲だが、はっきり言って非常に合わせにくい曲だと思う。

構成は2楽章構成で、各楽章が前半と後半からなる。2楽章構成といっても、第1楽章の前半はソナタ形式、後半は緩徐楽章、第2楽章の前半はスケルツォを含む三部形式、後半は勇壮なソナタ形式という、通常の4楽章からなる交響曲と考えても間違いでは無さそうである。但し、循環形式をとっておりはじめの主題が最後まで形を変えて登場してくる。

その初めの主題が、8分の6拍子で十六分休符を頭に持っているため、副主題や対旋律と頭拍が合わない。これがエコーのような効果をもっており非常に合わせにくくしている。
オルガンは両楽章の後半に登場する。4手のためのピアノも出てくる非常に大きな編成の曲である。

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